転生悪役令嬢は漫画を描いた、ひたすら描いた
私は描いた、ひらすら描いた。
自分が乙女ゲームの悪役令嬢リディア・カールスとなっていることに気が付き自身の破滅と悲恋を知った時、早くこの熱い思いを愛する王子、ヴェルスに伝えなければとただそれだけの思いで。
階段から転げ落ちて頭を打った衝撃により前世を思い出すという所謂前世の世界でいうテンプレを起こした私は、前世の自分と同化した。同化した記憶によると私はいずれ乙女ゲームとやらの悪役令嬢となり愛する王子ヴェルスに近づくヒロインを陥れようと画策し、様々な悪行を重ねて最後は破滅。愛するヴェルスは私を見限りヒロイン側に付いて共に罪を糾弾。もちろん私が彼の傍に行くことは二度となくなる。
そこまで思い出して私は泣いた。
こんなにも心の底から愛してる人を失うなんて、奪われるなんてそんなことあって欲しくない。
だが記憶はそれが後に真実になるのだと告げている。悪の道に走ってしまえばあるのは破滅のみ、ならどうしたらいい?
私は震える手で、ペンをとった。
恋文を送ろうと思ったのだ。いつもなら恥ずかしくてすました顔で彼の横を通り過ぎてしまうから彼は私が自分を好きなのだと知らないだろう。だからヒロインにとられる前に私の思いを知ってほしいと思ったのだ。
だがいざ書き出そうとすると手が進まない。こんな文字だけで私のこの深い愛は伝わるの?
もっと分かりやすい、そして胸に訴える演出はないものかしら。
考えながら、私はふと自分の手元を見た。
そこには真っ白な紙にひかれた黒い線の落書き。でもそれは見たこともない形をしてる。いや、この世界にはない形で前世の私が良く知る形だ。その線は一つの人物の顔を表している。この世界にある絵姿のような写実的な絵ではない。ほどよく崩してさらに美しく仕上げた――そんな絵だ。
前世の世界でそれは漫画絵という。
前の私は少女漫画家という職業で働いていた。毎月の雑誌に自分の漫画を連載していた人気漫画家だったのだ。私はそこで閃いた。この世界にはない漫画。これにこの思いの丈をぶつけて、王子に渡そうと。
その日から私は漫画を描いた。ひたすら描いた。
一人の悪役令嬢が紡いだ一途な恋物語。それは私と王子の物語だ。漫画は白い紙とペンがあれば描ける。トーンなど便利なものはないけれどそれだけでも形にはなった。
一週間、鬼のような形相でまるでなにかにとりつかれたかのように漫画を描いた私は、ようやくペンを置いた。手も頬も墨で真っ黒だ。だが描けた。私の思いが詰まった漫画が……。
愛の決戦に向かう前に私はお風呂に入り、汚れた体を綺麗に洗い流した。淡く花の香りのする香水もつけて一番のお気に入りの赤いドレスを纏い、化粧もほどこしていざ、決戦の場へ!
私達がはじめて出会った私にとっては思い出の地。万年咲き誇るエーレルの桜の大木、その下で私は一生に一度であろう愛の告白をする。
呼び出したヴェルスは先に来ていた。彼はいつも私を待たせまいと少し早めに来るのだ。そういう気遣いやなところも好きだった。私が来た事に気が付いて彼は振り返った。銀色の絹のようになめらかな髪、長い睫毛に翡翠の瞳の容姿端麗なまさに王子様。優しげな微笑みが唇に浮かんで、私の名を呼んだ。
「リディア」
その言葉がどれだけ私を舞いあがらせるか、あなたが知らないのが悔しいわ。
「こんにちは、私になにか急ぎの用事だって?」
なんだろうと無邪気に笑う、あなたが――――。
すっと、束になった紙を差し出す。それがなにか見当もつかないヴェルスは首を傾げた。私の体が小刻みに震える。緊張でまともにたっていられない。その尋常じゃない私の様子にヴェルスは厳しい目をして紙の束を受け取った。そこになにかあるのだと考えたのだろう。あるのだけれど、それはきっとヴェルスが考えているような危ないことじゃないわ。
紙に目をやったヴェルスは、最初驚いたような顔をしてそれからじっと紙を見詰めるとゆっくりと読み進め始めた。はじめてみた漫画だ、読み方がよく分からないかもしれないが慣れれば特徴が掴める。途中から読むスピードが速くなり、三十分後には私の思いが詰まった漫画を彼は読了した。
私は彼の顔が見られなくなり俯いたまま。
でもしばらくたってもなんの反応もないので、おそるおそる顔を上げてみると――。
彼は、震えていた。
その目から涙をぼろぼろと流し、頬を濡らしていたのだ。
「ヴェ、ヴェルス王子?」
私のもらした声に、ヴェルスはハッとして、そして漫画を握りしめたまま私の肩を強く掴んみ叫んだ。
「神か!!」
…………え?
