episode22
フィロメナは、女伯爵となって初めての夜会に参加していた。エスコートはレジェスであるが、前伯爵である父が同行しているので、フィロメナの表情はこわばっていた。
「フィル、お披露目なんだからもう少しにこやかに」
「……最大限努力はしています」
強張っているだけで、しかめてはいないので。レジェスが苦笑を浮かべる。レジェスの言うことが正しくて、父が比較的おとなしくしているのは分かっている。しかし、彼がじっと話し込んでいるカリナとエリベルトを見ているのが気になる。
「……フィロメナ」
「何?」
声をかけたそうにしてから実際に声をかけるまで間があったのは、現在の力関係がフィロメナの方が上だからだろう。一番上の娘の素っ気ない対応に、父は少し顔をしかめたが、それよりも気になっているのであろうことを指摘した。
「彼は……コンテスティ侯爵の息子だろう。カリナと親しくし過ぎではないか」
言われると思った、とばかりに、フィロメナはレジェスと顔を見合わせた。視線だけで、どちらが口を開くかでもめる。しかし結局、フィロメナが口を開いた。
「話が合うらしいよ。仲がいいのに引き離すのはかわいそうでしょう」
「だが、彼は女癖が悪いと聞く。何をされるか……」
父、微妙に情報が古い。それは半年前までの話だ。フィロメナが知る限り、現在のエリベルトは品行方正だ。まあ、確かに過去は消せないが、カリナが納得ずくで付き合っているのなら口を出すべきではないと思うのだ。少なくとも、彼女が助けを求めない限りは。
「……まあ、彼が私の部下である限りは、めったなことはしないと思うよ」
正確には、『カリナが好きである限りは』だが、それを言うと父が暴走しそうなのでやめておいた。父は驚いた表情でフィロメナを見る。
「お前の部下なのか?」
「そうだね」
これだけで、普段、この二人の間にどれだけコミュニケーションがないのか分かるというものだ。
「……お前がしっかりしているのは知っているが……」
父が言いかけた時、フィロメナはエリベルトと目があった。彼女が微笑むと、エリベルトはびくりと体をこわばらせ、ぎくしゃくとカリナの方に向き直った。
「……まあ、基本的にこんな感じだね」
ちなみに、フィロメナは何もしていない。何もしていないが、彼女が王太子の同級生であること、無自覚ながら非常に優秀であることなどが、エリベルトを緊張させているのだ。
ちなみに、エリベルトがカリナの前でフィロメナを悪く言おうものなら、その情報はフィロメナに筒抜けになるし、むしろ、カリナが自ら報復するだろう、というのはレジェスの言葉だった。姉妹仲がいいね、と言われたが、絶対にシスコン姉妹だと思われている。
「……そうか」
父も納得したらしい。夜会会場でもあるので、何か騒ぎでも起こせばフィロメナにつまみ出される。何度も言うが、現在の力関係はフィロメナの方が上。しかも、父は娘に爵位を譲り渡したばかりだった。ここで言い争いでもしようものなら、本当にフィロメナが父親から爵位を奪い取ったのだ、と周囲の者に思わせてしまうだろう。父もそれは避けたいはずだ。それはつまり、娘に負けたことを意味する。父親としては情けないだろう。
もしかしたら、フィロメナを父から爵位を奪った者にしたくない、という思いもあるのかもしれないが、確認しようとも思わないし、父も言わないだろう。だから、思うだけにしておく。
ワルツが流れてきた。話が終わったのを見て、黙っていたレジェスがフィロメナに声をかける。
「一曲くらい踊らない? ウリセスさん、娘さんをお借りします」
「あ、ああ……」
父がうなずく。レジェスはフィロメナの同意を得る前にやや強引にフィロメナを連れ出した。というか、父から引き離したのだろう。
「ちゃんと冷静に対処できたね」
実際に手は出なかったが、フィロメナをリードしながらレジェスが言った。踊っていなければ頭を撫でられていただろう。フィロメナは首をかしげて、「父も割と落ち着いていましたし」と答える。一応、言っていることは一般的な父親の範疇だったし、感情的でもなかった。まあ、今更お前が何を言う、という思いがなかったわけではないが。
