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story08










「なあお前、フィロメナ女史を口説き落としたって本当か?」


 ずずっと鼻をすすりながら言ったのはテオバルドだ。コルベール医師に『レジェスはフィロメナが好きだ』とか言った官僚である。テオバルドの言葉は否定しようもないが、何故言ったのか理解に苦しむ。


「……どこから聞いてきたのかはわからないけど、口説き落としてはいないよ」


 口説きはしたが。一緒にチーズケーキを食べにいったあと、ストレートに「お付き合いしてください」まで言ったのだが、彼女からの返事はまだもらっていない。

 まあ彼女からは嫌われてはいないと思うので、彼女の中でどう折り合いがつくか、だ。チーズケーキの時もちゃんと返答があったので、しばらく待ってみようと思う。

 待ってみようと思ったのだが、何故かその噂の広まりは早かった。テオバルドは仲のいい友人にはよくしゃべるが、無責任に話を広めるようなことはしない。と言うか、そもそも目抜き通りに近い店の前でやり取りをしていたレジェスとフィロメナなので、目撃者が多かったのだろう。気づけば、レジェスは王都のマルチェナ伯爵邸にいた。


「……え、何この状況」


 目の前にはマルチェナ伯爵たる父アロンソと母のロシータ。さらに兄のカミロまでいる。兄嫁とその息子はいないが、ほぼ家族がそろっていた。

「お前とアルレオラ伯爵家の長女の縁談が調った。喜べ」

「……いや、今喜ぶ要素が一つもなかったんだけど」

 思わず父にツッコミを入れるレジェスだった。あら、とロシータが首をかしげる。

「あなた、フィロメナ嬢のことが好きなんでしょう?」

「そうだけど、そうじゃなくて」

 何故先に手をまわしてしまうのか。気長に待とうと思っていたところだったのに。

「あなたに任せたら進行がカメ並みに遅いでしょう」

「……ひ、否定はしないけど」

 かといってこの行動力……噂を聞いてアルレオラ伯爵にすぐに申し入れをしたのだろうか。二十七にもなって親に縁談を調えられるとは。

「え、つまり、向こうも受け入れたってこと?」

 縁談が調ったということはアルレオラ伯爵家側も同意したということだ。フィロメナならレジェスに直接話に来るだろう。だが、それもなかった。と言うことは、現アルレオラ伯爵が勝手に決めたのだろうか。それはそれでフィロメナがまた怒りそうだ。

「そうだな。フィロメナ嬢も受け入れたと聞いたぞ」

「……」

 どういうことだろう。フィロメナが自分の父親に縁談を持ってこられたとしたら、必ず反発すると思われるのだが。反抗期と言うか、レジェスの見る限り同族嫌悪に近いのではないだろうか。


 まあ、真相はフィロメナに確認しよう。どちらにしろ、彼女と話をしなければならないだろうし。


「しかし、頭のいい娘だな……根回しが完璧だった」


 しみじみと言う父に、やはりフィロメナ自身が決めて、了承したような気がするレジェスであった。彼女ならてきぱきと、それこそ片手間に処理を済ませるだろう。良く考えれば、今のアルレオラ伯爵家では、長女が最高権力者である。

「わかり、ました。願ってもないことだし、僕は構わないけど……」

「よし。ならお前からもフィロメナ嬢には話をしておけよ。……これで、お前が孤独死するんじゃないかと心配しなくて済むわけか」

「父上……そんなこと心配してたんだ……」

 しかしまあ、ありえなくはない。この屋敷を出たレジェスは、現在王都で一人暮らしである。一人暮らしであるということは、家で突然死してもなかなか見つけられないということだ。医学会でもたまに議題に上る。

 マルチェナ伯爵家は、多くの騎士を輩出した家系である。レジェスの兄カミロがまさしくそうだし、父アロンソももともとは国軍の将軍である。

 当然、レジェスもそのように教育を受けたが、彼はあっさりと自分の力に見切りをつけ、医学の道を進んだ。彼は体を使うよりも頭を使うことの方が好きだった。


 まあ、何が言いたいかと言うと、父はどちらかと言うと肉体派であるが、別に頭が悪いわけではない。しかし、考える観点がちょっとずれているな、と思っただけなのだ。

「アルレオラ女史が義妹になるわけか。お義兄様と呼んでもらおうかな」

 カミロがそんなことを言いだす。母ロシータも「いいんじゃないかしら」と微笑んでいる。まあ、長女のフィロメナなら喜んで『兄』と呼んでくれるような気もするが、彼女の性格上、『お義兄様』ではなく、『義兄上』になる気がした。


 妙にテンションの高い家族から解放された二日後、レジェスはフィロメナと対面していた。彼女は忙しいようで手に資料を抱えていたが、その途中でレジェスのいる医務室を訪ねてきた。

