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短編集・散文集

腰痛

作者: Berthe

 (つむぎ)は回転椅子の背もたれを軽くひき、指を二本肘掛けにそえて座を斜めにこちらへゆるりと向けると、机とのすきまに右脚を差し入れてそのままふわりと座り込んでもたれた。愛用する硬めの低反発クッションがお尻をつつみこむようで気持ちいい。紬はのちのち腰に響くことを知りながらそれでもひとときの愉楽についつい脚を組むままパソコンを立ち上げた。

 腰の痛みをそれと知るようになったのはいつの事だろうか。と思うよりも早く十九歳前後だったそのキッカケをひらめくともなく思い返してみると、あの時の足の怪我さえなければきっとこの痛みと出会うこともなかったはずなのにと思わず独り口をとがらせてしまう。

 あれからもう四年になる。その頃、無事都内の大学に通いはじめて半年もたたぬうち大学へ行ってまではつづける気のなかったバレーボールに急に飢えだして、とはいっても大学の部活に入部する気もなく、帰りは遅くなるから先に食べていてくれ、と連絡のあった父が不在の夕食の席で普段から仲良しで何の気兼ねのない母にぽつりとその心のうちを話してみたところこちらの話を遮る早業でそれなら紬ちゃん私のママさんバレーに来たらどう? 意外とおばさんばかりじゃないのよ、若い子もいるし、それに紬ちゃんが来てくれたらみんな喜んでくれるから、と勧めてくれるあまりといえばあまりの性急さに、こっちから話を振った紬もそうなのとつぶやいたきり、しばらくは口を結んで二の句が継げぬまま黙り込んでしまったものの、たちまちすくすくぷくぷくわくわく胸が奮い立つばかりか頭も俄然前向きに、いよいよスパイクを打ち込む姿さえ目前に見えてくる。

 行きたい、と答えるが早いか、紬は依然夕食時なのさえ忘れたかのようにすっくと立ち上がって階段をのぼり自分の部屋に馳せつけて、衣装ケースを二つ三つ引き出すうち嬉しくも運動着を見つけるやすぐに微笑を漏らして母の待つ席に駆けおりると、その日はいつもより唐揚げ二つ分カロリーをたらふく過ごしてしまった。

  *

 一度二度と通った当初は、ひさしぶりなのとまずは周りに気を使うので、自然こわごわ動くままジャンプ一つ、横っ飛び一つにも馬鹿丁寧に気をつけていたものの五週目六週目といつか慣れるまま高校時代に鳴らした血が騒ぐともなく騒いだらしく普通のママさんには拾えるはずのないところへ飛んで落ちかけたボールを、わたしならいけると思ったのかどうだか最早知らず、味方が見事つないでハイタッチをする声に紬独り仰向けに右足をうかせて悶えていた。

 即、救急車をよんでくれたママさんの優しさに、紬は痛さと恥ずかしさにいたたまれない気持ちをつとめて抑えて気丈にふるまうのもやっぱり無理がある。もう五分経ったかと思うと、体育館の時計の針は微動だにしていない。今こそ待ち望んだ白の車がようやく着いたとき紬は嬉し涙に母がくれたタオルをひらひら振っていた。

 着いた先で検査を受けてみれば靭帯損傷との診断。すでに泣きたいけれど、骨折といわれないだけかえって良かったと喜ぶべきだろうかと思うより早く心づくのは、ギプス姿は恥ずかしすぎて死にたくなるだけじゃなくにおいも大変だというからには女の身としてみれば何がなんでも避けねばならなかったのはこの事である。痛みよりも何よりもまずはそこにほっとする間もなく疑いを覚えて、先生、わたしひょっとしてギプスするんですか? 震える小鳥の声できけば、いえ、それほど重くはないのでテーピングとサポーターで回復を待ちましょうとの聖なるお言葉。

 最悪の事態をまぬがれて紬はほっと安堵の胸をなでおろしたもののそれからは毎日がつらい。右足をかばうあまりそれが仇になりツケがまわって無事回復したのち俄に気づいた腰の響きをひとまず気のせいとほうっておくまま痛みは早引いたのでそのまま忘れて打ち遣っているうちある日コロコロ財布から転がった小銭を拾おうとして素早く無理な姿勢をしたはずみにそれまで生きてて知らない痛みが腰を突き抜けた。

 腰だけならまだしもの事である。両脚のひどい痺れを周りに心配されつつバスと電車にタクシーをやっと乗り継ぎ家に帰ったその翌日、講義を休んで訪ねた病院できいた坐骨神経痛という症状。その多くはヘルニアを発症しているという事実をきかされるや紬の頭は真っ白顔は真っ青に、何か尋ねてみたいとは思うもののすぐには言葉が成らず、それから先生の話を素直に受けてだましだまし手術はもちろんしないままその時々の対症療法をつづけた先には、どうやらこれ以上の治癒は望めないと感づくとそれものちにはやめにして、放っておくまま、多少ましになったとはいうものの、気づけば今日もやっぱり痛いのである。

 慣れきったいつもの事とは言いながらそろそろ重くなりだした腰に紬は考えるより早く立ち上がり伸びをして、さらさらと晴れ渡った晩春の陽をさえぎり伸びる向かいの梢に、庭の芝生に咲く野花の一群があるいは陰になり、あるいは陽に映えるさまを尻目に、自分の心よりも今は大切なこの体のため、折からの散歩へとぶらり部屋を出た。

読んでいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 最初の怪我が後々に響くの、たまに耳にすることがあります。 あー痛そう……と思いながら読みました。 若いだけに腰痛とこれからも長い付き合いかと考えると同情します。 それでも、主人公の前向…
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