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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

七夕奇譚

作者: S.U.Y

 戦場を巡るうちに、習い覚えた技だった。戦鎚の先端を、相手の剣の腹にぶつける。人並み以上に優れた膂力をもって、それを叩き折る。いかな名剣であれ、重量と適切な破砕点を衝いてやれば、容易く折れた。

 戦場を去る時には、幾多の剣をへし折り猛者を屠る覇者として、太刀折りの折姫、の渾名で呼ばれていた。そのまま残れば、さらなる栄冠を手にすることは出来たであろう。だが折姫には、もう戦場に未練は無かった。

 心躍り、胸焦がす戦いを求め、折姫は流浪の日々を送る。冒険者となり数多の迷宮を踏破し、勇者と共に魔王を打ち倒し、復活した邪神を屠る。折り姫の名声は益々輝きを強めたが、当人にとっては、胸の底から溢れる情動を鎮めるには、どれも今一つ足りぬものだった。

 時節は、七の月の一日。むしむしと熱気を孕んだ湿った風が吹き抜けてゆく。じっとりと肌の汗ばむ感覚に、折姫は不快を抑えつつ額の汗を拭う。燃え盛る地獄の業火の中を行軍したこともあったが、それで暑さというものを全く感じなくなる、という訳ではない。山間ならば、涼風の吹くこともあるやも知れぬ、そう考えて分け入った木々の深い山でも、やはり暑いものは暑かった。

「まだ、闘争のアテでもあれば、耐えられるのだが……こう風も吹かねば、いずれ干からびるやも知れんな」

 独り言ちて、折姫は山の湧き水を目指す。いつしか常人離れしたその聴覚は、幽かな山のせせらぎの音を、聞き分けていた。深淵の闇の中で邪神の腕を折った時に比べれば、折姫にとってそれは造作も無いことである。

 道なき道を踏みしめて、折姫はやがて清水の湧き出る岩場へとたどり着く。硬い岩の間から滾々と湧き出る清水を口にして、ほう、と息を吐いた、その時である。

「足音……か」

 見れば、岩場の隅に獣道が見えた。踏みしめられた草木の跡が、何者かの存在を示している。誰ぞ、この岩場へとやってくるのかも知れない。近づいてくる足音に、折姫は獣道へ視線を据える。やがて、のっそりとした人影が獣道を奥から岩場へ、やって来るのが見えた。

「おぉ……」

 その姿を遠目に見つけた折姫の口から、感嘆の息が漏れる。こちらへ向かってくる男の、盛り上がった肩口には縄がかかっており、前傾姿勢である。重いものを、曳いているのだろう。

「なんと、素晴らしい……!」

 一歩一歩、男が歩くたびに太い首が揺れる。ぎしり、と音立てる縄が食い込むが、男は表情一つ変えずに歩み続ける。発達した上半身の筋肉は、沸き立つ溶岩のようにごつごつと逞しい。豪の者を体現したかのような男の肉体美に、折姫は知らず唾を呑んでいた。

 はだけられた粗末な衣服の裾からは、これも立派な太股が伸びていた。膝を曲げ、足を前に動かすたびに、折姫の腰ほどもありそうな筋肉の塊がごりりと動く。見つめる折姫の瞳に、潤みが生じていた。

「あれと、戦ってみたい……っ! 全力で、あの肉体を、へし折ってみたい……!」

 折姫の口から、熱を帯びた呟きが漏れる。だが、身体は痺れ、指一本、動かすことが出来ない。男の姿を目にしたその時から、折姫の全身に雷で打たれたような衝撃が走り続けているのだ。口の中が渇き、ぞわぞわとした感覚が背筋を何度も通り抜けてゆく。しかしそれは、決して不快なものでは無い。暑い太陽も、最早気にはならなかった。

「そこの、御方……もし、よろしければ、私と、戦ってはくれないだろうか!」

 欲望に衝き動かされ、折姫は声を上げる。岩場に立つ折姫に気付いた男が、視線を向けてくる。巌のようなごつい顔つきに、細められた眼はなんとも涼やかで、そして隙が無い。きゅう、と絞めつけられるような感覚が、折姫の胸に訪れる。

