story02
どうやら、フィロメナが酒を口にしたのは、王太子妃ミレイアに勧められたからのようだ。となると、あまり強くは言えない。
またも目の前で倒れたフィロメナを休憩室に運び、心配そうについてきたカリナに話を聞く。
「やっぱり無理をしているんでしょうか」
何か領地で問題が起こっているのだろうか。そう思って尋ねると、カリナは「うーん」とうなった。
「無理をしているのは確かですけど、領地経営とかに関しては、お姉様の処理能力を超えていないはずなんです。ただ、最終的な決定権がお姉様にはないので、無駄に手間がかかっているというか」
たまにある話だな、とレジェスは眉をひそめた。いくらフィロメナが優秀でも、今は跡取りでしかない。爵位を持っているのは彼女らの父。問題によっては、伯爵の指示を仰がなければならない部分もあるだろう。
「お姉様、基本的に穏やかな性格なんですけど、父に対してだけはかたくななんですよねぇ」
「あー……」
やはり、ストレスが原因のような気がする。父親が何もしないことと、妹たちを守らなければと言う感情の板挟みだろう。なまじ能力があるゆえに、他人を頼りがたいのかもしれない。
「かと思ったら、私たちの結婚がどうのとか言って夜会に連れてきたりして……っと、すみません」
途中から愚痴に代わっていたカリナが両手で口元を押さえて口を閉じた。レジェスは苦笑する。
「別に言いませんよ。医者は秘密を守るのも仕事みたいなものですから」
「そうですか……ところで、お姉様は大丈夫なんですか?」
レジェスはフィロメナをざっと診察するが、特に問題は見られない。
「寝不足と栄養失調の上にお酒が入ったから倒れたんでしょうね。お姉さんはお酒に強い?」
「いえ……そんなに。私よりは弱いです」
「じゃあ、それもあるかもしれませんね」
二日酔い用の薬も用意した方がいいだろう。
「ひとまず、そのうち目を覚ますと思います。カリナ嬢は家で、フィロメナさんの睡眠食事を気にかけてもらえるとありがたいですね」
「もちろんですわ」
カリナが頼もしくうなずいた。十代後半にさしかかったくらいだろうが、彼女はしっかり者だ。
レジェスは二日酔いの薬を取りに行くために一度部屋を出た。カリナがいるので、フィロメナが目を覚ましても平気だろう。
水は用意してあったので、薬だけ取って戻ってきたレジェスは、兄のカミロに捕まった。
「レジェス」
「兄上? 王太子殿下についてなくていいの?」
王族の護衛を担う近衛隊の副隊長であるカミロは、王族の側にいることが多い。その日によって、国王の側にいたり王太子の側にいたりするが、今日は王太子の側にいる日だった。
「ああ。妃殿下がご友人を気にしておいでだからな」
「……あー、フィロメナさんね。ただの酒酔いと寝不足だから大丈夫だよ」
一瞬誰のことだろう、と思ったが、カリナから先ほどそのような話を聞いたことを思い出した。
「それはそれで大丈夫なのか」
病気でなかったのはよかったが、少し心配になる理由ではある。確かに。
「それにしても、お前が真っ先に駆け寄った時は驚いた」
にやっと笑って言われ、からかわれるだろうな、とは思っていたが、レジェスは何となく面白くない。
「……僕が一番近かったからね。前に診察したこともあるし」
我ながら苦しい言い訳だな、と思った。カミロも「そうか?」と笑っている。だが、近くにいて気にしていたからすぐに駆け寄れたのは事実だ。
「そろそろ目を覚ますかもしれないので、見てきます」
「ああ。呼びとめて悪いな」
と言う割には、顔がにやついているが。
「……っと、忘れるところだった。レジェス、殿下がお二人の部屋を用意していた。伝えておいてくれ」
「……わかったよ」
兄から伝言を頼まれたレジェスがフィロメナが休んでいる部屋に入ると、彼女はちょうど目を覚ましたところだったようだ。
「あ、先生!」
