episode23
「最近、エリベルトと仲がいいですよね」
馬車の中で差し向かいに座ったレジェスに、フィロメナが言った。レジェスは首をかしげる。
「何? 嫉妬?」
何故嬉しそうなのか。フィロメナが首を左右に振る。
「そうではなくて、カリナが別方面に目覚めそうなんです」
「別方面……」
「別方面です」
そう、これまでとは別方面。恋愛は恋愛でも、男女の恋愛ではなく同性同士の恋愛だ。特に、男同士の。
「うん、まあ、複雑だね……実害はないと言えばないけど、精神的にショックだね……」
レジェス本人にとってはそうだろう。なぜなら、モデルは彼とエリベルトなのだから。と言うか、姉の婚約者と自分の友人をその対象にするカリナの根性がすごい。
何も言えない様子で苦笑を浮かべたレジェスの頭を、フィロメナはいつもしてもらっているように撫でた。レジェスがフィロメナの手をつかみ、彼女の手を自分の頬に当てた。中腰のフィロメナを引き寄せて自分の膝に乗せる。
「あ、あの」
支えられているとはいえ、ひどく不安定だ。そして恥ずかしい。人に見られているわけでもないが。
「うん」
レジェスは返答にならない声を上げ、フィロメナの後頭部に手をやり、顔を寄せる。唇が触れ合うかと言う瞬間、目的地に到着した。フィロメナはレジェスの肩に手をついて体を離す。
「残念だったね」
笑ってそんなことを言うレジェスをフィロメナは睨んだが、彼女も同じ気持ちだった。
到着したのはマルチェナ伯爵家だ。来るのは初めてではないが、伯爵になってからは初めてだ。
「いらっしゃい、フィロメナさん」
にこやかにあいさつしたのはマルチェナ伯爵アロンソだ。がっしりした体格の男性で、国軍を率いる将軍でもある。レジェスは父親には似ておらず、どちらかと言うと伯爵夫人のロシータに似ていた。彼の兄は、完全に父親似である。
「お邪魔いたします、伯爵」
「いやあ、同じ伯爵なのだから、名前で呼んでくれても。義父上でもいいぞ」
フィロメナは苦笑した。何だか、マルチェナ家の皆さんは、言うことが似ている。
今日はマルチェナ伯爵家のお茶会に誘われていた。妹たちも連れてこようかと思ったのだが、断られた。気を遣われたともいう。マリベルのことはカリナが捕獲しているだろう。
「いらっしゃい、フィロメナさん。……アルレオラ伯爵とお呼びした方がいいのかしら」
マルチェナ伯爵夫人ロシータが首をかしげて微笑んだ。女性有爵者は少なからず偏見を持たれるが、マルチェナ伯爵家の人々はこうして温かく迎えてくれる。
「お邪魔しています、伯爵夫人。マルチェナ隊長とアラセリさんも」
「名前で呼んでくださっていいのよ?」
ロシータも夫と同じことを言った。それはフィロメナには難易度が高いかな。
「シーロ、イネスも、挨拶なさい」
アラセリが子供たちの背中をつつく。子供たちもフィロメナとレジェスに向かってあいさつした。
「フィロメナさん、レジェス叔父さん、こんにちは」
「こんにちは!」
年の割に落ち着いた様子で言ったのは、カミロとアラセリの長男シーロ。七歳になる。イネスは三歳の女の子で、シーロの妹だ。マリベルとは違って人見知りなのか、なかなか懐いてくれなかったが、最近はフィロメナにも慣れてきてくれたようでうれしい。
「こんにちは、シーロ君、イネスちゃん。お邪魔します」
フィロメナが視線を合わせて言うと、イネスは恥ずかしそうにシーロの後ろに隠れた。かわいらしい。シーロは小生意気に「ゆっくりして行け!」などと言っているが、基本的に年下に甘いフィロメナは微笑んでうなずいた。
「うん。ありがとう」
「レジェス、お前、シーロに婚約者を取られるんじゃないか」
カミロがそんな軽口をたたく。レジェスも「強力なライバルだね」と笑っているので、本気にはしていない。フィロメナも冗談を受け止めて苦笑したのだが、シーロは割と真面目に返答をくれた。
「それはない。フィロメナさんは義姉上って感じ。それに、フィロメナさん頭良すぎる」
「……」
七歳にここまで言われるってどうなんだろうと、フィロメナは笑顔の裏で自問自答した。