「……断る。御牛様に、水を飲ませねばならぬ」

 折姫を一瞥して、一拍間を置いた男が言った。男の言葉に、その背後へ目をやれば、穀物小屋ほどもある立派な体躯の雄牛が一頭、縄で曳かれていた。

「で、では、その御牛様とやらに、水を飲ませた、その後ならば!」

 にべもない男の声に、折姫は怯まずに再度問いかける。逸る心が、折姫の腰から戦鎚を抜かせていた。

「……それも、断る。御牛様の散歩がある」

 首を横へ振り、男は曳いた牛を湧き水の前へと立たせた。眠たげな瞳をした雄牛は、首を巡らせるものの清水を口にしようとはしない。

「……では、散歩の、後は」

「御牛様を、連れて帰らねばならぬ。それに、お主と戦うのは、気が乗らぬのだ」

 言いながら、男が手を振りかぶる。平手を打ちおろすのは、雄牛の頭である。ぱぁん、と景気の良い音が鳴った。空気すら震わせるその一撃は、折姫の心に強く、強く刻み付けられる。

「さっさと飲め、御牛様」

 呆然と男に見惚れる折姫の前で、男が雄牛に向けて言った。冷たく低い声音が、折姫の胸に新たな熱を生む。先ほどの平手の一撃は、魔王を屠った後に対峙した勇者の伝説の剣の一撃をも、凌駕している。闘争に人生の全てを捧げて来た折姫には、それがよく解った。だが同時に、男のその一撃が、今の自分には決して向けられないことも、折姫は理解してしまう。闘争とは、互いの気が昂っておらねば、意味の無いものになる。気が乗らぬ、と言われてしまえば、それまでだった。

「……ならば」

 だが、折姫は再び口を開く。理想の肉体を持ち、凄まじい一撃をけろりと放つ男に、折姫は心底惚れこんでしまっていたのだ。対峙して、まだ間もないことだったが、こうなれば折姫に時間などは意味を為さない。目の前の強敵と、いかにして闘争するか。それだけが、脳内を支配し始めていた。

「ならば、どうする、と言うのだ」

 問いかける男に、折姫はもう一度唾を呑み、そして男を真っすぐに見据えた。

「お前が、私と戦いたくなるまで、側にいても構わないだろうか?」

 最後の問いを放つ折姫の瞳には、知らずのうちに危険な光が宿っていた。ここで首を横に振られては、己の肉体が何を仕出かすか、自身にも解らない。だが、出来得ることならば、この男が万全の、闘志を全身に漲らせたその様を、見てみたい。微かに残る自制心が本能へ言い聞かせ、戦鎚を握る手をわずかに震わせている。極限の、精神状態に折姫は置かれていた。

「……別に、構わぬ」

 やがて男の口から、そんな言葉がぽつりと漏れた。

「そうか! 礼を言う! お前と戦えるのであれば、私は何でもする! 私は、太刀折りの折姫だ!」

「……御牛様に仕える、牽牛、という」

 互いに名を告げ合えば、友となる。乱世の長く続いたこの世界では、それが当然の習いとなっていた。


 一度惚れこめば、折姫は一途であった。牽牛と共に小さな小屋で暮らし、雄牛の世話をして、余暇には野点の茶を振る舞いもした。草食だが健啖家である牽牛のために、夕餉を大量にこさえもした。寝食を共にしつつ、牽牛に問われるままに折姫は己の武勇伝を語りもした。

「ふむ、邪神には、腕が六本もあったのか」

「そうだ。そのすべてをへし折り、そして首を折った。そのときの感触は、未だ鮮明に手に残っている。恐らく、お前の次くらいに、強かったぞ」

 折姫の言葉に、時折苦笑を見せるくらいには、牽牛の心も解れていった。折姫は決して武辺だけの人間ではなく、時に深い教養を見せることもあった。茶を点てる作法など、ぴんと伸びた背筋に見惚れるほどである。牽牛とて、惹かれぬ筈が無かった。そうして、二人の間で、静かに、密やかに育まれてゆくものが、あった。


 そうして日は過ぎて、七の月も七日を迎えた。いつになく軽やかな足取りで、牽牛が雄牛を曳いてゆく。その道は、この数日で折姫の知り得なかった、山中の獣道の一つである。常から離れた牽牛の行動に、折姫の胸に得体の知れぬときめきが溢れてくる。

