episode02
本日二話目!
これが本日最後の投稿です。
ゆっくりと意識が浮上し、それに合わせてフィロメナは目を開いた。見なれない天井を見上げており、彼女は二・三度瞬きした。意識がはっきりするのを待ってゆっくりと起き上がる。
「ああ、目が覚めました?」
穏やかな男性の声がかかり、フィロメナはそちらを見た。アッシュブラウンの髪の男性が微笑んでいた。整ってはいるがあまり特徴のない顔立ちの男性だ。眼鏡をかけており、その奥でグレーの瞳が優しげに細められていた。
「僕は王立医学薬学研究所所属の医師でレジェス・マルチェナ。よろしく」
「……内務省治安管理局フィロメナ・アルレオラです」
レジェス医師は椅子に後ろ向きに座り、背もたれに両腕を乗せてそこに顎を乗せた。
「いや、突然倒れるからびっくりしました。ひとまず医務室に運びましたが、寝不足?」
穏やかに、だが鋭く指摘された。フィロメナは「わかりますか」と答えた。下手に嘘をつくとばれそうな気がした。とりあえず、意識を失った彼女を、彼が助けてくれたらしい。
「……とりあえず、ありがとうございました」
そう言って、フィロメナは仕事に戻ろうとするが、立ち上がろうとした彼女の肩を、レジェス医師が前からぽん、と押した。フィロメナはそのままベッドに座りこむことになった。
「なんですか」
「もう少しくらい休んでいってもかまわないでしょう。少し診察させてください」
「え」
フィロメナはいいと言わなかったのだが、レジェス医師は構わず彼女の頬に手を当て、目を覗き込んだ。まぶたの裏をのぞかれ、脈を計られる。彼はうーん、とうなった。
「顔色が悪いですね。寝不足だけでなく、貧血もあるのでしょうか? 食事はちゃんととれていますか? 医師としては、もう少し太ることを推奨するんですが」
「家系的に長身痩躯なんですが」
「そうだとしても、もう少し食事に気を付けて、夜はよく眠ったほうがいいですよ。若いからって無理してると、急に体調を崩したりするので」
「……」
フィロメナは答えなかった。はい、と言うことは簡単だが、たぶん守れないと思ったのだ。それに気づいたのか、レジェス医師はため息をつくと、言った。
「ひとまず、仕事に戻る前に何か食べていきなさい。おそらく、栄養失調もあるでしょうから」
「栄養失調……」
食うに困っているわけではないのに、栄養失調。しかし、ちょっと自覚のあるフィロメナだった。そして、急にはっとした。
「今、何時ですか!? 会議が!」
「会議? 時間は午後一時ですが」
「ああ……」
フィロメナは十二時前に部屋を出たので、一時間近く眠っていたことになる。会議は二時からだ。
「すみません。準備に戻らなければ……」
「それは医師として推奨できません」
立ち上がろうとしたフィロメナの肩を押さえ、レジェス医師は笑みをひっこめて真剣な顔で言った。
「一応内務省には伝えてあるので、少なくともちゃんと食べてから準備に行ってください」
「……」
会議は二時からなのだが。あと一時間しかない。だが、レジェス医師は真剣だった。フィロメナも自分が不調である自覚はあったので、レジェス医師の言葉が正しかろうとわかる。
「わかり、ました」
「よろしい」
レジェス医師は微笑むと、自分とフィロメナの分の昼食を用意し始めた。と言っても、スープを温め、パンとサラダと温かいお茶を提供したに過ぎないが。
「仕事が忙しいんですか」
食事をしながらレジェス医師が尋ねた。フィロメナは首をかしげる。
「どうでしょうか。一応定時には帰っているので、むしろ家の仕事が忙しいのかもしれませんが」
そう。フィロメナは仕事は定時にきりあげている。家での方が忙しい疑惑があった。
「そうですか……」
レジェス医師が少し考え込むそぶりを見せた。フィロメナはゆっくりとスープをすすり、パンをちぎる。おなかがすいていたのか、思ったより食べられる。
「フィロメナさん。ざっと診察しただけですが、だいぶ体の調子が悪いですよ。今は大丈夫でも、いつか絶対に倒れます。睡眠と食事は健康を守るために必要です。いくら仕事が大変でも、できるだけ食べて寝てください」
「……わかっては、いるんですが」
何かしていないと不安だ、と言うのもある。アルレオラ伯爵家には、今、フィロメナしかいないのだ。と言うことは、フィロメナは倒れるわけにはいかない。結果的に、レジェス医師の忠告は聞く必要があると言う結論に至った。
「……努力はしてみます」
「……まあ、それでいいでしょう」
強制はできないと思ったのか、レジェス医師も強くは押さずに引いた。とりあえず、ちゃんと食事をとるところから。
