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『埴谷雄高論』

⑴『埴谷雄高論』・・・小説の方法論から見る自由性

『カントとの出会い』から文章を抜粋して、最高存在に関する考察をした。また、埴谷雄高から影響を受けた、所謂言葉、文章、小説の自由性について、また特徴についての評論的文章。

⑵『埴谷雄高論』・・・『死霊』についての考察

埴谷雄高の『死霊』から、二つの文章を抜粋して考察した。観念上の内容しか書き得なかったとする考察結果の後、形而上の無力と無限性がそこから読み取れるとした、評論的文章。

⑶『埴谷雄高論』・・・初歩的な観念性への入場

埴谷雄高の作品を湯むための、入場形式。観念性の思考切り替えを準備して、観念世界に浸ることへの方法論を書いた評論的文章。

⑷『埴谷雄高論』・・・『死霊』についての考察⑵

『死霊』についての考察の第二弾で、今回も2つの文章を抜粋して考察した。海外で育った埴谷を、日本文学的に考察したいと言った観点から、小説内の台詞に着目し、それを観念から観念への革命と規定した上で、生が、死の日時から逆算して存在していると結言した評論的文章。

⑸『埴谷雄高論』・・・『死霊』についての考察⑶

『死霊』の後半部分に出てくる「自己創造」と言う言葉に着目し、埴谷の言う言葉の本質を考察した。自分が見る埴谷の世界を理解するということを思考した上で、読者に文体が語りかけているとする、評論的文章。

⑹『埴谷雄高論』・・・自立する小説

埴谷雄高の作品には自立性が見られる。それは、読者にも作品に見合っただけの観念の量を求めるし、埴谷雄高の作品を死ぬまでに読み切りたいならば、読者も観念を自立しなければならないとする、評論的文章。

⑺『埴谷雄高論』・・・意味を意味する現象

『ドストエフスキイと私』から一文を取り出して、意味を意味するドストエフスキイに対して、埴谷の、文学的に自由で居たいために、現象になる前に、意味を意味のまま、観念を停止させたとする、評論的文章。

⑻『埴谷雄高論』・・・自己批評についての文学論

埴谷雄高の文学論にある、作者自身が、自己の小説を批評することが、作品の神髄を述べることだとする様な内容の文学論から、それを派生させて、他者の述べる印象批評よりも、自己批評によって、作品が輝きだすとした評論的文章。
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