ベッドの上でうめいている姉を見てうろたえていたカリナがほっとしたように声をあげる。レジェスはカリナと場所を入れ替わる。
「ああ、フィロメナさん、無理に起きちゃだめですよ」
フィロメナの肩を抱いて支える。腕だけでは怪しいので、ベッドに腰掛けて自分に寄りかからせるようにして抱きかかえた。もうろうとしているフィロメナの唇に薬を含ませ、水を飲ませる。本当はもっと水を飲んだ方がいいのだが、飲めない、と言うのであきらめた。無理に飲ませて薬ごと吐かれてはかなわない。レジェスはそっとフィロメナを横たえた。自分もさりげなくベッドから椅子に座りなおす。
鹿爪らしく説教などしてみるが、彼女も反省しているようなのですぐに切り上げた。何となくフィロメナの髪を撫でる。
「カリナ嬢、何かあったら呼んでください。それと、王太子殿下が宮殿に泊まれるように手配してくださったようなので、泊まって行くといいでしょう」
「ありがとうございます」
カリナがにっこり笑ってレジェスに答えた。ひとまず彼は部屋を出る。今暮らしている寮に帰っても良かったが、夜も遅いので泊まることにした。彼は移動手段があるわけではないし、フィロメナのことも気にかかった。
翌日になり、レジェスがフィロメナを見に行くと、彼女の妹カリナは既に起きていた。きちんと着替えており、年の割にしっかり者なのだな、と何となく思った。
「おはようございます、先生」
「おはようございます、カリナ嬢」
レジェスも妹を見るくらいの気持ちで微笑む。立ち上がって場所を譲ったカリナに替わってフィロメナを覗き込むと、レジェスはうなずいた。
「うん。大丈夫そうですね。ただ、日常生活では本当に気を付けてください。フィロメナさんは自覚が薄いようなので、気づいた時には取り返しのつかないことになっていることも考えられます」
「……言って聞くかはわかりませんけど、言っておきます」
「お願いします」
姉妹が言えば少しは違うかも……違わないか。
「そう言えば、父君は?」
「昨日のうちに帰りました。お姉様が倒れたことで気分を害したみたいです」
心配もしないんです、とカリナはぷりぷりと怒る。いわく、母のことはあんなに心配しているのに! とのことらしかった。カリナの父への怒りは正当なものであると感じるが、その怒り方が可愛らしいのだ。
「カリナ嬢は、父君が嫌い?」
「嫌いです。……嘘です。たぶん、本当は好きで、構ってほしくて。でもかなわないとわかっているから腹が立つんです」
母が体調を崩すまでは、一緒に遊んでくれたりしたんです、とカリナは言った。きっと、フィロメナも彼女と似たような感情を抱いているのではないだろうか。期待するから、裏切られたようで傷つく。傷つかないように、心を閉ざし、怒り、腹を立てる。
やはり、アルレオラ伯爵夫人の病を何とかしなければ、フィロメナだけではなく、カリナたちも解放されることは無いのだろう。
「……いっそ、フィロメナさんが爵位を継いだりはしないんですか?」
「姉は何度か父に訴えていましたけど、お姉様も喧嘩腰だから父はうなずかなくて。だからと言って、爵位を奪うほどお姉様も積極的にはなれないみたいです」
よく見ているなぁと思う。当主の責務を果たしていないのなら、裁判所に陳情し、その地位から退かせることができる。
「……まあ、フィロメナさんの性格ならそうなるかもしれませんね」
レジェスが思わず納得したとき、部屋にノックがあった。侍女がレジェスを探しに来たようだ。医務室を開けてほしいのだろう。
「すみません、カリナ嬢。お先に失礼します。もし、目を覚ましたフィロメナさんの調子が良くないようなら、呼んでください。僕は医務室にいるので」
「はい。いろいろとありがとうございました」
「いえいえ。仕事ですし、好きでやったことですから」
レジェスはそう言って自分の医務室に戻った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。