「お世話になりました、先生」
お茶を飲み終えたフィロメナは、資料を抱えてレジェス医師に頭を下げた。本当にお世話になった。彼はまだ心配そうにしているが、眼鏡を押し上げて笑みを浮かべた。
「あまり無理をしないように。倒れる前に、医師の診察を受けてください」
「……わかりました。たぶん」
倒れる前兆がわかるかが問題だが。言う人によっては面倒くさい、と思うだろうが、レジェス医師は押し付けがましくないのでフィロメナも割と素直に話を聞ける。実行できるかは別だが。
医務室を出て廊下を歩きだしたフィロメナだが、一度振り返って言った。
「あの、お昼、ごちそうさまでした」
レジェス医師は一瞬きょとんとしたが、すぐに笑った。
「いえ。僕の方こそ、美人さんとご一緒できてうれしかったですよ」
その言いようにフィロメナは少し苦笑を浮かべ、もう一度頭を下げて内務省に戻って行った。
「おお、フィロメナ! 倒れたって連絡があったが」
治安管理局に戻ると、上司がそう声をかけてきた。フィロメナは「そうですね」とうなずく。
「倒れましたよ。ただの寝不足なので、大丈夫です」
少なくとも、フィロメナ自身は眠って食べたらそこそこすっきりして調子がいい。それにしても、上司が知っていると言うことは、レジェス医師は本当に連絡を入れてくれていたようだ。制服の徽章から内務省所属であるとわかっただろうが、配属先と名前まではわからなかっただろう。内務省も広い。だが、女性官僚は少ないので、『内務省のうねった長い金髪の女性』と言うだけでだいぶ絞り込める。そして、ちゃんと伝達が届いている。
ひそかにフィロメナが伝達能力に感心していると、上司は「そうかぁ」とフィロメナの主張に懐疑的だ。
「まだ顔色悪いぞ。会議には……出てもらうほかないが、終わったらそのまま帰って寝ろ」
「はあ、そんなに顔色が悪いですか、私は」
レジェス医師にもかなり心配されたが、普通の人が見てもわかるくらい顔色が悪いのであれば、それはたぶんやっぱり調子が悪いのだろう。
「顔面蒼白だな。クマがすごいぞー。夜、ちゃんと眠れているか?」
「今日は朝、たたき起こされましたが」
「眠れてないんじゃねーの」
上司がツッコミを入れた。そして、やっぱり心配して会議が終わると、フィロメナを追い出すように帰宅させた。
早めに帰宅したフィロメナは、言われたとおり今日は早めに寝ようと伯爵家の仕事を片づけていたのだが、その中に当主のサインが必要なものを見つけて、ため息をついた。フィロメナは当主代理でかなりの裁量権を持っているが、最終決定権はないのだ。
通りかかったメイドに父の行方を聞けば、やはり母のところにいるとのことだった。ついでに母の様子も見て来よう。
母が臥せっている部屋につくと、ノックをして中に入った。メイドの言うとおり、父もそこにいた。
「母上の様子はどう?」
「眠っているが、今日は調子が良いようだ。……フィロメナ、お前ももう少し、ルシアに顔を見せてやってくれ。さみしがっている」
「……そうできればいいのだけどね」
フィロメナは理知的と言われる顔をしかめ、顔も上げずに娘に苦言を呈した父親を見た。明るかった金髪が褪せている。母もずいぶんやつれており、つややかだった亜麻色の髪も力なくそこにあるだけだ。フィロメナと同じ青い瞳は、今は閉じられて見えない。
「父上。領地の運営で、父上のサインがいるところがあるんだけど」
「……後にしてくれ」
「急ぎなんだけど」
「お前はいつも、そんな話ばかりだな」
非難するように父はフィロメナを見たが、彼女も言い返した。
「そう言うなら、私に爵位を譲ってくれない? そうすれば、こんな話をしに来なくなるから」
この状況は、フィロメナに決定権がないから起こっている現象なのだ。彼女が伯爵になれば、必然と父の元へは訪れなくなるだろう。
「そうはいくまい。まだお前の妹たちは小さい。親のいない令嬢にするわけには行くまい……」
「……」
今、まさに同様の状態なんだけど、とはさすがに言わなかった。フィロメナはため息を飲みこむと、もう一度言った。
「とにかく、サインちょうだい。さすがに筆跡をまねるところまで落ちたくはないからね」
何とか父にサインさせ、ちょっと母の顔を覗き込んでからフィロメナは部屋を出た。サインをもらった書類を握りしめ、自分の書斎に戻る。
「やっぱり、一発くらいひっぱたくべきだろうか」
物騒なことを呟きながら、書斎に入って行った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
フィロメナ……おとなしく見せて過激な発言です。