「ここは、神域、と呼ばれる場所だ」

 やがて案内されたのは、山間に拡がる広場であった。獣道から踏み入れれば、しっかりと整えられた平坦な大地が足裏に感じられる。丈の高い針葉樹が、広場を覆い隠すように、等間隔に並んでいる。まるで誂えられたような綺麗な四角の、そこは何もない空間だった。

「空気が、澄んでいるな」

 濃厚な山の匂いが消え、一切の風も遮られた空気に鼻を動かし折姫は言った。

「神域、だからな」

 雄牛を連れた牽牛が折姫の側を通り、広場の中央まで歩み出て振り向いた。折姫を見つめるその眼には、熱い感情の滾りがみえる。視線だけで、折姫は全てを察した。共に過ごした七日間の間に、それだけで通じ合うことが、出来るようになっていた。

「……良いのか」

 だが、あえて問う。期待や不安は胸の裡で鎮まり、かわりにゆらりと首をもたげる何かがあった。それを、己の中で確かめてみたくなったのだ。

「ああ……()ろう」

 両拳をゆるく開いて構え、牽牛が答える。にっと折姫は笑い、戦鎚を抜き放ち構える。こうなれば、最早両者の間に言葉は不要であった。

 二人の闘気が、微風さえない神域の空気をわずかに揺らす。ついに、ああ、ついに……折姫は静かな想いの炎を胸に、すっと腰を落とす。小細工を、するつもりは、無い。己の持つ、最大の一撃を、叩き込む。ただ、それだけだった。折姫を見据える牽牛も、どうやら同じことを考えているらしい。闘気で、それが解る。待ちきれぬ、と催促する肉体を制し、軸足に力をゆっくりと溜めてゆく。刻が、一瞬を永遠に伸ばしたように感じられた。

 互いの鼓動さえ、聞こえてくるような静寂が過ぎる。二人の鼓動はゆっくりと、重ね合わせられてゆく。この音が、ぴたりと重なった時。それが、互いに動くときだ。思い定め、二人が視線を交わし合う、その時だった。

『ならぬ、牽牛、折姫』

 雄牛が、声を上げていた。人語を解する雄牛に、折姫の気が僅かに逸れる。

「……ここで闘わせてください」

 構えを解いた牽牛が、雄牛へ向かって頭を深く下げて言った。

『そなたらがここで相争えば、御山ばかりか世界が崩壊する。ゆえに、ならぬ』

 太い首をゆっくりと振り、雄牛が否を告げる。

「ここで闘わせてください!」

 対する牽牛が、雄牛に向けて膝をつき、土下座の姿勢になって声を張り上げる。

『ならぬと言えば、ならぬ。聞き分けよ、牽牛』

 ぴしり、と長い尾で雄牛が地面を打ちつつ否を告げる。

「ここで闘わせて」

『だーまーれぇえええい!』

 再度懇願しようとした牽牛に、雄牛が咆哮を上げた。あまりの大音声に、神域を囲う針葉樹がわさりと揺らめいた。

『そなたらの頭の中には、闘うことしか無いのかこの戦闘狂(バトルジャンキー)どもが! 年頃の男女が揃っておきながら、もっと他にするべきことがあるだろうが! あの狭っ苦しいぼろ小屋で、一枚の煎餅布団で共に寝ておきながら、何もないというのも誠に遺憾である! もうちょっとこう、キャッキャウフフとかしたり焦れ焦れいちゃらぶとか、そういうのは無いのか! ええっ!?』

 荒れ狂う勢いのまま、雄牛は地団太を踏みつつまくし立てる。立ち上がった牽牛と、隣へ歩み寄った折姫の二人が揃って、首を傾ける。

「他にすること……?」

「キャッキャウフフ……それは、どんな戦闘方法なのだ?」

 全くの不可解である、という二人の様子に、雄牛はぎりりと歯を噛みしめる。

『ああもう! ああもう! ダメだダメだ! そなたらのようなニブチンに期待した我が愚かであった! 長生きしておると色々と倦んで、偶には間近でそういう娯楽を拝んでみたいと思うた我が馬鹿であった!』

