高校
1988年7月、元気な女の子が生まれた。母親は、その子の名前を和実と名付けた。平和に実るように。そう思いを込めて。
和実はフリフリのスカートが好きな女の子だった。和実の体はたいして強くなく、運動は苦手で動くこと自体が嫌いな子だった。1キロ以上歩く前に必ず「おんぶっ!」とせびった。幼稚園の頃、喘息というほどではなかったが、気管や喉が弱かった。そのため、夜になると、母はいつも和実につきっきりだった。
そんな理由で水泳教室に入れられたり、サッカークラブに入ったり、オルガンをしたりしたが、すぐに嫌がり、半年もせずにやめる子だった。性格は目立ちたがりだったが、人間関係が苦手で、幼稚園ではよく一人でいた。
ある日、和実はおままごとに入れて欲しくて、「私も入れて。」そう頼んでみた。いつも返ってくる言葉が否定的な返答なものだから、いい加減仲間に入りたくて、その日は先生に助けを求めた。
先生は忙しそうにしていたのに、和実はおままごとに入りたい事をしつこく言った。
「あなたに悪いところがあるからでしょうが!」
逆に怒られてしまった。
和実はその頃、「きもちわるい」「死ね」など、悪口を言われる対象になっていた。だから幼稚園の頃の和実の脳では、{自分が気持ち悪いからいけないんだ。}とそのままとってしまい、その頃から和実は自分の顔にコンプレックスを覚えるようになった。和実は「幼稚園行きたくない。」「何で私をかわいく産んでくれんかったん?」と泣き母を悲しませた。
小学生になると好きな子ができるようになる。
自分が気持ち悪いと知っている和実は、幼稚園の頃大好きだったフリフリのスカートははかなくなり、髪は短く切り、男のような格好をした。そしていつも男に間違えられた。
だけど、幼稚園の頃と何も変わらなかった。
「キモイ」「シネ」「ニキビ女」「フケ女」「汚レル」「触ルナ」この単語は自分のために生まれてきたのではないかと思うくらいだった。
好きな人に何度も何度も言われた。野球ボールを至近距離で投げつけられた事もあった。あの冬、あの時出来た大きなあざ、痛くて痛くてたまらなかった。心は苦しかった。好きな人が好きになった女の子を妬んだりもした。見た目だけでなく心も汚れてきた。心がすさんだ子になった。先生にも差別を受けた。和実は苦しんだ。教育委員会に訴える話をすると、先生は、こう言った。
「すみませんでした。私も人間なんです。」
そして、土下座した。和実は受け入れてた。自分は気持ち悪い人間であり、ブスであると。
だから、差別するのは仕方ない。かえって人間らしい。心がある人間らしい。
改めて自分のコンプレックスを実感するのは苦しかったが、変に安心した。汚いのは私だけじゃない。こんなに成長した大人までそうなのだ。
ここは汚い世界。
生きる意味が見出せなかった。
和実は3年から習字、5年からそろばんを習っていた。そろばんは続かなかったが、習字はある程度続いた。和実はそこの習字教室では今までで最短で、8段の試験を受けた。しかし、中学に入ると初等師範レベルですぐやめることになる。
何も続かない人間だった。生きる価値すらない人間と思っていた。びったれなことは親お墨付きだった。要するに何においても駄目な人間だった。それを自分で理解していたから、虚しくてリストカットをした時期もあった。死にたいと思う時期もあった。でも、なんだかんだで、女友達が数人このときはいたので、良かったのだろう。
中学になるとすぐ、習字の先生が腰が痛いという理由で入院した。
「すぐ戻ってくるから。」
と言い、習字は半年も休みになった。その時、和実は嬉しかった。飽き性だったので、サボる日はよくあったし、なんとなくだがやめたいと思っていたのだ。入りたてのころは習字の先生になると張り切っていたのになんて奴なのだろうと、和実は自分で思った。
習字の先生もそのことには気づいていた。
中学一年のある日、学校が億劫で保健室が友達な和実は、気分が優れないと嘘をつき、ベッドで寝ていた。いつもと変わらない日だった。しかし突然、和実は金縛りに襲われた。全身が締め付けられる感覚。目は閉じられない。天井がは緑色に染められていった。眼球だけ動かせた和実は、助けを呼びたくて、窓のほうに人がいないか目を向けた。すると、保健室の白いカーテンから、黒いレースのようなものがヒラヒラと通り過ぎていった。意図的にしないとありえないような、微妙な動きをしながら、浮いたレースは通り過ぎた。
真っ黒な色だった。まるで喪服のように真っ黒なレースだった。
何かが聞こえた。
その後、すぐに金縛りが解けた。
数日たったある日、電話がかかってきた。和実の母は受話器を取った。そして低めのトーンで返答をした。
「はい、そうですか・・・近いうちに御伺いします・・・はい・・・。」
と言うと、電話を切られたのか、すぐに受話器を下ろした。
「習字の先生が亡くなられたんだって・・・。数日前に・・。」
和実は一瞬固まった。何かが無性に切なかった。
あの時金縛りで聞こえた言葉は習字の先生からのメッセージだったのかもしれない。
よく迷惑をかけていた和実。まるで家族のように接していてくれた先生。わざわざ会いにきてくれたのだろうか。保健室で聞こえた声。
「駄目よ。」
その一言。
諦めては駄目?逃げては駄目?死んでは駄目?和実は理解不能だった。しかし、確かに聞こえた言葉だった。その時、より自分に和実は嫌気がさした。休めて嬉しい、あわよくばやめれる。先生は戦っていたのに、自分は能天気に逃げたのだと。
その後、和実は習字教室を転々としたが、昔と比べてしまい、どれもすぐに止めてしまった。
中学で入ったバスケ部も人間関係や筋力トレーニングが嫌いだった和実は、すぐにやめた。体力はある方だったが、筋力はなく貧弱な体だった。部活の先輩がきて引きずって連れて行かれた事もあった。そして、和実はやめた後は、美術部に入った。週に1回も行かない幽霊部員だった。また、母が作った弁当を一口食べて満足する人間だった。母は持って帰った弁当を見ては毎回泣いていた。娘が自分の作った弁当を食べないとこっそり泣いた。娘に見つからないようにずっとずっと。
学校生活は二年の頃が一番悪かった。小学生の延長でクラスの子に胸倉を掴まれたりして怒鳴られた。椅子を思い切り投げつけられたりした。痛くて和実は泣いた。教室から鞄を持ってとびだした。泣きながら駆け足で和実は階段を降りた。先生が追いかけてきて話し合いになった。
「こいつがうちをチビちいったんちゃ!」