「こんなに感動した書ははじめてだ! なんていうかこの描かれた令嬢が素晴らしくて、がんばれとこちらが応援したくなるようないじらしさだ。なぜこの令嬢は王子と結ばれないんだ? もしかして続きがあるのか? ならお願いだから描いて欲しい」
私は呆然とした。まさかヴェルスにこんなお願いをされるとは思ってもいなかったのだ。私の思いが詰まったはずの漫画は、彼には私とは別の令嬢のことであると読み取ってしまったらしい。
私の――愛の告白の行方は――。
「ヴェルス王子……」
「なんだい?」
「王子はこの令嬢に結ばれて欲しいのですか?」
「もちろんだとも。これほど一途に恋をする令嬢を放って別の女性の元へいこうだなんて王子はなんと愚かなことか」
――――今は、その言葉だけで十分なのかもしれないと私は思った。
顔にふんわりとした羽付の扇子をあてて、ヴェルスに自分の泣き顔を見せないように必死に隠して、私はいつもの調子で言った。
「ふふ、しかたがありませんわね。王子のご希望通り、その書の続き――描いてさしあげましてよ?」
そんな私にふわりと王子は笑って。
「お願いします、お嬢様」
なんておどけた調子でお辞儀なんてする。私が扇子の裏でくすくす笑い声を漏らせば、彼もまた悪戯が成功したように嬉しそうな顔をした。
「これはもらっておくよ」
と私の思いの丈が詰まった漫画をヴェルスは大事そうに抱くと笑顔のまま立ち去っていった。
桃色の小さな花弁が舞い落ちる。
私の告白は大失敗か、はたまた一つの成功なのか。
分からないけれど。
カールス公爵家の屋敷に戻った私は再び机に向かった。
「私のやることはただ一つ、あの続きを描くことだけ!」
大量の紙と墨を用意した私を見た使用人達が、ちょっと待ってーー!! と泣きながら制止をかけた。
「お嬢様、恋文はもう書き終ったのではないのですか!?」
「ええ、一作目は。でも王子が続きを所望したので描くことにしたのです」
「恋文に続きをご所望!?」
なんですかそれと訳がわからないという顔をする使用人達にくすりと笑った。確かに恋文の続きを所望する殿方なんて今まで誰一人として知らない。でも彼は望んでくれたのだ、この一途に王子を愛する一人の悪役令嬢の幸せを。
しかしどうしましょう。彼女は私をモデルにしているから彼女を幸せにするにはかなりの妄想力を必要とする。ヴェルス王子といちゃいちゃらぶらぶな未来なんて残念ながら想像もできない! 降ってかかるのはあの乙女ゲームのラストの部分。悪役令嬢リディアを断罪し、彼女を闇の底へ叩き落とした後、相思相愛になった王子とヒロインの甘いエピローグ。前世の私は感動で泣いたけれど、私は絶望で泣く。
ヒロインを悪役令嬢にすげ替えても違和感しかわかないし……これじゃない感が漂う。
これは――――連載ものにするしかないわね。
悪役令嬢の一発逆転愛の物語は、乙女ゲームの内容以上に容量がいる。都合のいいことに前世の私は、転生悪役令嬢ものが好きでよくネット小説を読み漁っていた。だから傾向は分かっている。それに私の漫画を取り込んで私なりの物語りとして肉付けしていけば形になるはず。
「お嬢様、事情はそこそこ分かりましたけれどもお体を大事になさってください。この一週間、まともに食事もとっていらっしゃらなかったではないですか」
とても心配そうな顔で使用人達が言うので、私は素直に頷いておいた。確かにここ一週間の鬼っぷりは体が壊れるかと思うほどだ。ヴェルスのことを思い過ぎて暴走していた、反省はするが後悔はしない。
