story11
「あ」
「あ」
レジェスは年明けすぐに宮廷でフィロメナを見かけ、驚いて目をしばたたかせた。フィロメナもほぼ同じ反応である。お互い、休み中の職場でお互いに会うとは思っていなかったのだ。
「レジェス、仕事中ですか?」
「ああ、うん。休みと言っても、宮廷内に人は皆無ではないし、一応。ほとんど人は来ないけど」
念のため当番医を決めているのだ。それなりに人数のいる王立医学薬学研究所なので、一年に一回回ってくるかどうか、と言うところなのだが、運悪く当たってしまったのだ。
「でも、フィルに会えたから運が良かったのかな?」
「……よく恥ずかしげもなくそういうこと言えますね……」
「そう? フィルはうれしくなかった?」
「いえ、うれしいですね。ちょっとドキッとしました」
「フィル、君も大概だよ」
フィロメナ自身も恥ずかしげなく言ってのけたので、レジェスは苦笑を浮かべる。
そんなフィロメナも、休み中の待機要員らしい。司法局で休み中に出動することなんてあるのか、と言う感じであるが、フィロメナ自身は過去の記録を読んだりして結構有意義に過ごしているらしかった。
「時間があるなら一緒にお茶でもどう? まあ、宮廷内の食堂だけど」
「いいですね」
ふふっと笑ってフィロメナがうなずいた。本当に朗らかに笑うようになった。そう言うと、本人はどれだけせっぱつまっていたのだろう、と少し疑問を覚えるらしい。
食堂も閑散としていた。当たり前だが。食堂の職員も各担当一人ずつしかいないようだ。温かい紅茶をもらい、適当な席に座る。
「妹さんたちは元気……だろうけど、大丈夫?」
主に元気すぎて。今は双子たちも帰ってきている。
「カリナが締め切りに追われていますけど、おおむね大丈夫ですね。誰もいなければ、エリカとモニカもマリベルの面倒を見てくれるので」
たぶん、こんなふうにアルレオラ伯爵家の女の子たちは大きくなってきたのだろうなぁと思わせた。上の子が下の子の面倒を見る。フィロメナは父に遊んでもらったことがあると言っていたが、彼女が小さいころから、アルレオラ伯爵は父親としてはあまり機能していなかったのではないかと思われた。
「レジェスもマルチェナ伯爵家に帰ってきたんですか?」
「ああ、まあね」
レジェスの実家も、両親は領地に帰っているが、兄夫婦は王都の屋敷で年を越した。一族の一員として、挨拶には行ってきた。
「甥っ子たちが元気でね、マリベルがおとなしく見えたよ」
「それは一大事ですね」
「あと、次は君を連れて来いと言われたから、今度は一緒に行こう」
「あ、はい」
反射的に返事をした後、フィロメナは「ん?」と言うような表情をしたが、すぐに自己完結したらしかった。まあ、婚約者の実家に遊びに行くだけである。レジェスの家族は、おおむねフィロメナに好意的なので、楽しい訪問になるはずだ。……たぶん、おそらく。
「行くのは構いませんが、そろそろカリナの原稿が上がってくるので、それを校閲してからですね」
「ただでさえ忙しいのに君は何をしてるの……そう言えば、義姉上がカリナの本の愛読者みたいだよ」
「アラセリ様が?」
レジェスもたまに読んでいるが、兄嫁はレジェスの婚約者の妹の愛読者であった。そのうち、サインが欲しいとか言い出すかもしれない。
「なるほど。貢物……ではなく、手土産の一つは決まりましたね」
「しっかり貢物って言ってたけど、君、貢物系は取り締まる側だからね」
思わずツッコミを入れてしまったが、フィロメナなら金に物を言わせなくても、自分に都合の良い未来の一つや二つ、引き寄せるだろう。どうやら彼の婚約者は本当に優秀らしいので。
さて、あまりゆっくりし過ぎるわけにもいかない。二人は宮廷内の待機者だ。何か……何もないかもしれないが、何かあれば対応しなければならない。フィロメナはともかく、医者であるレジェスの元へは誰かが来るかもしれない。
