episode19
冬が過ぎ、春が近づいてきた。もうすぐ、フィロメナは爵位を継いでアルレオラ伯爵となる。この国の法律は、女性が有爵者となることを妨げないが、それでも、女性の有爵者は珍しい。
日が当たっていれば、ぽかぽかと暖かい。フィロメナは公園のベンチに座り、隣に座るレジェスの肩に頭を預けて彼の描く絵を見ていた。彼の絵は柔らかいタッチで描かれていて、見ているとほかほかしてくる。
うとうととまどろんできたフィロメナだが、レジェスに肩をたたかれて起こされた。
「寝るにはまだ寒いよ、フィル。そろそろ体が弱いことを自覚してね」
「……自覚することと睡眠欲は別の問題です」
詭弁のようなひねくれたことを言い、フィロメナは姿勢を正す。レジェスも膝にスケッチブックを置いた。以前その中身を見せてもらったが、彼の家族やフィロメナたち姉妹も描かれていて、少し気恥ずかしくなった。
「……レジェスは、怒らないですよね」
フィロメナの婚約者殿は気性が穏やかだ。少し腹黒さを感じるところはあるが、彼は諭してくるタイプの人間だ。……まあ、もしかしたら、そちらのほうが怖い、のかもしれないが、
「まあ、そうだね。でも、君もそんなに感情的に怒るタイプじゃないだろう?」
「え? いえ……父に対しては感情的だった自覚はあるのですが」
かなり言い合いをした。その父がもうすぐやってくる。やはり母は来ないそうだ。無理に動かない方がいいと思う。領地で元気にやっているのなら、無理はしない方が良い。
父がやってくるのはフィロメナに爵位を譲るためだ。だから仕方がないとはいえ、知らずフィロメナは顔をしかめていた。レジェスがしかめられたフィロメナの眉間をつついた。
「せっかくの美人が台無しだよ。君の父上は、整然と理論的に諭しても理解を示すタイプじゃない。でも、君は理論的に説明された方が理解できるタイプだ。そういう違いだよ。人間は、相手の感情と同じ感情を返すといわれる。フィルは、父上が感情的に接するから、同じように感情的に接していたということだね」
「……理解はできるような気がしますが、後付けの結果論ではありませんか? 傾向としては理解できる範疇ですが、人の性格分析にはならない気がします」
レジェスがフィロメナの顔を覗き込んだ。
「……一緒に過ごすようになって日々思うんだけど、フィル、本当に頭がいいね」
「……そうでしょうか。学校での成績は中の上程度だったのですが」
頭がいいね、と言われることが多いフィロメナだが、女性では珍しい大学を卒業したからだろうと思われる。大学の出だからって、頭がいいとは限らないのだが。
「うーん、勉強ができるのと、頭がいいのって別だよね。治療をしていてもそうなんだけど、やっぱり勉強したことより、機転の方が大事な時だってあるし」
「……分かるかもしれません。勉強ができるから仕事ができるわけでもありませんし」
フィロメナの視線がすっと公園にある生垣の迷路の奥、東屋のある方に向けられる。いや、彼はちゃんと仕事はできていたか。生活態度が悪かっただけで。
「それにしても、良く二人きりにしたね」
「二人きりではありません。マルセロが一緒ですから」
良家の子女が人と会う際に従者を連れて行くのは自然なことだ。マルセロは従者ではなく、執事だけど。
「それに、エリベルトが面倒くさいので」
「君に認められようと頑張ってたんだね。そうなると、フィルとしてはご褒美をあげたくなるわけだ」
面白そうにレジェスが言う。いや、その通りなのだが。長女で年下の面倒を見てきたフィロメナとしては、認められようと努力をする年下の青年を放っておけなかったわけだ。
「……一度くらい会わせてもいいかなと。嫌ならカリナははっきり言うでしょうし」
カリナの性格なら、嫌なら嫌とはっきり言うだろう。エリベルトも、直接会ってみたら印象が変わるかもしれない。
「コンテスティ侯爵家なら、身分的には問題ないね」
「そうですね。なので、カリナしだいです」
カリナも、エリベルトの過去の生活態度がよろしくなかったことは知っているだろう。今、東屋で対面してどんな印象を抱くか。正直、彼女の情報網はフィロメナよりも広い。エリベルトの情報も難なく仕入れてきて、自分で判断するだろう。