「わかったわ。王子が楽しみに待っていてくれているけど、無理しないように描くから」
その言葉にほっとして使用人は、紅茶を置いて皆立ち去って行った。
私はありがたく紅茶を飲んで一息入れてから腕まくりをし、漫画を描き始めた。
次の日、なぜか第一王子アルフレーゼ殿下から呼び出しがかかった。
弟のヴェルスと違って幼馴染でもないあまりかかわりがなかった王子からの呼び出しに疑問符を浮かべながらも、漫画を描いていて寝不足なまま私は馬車に乗り込み王城へ向かった。
赤い薔薇の庭園の美しい荘厳の城の王城は、『女神の愛した城』と称されるほど大陸では随一を誇る。そんな薔薇の庭園で、ヴェルスと似た銀色の艶やかな髪に長い睫毛の翡翠の瞳を持った長身の美貌の青年、アルフレーゼ殿下が軽く手を上げてやってくる。
「やあ、急に呼び出してすまないリディア嬢」
私を待たせないところは顔と同じで似ているのねと思いながらお辞儀する。
「お会いできて光栄ですわ、アルフレーゼ殿下。しかし、一体どのようなご用件でしょうか?」
庭園のテーブル席につくよう促されて座ると、侍女が香り高い紅茶を淹れてくれた。アルフレーゼ殿下はそれを堪能してから、ゆっくりと口を開く。
「実は昨日弟が大事に抱えていた書を奪って中身を見てしまって」
「え!?」
「いやー、あのいつもは女性に告白されても平然と断るような朴念仁が柄にもなく恋する乙女みたいな赤い顔でいるものだから、どんな熱烈な恋文を貰ったんだと気になってしまって……」
ヴェルスがそんな顔をしていたなんて……。嬉しくて、どきどきと胸が高鳴る。勘違いされてしまったとはいえその熱は確実に伝わっていたようだ。
しかしそれを奪ったなんて、アルフレーゼ殿下は結構な意地悪お兄さんである。
「で、だ。俺は書を読んで最初はその絵と字に混乱したんだが、読み方を得て、慣れてみれば読み進めるほど感動で涙が出てしまってね! 思わずあの令嬢の恋を必死に応援してしまった」
若干興奮したような様子のアルフレーゼ殿下に、私は驚いた。まさか彼にまであの漫画にぶつけた思いの丈を感じ取られるとは……。本来ならヴェルスにのみ読んでもらいたかったものだが、こうなっては仕方のないことだ。少しショックを受けていると、アルフレーゼ殿下は困ったように苦笑を浮かべた。
「ごめんね、リディア嬢。君の思いを盗み見る様なことをして」
「それは……」
「うん、あの悪役令嬢は君だろう?」
どうして、ヴェルスは気づかなくて彼が気づいてしまうのか。
なんだか恥ずかしくて顔を伏せると、ふわりと私の金色の髪の頭に優しい手が降りた。
「あいつは朴念仁だからなー、困ったことに。これだけ一途に愛してくれている人に気付きもしない」
「そうですね……でも素敵な方です」
「なんであいつばっかモテるかなぁ。俺もいい男なのに」
「ふふふ、そうですわね」
あまり気持ちを籠らせずに軽く言うと、アルフレーゼ殿下に大げさに嘆かれた。だって、私が愛しているのはヴェルスだけですもの。他の殿方に嘘でも心は込めらない。
「あの書の続きは俺も気になるんだが、あれは君と弟の物語りだ我慢してみないことにするよ。それでものは相談なんだが、別に書を書いてみないか?」
「別のですか?」
「そう、なんでもいい。恋物語でも冒険ものでも、心躍るものがいいな。俺だってリディア嬢が書いた書が読みたいんだ」