「……うん。まあ、女史は頭いいな」
シーロの頭を撫でて、カミロはうなずいた。ロシータに呼ばれ、お茶会……と言う名のおしゃべり会である。
「ねえ、フィロメナさん。今更なのだけど」
「はい」
ロシータが不安げに言った。
「この息子で良かったの? 母親の私が言うのも何だけど、この子腹黒いわよ」
「母上……否定できないけど」
レジェスも自分で認めていた。フィロメナも指摘したことがある。
「わかっています」
「フィルも言うね」
とりあえずレジェスのことはスルーして、ロシータに言った。
「確かにちょっと腹黒いところはありますが、私のことを考えてくれているのがわかるんです。そう言うところが好きなんです」
「……え、ちょっと待って」
椅子に座っていたはずのレジェスがテーブルの下でしゃがみ込んでいた。手で顔を押さえている。
「おじさまどうしたのー?」
座っていることに飽きて来たらしいイネスが楽しげに尋ねた。レジェスの背中をぽかぽかたたいている。これくらいの年の子は本当にかわいい。
「……可愛い」
「イネスが?」
カミロの言葉にフィロメナは即答する。
「レジェスもです」
「……やられた」
つぶやかれたレジェスの言葉はそういう意味なのだろう。アラセリが楽しげに「ラブラブね」とつぶやき、イネスを回収していった。
△
「……まさかフィルにあんなことを言われるとは思わなかったよ」
その言葉に、本棚を見ていたフィロメナは振り返って微笑んだ。
「いつもやられているので、お返しです。でもやる方は結構楽しいですね」
そうは言ったが、本当はフィロメナも恥ずかしくてうずくまりそうだった。過ぎたこと……と言っても一時間ほど前の話……なので、フィロメナはふふっと笑って本棚から本を一冊抜き取ると、その本を持ってソファのレジェスの隣に座った。
「それにしても、本しかないですね」
ここはマルチェナ家のレジェスの部屋である。フィロメナの言うとおり、ほぼ本しかない。生活拠点がこの屋敷ではないから、資料庫のようになっているのだ。定期的に掃除は入っているようだが。
「まあ、今暮らしてる宿舎には置く場所がないからね……」
そうだろう。その部屋にも行ったことがある。それなりに広かったが、この量の本を納めるのは無理だと思う。
「読んだことがない本がたくさんあるので楽しいですね」
カリナも見たら喜びそうだ。参考文献になる、とか言って。当たり前だが、医学系の本が多かった。
「フィル」
「はい」
名を呼ばれていつものように振り返る。ゆっくりと唇が重なり、離れた。レジェスに抱きしめられたフィロメナは、前から気になっていたことを尋ねた。
「レジェス、もしかして腹筋われてます?」
そう言いながらペタペタ触る。触れた感触が硬いのだ。ちょっとした疑問である。
「……フィル」
引きつった声をあげたレジェスに、くすぐったかっただろうか、とフィロメナは手をひっこめる。
「……あんまり、理性を試すようなことしないでくれる?」
は? と口に出す前に唇がふさがれた。触れるほどの優しいキスではなく、激しいものだった。ついに姿勢を保てなくなったフィロメナは、押し倒されるようにソファに背中をつけた。名残惜しむように唇が離れていく。フィロメナは大きく息を吐いた。
「い、いきなりは駄目です」
突然のことに驚いて言語能力が下がっている。フィロメナを見下ろしたまま、レジェスは怪しく微笑んだ。その指がフィロメナの頬を撫でる。
「君が無邪気に触ってくるからだよ」
「……」
さすがのフィロメナも身の危険を感じた。さすがにそこまでの覚悟はしていなかった。驚いて目を見開いたフィロメナの胸元に、レジェスが顔をうずめた。
「……さすがにつらい」
「えっと……」
フィロメナが返答に困ったとき、激しいノックがあった。ノックの主はカミロで「早く出て来い!」と言うようなことを叫んでいた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
カリナ、足を突っ込みかける。




