story12
レジェスの妻、女伯爵フィロメナ・アルレオラは宮廷内でちょっとした有名人である。法務省司法局に在籍する彼女は頭がよく、他の人が投げた案件でも華麗に解決すると評判なのだ。
二十四歳の春に爵位を継ぎ、その秋に結婚した。貴族女性としては少し遅めだが、有爵者だと思えばそんなものなのかもしれない。
夫であるレジェスは、フィロメナより四つ年上の二十八歳。男性としては珍しくない年齢での結婚である。しかし、これで家族を心配させることは無いだろう。
女伯爵の婿になったレジェスは、生活拠点をアルレオラ伯爵家に移している。だからと言って何が変わるわけでもないが、以前より周りがにぎやかになった。それが楽しいレジェスだ。
たいてい一緒に宮廷に行き、一緒に帰ってくる二人だが、今日はレジェスの方が早かった。結婚してまだそれほど経っていないので、この家に一人で帰るのはまだ不思議な感じだ。フィロメナと二人なら、それほど気にならないのだが。
「お帰りなさいませ、レジェス様」
「ああ、うん、ただいま」
執事に出迎えられ、レジェスは苦笑気味にうなずく。
「フィロメナは少し遅くなるそうだ。王太子殿下だから、早めに解放してくれるとは思うけど」
「そうですか……」
「帰ってこなければ僕が見に行くから大丈夫だよ」
この屋敷の人たちは、いつもフィロメナのことを心配している。その気持ちは分からなくはない。
「お義兄様、お帰りなさい」
「おかえりなさいー!」
カリナとマリベルだ。カリナがマリベルに本を読んでいたらしい。駆け寄ってきたマリベルを抱き上げたが、初めて会ったときに比べるとだいぶ大きくなっている。
「ただいま。お姉様は少し遅くなりそうだよ」
「……エリベルト様が何かしたのでしょうか……」
カリナがついに恋人に昇格されたエリベルトを疑ってかかる。レジェスはそんな彼女に笑った。
「いや、王太子殿下に連れて行かれただけだよ。彼女、何でも対応できる何でも屋だと思われてるのかもね」
「お義兄様……笑顔で言うことじゃないと思うわ」
カリナに真顔でつっこまれた。レジェスはぽんぽんとカリナの頭をたたき、「冗談だよ」と微笑む。
「あまり遅くなりそうなら、僕が見に行くから」
先ほどと同じことを伝えると、カリナはほっとしたようだ。フィロメナ、どれだけ信用がないのだろう。いや、体力面ではレジェスも心配しているけど。
夕食の前に、カリナの小説の添削を入れる。以前はフィロメナが校閲を入れていたが、最近はレジェスやエリベルトも見ることがある。エリベルトとフィロメナは同じ分野を見ることができるし、レジェスは科学・数学面を見ることが多かった。
「ねえお義兄様」
「ん?」
マリベルと絵を描いているカリナが呼びかけてくる。彼女は微笑んだ。
「お義兄様、お姉様と結婚したらもれなく私たちがついてくることがわかってたのに、どうして結婚したの?」
うーん、この子も結構鋭いところをついてくる。フィロメナも言っていたが、彼女は美人だが結婚するには条件がそれほどよろしくなかった。
「……そうだね。僕は騒がしいのは嫌いではないし、下の子の面倒を見るのは好きだよ。何より、君たちを含めてフィルを好きだと思ったからかな」
「ふーん……」
自分で尋ねたわりには無感動にカリナはうなずく。ここの姉妹は、こういうところがある。決して感情がないわけではないのだが。
「お義兄様、それ、小説の参考にしてもいい?」
「……言うと思ったよ」
レジェスは苦笑した。カリナは日常生活の中で小説のネタになることを探しているような少女だ。彼女もまた、頭がいいということだが、その使い方を間違っている気がしてならない。まあ、フィロメナも正しい使い方をしているかと言われると、違う気もするのだが。
基本的にレジェスは、よほどのことがない限り駄目とは言わない。プライバシーに関わるほどのことなら断るが、特に問題がないと思えば許可を出す。最近、レジェスがさくっと許可するので、フィロメナに呆れた目をされる。最初は恥ずかしがっていたのだが、途中で開き直ったらしい。
