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Maribel

末っ子マリベル視点。









 マリベルが、姉夫婦が自分の両親ではない、と気づいたのは七歳のころだった。きっかけは姉が妊娠したことである。

 マリベルの一番上の姉、フィロメナはアルレオラ女伯爵である。マリベルが幼いころはそうでなかった気がするが、物心つくころにはすでに姉は伯爵家の中心で、女伯爵カンタレスを名乗っていた。


 幼いころ、正直言って実の両親の印象はそれほどなかった。本当に、本気でたまに来る親戚の人だと思っていた。

 フィロメナを世間一般に言う母だと思っていた。年齢的にも違和感はなかったし、面倒を見てくれたのは彼女だ。世話と言う意味では、乳母やメイドがいたのでそういう意味ではなく、気にかけてくれた……とでも言えばいいのだろうか。

 実の母は、体が弱かったのだそうだ。人生のほとんどを屋敷の中で過ごし、マリベルを生んだ後に調子を崩した。それから父は母に付きっきりになり、娘を顧みることはなくなった。


 代わりに屋敷の中で実権を握ったのは長姉フィロメナだった。実権と言えば聞こえはいいかもしれないが、要するにしなくてもいい仕事を押し付けられたということだ。二十歳のころには、彼女は既に宮廷で官僚をしていたから、宮廷の仕事、伯爵家の仕事、妹たちの面倒。二十歳そこそこの若い女性が音を上げるには十分だったと思うのだが、フィロメナは淡々とその生活を続けていた。個人の能力が高かったのもよろしくなかったらしい。心より先に、体の方が限界を迎えた。


 そのころから、アルレオラ伯爵家に関わる人が一人増えた。今は女伯爵カンタレスの配偶者となっている、レジェスだ。マルチェナ伯爵家の次男であった。

 幼いころの記憶を思い起こしても、フィロメナとレジェスは仲が良かった。今では遠慮のないやり取りをしているが、はにかんだ笑顔とかが可愛かったんだけど、と二番目の姉カリナも言っていた。二番目の姉もいろんな意味で強い。

 レジェスは医者で、常に体調不良気味のフィロメナを気にかけていた。ちなみに、母の病気の専門の医者を紹介したのも彼だ。そのためか、父はレジェスには強く出られない様子。


 話を戻して、何を言いたいかと言うと、マリベルは姉と、その夫となった男性が自分の母親と父親だと思っていたということだ。だって、いつも気にかけてくれていたのはフィロメナだし、その彼女が連れて来た男性だ。父親と思うのは当然……だと思う。

 フィロメナもマリベルに何も言わなかった。末の妹が勘違いしていることを、わかっていただろうに。説明が面倒だったのか、言ってもわからないと思ったのか定かではないが、レジェスはあきらめていたのだろう、と後年義理の末の妹に言った。


「え、私に説明することを?」

「と言うより、自分と父親との関係を、かな」


 要するに、自分が父親との関係がよろしくないので、マリベルに説明することをあきらめたのだというのだ。いや、何故その結論に至るのかわからない。いまだに本人は自覚なしだが、やはり頭のいい人は思考回路がぶっ飛んでいるのだろうか。

 仕方のない話だが、フィロメナと父との関係は険悪だった。おそらく、二人とも歩み寄ろうとはしている。しかし、フィロメナが爵位を継いでから十年近く経つが、進捗状況は喜ばしくない。

 まあ、そんなわけで幼いマリベルは姉夫婦を親とばかりに慕っていたのだが、二人が結婚して一年ほどだったころ、フィロメナが妊娠した。マリベルは八歳になっていて、ある程度物事がわかるようになっていた。


 私の弟? 妹? とフィロメナに尋ねると、彼女は少し考え、いい機会だと思ったのだろう。「甥か姪だよ」と答えた。おいー? とマリベルは首をかしげたのを覚えている。

 兄弟とか、姉妹の子供ってことよ。そう教えてくれたのはカリナだった。カリナは物知りだ。頭がいいという意味ではフィロメナの方が上だけど、幅広い知識と言う意味ではカリナの方が上だろう。あと、常識も。

 その時すぐには理解できなかったが、しばらくしてだんだん理解できてきた。

「……私もこうやって生まれてきたの?」

 ソファに座ったフィロメナの膝に頭を乗せて、膨らんできた腹部を見ながら彼女はそう尋ねたはずだ。フィロメナは「そうだよ」とうなずいた。

「……お姉様から?」

「違うよ」

 はっきりと否定したフィロメナに、マリベルは「そっか」とうなずいた。フィロメナの膝に顔を伏せる。フィロメナは頭を撫でてくれたっけ。


 わかっていたのだと思う。母親のように慕っていても、フィロメナを『姉』と呼んでいた。フィロメナは常に「お姉様だよー」とマリベルに言っていたし、気づかない方がおかしいのだ、と今では思うが、幼かったあの日に気付けというのは無理な話だ。