そんな事言ってない。和実は首を横に振った。否定し続けた。それでも、先生は和実を説得し、無理矢理謝らせた。先生は皆そうだもんね。そう和実は思っていた。感情がある私を今までちゃんとした人間として接して見てくれた事があっただろうか。と自分に問う。私が出会った先生は、穏便に済ませる事、自分が面倒な事はしなくてすむように、人の心を考えず、自分ばかり考える奴らだ。和実はそう思っていた。
教室に戻ると、「あいつ帰ってきたばい。」「帰れば良かったんに。」と言う声がどこからか聞こえた。だから、保健室通いは止められなかった。学校が大嫌いだった。自分が大嫌いだった。生きることなんかわからなかった。ただ、毎日を生きるのがだるかった。
成績もかなり下がり、塾に入れられた。ストレスがたまり万引きをした。まわりにつられてだった。そしてバレた。親を呼び出された。「ごめんなさい。」と何百回と謝った。泣きながら謝った。親はその時、「お前なんか一生信用できない。」そう言って涙をこぼした。
二年の終わりになると、天然パーマだった和実はストレートにした。その時から「気持ち悪い」とかの言葉を聞かなくなった。
不良とつるむようになっていた。他の学校の子に告白され、言いふらされたりしたが、全然嬉しくなかった。ただ。虚しかった。人は見た目が少しでも良くなれば普通に接される。という現状が悲しくなった。三年の春には二年でやらかしたことが増えたため、住所登録を祖母の家にして、指定の学校をかえ転校した。
転校してからは和実はオタクになった。漫画、ビジュアル系、酒、ゲーセンなどばかりに浸った。
おとなしい人。
眼鏡をかけていた和実はそういう印象だった。だから、それを言われた和実はコンタクトにした。
「○○に似ているね。」
そう言われる様になった。好きな人はいるのに話せなかった。過去のせいで話す勇気がなかった。勉強も転校してからするようになった。高専に行きたかった。自分じゃいけないかもしれないギリギリの偏差値。無理と言われていた。でも、単純に頭のいい子、できる子、そう思われたかった。必要とされたかった。
だから、和実は学校を休んで早朝から夜中まで塾に二週間通いつめ、数学だけし続けたこともあった。
久しぶりに学校へ行くと、クラスメイトに怒られた。全然話さない女の子といること、体育の時や、家庭科でペアを組むときの役割が和実だったためである。
「お前が学校こんせいで、うちらがあいつの面倒みらないけんくなったやん!」
と怒鳴られ、数日の間、無視をくらった。
自分が文句いわれたこともだが、全然話さないその子に対しての上から目線の言葉に腹が立った。
何よりもシカトが辛かった和実は、保健室に行っては泣いた。先生は何度も何度も
「あなたは悪くない。」
と、頭を撫でて抱きしめてくれた。
受験はすぐに終わりを迎えた。試験中はシャーペンを上手く握れないほど震えていた。
合格発表の日、知らせを聞いた和実は、嬉しくてたまらなかった。
でも、受かることが目標だった和実は高専に行ってやりたいことなどなかった。でも、今までの自分を知らない人達との生活を楽しみにしていた。何度も死にたいと思った夜でさえ、そのときだけは新しい希望のおかげで忘れることができた。
そして、動くことが嫌いな和実が陸上を知ることになるなんて、本人は思いもしなかった。
2
スタートをなる瞬間
緊張は最高潮を上回る
スタートをした瞬間
緊張は消える
今までの努力も
この後の達成感もこの時だけは考えなくなる
皆の応援する声が
自分の足音が
高鳴る鼓動とともに
目に見えない光として輝く
ゴールを駆け抜けると
倒れかける自分と
呼びかけても動かない足は
御疲れ様の声とともに
今も今からの自分にも
忘れることのない思い出として
存在し続けるだろう
高専に入ると同時に、和実は寮に入った。そして、寮生に誘われ、バドミントン部に入った。続くはずがないことはわかっていた。そしてやっぱり続かなかった。
人間関係も、厳しい練習も嫌だった。腕立ては一回も出来ないままだった。そのため、サボる理由に、コンピューター研究部、郵便友の会、バレー部マネをかけもった。
ある日、学校の体育で体力測定が行われた。
もともと女子が少なく、運動が出来ると言うほどの学校ではなかったので、全てにおいて上位になった。幅跳びが4m50で陸上部に誘われるほどだった。嬉しかったのに、きつい事が続く自信がなかったので、バドミントンを理由に断った。
だが、何故だか断った事を後悔していた。だから和実は数週間後に、結局、陸上部に見学に行った。
その頃は、和実は陸上を知らなかった。タータンがある事とか、スパイクピンがかえられる事とか、100m、1000m、10000m、マラソンしかないと思っていた。
だから、和実は好奇心に煽られたまま、見学ついでに短距離と練習を始めた。バドミントンに行く回数も減り、次第に陸上部で練習するようになった。
一年の夏の終わり頃のことだった。不健康なガリだった和実の体にはきつかった。膝、足首はずっと関節炎。疲労骨折。でも和実は何故か苦にならなかった。新しい環境にワクワクしていた。
何日もすると部員と同じ練習をするようになった。バドミントンには行かなくなり、辞めることにした。時期的には新人戦という試合がある時期で、和実が出場すると決めた種目は100mと幅跳びだった。和実は試合に出る一ヶ月前から緊張していた。夜中に起きるようになった。授業中陸上のことばかり考えていた。
だから、試合の前日に相談をしようと、寮の友達と一緒に屋上で話した。
「走れなかったらどうしよう。私は駄目な人間だから駄目かもしれない。」
不安ばかりだった。
「頑張って。」
友達はそう言った。
だから、和実はやれるだけやってみようと思った。
朝五時、寮生の挨拶の声は聞こえない。和実は支度して、友達と競技場に向かった。
競技場につき、タータンを見ると余計に緊張が高まった。その中で和実はアップをした。先輩には、まだ部活を始めたばかりだから、アップは短めにと言う指示を受けていたので、和実は疲れすぎないように体をあたためた。
着替えて召集所に行った。腰ゼッケンを貰った。何処につけるかすらわからない和実は、最終コールで聞くまで汗ばんだ手で握り締めていた。
雷管の音が次々と鳴る。自分の順番がきた和実は、スタブロについた。そして雷管の音と同時に和実はスタートした。前傾なんて出来なかった。隣の人が飛びぬけて速かった。だから、和実はドベになるまいと必死にもがいた。そして、ゴールした。和実の初めての100mは14秒75で、組で下から二番目のタイムだった。
その後に記録会が二回あったが、100mでは躓いて失格と、14秒5程度だった。幅跳びは4m33だった。こんな終わり方で、和実の高専一年の陸上生活は幕を閉じた。
何だ。
自分は学校で井の中の蛙として納まっているだけではないか。
こんなことをやって意味あるのかな・・?