フィロメナとレジェスもデートであるが、どちらかというと、カリナとエリベルトのお供に近い。そろそろ三十分経つので迎えに行こう。
「そろそろカリナを迎えに行ってきます」
「そうだね。ああ」
立ち上がろうとしたフィロメナの腕をレジェスが引っ張った。フィロメナはベンチに逆戻りする。
「君をマルチェナ家に連れてくるように言われていてね。時間があるときに一緒に来てくれない?」
「……分かりました」
何度かマルチェナ伯爵家を訪れたことがあるが、みんな歓迎してくれるので逆に居心地の悪いフィロメナだった。
レジェスは微笑むと、フィロメナの頬にキスをして彼女と共に立ち上がった。一緒にカリナを迎えに行ってくれるのだろう。
東屋は迷路の向こう。本日一時間だけ東屋を借り受けているので、誰も近づかないはずだが。
迷路の向こうなので、迷路を突破しなければならない。まあ、子供でもゴールにたどり着けるほどの迷路なので、いい大人の二人は難なく東屋にたどり着いた。そこでは、フィロメナの妹がフィロメナの部下と言い争いをしていた。
「あの男同士の友情がいいんじゃない!」
「否定はしないがあれはやり過ぎだ! あそこまで行くとすでにファンタジーの域に達している!」
「友情と愛する人とのはざまで揺れる感情って最高じゃない!」
「試すようなことをするな!」
カリナとエリベルトがにらみ合っている。レジェスが半笑いで「何の話だろう?」と首をかしげていた。おそらく。
「小説の話です」
答えたのはカリナについていたマルセロだった。しかも、カリナの新刊。ということは、エリベルトはその本を読んだのだ。疑っていたわけではないが、結構本気なのかもしれない。
「カリナ、そろそろ時間だよ」
フィロメナはあえて空気を読まずに話しかける。カリナとエリベルトがフィロメナを見上げた。
「あ、お姉様。分かったわ」
先ほどまで言い争いをしていたというのに、あっさりと切り替えてカリナは立ち上がり、エリベルトににこやかにあいさつをした。エリベルトは何か言いたそうにしていたが、何度か口を開閉させただけで何も言わない。
「エリベルト様、ごきげんよう。お話できて楽しかったですわ」
カリナがそう挨拶をするのを聞いて、エリベルトは決心したように言った。
「手紙を書くので、返事をくれますか」
「ええ、また意見を交わしましょう!」
カリナが愛想よく言ったが、さすがのフィロメナも、違う、そうじゃない、と思った。
「楽しかった?」
迷路を歩きながら尋ねると、カリナは力強くうなずいた。
「ええ! 意外と話が分かるし、いろいろ取材も出来たわ!」
楽しげに言うカリナに、「さすがに彼にちょっと同情するね」とレジェスが苦笑していた。マルセロもうなずいているので、カリナの発言は結構な仕打ちなのだろう。
「でもまあ、楽しかったならよかった」
過去の素行が悪かろうが、カリナには関係なかったらしい。彼女には目の前の好奇心の方が大切だったようだ。
「君たち姉妹は本当に突飛なことをするよね」
呆れたように、しかし、面白そうにレジェスは言った。マルセロがレジェスにもっといってやってくれ、と言わんばかりなので、やはり苦労をかけていたのだろうと思う。
和やかな時間を過ごした数日後、めったに機嫌の悪くならないフィロメナの機嫌は最悪であった。父ウリセスが王都のアルレオラ伯爵邸に到着したのである。
「……お久しぶりです、父上」
普段よりいくらか棘のある声で言った。父の方も「ああ」と答えるのみでそれ以上は何も言わない。
「……母上はお元気ですか」
一応義理程度に聞いてみる。素っ気ないが、気になるのは事実だ。
「……元気だ。今まで以上に……」
それは何よりだ。しかし、会話が続かない。マリベルと両親の間を取り持つ前に、自分が関係改善を試みるべきだろうか?
無理だな、と一瞬で結論づけた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次回から女伯爵が生まれます(笑)