食堂を出たレジェスは別れ際にフィロメナの肩をつかんで顔を上向かせた。フィロメナが見上げなければならないくらいの身長差はあるが、上向かせるには少し足りない。
白い頬に口づける。不意を突かれたように目を閉じたフィロメナだが、離れていくレジェスをじっと見ていた。その様子に、レジェスは微笑む。
「期待した?」
フィロメナは首を左右に振る。質問の意図が理解できなかったわけではないだろう。彼女はすぐに回答を翻した。
「嘘です。ちょっと期待しました」
その答えを聞いた瞬間、レジェスはフィロメナの唇に口づけた。触れるだけのキス。ゆっくりと唇を離すと、きょとんとした表情のフィロメナの顔が目に入った。しかし、さすがと言うか、すぐに正気を取り戻したらしく、両手で顔を覆ってそむけた。赤くなり、恥ずかしがっているのがわかる。
何だろう。この可愛い生き物は。
むくむくと嗜虐心が湧き上がるが、こんなことをしている場合ではない。ここに第三者がいれば「いちゃつくな」とツッコミを入れただろう。
「……あの、戻ります」
「……そうだね」
ちょっと気まずい。
診療室に戻り、診療録の整理をしていると近衛が顔を出した。ちなみに兄ではない。
「レジェスさん、いる?」
「はーい。どうかしました?」
レジェスが奥から顔を出すと、近衛は「やっぱり似てないよなぁ」とつぶやいてから言った。
「妃殿下が体調不良を訴えられている。たぶん大丈夫とのことだが、一応診てもらえるか?」
「わかりました。今行きます」
診療鞄を持って出かける。王族のプライベートスペースに入ることは、レジェスもめったにない。総合内科診療医は珍しいが、広く浅い知識があるということだ。王族にはもっと高度な専門知識を持つ医師が付くことが多い。たいてい宮廷医が控えているが、年始なので不在なのかもしれない。
「こんにちは。診ていただくのは初めてね」
「よろしくお願いします」
ソファに深く腰掛けたミレイア王太子妃とは面識があるが、レジェスは医師として接したことは無い。今回が初めてだ。
「ごめんなさい。ちょっと熱があるだけなんだけど」
「いえ。用心するに越したことはありません。妃殿下は妊娠されていますし」
妊婦は気にしすぎてちょうどいいくらいだ。しかも、ミレイアが身ごもっているのは王太子の子だ。王族だ。慎重になって当然だ。
本人の申告通り、微熱があるだけだ。脈も少し早いが正常、呼吸も落ち着いている。
「大丈夫そうですね。しかし、妊娠中はあまり薬を飲まない方がいいので、今日明日は安静にしていた方がいいでしょう」
「わかったわ。ところで、好奇心なのだけど」
ミレイアが小首をかしげる。
「婚約者さんとはどう?」
「妃殿下」
侍女がたしなめるようにミレイアを呼んだが、彼女は肩をすくめただけであまり悪びれているようには見えなかった。
「まあ、仲はいいですよ」
当たり障りなく答える。ふ~ん、と不満そうなミレイアは流れるような口調で言う。
「フィロメナは押しに弱いわ」
面倒見が良いゆえだろう。レジェスはミレイアの何気ない口調に釣られるように「知っています」と答えたが、すぐにしまった、とばかりに顔をしかめた。あからさまではなかったが、表情はこわばっただろう。
「押したことはあるのね。ちょっと安心したわ」
したことがあるどころか、数時間前に実行済みである。顔をこわばらせているレジェスに、ミレイアが微笑んだ。
「わたくしの親友のことをよろしくね」
「……承りました」
と言う以外に、何と答えればよかったのだろう。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。