どうせ何も出来ないダメ人間なんだしさ。
そう思っていた。そして、和実はこれからも自分はそうなんだろうと思った。
和実はその頃、寮に親友がいた。だから、井の中の蛙でも、支えてくれるその子のお陰で部活も学校生活もちゃんと続けた。姉のような役割をしてくれるその子が大好きだった。でもある日、その親友は和実の居ないところで傷害事件を起こす。和実は傷害事件を起こした子とも友達だった。相談を受けていた。関わっていた他の先輩からも相談を受けていた。でも、事件の現場に居なかった。それだけだ。事件は新聞に載るほどだった。殴られた先輩は、ひらがなしか読めなくなった。友達も親友も退学になった。二股。そんな単純な理由での事件。恋の汚さ、人間関係の怖さ、人の欲望を改めて感じた事件だった。一年の秋のことだった。
和実はその時から情緒不安定な日が増えた。
冬になると、和実が通っている学校で、冬になって決まってあるのが毎年恒例のクリスマス合宿だった。クリスマスからの5日間だった。やったことは、砂浜を筋肉痛になるまで走り、階段を足が動かなくなるまで上った。タータンで飽きるほどの本数を走り、また、ドリル、ラダー、ハードル、坂をやりこんだ。
陸上部に入ってあまり経っていない和実には、この初めての経験は地獄としか言いようがなかった。でも、皆苦しんでいることは変わりない。だから、余計に和実は頑張ろうと思った。
五日間の最終日。最後の練習の後に和実はこう言った。
「うちにしては、頑張った!」
その言葉を聞いたある男子が
「そんなんで頑張ったとか言いよったら、いつまで経っても弱いままばい。」
切れた声色で言った。
和実の心には、その言葉がすごく痛かった。
-------------いつまでも弱いまま----------------
その言葉がすごく痛かった。ダメ人間に拍車がかけられた。そんな気がしたからである。悔しくて、悔しくて、特にこの陸上部の中では実力のある人に言われたから、余計に悔しかった。だからおもわず泣き出してしまった。
そして、頑張らなきゃと思った。見返したいと思った。高専一年。年が明ける数日前の事だった。
3
春。
陸上部の和実はまだ部活を辞めていなかった。一年の夏に付き合っていた彼氏とはすでに冬前に別れていたので、陸上に打ち込むことだけを考えていた。和実は勉強をする人間ではなかったので、再試験を受けてギリギリ二年生になったのだ。新しい陸上部員が入る季節。和実は女一人の事が多かったので、先生から聞いた女の子が入る噂にドキドキしていた。
女の子は三人も入った。和実は嬉しかった。
そして、和実の春先最初の記録会は14秒23だった。その次は14秒50だった。全然伸びなかった。ただ、走る。それだけだった。
ある日、先生は、部員全員を集めた。次の試合で何をするかの話し合いだった。和実はもちろんいつもの種目にしようとしていた。だが、ほかの事にチャレンジしたいという気持ちから、少し距離を伸ばしてみようと思った。
「先生、私、次200mに出たいんですが、200mと幅でお願いしていいですか?」
すると先生は
「400mやってみらんか?」
と、幅跳びの練習程度しかやっていない和実に質問を返した。もちろん、だから和実は断った。なにせ、キツイ思いは練習以外でしたくないと言う気持ちがあったから。でも、中学の頃から陸上をしている後輩は、和実にこう言った。
「和実さん、200mも走った事ないんすか?自分ですらありますよ!」
そう言って笑った。とっさに和実は何を思ったのだろう。
「は?200もm400mも余裕やし!!!!先生、400mも登録してください!両方でます!」
なんて事を言ったんだろう。そして、この頃の和実は300のタイムトライアルですら、数回の経験しかなかった。練習ですら300mの距離を数えるほどしか走っていなかった。春になってからの練習は、幅跳びの助走練習程度のスピード練習だった。
その後、先生は付け加えた。
「次は高体連だから、各自上手く調整するように。」
和実はやらかしたと思った。記録会と思っていた。高校生の醍醐味、インターハイ予選とはしらずに、初めての二つ経験することになったのだ。和実は幅跳びの練習しかしないまま、インターハイブロック予選を迎えてしまった。
初日の400m。朝早かった。和実は後悔していた。
「なんて事を言ったんだろう。30mしか走れる気がしないし:::。気分悪いって言って棄権しようかな::。」
和実は送ってくれている父親の車の中でぼそりと愚痴をこぼした。
嫌だ。嫌だ。きついの嫌だ。そんなことばかり考えていた。
ついたらすぐにウォームアップだった。だから和実はアップをして、召集に行く。女子は5組だった。試合は男子の方が先で、同じ部活の400m選手が和実に声をかけてきた。
「さっさと終わらせて、苦しみよるの見よっちゃるけん!」
笑いながら、その子は走りに行った。戻ってきたその子に笑みなどはなかった。ただ、苦しいといわないばかりの顔だった。400mを走る人の気が知れなかった。
和実は恐怖した。だがそんなことお構いなしに、時間は刻々と過ぎた。そして、ついに和実の番が来てしまったのだ。
「位置について。」
その声が聞こえると同時に、足の震えが大きくなってしまう。和実は、怖かった。きつい思いをすることが怖かった。
「用意。」
皆が腰を上げる。だから、和実も上げた。
そして、雷管がなった。
その瞬間に緊張からは開放された。これを走れば終わるんだから。そういう考えに切り替わった。投げやりになったのだろう。最初の200m。皆についていける。皆と一緒に走れている。和実はそう思った。ここから少しずつきつくなり、足が動かなくなっていた。コーナーに入ると、足に力が入らなくなった。でも、走るしかない。だから、和実は走った。腕を一生懸命に振った。
{苦しい。苦しい:::。}
和実は思った。周りの息遣いが聞こえる。コーナーを抜けた。前を見た和実は不思議に思った。
