story03
「フィロメナ・アルレオラ女史に会って来たぞ」
「突然何言ってんの、兄上」
久々に帰った王都のマルチェナ伯爵邸で、カミロがそんなことを言うのでレジェスは反射的にツッコミを入れた。カミロはまじめな表情で答えた。
「いや、個人的に話すのが初めてだった、と言うことだ。仕事では何度かかかわったことがあるが、頭のいい人だな」
「まあ、噂には聞いてるけど」
レジェスが見た姿は、できる女なフィロメナではなく、私生活の危ういフィロメナだ。
「噂は八割がた本当だ。……アルレオラ女史は爵位を継ぐ、未婚の女性だな」
「そうだね」
「お前のお見合い相手にどうだ? 美人だし、性格は穏やかだ」
フィロメナを表す表現としては間違っていないが。どこかかたくななところもあると思うレジェスだ。
「……それ、アルレオラ伯爵家に持っていったら、本当に怒るからね」
「いいと思ったんだが……ああ、もしかして自分で口説くのか?」
「うるさい」
レジェスの発言をカミロは照れている、ととらえたらしい。彼はにやっと笑うと言った。
「まあいいんじゃないか。無理なら助太刀するからな、いつでも言ってくれ」
「……わかったから、もう仕事に戻りなよ……」
適当に受け流すことにした。面倒くさい。いや、カミロがレジェスのことを考えてくれているのはわかるし、うれしいが、ちょっとうざい。ちょうど、アルレオラ家とは反対だろうか。
そもそも、レジェスには口説けないだろうと思われていることが気にくわない。いや、口説けないだろうけど。
それはともかくだ。休みの日、レジェスは近くの公園を訪れた。レジェスは写生が趣味で、休日にはこうして出かけて風景画を描いたりする。絵の道に進みたかったが、家族はいい顔をしないし、自分でもそこまでの才能は無いとわかっていたので、レジェスは医者になった。写生は趣味にとどめることにした。
この公園は、池などもあり、家族連れが多い。貴族も普通に訪れるような場所なので、その姉妹がいたことは、別になんら不思議なことではない。
金髪の女の子から女性まで、五人が池の側で遊んでいる。近くに使用人らしき女性もいた。
「こんにちは」
「……こんにちは」
その使用人らしき女性に声をかけると、レジェスは池の側の五人の金髪を見ながら写生を始めた。あまり人物画は描かないのだが、描きたくなるくらい楽しげに遊んでいた。
使用人らしき女性が不審げに見てくるので、レジェスは一応家名を名乗った。信用してくれたかはわからないが、とりあえず引いてくれた。
と、フィロメナがこちらに気が付いたらしい。遊んでいた妹らしい双子をおいて、こちらに向かってくる。レジェスはそんな彼女に微笑んだ。
「どうぞ気になさらず。続けて」
「……さすがに気になるんですが……何してるんですか、レジェス先生」
レジェスもそうだが、フィロメナも私服だった。制服はスラックスな彼女だが、私服は普通にブラウスにスカートだった。シンプルな装いでも美人は美人だった。レジェスは思わず見とれた。
写生に来たのだ、と告げるとフィロメナが絵を覗き込んだ。ついでに変態的な発言をした自覚があるが、フィロメナは何も言わなかった。返答に困っただけかもしれないが。
「やっぱり不審者?」
「姉様知り合い?」
双子らしい女の子たちがやってきて、それぞれフィロメナに左右から抱き着いた。フィロメナが反射的に二人の頭を撫でる。ついでに二人の紹介もしてくれた。
「妹のエリカとモニカです。二人とも、この方は医師のレジェス先生。前に、お世話に……うん。私がお世話になった方。ほら、挨拶」
「エリカです。よろしくお願いします」
「モニカです。姉がお世話になってます」
「ご丁寧にどうも。医学薬学研究所のレジェス・マルチェナです。どうぞよろしく」
微笑んで挨拶すると、双子のエリカとモニカはレジェスを質問攻めにする。
「姉様の恋人?」
「第一印象としては合格」