「それと、カリナと約束したので」
助けてね、と言われてそれを了承した。なので、父を刺激しないように必死だったのだ。結局、決定権はフィロメナ自身にあるのだが、ウリセスとカリナが親子であるのもまた事実なので、口を挟んでくる可能性は大いにあった。
「……本当に仲がいいね」
「今、シスコンだなぁって思ったでしょう? 事実ですけど」
レジェスは笑ってごまかしたが、たぶん図星だったと思う。フィロメナもシスコンは否定しないけど。
「あ、ほら」
くるりとターンで体の位置を入れ替えられ、フィロメナはレジェスの肩越しにカリナとエリベルトを見つけた。二人とも楽しそうに踊っている。ちなみに、カリナはフィロメナより体を動かすことはうまい。
二人が望めば、フィロメナは二人の縁談を調えるだろう。彼女には、格上である侯爵家との縁談を調える力がある。しかし、フィロメナはカリナが言いだすまで何もする気はなかった。
「仲が良いようで何よりです」
「そうだね……僕たちももう少し仲良くしてみる?」
フィロメナが目を見開いてレジェスを見上げた。動揺が表れてステップが乱れたが、レジェスがフィロメナの腰を抱えるようにして修正した。前から思っていたが、彼は結構力が強い。
「ど、どういう意味にとらえればいいんでしょう?」
動揺の挙句にフィロメナはそう尋ねた。レジェスが微笑んで「そう緊張しないで」と彼女の耳元でささやくが、フィロメナは彼を睨む。からかって遊ばれているのがわかるのに、冷静に切り返すことができない。
ワルツが終わった。声をかけられる前にダンスフロアから撤収する。むしろ、もう帰りたい。大体の人に挨拶をしたと思うので、もういいような気もする。
国王夫妻にも報告したし、王太子夫妻にも会った。その場でティトにもあったし、マルチェナ伯爵家の皆さんにも会っている。職場の同僚たちにも挨拶済みであるし、本当にもういいのではないか?
「フィル、フィル!」
「あ、はい」
名を呼ばれて、何とか現実に戻ってくる。レジェスが心配そうに顔を覗き込んでいた。
「大丈夫? 調子悪くなってきた?」
どうやら、急に黙り込んだので心配してくれたらしい。昨シーズンにダンスのあとに調子を悪くしたことがあるからだ。
「いえ、大丈夫です。ちょっと考え事をしていて」
「なるほど。フィルは動揺することがあると、考えることに逃げがちだよね」
遠慮のないレジェスの事実を指摘した言葉に、フィロメナはむくれてレジェスの腕をたたいた。お互いに、こんなふるまいをするくらいには信用し合っている。レジェスがフィロメナの頬をつつく。
「ごめん、からかいすぎたかな。可愛くてつい」
この人、まったく悪いと思っていないだろうなぁという口調で言った。フィロメナもそういうところがあるので、指摘はしなかったが。
「……次は私がレジェスを動揺させます」
「それはぜひお願いしたいね」
余裕綽々なレジェスに、フィロメナは何をしようかと考えたが、そもそもレジェスが動揺するイメージが持てなかった。
「お姉様とお義兄様がいちゃいちゃしてる……ネタにしていい?」
背後からそんな声が聞こえて、振り返るとカリナとエリベルトがいた。エリベルトは何かに衝撃を受けたような表情で。
「先生……僕を弟子にしてくれませんか」
とレジェスに向かって言った。何故に?
「……頭のいい人が考えることは分からないね」
フィロメナがそう言って首をかしげると、カリナとレジェスがフィロメナを見て呆れた表情をした。
「お姉様が言う?」
「その言葉、一周まわって自分に突き刺さってるよ、フィル」
エリベルトにも深くうなずかれた。やっぱりフィロメナは首をかしげる。
「お姉様、そろそろ帰らない? 今日のこと紙に書き起こしたい」
「そうだね……帰ろうか」
ということになったのだが、レジェスの指摘に姉妹は顔をしかめた。
「二人とも、ウリセスさん回収して行ってね。野放しにしないで」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
最後、姉妹はすごい顔をしていると思う。レジェスはそんな姉妹にツッコミを入れるのも仕事です。