{何故だろう?前には一人しかいない:!}
横にいたはずの息遣い達は、いつの間にか遠くなっていた。ラスト100m、動かない足と、動かない腕に、気持ちで鞭打った。最後の力を振り絞る。もがくよう走った。前の人に近づいた。だが、捕らえたと思ったときには、すでにゴールしていた。和実の初めての記念すべき400m。62秒45。終わった後には、何もかも動かなかった。和実はよろよろとレーンの外に出て座り込んだ。
「もう二度と走らない:::。」
和実は息を切らせながら言った。歩けるようになると、和実は待機場所に戻った。
和実が座って一息つく前に、仲間が、笑いながら声をかけに向かってきた。
「絶対にドべになると思ったんに!!!」
同じ部活のクラスの友達は言った。
「200mまでついていきよると思ったら、そこからどんどん離しよるやん!やるやん!」
400m専門の同輩が言った。
「初めてにしてはありえない!」
先輩が言った。
そういう言葉をもらった和実は余計に嬉しくなった。
「よくやったやんか。」
先生も予想外だったらしく、笑って何故か握手までしてくれた。
その時、放送がなった。
「先ほど行われました、女子400m予選、プラス3に残りました、選手は::1組を走りました永田さん○○高専、62秒45、3組を走りました、○○高校○○さん、63秒::::::::。」
放送が終わると、皆はびっくりした表情をしてみせた。決して強豪校ではない和実が通っている学校は、まず、県大会出場を目標としているからである。
「うわっっ!残ってる!!しかもベスト8って、県大会出場やん!!!」
誰かがかん高い声で言った。和実は嬉しさもあったが、顔がかなり青ざめた。またあの苦しみを味わなければならないのかと思った。
「やだなぁ::。」
言ってはいけない言葉をこぼしてしまった。本当に嫌だった。苦しみに抗体がなかった。でも、仲間は言った。
「行きたくても、行けない人はたくさんいるのに、そんな事を言うのは最低だし、失礼だよ。」
和実は嫌だと言う言葉を心の中に押し込んだ。決勝は63秒前半で6番だった。予選の何倍も苦しくてたまらなかった。夜中は全身節々が痛くて何度も起きて何度も泣いた。インフルエンザにかかったときのような節々の痛みのせいで寝不足になった。
初日で県大会出場を決めたのは和実と先輩一人、二日目は一人、三日目は一人、計四人が駒を進めた。和実の二日目、三日目は幅跳び4m50、200m27秒68で、準決勝までだった。だからこのときから、和実は400m専門になった。
もう一度、走るのは嫌だという気持ちがあった。だけど、万年ドンツーを走り、いつか部活を辞めるだろうと思っていた和実。その和実の心には何か芽生えていた。他の人達から見たら、たかが県大会出場かもしれない。何も続かなかった和実。何もかも出来ない、凡人以下だと思っていた和実。何もない、気持ち悪いといわれ続けた和実。生きる価値すらないと、小さな頃から思っていた。そんな和実にとっての、他人から見たら、出来ないに等しいほどの、本当に小さな小さな〔出来る。〕なんだかんだで売れしかった。
だから言った。
「ありがとう:。」
和実は何度も何度も言った。自分の足に何度も、何度も:。
何もない私
そんな私を救ってくれたのは
部活
どこにでもあるような
陸上部だったんだ
県大会はあっという間にやってきた。召集所は本格的だった。競技場は大きかった。皆強そうに見えた。だから、和実はアップした後、召集所でもらったゼッケンを、右に付けるか、左に付けるか迷った。思い出せなくて、隣の人に聞いた。最終コールが終わると皆が流しを始めた。和実も真似をしてやってみた。心臓がドキドキする。
「スタブロをあわせてください。」
その声に反応した和実は、スタブロをあわせた。手が震えていた。スタブロの一部を持ち上げて、すぐに落とすほどだった。怖かった。流しをした。スタート位置につく。
「位置について。」
「よーい。」
腰を上げる。
そして雷管がなった。
隣の人には200mで抜かされた。速い人には全然追いつけなかった。コーナーを曲がった後も差を縮めることすら出来なかった。でも、明らかに、最初の試合ほどはきつくなかった。和実はゴールした。一着の人とはあり得ないほど差がついていた。和実は四着で61秒台のベストだった。プラスで拾われてギリギリ準決勝に進んだ。
和実は準決勝の最終コールを待つとき、緑のジャージ姿が似合うすごく美人な選手と少し話をした。
「400mは、きつくて怖くないですか:::?」
彼女は和実がした質問に対して、にこやかにこう答えた。
「楽しいよっ。」
そして、和実とその人は最終コールを済ませる。セパレートのその人は、より美人だった。彼女は余裕の顔をして、準決勝を勝ち進んでいった。
だけど、初心者の和実には甘くなかった。体がばらばらになるのではないかと言うような苦しみを味わったのに断トツでドべだった。62秒7。ベストとは言えないタイムだった。
終わった後、和実は待機場所には戻らなかった。悔しいと言うよりは、あそこまで差をつけられてドべで、戻ることが恥ずかしかったのだ。いっとき戻れなかった。ゆっくり過ぎていく雲を見つめながら、和実は時間を過ぎるのを待っていた。準決勝で話した選手が、和実を見付けて、駆け寄ってきた。
「お疲れ様。」
と、和実の肩をポンッと、叩いて戻っていった。
和実はいつかこの人みたいに、400mを楽しいと言えるようになりたいなと思った。そして、出来る人間との心の出来方の差を感じた。少し胸がうずいた。どれくらい経っただろうか。何十分も経った後、和実は平然なはずはないのに、平然な顔をして、待機場所に戻った。先生には
「泣いて帰ってこんのかと思った。」
と言われた。