そして、それは機密情報だからダメ、これは良い、と口を出すようになった。前の部署でそういう仕事をしていたので、得意分野なのだろう。
そんな彼女は、何とか夕食前に切り上げてきたようだ。レジェスもやられたが、新婚生活について根掘り葉掘り聞かれたようで少しやつれて見えた。まあ、彼女はもともと細いので少し体重が落ちるだけでやつれて見えるのだが。
「お帰り」
「ただいま。遅くなってごめんなさい」
レジェスが声をかけると、フィロメナが肩をすくめて謝る。マリベルが立ち上がって喜んでフィロメナに抱き着く。幼い彼女も、だんだんわかってきているらしく、彼女に抱っこをねだることは無くなった。でも抱き着く。
「たぶん、レジェスが抱っこしてくれるからです」
抱っこしてくれる人ができたので、フィロメナに求めなくなったのだ、と彼女は冷静に分析していた。
「フィル、最近冴えわたってるね」
「そうでしょうか」
だから王太子やその側近から呼ばれるのだろうに、相変わらず自覚がないようだ。
「……冴えわたっているかはわかりませんが、心の余裕は感じます」
彼女がそう言うということは、相当心境穏やかなのだろう。良いことである。まだ貧血はあるだろうが、顔色の悪さは解消されてきている。
「結婚式の時嫌そうな顔をしていたから、どうなるかと思ったけど」
と少しからかってみたが、すでに耐性のあるフィロメナは「恥ずかしかったので」としれっと答えた。
「……最近、フィルの反応が冷たい」
「なれというのは恐ろしいものです」
などと彼女はまじめに答えたが、まじめだからこそちょっとずれているな、と笑った。フィロメナがレジェスの背後から抱き着く。
「……すねているのですか?」
「そうだよって言ったらどうする?」
尋ねると、フィロメナはうーん、と考えた後に言った。
「……今度、カリナに可愛いふるまい方を聞いておきます」
「うん、まあ、小説のネタ! とか言っていろいろ調べていそうだよね」
何となく、レジェスも納得してしまった。そして、すっかりアルレオラ伯爵家になじんでいる自分に気付いてちょっと驚く。レジェスの性格がうんぬんよりも、義理の妹たちが慕ってくれている、と言うのが大きい気もするけど。
その思考を読んだかのように、フィロメナはレジェスに尋ねた。
「今更いうことではないような気もしますが、妹たちをかわいがってくれてありがとうございます。ちょっと手がかかりますが……マリベルとか」
「……まあ、うん」
慕ってくれるのはうれしい。しかし、確かに子供の体力について行けないことはあった。
「まあ、甥っ子姪っ子もあんな感じだし」
「ああ……シーロ君とイネスちゃんですね」
マリベルと同じくらいの年の兄の子供たち。さすがにマリベルほど元気ではないが。
「……むしろ、マリベルは僕のことを世間的に言う『父親』だと思っているのではないかと思い始めた」
「というか、私のことを母親だと思っているようなので、その可能性は高いですね」
一応、フィロメナも自覚はあるらしい。まあ、二人の年の差的にも雰囲気的にも、母娘の方がしっくりくるのは確かである。
「……ちなみにフィル。それ、何とかする気ある?」
「私には無理ですね」
きっぱりと言い切った。と言うことは、マリベルが自分で気づくまでそのままなのだろう。確かに、フィロメナやカリナが両親とマリベルの間に入るとこじれるような気がする。
ならレジェスがやるか、と聞かれてもいいえと答えるだろう。フィロメナが両親と距離を置いている以上、入り婿であるレジェスはあまり深く首を突っ込むべきではないと思う。
「それよりフィル。いつまでそうしてるの?」
フィロメナはレジェスの背後から抱き着いたままである。この状態で話をするこの夫婦はやっぱりちょっと変わっている。
「嫌でしたか?」
「どうせなら正面からがいいなってこと」
そう言って、レジェスはフィロメナを正面から抱きしめた。フィロメナもびくりと驚いた後に背中に手をまわしてきた。
アルレオラ伯爵家は今日も平和である。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本編最終話でした。番外編を二本ほど~。




