episode08
「はあ」
廊下の壁に背を預けて膝を抱えるフィロメナは、わかりやすく落ち込んでいた。近くにいる執事が微笑む。
「フィロメナ様は悪くありませんよ」
「いや……言いすぎた。はあ……もう自分が嫌だ」
ネガティブモードに入ってしまった事実上の女主人に、執事は肩をすくめる。メイドに言って、カリナを呼んできてもらった。
「お姉様~! ……わかりやすい落ち込み具合ね」
呼ばれてやってきたカリナは、膝を抱えるフィロメナの前にしゃがみ込む。
「もう、気にすることないのに。はっきりきっぱり言ってやらないと、お父様には通じないんだからさ」
「……いい子だねぇ、お前は」
苦笑を浮かべる姉を見て、カリナは「もう」と唇を尖らせる。この姉は、いつも人のことばかりだ。
「ねえお姉様。外に行きましょ」
ちょっと気分転換! と、立ち上がったカリナはフィロメナの手を引っ張る。妹に手を引かれて立ち上がったフィロメナは、同じほどのところにある妹の目を見た。
「お弁当持って、外でご飯食べましょ」
「……ピクニックだね。マリベルたちも連れて行こうか」
姉妹五人でお出かけだ。侍女も一人連れて行くので、五人きりではないが。
「エリカ、モニカ、マリベル。お出かけしよう」
フィロメナが声をかけると、マリベルが「おでかけ!」と真っ先に反応する。駆け寄ってぶつかるように抱き着いてきたマリベルを受け止められず、フィロメナはよろめいた。倒れなかったのは、マルセロが支えてくれたからだ。
「ありがとう、マルセロ。お着替えしてこようか、マリベル」
「うん!」
双子ちゃんが「ずるい」「マリベルばっかり」と唇をとがらせているので、あとで頭を撫でてやろうと思う。
馬車で出かけたのは、近くの森林公園だった。貴族も普通に出入りするような場所で、定番のデートスポットでもある。
「あ、かわいい!」
「リスだよ」
馬車を降りて公園に足を踏み入れた瞬間、目の前を横切って行った小動物にマリベルのテンションが上がる。わっと走り出すマリベルを、カリナと侍女が追った。
「カリナ……足が速いな」
読書好きのもやしっ子だと思っていたが、そんなことは無かった。むしろ、医者にやせ過ぎ認定を受けているフィロメナの方がもやしっ子である。
「姉様。あっち」
「私たちも行く」
「……そうだね」
袖を引っ張る双子の頭を撫で、フィロメナは日傘を差すと歩き出した。双子ちゃんが寄り添うようにフィロメナの側をてくてく歩く。
「姉様、何かあった?」
「おや、わかる?」
「わかる。姉様のことなら」
片手がふさがっているので、空いている方の手でフィロメナは二人の頭をもう一度なでる。双子は嬉しそうにはにかむ。
「がんばってる姉様はすごい」
「でも、たまには私たちとも遊んでほしい」
「がんばり過ぎは駄目」
「息抜きは大切」
十二歳の妹たちにも心配されるフィロメナであった。
マリベルたちに追いつく。池が見えるあたりで花を摘んでいた。侍女は側で控えており、カリナが花冠を作ろうと悪戦苦闘していた。フィロメナを見て手を上げる。
「お姉様~。助けて~」
「はいはい」
フィロメナは日傘を閉じると、カリナの側に座りこんだ。双子ちゃんもつられるように近くに座りこむ。五人姉妹が花畑にいる、ある意味幻想的な光景であった。
不器用なカリナとは違い、器用に花冠を作ったフィロメナは、その花冠をマリベルの頭に乗せた。マリベルがはしゃぐ。
「ねえ、かわいい?」
「可愛いよ」
フィロメナがうなずくと、マリベルがはにかんで笑う。カリナとそろってほっこりしたが、双子ちゃんは厳しい。
「姉様たち、マリベルに甘い」
「ずるい。私たちも作る」
モニカとエリカが言うので、フィロメナは二人に作り方を教え始めた。思いのほか、二人とも真剣である。幸い、二人ともカリナよりは器用だった。
「最後に、こうして……二人とも、どうした?」
もう出来上がるというのに、双子の意識がそれているのに気付き、フィロメナが尋ねた。双子はお互いに顔を見合わせ、口々に姉に訴えた。
「誰か見てる」
「不審者?」
「でもなんか描いてる」
「やっぱり不審者」