確かに、和実は泣かなかった。でも、我慢したわけではない。泣けなかったのだ。もっと努力をして悔しい思いをした人たちはたくさん居る。和実はそんな人たちに比べたらまだまだなのに、泣くことなんて出来なかった。だから和実は、次走る時は、泣けるほどの努力をしようと思った。もちろん悔し涙でなく、うれし涙でだが。結果は、準決勝まで進んだ先輩と、私、惜しくも予選落ちの二人、合計四人の県大会は幕を閉じた。和実にとっては高専二年の五月のことだった。
夏になると、和実が通っている学校は高専大会と言う、高専生だけの大会がある。女子は人数が少ないため、100m、800m、幅跳び、砲丸しかなかった。和実はもちろん100mと幅跳びに出る気でいた。でも、先生に登録されたのは800mだった。和実は800mと幅跳びという不思議な組み合わせで、高専大会に出場することになった。
7月始め、蒸し暑い日だった。幅が先にあり、和実は四位で終わった。幅跳びではひとつ上の違う学校の先輩と意気投合して、話をした。何も暑さをしのぐ物がない和実に氷をくれた。二位までが女子は全国高専へいける。彼女は最後の最後に5mの跳躍を見せ二位に入賞した。
幅跳びと800mの時間は本当にぎりぎり被らない程度だったので、和実は幅が終わると走って800mのスタート地点に向かった。
緊張した。300m以上の練習をしたことがなかった。なのに初めて走る中距離。人数が少ないので、一発決勝だった。和実はラスト100mまでついて行き最後に抜かしてゴールという、先生に言われた通りの走り方をした。2分33秒。速いとは言えないタイムだったが、優勝をした。これによって、全国高専出場を決めた。全国に行ったのは、五年、三年、一年が各一人、そして二年の和実合計四人だった。最後に、オープンで走ったリレーは一走が砲丸選手、二走が和実、三走が長距離、四走がハードル選手という寄せ集めメンバーだった。速くはなかったが、和実は嬉しかった。女子の少ない高専で、リレーなんて夢と思っていたからである。
地区大会が終わると、和実はちゃんと中距離練習を始めた。初めて600のタイムトライアルをした。そして8月始め、栃木で全国高専大会が開催された。緊張でいっぱいの大会。地区のランキングでは和実は5、6番程度だったので余計に緊張していた。
大会前日、ビジネスホテルに泊まる。緊張をほぐそうとした和実は、テレビを見ようとした。有料と書いていたため、お金を入れる。すると、流れ出したのはアダルトな映像。
「!!!!!??!!」
和実は一緒に居たマネージャーと固まった。30分経つとそのアダルトな映像は消えた。普通のテレビは無料と言うことを後で知った。
和実はなんとも微妙な気持ちで、全国高専を迎えた。
予選。地区大会の記録から六番目の和実は、何が起こるかわからない位置だった。予選はついていってギリギリ着順に入り、2分32を出して、ベスト更新。予選のタイムでも順位は六番目。だから、さして速くない和実は決勝では七レーンを走ることになった。
そして、和実は決勝前のアップは短距離的なアップで終わらせていた。まわりが、少し長めのジョグなど長距離的なアップをしているのに気がついたとき、少し恥ずかしくなった。和実は入賞を目標に決勝の召集へと行った。
最終コールをした後は、和実は流しをした。体は筋肉痛になっている。でも、関係ない。
スタート位置につく。和実は先生との会話を思い出した。
「勝ちたいなら、ついていけ。でも、バテたらドべになる。その覚悟でいけ。」
和実は、そんな、恐ろしい賭けはできなかった。得るものは、
か0かなんて賭けは怖かった。自分自身に、自分の足に自信がなかった。だから、和実は
「自分のペースでいきます。」
はっきり言った。目標は確実に入賞したかった。
{よし:::。怖いけど:::がんばろう::。}
雷管の音と同時に和実はスタートした。一着になると誰もが思っていた人が、すごいスピードで前に出た。和実はあせらずその後方から焦らないように気をつけて前に出た。400m。先頭は65秒。和実は68秒。短距離なだけあって、その頃には、和実は息が苦しくて、足よりも肺がついて行かなかった。でも、諦めない。諦めたくない。600mを通過。和実は後一歩というところまで追いついた。
そして、ラスト100m。和実は飛び出た。ラストスパートをかけた。目の前に誰もいない景色が広がった。死に物狂いで、ぶれる体を無理矢理前に押し出して走った。和実は走りきった。
{やったぁ!!!!!!!!!!}
嬉しかった。タイムは2分24秒21。ベストが8秒更新された瞬間だった。和実はこの時、全国高専大会女子800m優勝を手に入れた。喜びのあまり、乳酸の溜まった足のことを忘れ、ろくにダウンもせずに、携帯で彼氏に電話した。彼氏は喜んでくれたが、少し悔しいと言った。和実が待機場所に戻ると、先生と先輩は大きな声で笑っていた。そして
「ありえないだろう。」
と言ってもっと笑った。まさか、勝つなんて思ってなかったから、予想外すぎて笑っていた。先生は
「こんな生徒は初めてだ。」
と言った。
確かに中学まで何も続けることが出来ない美術部幽霊部員だった和実。デッサンを書いて静物と戯れていた和実が、高専に入り、陸上歴一年で出したタイム。いや、タイムはいいとは言えない。そんな奴が出した成績だからだろう。世の中には自分の小さなすごいより、できる人は何万といる。だが少なくても、今ここにいる先輩達の前では和実はありえない人として考えられていた。先輩は二人ともおしくも予選落ちだった。後輩は全中19番の成績を持っているだけに、二位だった。砲丸の女の子だ。そして、夜は美味しいものを食べた。夜中は先輩が買ってきたお酒で打ち上げをした。もらったメダルが嬉しくて手放せなかった。だから、和実は何度も何度も見た。小さな世界の優勝でも、和実にとっては大きかった。私は何もない人間じゃないかもしれない。そのときやっと和実はそう思えた。
そして、秋になると新人戦がはじまる。和実はは自分の足に少し期待を膨らませていた。
もしかしたら
自分に少しでも才能があればいい
走ることで
いや……
走ることが
