episode06
眼を覚ますと、見慣れない天井だった。最近にもこんなことがあったな、とフィロメナはぼんやりと考える。
「あ、お姉様、起きた?」
ひょこっと覗き込んできたのは妹のカリナだった。夜会で着ていたドレスを着たままだから、そんなに時間は経っていないのだと思う。フィロメナは体を起こそうとして頭がぐらっと揺れた気がした。
「お、お姉様!?」
「うげ……気持ち悪い……」
頭が痛いし、気持ちが悪い。動くのも気持ちが悪くなるので、ベッドに手をついて吐き気をこらえる。まあ、吐けるものなんてないだろうが。
「ああ、フィロメナさん、無理に起きちゃだめですよ」
聞き覚えのある声がしてそちらを見やると、レジェス医師が急いでベッドに近づいてきていた。カリナと場所を替わると、フィロメナの肩を支えて唇に小さな粒の薬を押し込んだ。さらに水を飲ませようとコップを口元にあててくる。フィロメナは反射的に口を開いて水を少し飲みこんだ。それと一緒に、薬も飲みこむ。
「水、飲んだ方がいいですけど、飲めます?」
「いらない……」
とてもではないが水を飲める状態ではない。彼女の肩を支えていたレジェス医師は、そっと体を横たえさせた。
「僕、お酒は飲まないようにって言いませんでしたっけ」
気のせい? と首をかしげるレジェス医師に、「言ってましたわ」とカリナが答える。そうだよね、とレジェス医師がうなずく。フィロメナも言われた記憶がある。しかし、不可抗力だ。油断していたのは否定できないけど。
「……すみません」
「手渡されたものも確認するものですよ。飲んだ振りをすればいいんです」
まだ毒殺されるようなことをした覚えはないのだが。そう思ったが、さすがに言い返す気力はなかった。
「まあ、反省しているようなのでこれ以上は言いませんけど」
そう言ってレジェス医師はフィロメナの頭を撫でた。それから側にいるカリナに言う。
「カリナ嬢、何かあったら呼んでください。それと、王太子妃殿下が宮殿に泊まれるように手配してくださったようなので、泊まって行くといいでしょう」
「ありがとうございます」
カリナが微笑んで礼を言う。レジェス医師は無理に起き上がらないように、と言うと部屋を出て行った。どうやらここは、宮殿のゲストルームらしい。おそらく、ミレイアが手配してくれたのだろう。
「もう。急に倒れるから妃殿下がびっくりしてたわよ。まあ、『そう言えばお酒駄目だったわね』って自己完結してたけど」
ベッドサイドに座ったカリナが言った。ミレイアにも迷惑をかけてしまった。ちょっとした騒ぎになっただろう。
「……父上は?」
「先に帰ったわ。お姉様に恥をかかされたと思ったみたい」
むしろお父様の方が恥をかかせてるのに、とカリナがむくれる。フィロメナは笑おうとしたが、無理だとすぐに顔の力を抜いた。
「お姉様と一緒に、私も宮殿に泊まるわ」
さも当然とばかりに言うカリナに、フィロメナは少し目を細めて言った。
「カリナ……私は大丈夫だから屋敷に帰って」
「はあ? どの口が大丈夫だって? レジェス先生にも言われたでしょ」
「いや……今、屋敷には双子ちゃんとマリベルしかいないだろう」
機嫌の悪い父が帰ってきて、何かされていないだろうか。父は暴力を振るったことはないが、娘たちを構うことを放棄している。ネグレクトに近い。
「大丈夫よ。あれでも、エリカとモニカはしっかりしているわ。うまく立ち回るわよ」
確かに、双子ちゃんは年齢の割に大人びており、十一歳も年上のフィロメナがたじろぐことさえある。
「だから心配しないで大丈夫よ。お姉様、ちょっと気を張り過ぎなの。お姉様が、私たちを守ろうとしてくれてるのはわかるし、うれしいけど、私たちだっていつまでも子供じゃないわ」
だから安心して眠ってね、とカリナはフィロメナの体をポンポン叩く。昔フィロメナがカリナにしたことと同じだ。思わず笑みを浮かべたフィロメナは、眠気を自覚しはじめていた。先ほど飲まされた薬が効いてきているのだろう。
「……最後に一つ、いい?」
「何?」
フィロメナは目を細めると、一番上の妹に言った。