ちょっと意味が分からなかったが、双子の視線の先を追って、フィロメナは「あ」と声をあげた。フィロメナの声に気が付いたのか、双子に『不審者』扱いされているその人物は顔をあげた。見たことがあるその顔は、フィロメナと目が合うとニコリと微笑んだ。
「どうぞ気になさらず。続けて」
「……さすがに気になるんですが……何してるんですか、レジェス先生」
白衣でも正装でもなく、私服姿のレジェス医師だった。相変わらず優しげな顔に優しげな笑みを浮かべている。
「写生に来たら、フィロメナさんたちを見つけたもので。すみません。勝手に描いてました」
正直にカミングアウトしたレジェス医師に、「それは構いませんが」とフィロメナは立ち上がり、彼の近くに行った。確かに、近寄ってみれば持っているのはスケッチブックと鉛筆だった。
「絵を描くのですね……」
「趣味の範囲ですが。いやあ、花畑の中で女性たちが戯れているのは幻想的ですね」
反応に困ることを言われ、困っていたところに、双子ちゃんがやってきた。
「やっぱり不審者?」
「姉様知り合い?」
エリカとモニカは両側からそれぞれフィロメナに抱き着く。二人の頭を撫で、フィロメナはレジェス医師を見上げた。
「妹のエリカとモニカです。二人とも、この方は医師のレジェス先生。前に、お世話に……うん。私がお世話になった方。ほら、挨拶」
フィロメナが促すと、双子は姉から離れて礼をした。
「エリカです。よろしくお願いします」
「モニカです。姉がお世話になってます」
「ご丁寧にどうも。医学薬学研究所のレジェス・マルチェナです。どうぞよろしく」
何気ないが、大人扱いしてくれたレジェスを、双子たちは気に入ったようだった。
「姉様の恋人?」
「第一印象としては合格」
「お前たちね……」
相変わらず失礼な双子に呆れるフィロメナであった。
「エリカお嬢様、モニカお嬢様。カリナお嬢様がお呼びですよ」
近づいてきた侍女が言った。一人だけ連れてきた侍女で、自分は遊びに参加せずにランチの入ったバスケットを持っている。双子がカリナの方へ向かうと、彼女はフィロメナに日傘を差しだした。
「フィロメナ様、日傘を。日差しで倒れてしまってはシャレになりません」
「あ、ははは。そうだね」
フィロメナはおとなしく日傘を受け取ると、傘を開いてさした。侍女は先ほどまでいた木の根元に戻る。レジェス医師は日傘を差したフィロメナを見て言った。
「心配されてますね」
「日常的なことに関しては、私よりもカリナの方に信用がありますから」
つまり、カリナが姉の身辺に気を遣うように指示しているということだ。フィロメナが倒れたことも、使用人たちは知っているだろう。
「まあ、フィロメナさんはそれくらいした方がいいかもしれませんね」
「レジェス先生まで……」
心配してくれるのはうれしいが、正直行きすぎだと思うのだが。気分を切り替えて、尋ねる。
「絵を描くのが趣味なのですね」
「ええ。絵を描いていると落ち着くというか。フィロメナさんはそういうの、ありません?」
「……特には……。妹たちを見ているとほっとはしますが」
「……そうですか。かわいらしいですからね」
四人の妹たちに目をやると、マリベルとエリカが喧嘩していた。ふくれっ面のマリベルは本当にかわいい。
「フィロメナさんは、どうして公園に? 妹さんたちとピクニックですか?」
「ええ……まあ。カリナの提案なんですけど」
出かける原因となったことを思いだし、フィロメナは少し眉をひそめる。すぐに元の表情に戻ったので、ほとんどの人は気づかないだろう。だが、レジェス医師は気が付いた。
「何かありましたか?」
「……何故ですか?」
聞き返すと、レジェス医師はにっこりと笑った。
「気落ちしているように見えたので」
「……」
「僕で良ければ聞きますよ。話すことで、すっきりすることもあります。何より、医師には守秘義務がありますからね」
話しても、誰にも言わない、と言うことだ。フィロメナはレジェス医師の優しげな笑みにほだされて口を開いた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
起承転結の転くらいでしょうか。