episode12
うぐ…っ。ブックマーク登録が3,000件超えてました…。皆様ありがとうございます。こんなの、初めて…(これなんのセリフだっけ?)
父ウリセスはフィロメナに爵位を譲ると言ったが、事実上、アルレオラ伯爵家の実権はフィロメナが握っていて、何が変るわけでもない。いちいち父の許可を得る必要がなくなるので、フィロメナがちょっと楽になるだけだ。
代わりに降りかかる責任の重さに、気が遠くなるが、それでも心理的にはだいぶ楽になった気がする。レジェス医師も指摘していたが、フィロメナの拒食や睡眠障害はストレスによるものが大きかったようだ。
少なくとも、父が母の元に入り浸らず、ちゃんと帳簿や書類に目を通して仕事をしている! たとえそれが、フィロメナへ爵位を委譲するために必要な仕事なのだとしても、フィロメナは素晴らしいことだと思うのだ。普通って素晴らしい。
ちゃんと眠れるようになったし、食事ものどを通るようになった。まあ、もともと拒食と言うよりはあまり食べられない、と言う方が正しかったのだが、おかげで少し太ってきたのが気にかかる。すぐ下の妹カリナには表情が明るくなった、とも言われた。
ある日、フィロメナは宮殿の医務室を訪れた。レジェス医師がいる王立医学薬学研究所の医務室である。毎日いるわけではないと聞いていたが、運よく彼はいた。
「こんにちは、フィロメナさん。元気そうですね」
「先生、こんにちは。ええ。おかげさまで、何とか」
フィロメナは微笑むと、少し時間はあるか、と彼に尋ねた。
「大丈夫ですよ。どうぞ」
体をよけてフィロメナを中に入れてくれた。医師だから当たり前と言えばそうなのだが、彼はまずフィロメナを診察した。
「だいぶ顔色が良くなりましたね。ちょっと肉もつきました?」
「……太ったと言ってくださって結構です」
「いや、まだやせ過ぎなくらいですよ」
冷静につっこまれてしまった。少し前まで入った服が入らない恐怖なんて、彼にはわからないだろう。確かに少し体重が増えて、以前より体調がいい気がするし、顔色もいいし、少し胸のあたりもふっくらしてきたが。いや、絶壁だったわけではないけど。
「医者としては、もう少し体重を増やすことを推奨しますけどね。適度に運動もするといいかと」
「……わかりました」
ひとまず彼の助言は今のところすべて正しかったので、フィロメナはおとなしくうなずいた。それから、彼は「今日はどうしましたか?」とにこやかに尋ねた。
「聞く順番が逆では?」
「まあ、そうかもしれません」
真剣な顔でそんなことをうそぶくので、フィロメナとレジェス医師はそろってくすくすと笑った。
「先日のお礼をしたくて、伺ったんです」
「先日……って、専門医を紹介した件ですか? よくあることなので別にいいんですけど」
「いえ。それだけじゃなくて……父を説得してくださったことも。あのままでは私、本当に衰弱していたかもしれません」
原因はほぼストレスっぽいが、精神状態と言うのは大切なのだと学んだ。
「いや、それも僕が勝手にしたことですし」
「とりあえず、これがマリベルからです」
話が平行線になりそうなので、フィロメナは袋から封筒を取り出した。便箋を取り出したレジェス医師は微笑む。
「なるほど。受け取らないわけにはいきませんね」
覚えたての文字でありがとうの手紙をつづったマリベルの行いを無下にはできないのだろう。ボートに乗ったのがよほど楽しかったらしい。
「あと、これはエリカとモニカからです」
「……黒い薔薇はエリカ嬢で、チューリップはモニカ嬢ですか?」
「よくわかりましたね」
双子のことはいつも一緒に言ってしまうから、見分けられたのには驚いた。双子からのお礼はハンカチで、それぞれ本人が刺繍したのだ。エリカのものには黒薔薇、モニカのものにはチューリップが刺繍されている。
「いえ、花言葉的にそうかなと」
「先生……教養豊かですね……あと、カリナからはこれです」
さらに差し出したのは一冊の本だ。
「これは、カリナさんが書いているという本では?」
「そうです。発売前の新刊です」
恋愛小説なので、興味ないかもしれませんが、と言い添える。レジェス医師は苦笑気味に受け取った。
「いえ、読んだことがありますが結構面白かったですよ。と言うか、普通に受け取ってしまいましたが、いいんですか?」
「構いません。作者がいいと言っていますから」
フィロメナの言葉に、一応レジェス医師はうなずいた。確かに、発売前のものをもらうのは罪悪感がある。
「みんな、また来てねって言ってます」
「あ、はは。さすがに未婚の令嬢が五人もいる屋敷に仕事でもないのに行くのは、僕も気が引けますよ」
確かに。レジェス医師も独身だった。
「まあ、普通に考えたらそうですよね……あ、これは私からです。すみません。あまり年の近い男性に贈り物をしたことがなくて」
と、フィロメナが差し出したのは王都で流行りの菓子店のマドレーヌだった。どう考えても男性に渡すものではない。
「確かに、男に渡すものっぽくはないですね」
「受け取ってもらえなかったら、自分で食べようと思いまして」
最近は菓子を食べる余裕も出てきた。甘いものは、ストレス極限状態では受け付けなかったのだが。いろいろ悩んで、消えものがいいだろうと思ったのだが、何がいいかわからないし、とりあえず流行ものを買ってきた。
「実は僕、甘いものが結構好きなんですよね……」
「あ、良かった。お納めください」
マドレーヌの紙袋が、レジェス医師の手に渡った。しばらくそれを眺めていた彼は、フィロメナを見て微笑んだ。
「ありがとうございます。ところでフィロメナさん。今度、時間はありますか?」
フィロメナは首をかしげる。
「前よりはだいぶ余裕がありますが」
心労が減ったからか、仕事の効率も良くなっているし。レジェス医師はちょうどいい、とばかりに言った。
「僕とカフェに行きませんか? おいしいチーズケーキを出す店があるんですけど、男一人では行きにくいんですよね……」
「はあ……興味はありますけど、恋人さんと行けばいいのでは?」
フィロメナが首をかしげると、レジェス医師も笑って首をかしげた。
「僕に恋人がいるように見えます?」
「逆にいないんですか?」
「フィロメナさんはいます?」
「いませんけど」
「つまりそう言うことです」
どういうことかはわからないが、とりあえずいないことはわかった。フィロメナがうなずく。
「わかりました。予定がわかったら、連絡しますね」
「お願いします。良かった。うれしいです」
レジェス医師がそう言って笑うので、つられるようにしてフィロメナも笑った。と、医務室の扉がたたかれた。レジェス医師が扉を開けに行く。
「こんにちは、先生。ちょっとフィロメナさん! 早く戻ってきてください!」
「え、何かあった?」
部下の少年に手を引っ張られ、フィロメナが首をかしげる。とりあえず振り返ってレジェス医師に挨拶した。
「すみません、先生。お邪魔しました」
「いえ。ありがとうございました。なんと言うか、無理せず頑張ってくださいね」
微妙に難しいことを言われた。フィロメナはそのまま治安管理局に引っ張って行かれ、みんなが頭を悩ませていた問題を十五分で処理した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
フィロメナ視点はあと1話。