「こんにちは、先生」

「こんにちは、フィロメナさん」

 本当に朗らかに笑うようになった。そう思いながら笑みを返す。顔色も悪くない。体格は……細いままだが、以前のような不健康そうな様子はない。

「調子も良さそうですね」

「おかげさまで」

 フィロメナに座るように勧め、彼女は椅子に腰かけると資料を籠の中に入れた。本来は上着などを入れるために置いている籠である。向かい合わせに座ったレジェスは、まず彼女の診察をした。

「……会うたびに診られている気がします」

「フィロメナさんはちょっと過保護なくらいでちょうどいいんです。はい、大丈夫そうですね」

 おそらく、彼女はそんなに体が強くない。アルレオラ伯爵夫人も体が弱いが、娘のフィロメナもその傾向があるだろうと思われた。単純に過労状態が続いて免疫力が落ちているだけの可能性もあるが、用心するに越したことは無い。


「もし先生と結婚したら、毎日診察されるんでしょうか」

「いや、毎日はしないですけど……フィロメナさん、僕との婚約に同意したって本当ですか?」


 二人とも仕事途中なので、早めに用件を済ませようとレジェスは尋ねた。フィロメナも察したようでうなずく。

「そうですね」

「……一応確認しますが、フィロメナさんの意志ですよね? 伯爵に強要されたとかではなく」

「私の意志です。私が父に言われて、素直に聞くと思いますか?」

「……そうですね……」

 にっこり笑って言うことではないと思うが、吹っ切れたフィロメナはさばさばしていた。時折メイドが「颯爽としていてかっこいい」と言っていたが、ちょっとわかる。

「ええっと。マルチェナ伯爵からお話をいただいて、面倒だったのですべて手続きをそろえてしまったのですが……その様子だと、先生のところに事前相談はなかったわけですね?」

「御見込みの通り」

「それは申し訳ありません……いろいろ端折ってしまいましたが、私の答えです。どうやら、私も先生のことが好きなようです。一緒にいてくれますか?」

「君が望むなら」

 レジェスがうなずくと、フィロメナは「良かった」とほっとしたように言った。

「いろいろ手をまわしてしまったので、断られたら後処理が面倒だなって」

「うん、まあ……でも、先に好きだと言ったのは僕ですからね」

 そこを思い出してほしい。つまり、レジェスが『否』という可能性はほぼ皆無だったわけだ。

 しかし、無自覚に外堀を埋めてしまうとは、無自覚な天才恐るべし。

「ところでフィロメナさん」

「はい」

 資料を取り上げようとしていたフィロメナが顔を上げる。レジェスはその手を取って言った。


「フィルと呼んでもいいですか?」


 フィルはフィロメナの愛称だ。彼女は「はい」と嬉しそうに微笑む。それからもうひとつ。

「僕も善処しますが、この他人行儀な口調、やめない?」

 砕けた調子で言うと、フィロメナが「そうですねぇ」とうなずいたがすでに敬語である。

「一つ問題があるのですが」

「何?」

「今、敬語で隠れてますが、私、結構口が悪くて」

 そんな彼女に、レジェスは笑った。

「大丈夫、知ってる。君の伯爵に対する態度も見てるからね」

「そうでした!」

 なので、口が悪いというのは今更で、別にレジェスはフィロメナが上品だから好きになったわけではなく、優しい性根とか、放っておけないところとかが好きなわけだ。多少口が悪いくらいでは揺るがない。

「僕も問題があって」

「先生が腹黒いということですか?」

「……気づいてたんだ」

 自覚がある程度には、レジェスは腹黒かった。まあ、本物の腹黒に比べたら可愛らしいレベルだと思うが。

「伊達に官僚なわけではありません」

「これは怖い」

 レジェスもたまに言われるが、全て見透かされそうだ。


 レジェスはつかんでいたフィロメナの手を引っ張った。力のかかるままに彼女は立ち上がり、レジェスも立ち上がるとフィロメナをそっと抱きしめた。初めて抱きしめる彼女の体は、やはり細い。

「……先生?」

 彼女の声は落ち着いて聞こえたが、かすかに震えているようにも聞こえた。そんな声を出させているのが自分だということがうれしい。

「フィルは名前で呼んでくれないの?」

「えっと……レジェス?」

 はにかむようなフィロメナの頬に口づけ、レジェスは彼女を解放した。

「ごめん。引き留めてしまった」

「い、いえ。それでは失礼します」

 顔を伏せるようにして資料を抱えて医務室を出て行ったフィロメナに、嫌われたかな、と少し焦ったが、彼女の耳が赤くなっていたので照れていただけだとわかった。そして、彼女が出て行ってしばらくしてからふと思った。


「ずいぶん忙しそうだけど、何かあるのかな?」









ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


フィロメナにとっては、自分の婚約を整えるのもただの事務作業。

夢も希望もない……愛はあるかもしれないけど。


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