自分をかえてくれるかもしれない
ある人みたいに速くはないけど
あの人みたいに特別ではないけど
その人たちからみたら対したことないかもしれない
でも
自分にとっての
ほんの少しでもの「できる」は
自分の存在意義を与えてくれる
夢が叶うときはないかもしれない
目標を達成できるかもわからない
でもなにも必要とされなかった自分
なにもできなかった自分が
生きる意味を見つけたと思えた
だからこそ私は
逃げないで走ろうと思う
和実は新人戦は予選で流して、決勝で本気で走る気でいた。なぜなら、和実の体力では二本ももたないからだ。和実は予選は大丈夫だろうと、安心していた。
そしてスタート位置についた。雷管の音とともにスタートをした。予想外だったのは8レーン。何故か速い。相手は後半落ちると和実は思っていた。だが200mをこえても、落ちる気配はなかった。和実はびっくりした。あせりのあまり、200m地点から全力で走った。そのとき和実はベストを出した。61秒13だった。和実は追い付けなかった。和実の前でゴールした人は59秒99だった。和実の足は乳酸でヤバかった。
和実がいる地区でそんなに速い人がいるとは思ってなかった。あきらかに誤算だった。和実は走れる気がしない中、プラスに選ばれ7レーンとなった。
決勝。和実は最初からとばすことを決めていた。とばしたら、もしかしたら……があるかもと思ったからだ。でも、世の中そんなに甘くないのが現状。
前はもっと速かった。後半追い付けそうになりながら私は四位となった。三位とは00・6秒差で負けた。四人の混戦。1、2位は59秒9ほどだった。五位からは62秒ほどかかっていた。和実は四人での戦いに負けたのだ。このときはさすがに悔しかった。三人は表彰台。和実はそのときにはダウン。むなしかった。大幅自己ベスト更新(60秒13)の喜びより、悔しさのほうが何倍も上だった。
和実は県でのリベンジにかけた。
県大会当日。和実は60秒きることを目標にしていた。だが、予選のタイムは60秒4だった。決勝に残ったのは、和実がいる地区ではでは和実と1位の人だけだったので嬉しかった。決勝は61秒かかったが、七位。北部1位は八位。来年のインターハイ予選の北部はブロックで一番とれるかも、北九に行けるかもと言う希望が和実の頭をよぎった。
そのころ和実は調子が良かった。だが、調子がよすぎた。練習をしているときに怪我をしてしまったのだ。最初は気にせず走っていたのだが痛みは増すいっぽうなので、少し休みをとることにした。走れないことが少し不安だった。最初は気にせず腹筋や補強をしていた。しかし走れないことが嫌だったので早く治そうと病院に通院するため家から通い部活を休んだ。二ヶ月近く休んだ。しかしあまりにもなおらなかった。
{またダメ人間にもどっちゃう…}
そういう考えが浮かび始めていた。そしてそのころ親友という親友全員の留年、退学が決まったのだ。親友によっては、過食と嘔吐を繰り返す人、またはその逆。学校と言うストレスに、周りは壊れた。高専は五年ストレートで上がる確率が七割弱しかないのだ。親友が心配だったのもあるが、独りになるという不安も走れない不安もあのときの和実にはとても苦しいものだった。独りになる。誰も心配しない。走れない。必要ない。生きる意味が無い。目標がない。生きるなんて面倒だ。
(死にたい……生きる意味がみつからない……)
そういう考えばかりになってきた。そして和実は全てに対してのやる気がなくなってしまったのだ。漠然とした人生も独りになることも耐えられなかった。だから、和実は精神病、つまりうつ病にかかってしまったのだ。
和実は最初はずっとボーとしていた。次第に学校に行くのが嫌になった。保健室とカウセリング室にほとんどいた。カウセリング室では無理矢理作った希望を書きなぐった。病気は悪化していた。頭痛、吐気、微熱、胃痛、全身に痛みがあった。 和実は友達に進められ、精神科に行った。私は自分が頭がおかしいのだと思った。そして薬を飲み続けた。薬は増えていく一方だった。副作用の眠気がたまらなかった。だから和実は秋の記録会にもでず、練習もしなかった。苦しかった。意味もなく悲しかった。体中の異変も苦しいものだった。幻覚、幻聴もあった。リストカットをはじめたりした。治らない足に、自分の大嫌いな顔に、和実は意味もなく嫌気がさした。そして何度も何度もひっかいた。真っ赤になるまで、足に顔に傷をつけひっかき続けた。赤い跡が足には何日も残った。そして、何週間も過ぎた。やっと足が治ったのだ。でも、病気は治ってはいなかった。
和実はうつ病を背負ったまま、陸上部に復帰することになった。和実は幻覚で化け物が見えて、わけのわからないことをいった。賞状をびりびりにやぶって、廊下で泣いたりもした。サボりがちだったので、陸部の皆はなんとかほとんど和実の病気には気付かなかった。
冬の合宿では、復帰したばかりで、練習してないから、去年より苦しかった。薬も飲み続けていた。心、体ともに苦しくて、苦しすぎて、何度も泣いた。苦しすぎて泣いた。和実が苦しくて泣いたのは小さいころ、喘息になったとき以来だった。でも、泣けば泣くほど、走れば走るほど、和実は安心した。二ヶ月のブランクに対する不安と、病気のせいでやる気がでないことに、最後までやる遂げれば、この合宿が終われば、勝てるような気がしたからだ。
だから和実は走った。最後まで。ずっと。
苦しくて、足が上がらなくて和実が泣いたとき、先輩が
「泣いてもきついでも、最後まで走ろう。アドレスには目標は58秒って書いてるでしょ?最後までいけば、きっとだせる。」
と言ってもらったこと。和実はアドレスに「goal58」といれていることを、先輩は知っていたのだ。あのときのあの言葉をうけて、和実は限界を越えられるのではないかと思うほど、自分を苦しめた。最後の日の最後の練習になると、頑張っているのにジョックになるほどだった。
苦しいよ
苦しいよ
なんで…?
