story07
このあたりから、フィロメナ視点の先になっていきます。
とりあえず、気分を切り替えるために薬草でも摘みに行こうと思った。兄に指摘されて、自分が本当にフィロメナを好いていると思い知り、ため息をつく。温室でいくつか薬草を摘んだ彼は、ふと、この辺りでフィロメナと初めて会ったのだと思いだした。もう二ヶ月ほど前の話だ。
あの時は、彼女を好きになるとは思わなかった。ずいぶん顔色が悪かったので、とにかく心配だった。きれいな顔立ちをしているとは思ったが、医者としての視点が先に来ていた。
しっかり者で優秀であるがゆえに追い詰められていった彼女。元気そうにしているのを見ると、ほっとするのと同時にまた無理をしないだろうかと不安になる。
回廊の外壁に寄りかかって座りこんだ。兄の言う通りかもしれない。もやもやするくらいなら、当たって砕けるくらいはしてみればいいのかもしれない。
「……何してるんですか、先生」
声がかかり、見上げると官僚の制服を着たフィロメナが覗き込んでいた。書庫に向かう時、この回廊を使うのだろう。レジェスは緩く微笑む。
「ああ、こんにちは、フィロメナさん。今日も調子がよさそうですね」
「……おかげさまで」
体調を尋ねてくるレジェスに、フィロメナは微妙な表情をしていた。会うたびに聞くからだろう。まあ、返事を待つまでもなく、フィロメナはこれまで目にした中で一番元気そうではある。
立ち上がろうとしたのだが、その前にフィロメナが隣に座りこんだ。立ち上がる機会を逸し、そのままフィロメナと会話を始めた。
やはり彼女は、あまり結婚する気がないようだった。顔がいい以外に取り柄はない、と言う。それ以外にもいろいろとあると思うが、まあ、一部のプライドの高い貴族男性にはモテないだろうな、とは思う。フィロメナと結婚すればその夫に爵位がいく、とかなら別だろうが。アルレオラ伯爵家はフィロメナが継ぐので爵位が手に入る、といううまみもない。
つい余計なことまで口にしてしまった。不細工ではないが美形でもないレジェスは、世の中顔立ちが整っている方が得だな、と思うことが多い。フィロメナは自虐的なレジェスの顔をじっと覗き込んだ。思わずレジェスも見つめ返す。
こうしてみると、フィロメナは本当に美人だった。兄が言っていたことも少しわかる。やつれ気味だった顔が生き生きとしているので、きれいに見えるのだ。朗らかな様子を見せる彼女を見て、もともとは明朗な性格なのだろうな、と思った。
「先生は結構整った顔をしていると思いますけど。それに、先生の声は穏やかで落ち着くので、私は好きです」
さらにそんなことを言われて、レジェスは反応に困ってしまった。とりあえず、礼は言っておいた。
フィロメナは本気で自分一人だと危険だ、と気づいたようで、住み込みで働ける優秀な女性を知らないか、と聞いてきた。女医の中に喜んで飛びつきそうな人はいるが、フィロメナを止められるかは不明だ。
「カリナ嬢に言われたんですね。お互い、大変ですね……いえ。兄弟に心配をかけているのはわかってるんですけど」
カミロは面白がっているだけだが、カリナは姉のことを本気で心配している。彼女、フィロメナが大丈夫だ、とわかるまで結婚しないんじゃないだろうか、とすら思う。フィロメナが苦笑を浮かべた。
「ですねぇ。先生、いっそ私と結婚してくれませんか。先生の言うことなら、私、聞けそうですし」
意味を理解するのに少し時間がかかったが、プロポーズまがいのことをされたことに気が付き、レジェスはどきっとした。恐る恐る口を開く。
「……フィロメナさん、それ、わかって言ってます?」
「はい?」
小首を傾げられた。まあ、わかっていないだろう。レジェスだって本当に本気なのだ、と気づいたのはさっきだし。レジェスはやけくそ気味に笑った。
「あ、はは。まあ僕も、フィロメナさんみたいな頭が良くて優しい人を奥さんに出来たらうれしいですけど」
何が彼女の琴線に触れたのかわからないが、フィロメナは目を見開いて機能停止した。もしかしてこれは脈があるのだろうか?