「御牛様は、馬でも鹿でもなく牛であらせられますが」

「焦れ焦れいちゃらぶ……どう叩けば、それは折れるのだろうか」

『そういうことではない牽牛! あと折姫、もうすでにばっきっばきに折れておるわ! これ以上ないほどに、粉々にな! ともあれ、そなたらはもう闘ってはならぬ! いいや、脈の無い二人だ、これ以上顔を突き合わせておっても面白いことは何一つない! 会うのも禁止だ! とにかく折姫は帰れ! 疾くこの地を立ち去るがよい!』

 どすんどすんと地響きを立てて、雄牛が興奮のままに喚き散らす。雄牛へ眉根を寄せる牽牛の横で、折姫は息をゆるく吐いた。

「……行くのか」

 折姫の所作ひとつで、牽牛はその意志を正確に読み取っていた。

「気が、削がれた。御牛殿もこう言っておられることだ。私は、この山を去るのが良いだろう」

 涼やかな笑みで、折姫は言う。

「また、来てくれるのだろうな」

 念を押すように、牽牛が問いかける。折姫は、首を横へ振った。

「お前を見れば、また、闘いたくなる。御牛殿の仰る通りならば、私達はもう、会うべきではなかろうさ」

 折姫が雄牛にちらりと視線を投げれば、その通りだ、とばかりに雄牛が長い尾を振る。牽牛が、がくりと肩を落とした。

「……お主とは、七日の日々を共に過ごした。別れがたい」

「そう、しょげるな。私も、お前のことは、竹馬の友だと思っている。世界の片隅に、友が生きている。それだけで、充分だろう」

 ぽん、と牽牛の肩に触れて、折姫が言った。直後、牽牛が俯かせていた顔をがばりと上げる。

「七度の夕餉を共にした、お主と会えぬというのは、あまりにも辛い。御牛様、どうか、年に一度、この日だけでも、会うことをお許し願えぬだろうか!」

 手を振り上げ、牽牛が言った言葉に雄牛の眉がぴくりと上がる。

『……思っていたのとは違うが、脈はまだ、あるか。うむ、良かろう。年に一度、この七の月の七日にのみ、そなたらが会うことを、許す』

 雄牛が牽牛の願いに見たものは、己の欲望とはかけ離れた幻かも知れぬ。だが、それに縋ってみたい、雄牛はそう感じ、許したのだ。

「おお……」

「良いのか、御牛殿?」

 歓喜に打ち震える牽牛の横で、折姫が雄牛に問いかける。

『可能性は、可能性だ。どれほど小さくとも、我はそれに、懸けてみたくなった。それだけの、ことだ』

 ふい、と顔を背け、雄牛は言った。素直ではない態度に、折姫は苦笑する。その両手を、牽牛が取った。

「なればこの七日の日を、七度の夕餉の日、縮めて七夕と名付けよう! 強敵(とも)に再びまみえる日として、特別な日になるのだ!」

「ああ……良いよ」

 感激する牽牛の様子にふっと笑み零しつつ、折姫が言った。

『ただし! 折姫はもう少し、世事に詳しくなってくるように! 人々を助け、願いを叶え、そして知るのだ! 闘争以外の、もうちょっと浮ついた柔らかめのことを勉強して来い!』

「よくわからんが、わかった。私にも、まだまだ学ぶことはある、ということだな。御牛殿の言葉、肝に銘じておこう」

『頼むぞ、本当に頼むぞ! これだけが生きがいなんだから!』

 懇願するように、雄牛が尾をぶんぶんと振って言う。うなずいて、折姫は牽牛に目を転じる。

「それでは、さらばだ牽牛」

「壮健であれ、折姫」

 がしりと握った両手を上下へ振り、そして二人は同時に離す。

「ああ、また会おう」

「また会おう」

 そういうことに、なったのであった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

七夕に際し、今年も短編を投稿させていただきました。石を投げないでください。どうしてこうなったかは、自分にも解らないのです。

今作も、お楽しみいただけましたら幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] おもしろかったです(おもしろかった) まさかあのふたりにこんな話が… 御牛さまの気持ちがたいへんよくわかります そうやってふたりは長い時を経て年に一度キャッキャウフフするようになった…
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