なんで……?
皆どうして生きてるの?
自分はどうして生きてるの?
だれか……
だれか………
でも……
走らなきゃ……
合宿の最終日の最後の走りのあと皆と和実はタータンの上に倒れこんだ。12月の終わり。福○のグラウンドにて。和実にとってこのときすでに陸上は生きる意味を探してやっているみたいなものだったのだろう。陸上がなかったら、和実は生きていたか?何をしていたか?と聞かれると。何も言えないのだ。それくらいに和実にとって陸上は大きな存在になっていた。陸上をやめたらまたうつ病が悪化するかもしれない。
だからやめないわけじゃない。
速いわけでもない。
でも走っているかぎり
私には生きる理由がある。
目標達成という理由。
ただ、それだけのこと。
遅いと思われても
ダメだと思われても仕方ない。
もともと何もなかったのだから:::。
病気はあの合宿をやり遂げてから、完治はしてないものの、悪化しなくなった。うつ病の進行を止めた。要するに、私にとって陸上は「生きるための意味を探す」競技となったのだ。そして合宿が終わり、三年の春が訪れる。
4
和実はなんとかそのころには調子を取り戻していた。たまに病院に様子をみにいき、薬を処方してもらう程度だった。
最初の春の平○台記録会では400mには怖くてでなかった。100mと200mに出場した。200mは福○と情○大と和実三人だけだった。ドベだったが26秒7で、ベスト一秒更新だった。福○の人は24秒台で走っていたので、出来れば一緒に走るのではなく、走っているところを見たかったと和実は思った。100mは13秒18で、こちらも一秒ベスト更新だった。
次の記録会で400mにでた。予選を63秒8で走った。決勝は予選がうまくアップになり、59秒44出たのだ。嬉しかった。次の記録会では59秒5だった。直○の先生には最初から59がでるなら、57が今年中にはでるかもしれないと言われて、和実はよりいっそう嬉しかった。順調なスタートをきった。そして5月になり、三年のインターハイ予選をむかえることになる。和実は試合の数日前から喉が痛かった。
治るだろうと思っていた。でも、嫌な予感はしていた。
当日。
予感は的中。咳がとまらなかった。咳のしすぎで腹筋が筋肉痛になった。喉がはれて奥があつい感じがした。咳をするたびに頭が痛かった。でも、和実も先生もこの大会で上に上がることを目標としていた。今更あきらめるわけにはいかない。だから棄権しようとは思わなかった。アップのときはのど飴をなめながらやった。
予選、和実は咳をしながスタート位置についた。だが咳がとまらない。私はフライングをとられないか心配だったので最終手段にでた。
スタートするまで、息を止めたのだ。スタートをした瞬間、私はやっと空気をすいこんだ。そして走った。予選は組で三着。60秒48だった。プラスで拾われて、決勝に行った。予選のタイムでは五番目だった。
決勝。
和実は60秒5で三位。和実の中では最悪だった。風邪をひいた自分が嫌になった。終わったとたん、和実は息が出来ないくらいに咳をした。咳がとまらなかった。友達が私の頭をさわり、高熱があることに気付いた。頭が咳をしなくても痛くなっていた。咳はとまらない。和実はすぐに家に帰らせられた。病院で薬をもらい、点滴までした。病院の先生には怒られた。
「何もないとか、対したことないけ大丈夫とか思ってはいけないんです。咳をして頭が痛いというのは、酸欠状態。それでも走ると酷いときはもっと酸欠になり、血圧が低下して、そのまま亡くなることだってあるんです。」
和実はそれを聞いてぞっとした。でも走ったことに後悔はなかった。上の大会に行けるのだから。
和実はそのあとも
「一週間は安静にしてください。」
という病院の先生の言うことを聞かず、三日目の200mにもでた。マスクをしたままアップをして。違う学校の人に
「マスクをして咳をしながら、アップして、座り込んで苦しそうだったのに、試合ではあきらめないで走り遂げたのに感動した。」
と言われた。和実は嬉しかった。和実は少なくてもその人だけには感動を与えることができた。そう思ったのだ。走れてよかったとより思った。
200m当日。腹筋は痛かった。頭も喉もまだ痛かった。だが足だけは元気だった。私は準決勝で26秒6のベストをだし、決勝は26秒8で五位。
県進出を決めた。
新しくできていた彼氏には10日でフラれた。でも頭の中は陸上でいっぱいだったので、悲しくはなかった。
県大会。
一番最初にあるのはやっぱり400mだった。和実は短距離にしては細身だったので、風が苦手だった。なのに、その日は風がすごい日だった。予選はすぐに行われた。前の組の人たちもかなりタイムが落ちていた。60秒きれる人が62秒後半で走るほどだった。
だから、和実はかなり不安になった。でも、時間はまってくれなかった。自分の出番がやってきたのだ。
「位置について」
「よーい」
雷管がなる。和実はスタートした。バックストレートからの風が和実にぶつかる。体がぶれる。だが、和実は少しだけの余力を残し、ギリギリ着順に入った。
準決勝。
和実はスタートしたときにつまずいてしまったのだ。だから、和実は焦った。焦りまくったが、あきらめはしなかった。そしてゴールした。和実はプラスに選ばれ、決勝へとこまを進めた。
そして決勝。
和実は走れる気がしなかった。足が、心がドベになる恐怖を嫌がっていた。和実はスタートをしてもいないのに、あきらめてしまっていたのだ。
「先生。ごめんなさい。今までいろいろしていただいたのにベスト8が精一杯でした。足が動きません…」
和実が言うと、先生はこう言った。
「出しきれば、それでいい。最後でもいい。お前はよくやった。走ってこい。」
和実その瞬間ふっきれた。
だから、和実は無心に走った。タイムは60秒1で、良いとは言えないタイムだった。だが風のせいで皆タイムが落ちていた。なんと和実はギリギリ6位に入り、北九に進むことができたのだ。和実は風邪は治っていたものの、この県大会では腰と左足を痛めていた。終わったときにはたっていることさえ、苦しかった。和実は、先生にありがとうと思った。先生があのとき、陸上に誘ってくれなかったら、今の和実はない。あの言葉を決勝前で言ってくれなかったら、和実は北九に行けなかったと思ったからだ。