フィロメナは呆れて「お前たちね……」とツッコミを入れている。そこに、近づいてきた女性の使用人がエリカとモニカを呼んだ。喜んで次姉カリナの方へ向かった。女性使用人がフィロメナに日傘を渡した。フィロメナはその傘を受け取って木の根元の方へ戻ってきた。レジェスは日傘を差す彼女を見て言った。
「心配されてますね」
そう言うと、フィロメナは肩をすくめた。
「日常的なことに関しては、私よりもカリナの方に信用がありますから」
そのカリナの気持ちはわかる気がした。
「まあ、フィロメナさんはそれくらいした方がいいかもしれませんね」
「レジェス先生まで……」
フィロメナが少しむくれた。レジェスはその表情を見て少し目を細めた。フィロメナが尋ねる。
「絵を描くのが趣味なのですね」
「ええ。絵を描いていると落ち着くというか。フィロメナさんはそういうの、ありません?」
レジェスが尋ねると、彼女は少し困ったように首を傾げて言った。
「……特には……。妹たちを見ているとほっとはしますが」
「……そうですか。かわいらしいですからね」
二人そろって、彼女の妹たちを見る。すると、一番年下の妹が先ほど紹介された双子の一方……おそらくエリカと喧嘩していた。
「フィロメナさんは、どうして公園に? 妹さんたちとピクニックですか?」
「ええ……まあ。カリナの提案なんですけど」
少し言いづらそうなフィロメナに、レジェスは首をかしげて優しく尋ねた。
「何かありましたか?」
「……何故ですか?」
「気落ちしているように見えたので」
「……」
フィロメナの表情がわかりやすく曇った。
「僕で良ければ聞きますよ。話すことで、すっきりすることもあります。何より、医師には守秘義務がありますからね」
初期診療を行うレジェスは、特にこういう話を聞くことが多い。じっと見つめると、彼女は口を開いた。
「……少し、父と喧嘩をしてしまって。まあ、私が一方的に騒いだだけなのですが……母が臥せるようになってから、父は伯爵としての仕事を放棄していて……いえ、それはいいんです」
彼女が危惧している、と言ったのは、妹たちが親の愛情を知らずに育つことになることだ。基本的に、人は自分が親にしてもらったことしかできないと言われる。貴族には乳母がつきものなのでその限りではないが、伯爵家くらいになると自分たちで面倒を見ている家も少なくない。
「自分は何もしないくせに、私の話を聞いてくれない、と癇癪を起こしてしまって……。こんな自分が嫌いです」
フィロメナはきっと、正しいことを言っている。レジェスは手を伸ばして、フィロメナの頭を撫でた。
「反省できるだけ、フィロメナさんは偉いですよ。それに、あなたが自分を嫌いでも、僕はフィロメナさんのことが好きです。きっと、妹さんたちも同じように思っていますよ」
何でも一人でやる必要はないのだ。フィロメナは、長女で根がしっかり者だから、抱え込んでしまうのかもしれない。フィロメナが泣きそうな表情で言った。
「……私、私が一番年上だから、妹たちを守らなければと思って」
「うん」
「でも……本当は、あの子たち、もう、私が護ってあげるほど子供じゃないんですよ」
「うん」
「あの子たちはみんな私を助けてくれるんです。わかってるんです。あの子たちを、今の伯爵家から解放してあげたい……でも、勇気が出なくて」
静かに涙を流すフィロメナに、レジェスはハンカチを差し出した。彼女が礼を言ってハンカチを受け取る。
「ありがとうございます」
かすかに微笑むフィロメナの目元をぬぐい、レジェスは目を細めた。
「部外者の僕には涙をぬぐうことくらいしかできませんが、でも、あなたは妹さんたちを愛しているし、妹さんたちもあなたのことを愛している。きっと、彼女たちはあなたが選んだ道なら、一緒についてきてくれますよ」
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