「カリナ、ありがとう。……頼りにしてる」
「うん!」
パッと笑ったカリナの顔を見て、フィロメナは目を閉じた。
△
朝、目が覚めると二日酔いもなくすっきりしていた。むしろ、久々によく眠った気がする。気分爽快だ。
「お目覚めですか、フィロメナ様」
王宮侍女が寝起きのフィロメナに微笑みかけた。フィロメナも「おはよう」と言葉を返す。
「早速申し訳ありませんが、妃殿下がもし体調がよろしければ、朝食を一緒にどうかとのことです」
ミレイアだ。普通、王族の頼みは断れないだろう。
「大丈夫。伺います」
「承知いたしました。では、支度をしましょう。本当にお体は大丈夫ですか?」
「平気ですよ。むしろ、今までになくすっきりしています」
「……ならよいのですが」
侍女が困惑気味に首をかしげた。彼女の手を借りて、フィロメナがひとまずドレスを身に着ける。普段はスラックスと言う男装で通している彼女だが、さすがに宮殿で官服以外の男装は認められないらしい。
王族の私的な食堂には、すでにミレイアがいた。そして、妹のカリナもいる。彼女も宮殿に泊まり、ミレイアに招かれたらしい。
「おはようございます、妃殿下」
「おはよう、フィロメナ。昨日は突然倒れるから驚いたわ。体調は大丈夫?」
「おかげさまで」
フィロメナが倒れて、夜会会場は騒ぎになっただろうに、ミレイアがうまく治めてくれたと聞いた。頭が下がる。
「むしろ、無作法に倒れた挙句に宿泊の手配までしていただき、ありがとうございました」
「気にしないで。驚いたけど、うっかりあなたにお酒を渡したわたくしも悪いし。それに、おかげでこうして久々にあなたとお話しできるしね」
ミレイアはそう言って微笑むと。さあ食べましょう、と最初にパンに手を伸ばした。つられるようにフィロメナとカリナも手を伸ばす。
「あ、お姉様、おはよう」
「おはようカリナ。よく眠れた?」
「うん。お姉様も……昨日よりは、顔色いいわね」
普通と比べると、まだ青白いということか。ミルクを嚥下したカリナが言う。
「レジェス先生、すっごく心配してたんだよ」
カリナはフィロメナが倒れた後に、レジェス医師にいろいろと言われたらしい。フィロメナに食事をとらせ、睡眠をとらせ、適度に休ませて適度に運動させること。ストレスをなくすのが一番いい、と言うことらしい。
「私はすべてがストレスに帰結するのでは、と思ったわ」
「うん……否定できないかも」
父のことがストレスになっているのは確かだ。家のことも妹たちの世話も、嫌ではない。楽しい。だが、父が絡んでくると胃痛がする。できるだけ関わらないようにしたいが、そうもいかない。
ミレイアもアルレオラ家の現状を知っているので、「難しいわねぇ」と眉尻を下げる。それから尋ねた。
「ねえ、その『レジェス先生』って、王立医学薬学研究所のマルチェナ伯爵家のご子息の?」
「ええ、そうですね……妃殿下、ご存じで?」
宮殿にいるということは、宮殿駐在医の一人なので、優秀なのだろうが、王太子妃が知っているとは思わなかった。
「やっぱり。彼のお兄様が近衛の副隊長なのよね」
そう言われて、フィロメナは「ああ」と手をたたいた。そう言えば、マルチェナ副隊長には彼女も会ったことがある。宮殿内の警備体制について意見を交わした相手だ。
「お姉様……気づかなかったのね」
「だって顔が似てないからね……」
フィロメナとカリナもそれほど似ていないが、姉妹だとわかるくらいには面影がお互いにある。しかし、レジェス医師とマルチェナ副隊長は、まず印象からして全く違う。レジェス医師は線が細いが、マルチェナ副隊長は精悍なハンサムだ。ちなみに、既婚者の愛妻家である。
「なるほどねぇ。倒れるって、レジェス医師が心配して当然ね」
「ですよね!」
とカリナが意気込む。そうは言われても、あまり食べられないし眠れないのだ。今日は久々によく眠ってすっきりしている。
どうやら、カリナの監視が厳しくなりそうな予感がした。
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