 勘違いが幼心に恥ずかしかったマリベルであるが、姉たちは変わらず末の妹をかわいがってくれたし、マリベルも気にしないことにした。レジェスが「さすがはフィルとカリナの妹だね」と感心していた。図太いということだろうと、今ならわかる。

 それから、実の両親にも対面したが、(マリベルがおじ様、おば様と呼んでいた二人だ)どうにもマリベルはこの二人が苦手だった。親子のはずなのに、姉たちと雰囲気が違うからだろうか。いや、レジェス曰く、父と長姉は似ているらしいけど。


「フィル姉様って、大切なこと、言わないよね」


 マリベルが真実に気づいてから七年ほどたっている。次女カリナも、双子のエリカとモニカも嫁いでしまい、残っているのはマリベルだけだ。

 三人いる甥っ子、姪っ子は可愛い。フィロメナは相変わらず美人で、三児の母とは思えない。そう言えば、妊娠した時に細すぎだ、と言ってレジェスが珍しく青くなっていた。


 明晰な頭脳も健在で、現在は宰相府に所属している。内務省、法務省、財務省、宰相府と、珍しいくらいいろいろな部署を経験している。どこでもそつなく仕事をこなすフィロメナは、王太子の側近として修業中なのだそうだ。三十を越えたので、そろそろどこかの長官にでもなるかもしれない。


「あー、うん。そうかもね。相手に理解されないと、投げちゃうところがあるから」


 フィロメナはマリベルの意見を否定せず、むしろ同意した。冷静に自分を見つめられるくらい、落ち着いているということだ。夫であるレジェスのおかげだろう。

「これだから天才は、ってカリナ姉さまなら言うよ」

「そうかもねぇ。……いや、今まさに私は末の妹に負けそうだけどさ」

 そう言って彼女は駒を一つ動かした。チェスで対戦中なのである。黒のビショップが、白のナイトを取った。

 先手である白を持ったマリベルが勝ちそうなのである。チェスを教えてくれたのはカリナだが、彼女よりフィロメナの方が強いし、それよりもレジェスの方が強い。それでも、今まで勝てなかったフィロメナに勝ちそうで、ちょっとうれしい。

「はい、チェックメイト!」

 意気揚々とマリベルが告げると、フィロメナは肩をすくめて降伏した。

「やった! じゃあ留学に行ってもいいのね?」

「別に勝たなくても行かせたよ」

 フィロメナが呆れたように言ったが、これはマリベルのけじめだ。勝たないと心苦しく思ってしまう。……まあ、勝ってもそう思ってしまうが、何もしないよりはましだ。


 一局戦って。で、勝ったら私を留学に行かせて。


 マリベルがチェス盤を持ってフィロメナの元に押し掛けたのは一時間ほど前の話だ。先手をもらって、勝った。次は後手でも勝ちたい……。

 フィロメナはマリベルの姉だが、保護者でもある。留学に行きたいと言った場合、その費用は彼女が出すことになる。無駄遣いではないので、フィロメナならあっさりと工面してくれる気がするが、それは、さすがに申し訳ないと思うマリベルなのだ。たくさん勉強して来なければ。


「だって、エリベルトお義兄様が『お金にシビア』だって言ってたわ」


 以前本当に言っていたことを言うと、フィロメナは口元を押さえて「財務省にいた時のことかなぁ」と小さくつぶやいた。


「まあ、お金のことはともかくだ。マリベル。たった一人で、誰も知り合いのいないところに行くことになるんだよ。助けてくれる人はいないと思った方がいい。それでも、行きたいんだね? 覚悟はあるんだね?」


 マリベルはこくりとうなずいた。フィロメナは「わかった」とうなずく。一応、フィロメナもちゃんと保護者をしているのだ。わしわしと頭を撫でられる。

「マリベルも大きくなったものだねぇ」

「お姉様、発言がおばさんっぽいよ」

「もうぼちぼちおばさんだからね、仕方ないよ」

 その顔でおばさんとか言われても。そう思ったが、マリベルの現実逃避だ。フィロメナはマリベルの成長を見守ってきたのだ。そんな感想も出るだろう。

 でも、いつまでも微笑ましく見守ってもらうことはできないのだ。だからマリベルは元気に告げた。

「行ってきます!」

 たった一年。しかし、その一年はマリベルの中で大きかった。










ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


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