「……そう言えば、チーズケーキの店なんですけど」
フィロメナは切り替えが早かった。機能停止は一瞬だけで、すぐに話が再開された。
「五日後なら休みなんですけど、もっと先の方がいいですか?」
おそらく、直近の休日だろう。レジェスは五日後の予定を思い浮かべる。午前中は何かの会議が入っていた気がするが。
「私も午後から休みですね。一緒に行きますか?」
「はい」
にこりとフィロメナが笑った。朗らかに言われて、以前の彼女が精神的に追い詰められているとわかっていたはずのレジェスも少し驚く。よほど押さえつけられていたようだ。だがまあ、妹たちに見せていた穏やかな顔を思い出せば、こんなものなのかもしれない。
集合場所と集合時間を決めて、その場は別れた。沈んでいたはずの気分は浮上しており、自分でも大概現金だな、とあきれる。
約束の日、集合場所にした宮殿前の噴水でレジェスはフィロメナを待っていた。
「すみません! お待たせしました!」
彼女はなぜか宮殿の方から出てきた。いや、レジェスもさっきまで中にいたけど。
「そんなに待ってませんが……仕事をしていたんですか」
休みだったはずでは? そう思って尋ねると、フィロメナは苦笑して答えた。
「いえ……急に呼び出されまして」
困ったように笑うフィロメナは、良く言えば面倒見が良い。別の言い方をすれば……。
「フィロメナさん、頼まれたら、断れないタイプの人ですか?」
「……ふふっ」
慣れない感じの笑みまで浮かべてごまかそうとしていた。そうなのか……。頼まれたら断れないし、できてしまうのもある意味良くないのだろう。できるだろう、と言うことでまた頼まれるのだ。ある意味悪循環。いや、仕事ができるのは決して悪いことではないが。
宮廷関係のことはカリナでも止めようがないか、とレジェスは苦笑した。
「まあ、一旦忘れていきましょうか」
レジェスが言うと、フィロメナは目をしばたたかせた後うなずいた。
王都の目抜き通りから一本入った路地。そこに、おいしいチーズケーキを出すカフェがあった。わかっていたからレジェスも入りづらかったのだが、女性客とカップル客が多い。フィロメナも気づいているだろうが、特に何も言わずに店に入って席に着く。
「どれにしましょう?」
メニューを眺めてフィロメナが眉をひそめた。悩んでいるのだ。一口にチーズケーキと言っても、いくつか種類がある。大きく分けただけでも、ベイクドチーズケーキ、スフレチーズケーキ、レアチーズケーキがある。
「別々のものを注文して、シェアしましょうか。全種類食べて見たければ、ここはテイクアウトもできますし」
「……そうですね。なら……」
フィロメナがうなずき、レアチーズケーキを選んだ。レジェスはベイクドチーズケーキ。飲み物にはコーヒーを注文する。
目の前に置かれたレアチーズケーキをフォークですくい、口に含むフィロメナを見て、レジェスは相好を崩した。ストレスのあまり摂食障害気味だったはずだが、ちゃんと食べられていることにほっとしたのだ。
「なんですか?」
じっと見ていたので、不審がられたらしい。レジェスは困ったように笑った。
「いえ、可愛らしいな、と思って」
事実ではある。フィロメナは少し驚いたように目を見開いたが、すぐにくすくすと笑った。
「お世辞でもうれしいものですね」
お世辞ではなく、本当にそう思ったのだが。何となく定番の勘違いに、レジェスはなんと言えばいいかわからず、ベイクドチーズケーキを口に含んだ。おそらく、どちらかと言うときれい系の彼女は、可愛いと言われることがあまりなかったのだろうな、と思った。
レジェスも自分のケーキをフィロメナに食べさせたし、フィロメナのケーキも少しもらった。評判通り、おいしかった。会計をどちらが持つかで少しもめたが、レジェスが持つことで話が付いた。フィロメナが妹たちにお土産を購入するので、折れてもらったのである。
「ありがとうございました。デートみたいで楽しかったです」
フィロメナがにっこり笑って言った。その朗らかな様子にレジェスも微笑む。
「こちらこそ、ありがとうございました。またお誘いしてもいいですか?」
「心配しなくても、ちゃんと食事はとります」
頭のいい女性なのに、斜め上に読解されて、レジェスは苦笑した。
「そうではなくて、あなたのことが好きだから誘うんです」
その口で『デートみたい』と言ったのに、どうしてか驚かれた。まあ、驚いた顔もかわいらしかったのでよしとした。
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