episode14
フィロメナ視点に戻りつつ、蛇足的な話をば。
フィロメナが忙しいのは、社交シーズンが終わり次第、異動することが決まっているからだった。異動先は法務省司法局。治安管理局と密接な関係にある部署なので、所管業務は少しなら把握している。
何故彼女が異動になるかと言うと、フィロメナが来年の春を以て爵位を継ぐことが決定したからだ。伯爵となる人物を下っ端官僚のままにしておくことはできず、異動の上昇進となるのだそうだ。
晴れて婚約者となったレジェスに異動になるので忙しい、と言う旨を話すと、彼は「ああ」と何やら納得した表情を浮かべて言った。
「きっと、あと少なくとも財務省と宰相府には行かされると思うよ」
「何の予言ですかそれ」
眉をひそめて首をかしげると、彼はフィロメナの髪をもてあそびながら言ったものだ。
「フィル、王太子殿下御夫妻と同級生だと言っただろう? きっと、殿下は君を側近としておきたいはずだ」
「私、側近になれるほどの能力は無いんですけど」
首をかしげるが、レジェスには苦笑されるだけだった。フィロメナは「なんですか?」と尋ねるも答えてもらえなかった。
話を戻して、異動になるという話である。異動するということは、机を片づけなければならないし、引継ぎもしなければならない。まだ時間があると思っている間にもうすぐ社交シーズンの終了である。
「お前がいなくなると仕事が滞るな……」
局長が残念そうに言った。フィロメナは「もう少しいますけどね」と苦笑を浮かべる。
「そんなに私、処理能力高くはなかったと思うんですが」
「自覚なしかぁ。仕事振るのもうまかったし」
しみじみと言う局長であるが、フィロメナはやっぱりよくわからない。
「それよりお前、最近綺麗になったんじゃないか?」
「セクハラです」
一瞬で断じた。局長は「褒めただけだろ!」と半泣きだが、「セクハラは親告罪です」と法学部出身の局員が言った。局内が笑い声に包まれる。
「でも、女の子は恋をするときれいになるんですよ」
笑って言ったのは一般事務員の女の子だ。カリナと同じくらいの年なので、フィロメナも何となく面倒を見てしまったりする。
「でもでも、行かないでほしいですぅ」
「はいはい」
こちらも半泣きで言う彼女に、フィロメナは苦笑を浮かべた。そこに、「御くつろぎのところすみませーん」と公安局から声がかかった。嫌味だ。確かに雑談をしていたけど。
公安局員を招き入れる。最後の仕事だ! とフィロメナは彼の話を聞くことになった。
「いや、そこまで意気込むことではないのですが……南部の治安についての話で」
公安局員が呆れたように言った。南部は、以前から治安が悪くなってきていたところだ。地方局から報告は上がってきているが、王都から距離があるため、直接手を出せないで、今に至る。
公安局が気にしだしたということは、何か治安管理局の管轄下の業務に手を入れられる可能性が高い。
「もしかして、密入国でもありましたか」
「……密入国ではなく、密貿易だが」
おしい。ちょっと外れた。フィロメナはてきぱきと尋ねた。
「それで、何が流出しているのですか? それとも、入ってきているのでしょうか」
「……両方だ」
公安局員が「何だこの女」とでもいうようにフィロメナを眺めた。フィロメナはニコリと彼に微笑んだ。局長は既に聞いているだけである。
「何がご入り用ですか。物によっては、しばらく時間をいただくことになりますが」
「……では、武器の保有記録と、これまでの麻薬に関するものの売買記録を」
「わかりました。少し時間がかかりますけど、後で公安局に届けましょうか」
膨大な量になるのでそう提案すると、待つ、と言われた。フィロメナは「わかりました」と微笑んだが、表情筋がぴくっとしていた。
局長にも手伝ってもらいつつ、部下と一緒に記録を引っ張り出し、何とか一時間半ほどでご退室いただいた。
「後付け決裁、嫌なのですが」
「急ぎなんだろう。何なら、向こうの局長に文句を言ってくる?」
「それはやめてください」
このような状態が続くようなら何とかしてほしいが、いちいち目くじらを立てるのは身が持たない。と言うのを、フィロメナは父の一件で学んでいた。
「でも、どうして密貿易で武器と薬なんですか」
フィロメナと一緒にテーブルを片づけていた部下が尋ねた。フィロメナが手を止めずに言った。
「どちらも戦争とは縁が切れないものだね。もともと、南部の港は隣の大陸に近く、治安が悪いけど」
「……つまり、向こうの大陸では戦争が起こりそうだってことですか?」
「向こうの大陸かはわからないけどね。一度別大陸を経由して、こちらの大陸の国に戻ってくるのかもしれない。おそらく、おおっぴらにうちと取引をできない国が、それらを欲しているのだろうね」
フィロメナに言われて、部下の青年の脳裏に、いくつかの国名がリストアップされたことだろう。
「……うちは戦争に巻き込まれたりしないんですか」
「巻き込まれないように、公安局が動いてるんだよ。でも、それよりも問題は麻薬だね」
「どっちも外に出してるんですよね?」
部下の言葉に、フィロメナは「そうだね」とうなずく。
「まあ、集めた分すべてが密輸出されているわけではないだろうね。麻薬とかは絶対に使われているよ。それなら、最近南部の治安が悪いのもうなずける」
「支払われた金も調べたほうがいいだろうな」
局長が自分の席に戻りながら通りすがりに言った。フィロメナが苦笑する。
「それも公安局の仕事ですね。宰相府か財務省にいれば情報が聞けたかもしれませんけど」
治安管理局も全くかかわりがないわけではないが、解決してから話を聞くことになりそうだ。そのころにはフィロメナは法務省に異動している可能性がある。
「武器もだけど、一番厄介なのは麻薬かもしれないね。最近のものは依存性が強いんだって」
フィロメナも書類を持って席に戻りながら言った。先ほどの事務の女性がからかうように言った。
「それって、フィロメナさんの婚約者様から聞いたんですか?」
直球の問いにフィロメナは視線を逸らした。こちらもあからさまな反応に、事務の女性が立ち上がる。
「フィロメナさん、可愛い!」
抱き着いてもいいですか、と彼女はテンションが高かった。そして、返事をもらう前に抱き着いていた。それをふらつきながらも受け止め、フィロメナは頭を撫でた。
「フィロメナ、お前ちょろいぞ」
「年下の女の子に弱い自覚はあります」
見た目通りの青年のようなことを言うフィロメナであった。妹が四人いるので、実際に年下の娘に弱いのである。
「お前、その性格が自分のことを追い詰めたことわかってるか?」
先輩官吏に言われてフィロメナは事務の女性を引き離しながら首をかしげた。
「まあ、同じことを言われたことはあります」
「婚約者にか?」
今度は局長だ。フィロメナは振り返り、全体を見渡して言った。
「あのですね。さっきからなんですか。私が婚約したことがそんなにおかしいですか?」
全力でからかってくる同僚たちに、フィロメナが言った。彼らは平然と言ってのけた。
「おかしくはないな。ただ、どちらかと言うと颯爽としているお前が、婚約者の話をしている時だけ女性らしく見えるのが珍しいだけだ」
「……」
そんなに表情が違うだろうか。まあ、自分がレジェスに対するときだけ心もちが違う自覚はある。
同僚たちも、もうすぐ彼女が異動になるため、彼女がいる間にいろいろとからかいたいのだろうと思った。
「……まあいいですけど」
フィロメナはため息をついて席についた。気のいい人たちであるが、気安いがゆえに起こることでもあった。
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