先生は終わったあと、和実の肩をポンポンッと叩いてくれた。門○商の先生もきて、わざわざ握手してくれた。
「北九行けてよかったね。」
と。和実は先生を中学まで信用できなかった。差別という行為をうけていたから。でも、このときはじめて、先生を信用できるようになった。
そして今回は砲丸の女の子も北九に進んだ。さすが、全中19番だ。和実の200mは準決勝で終わった。後一人で決勝だった。男子100mはベスト8まで残っていた。100mでベスト8。和実は自分の試合は終わった後だったので、その子についていた。スタート前、和実は言った。
「一緒に北九行けたらいいね。」
「行くし。」
その子は行った。気合を入れるために、その子の背中を思い切り叩いた。
「頑張ってね。」
と言う和実に
「うん。」
と言って走りに行った。
雷管が鳴る。それと同時に、皆一歩出す。でも既に前を走る人がいた。和実はただ見ていた。仲間を応援しつつも、先頭に目が行く。先頭は浮いているように誰よりも速く進んでいった。彼は大会タイ記録を出してゴールした。和実には、その走りが脳裏に焼きついた。次の日の夢に出てくるほどだった。それだけ憧れたのか、それとも、うらやましかったのだろうか。必要という言葉。それは、こういう人達のためにあるものなのかなと思った。だから、和実はそれを見て夢見た。彼のように特別ではないけど、明日を生きれば、何かには一歩近づけるかもしれない。そう思った。
和実は100mのゴールに同輩のジャージを持って行った。同輩は8位で北九には行けなかったけど、和実はそれでもうらやましかった。100mが好きだったから。いくら、短い距離の練習をしても、中途半端な距離しか和実は伸びなかった。だから、うらやましかった。
そして、その後、和実はベンチでヨンパーを見ながら、速報をプログラムに書いていた。すると、雨が降りだす。小雨だったから、気にしなかった。少しすると、止んだと和実は思った。上に目をやると、隣の人が傘をさしていて、和実に雨がかからない様に、そして気づかないように半分入れてくれていた。雑談を聞く限り、どうやら小倉○業のOBらしい。その人は雨が止むまでさしてくれていた。その人どこか行くときに、ありがとうございましたと言う勇気がなかった。でも、そんなさりげない優しさもいまの世の中にあるんだなぁと、和実は気づかされた。そんな風に三年の県大会は終わった。
そして、高専で今年の県大会出場者が十数名。高専のレベルは確実に上がっていた。
県大会が終わると、和実と砲丸の女の子は北九まで、調整をした。テスト前で皆部活が休みだった。競技場で練習したりもした。
ある日先生が他の県のタイムを調べてこう言った。
「お前、県のタイムやったら北九で16番目ぞ。」
北九では準決勝がなかった。2+2で決勝となる。だから和実はそれを聞いたとたんに、愕然とした。だが、心の中ではもしかしてという気持ちがあった。
北九は大分の競技場で行われた。前日にアップで刺激を入れた。プログラムを見ると私は9レーンだった。でもベストをだしにきただけの大会だったので気は楽だった。
そして当日を迎える。
和実はアップをした。物足りないので最後にかるく300mを走った。そして召集に行った。最終コールも終わり、1組だった私はブロックをあわせて、スタート位置にたった。
高体連最後の走り。と思った。その場に立っているだけで、今までの想いや約束が頭の中をめぐった。
お母さんが私が14秒で走っていたころに言ってくれた言葉。
「速い人たちもすごい。でもお母さんは続けることができる貴方のがすごいと思えるよ。」
救われた言葉だった。
そしていよいよやってきたこのとき。
「位置について」
「よーい」
雷管がなる。和実は何がなんでも手ぶらでなく、ベストをだして帰ろうと思った。このとき、先生も先輩も私も皆が皆、和実が決勝に残るなんて思っていなかった。和実は走りだした。
9レーンだから前は見えない。走って走って走った。足が動いた。走りやすいタータンだった。スピードもでた。ラスト100mになると、一人に抜かされた。この人は全国ランク1位の人だった。だから気にしないで走った。着順で二位に入り、和実は59秒27というベストタイムで、決勝に残れたのだ。決勝に残ったベスト8中、タイムは八番目だった。決勝は走れるなんて思ってなかったので、またあのときの断トツドベを味わう気がして怖かった。でも、そんなこと思って、ストレッチをしていると、すぐアップの時間になった。
そして、決勝はやってきた。
決勝。
流しのときは疲労骨折をしていた和実は痛みを覚えた。緊張のあまりたちくらみをした。そして一人一人の名前が呼ばれる。その時間が異様に長く感じた。そして和実は雷管の音とともにスタートした。
いろいろな想いをめぐらせて…
200mに入る前には、四人にすでに抜かれていた。コーナーをこえると、残りの二人にもすごいスピードで追い上げられ、結局は七位だった。タイムは六位と七位の差が0・5秒近くあった。でもあと一人で全国という言葉に、胸がしめつけられた。このときのタイムは58秒32の大幅ベスト更新だった。去年より北九のレベルは上がっていた。中途半端な悔しさがずっと和実にのしかかっていた。和実はダウンをろくにせず、ただ外をぐるぐる歩いていた。
悔しいとうれしいが混じりあうなか、和実はインターハイ予選北九七位という成績とともに幕を閉じた。
インターハイの夢に向かい
ただ走り続けた日々
全てを背負った足は
今も
今からも
あのときの記憶を忘れられないでいる
だから自分はまた次の夢を追い
走り続けている
目標に手が届くまで
悔しさも苦しみも
楽しさも夢も何もかも
私ができたきっかけで
私が感じた感情
これは全て陸上を通して教わったこと
最後まで読んでいただきありがとうございます。