どうやらアルフレーゼ殿下は相当漫画をお気に召したようだ。ヴェルスと約束した漫画の続きも描かなければいけないから余裕はあまりないけど、これもアルフレーゼ殿下の願いだ無下にはできない。
「一月ほどかかってしまうと思いますが」
「大丈夫、辛抱して待っている」
「分かりました、それではなにか一本描いてきますわ」
そうアルフレーゼ殿下と約束して、穏やかなお茶会を満喫した。
それからというもの、私は机で紙と格闘する日々を送っていた。
一つは、リディアの悪役令嬢恋物語。もう一つはアルフレーゼ殿下と約束をした少年漫画の冒険もの。こちらは殿下が気に入るか分からないので読み切りにしておいた。前世は少女漫画家であるが、一応少年誌に掲載していたこともあったので少年漫画も描けるのだ。
私は思い描くまま、漫画を描いて描いて、ひたすら描きまくった。
社交界も、茶会もあまり出ず、いつの間にか引き籠りの変人令嬢の噂が流れてしまったがこれも愛するヴェルス王子の為だ。あの人を待たせすぎるなんて私が許せない。私はいつか撃たれた鳥のように地に落ちてしまう存在。ならそんな悪評などどうでもいい。いつか、私が死ぬ前に彼にこの熱が伝わり続けられたら、この漫画で私の存在を見詰め続けていてくれるなら、どんなに嬉しいか。
そんな思いで描きあげた『悪役令嬢は一途に愛する』連載版の一話と二話はすぐにヴェルスの元へと届けようと重い漫画の束を抱えて、馬車に乗り込み愛しの王子に逢いに行く。屋敷から王城まで馬車で二十分、そんな短い時間も遠く感じられて、そわそわしてしまう。
ようやく城に辿り着いて兵士に城へ通してもらうと、王子は先に連絡がいっていたのか薔薇の庭園で待っていてくれた。
「やあ、リディアいらっしゃい。最近、あまり外に出ていないんだって? 体は大丈夫なのか?」
真っ先に楽しみにしていたはずの漫画ではなく私の体を気遣ってくれる。私ははやる気持ちとにやけてしまいそうになる顔を扇子で隠して、ひょいとヴェルスに完成した漫画を渡した。
「私は至って健康ですわ、お気になさらず。それよりも殿下がお望みの書……私はこれを漫画を名付けました。それが完成しましたわ。あれは読み切りでしたので連載版に改変して一話と二話を描きあげました。まだ続きがありますので、またしばらくお待ちいただければと思います」
「そうか、ありがとう! あのお話を読めるなんて私は幸せ者だな」
わずかに頬を上気させて笑顔を浮かべるヴェルスに、どきりと胸が高鳴る。
幸せ者はこの私。きっと、そうだ。
嬉しそうな反応を見せる王子を見て、満足だと私は屋敷に戻ろうとした。しかし、ヴェルスが待ってっと私を止める。
「ここで読むからちょっと待っていてくれ。この漫画について語らう人が欲しいんだ」
その言葉に私はふと前世を思い出す。面白い漫画は誰かと共通の話で盛り上がりたくてうずうずするものだ。前世の私もそうだった。だから彼の言いたいことは分かる。でも、それが私でなくてもいいはずだ。たとえばアルフレーゼ殿下とか。
「なぜ、私なのですか? 作者と話すより、読者同士の方が盛り上がるのでは?」
「あ、もしかしてこれ兄上が読んでしまったの聞いたか?」
こくりと頷けば、うわあっとヴェルスが頭を抱えた。
「すまない、本当に申し訳ない。浮かれたまま抱えていたのが悪かったんだ……。もう誰にも見せないように気をつける」
「…………他の方に見せたらいかが?」
私は自分の気持ちとは裏腹なことを言ってしまってハッと口を押えた。だが言葉はもう出てしまっている。ツンデレ(らしい)なんて本人にしてみれば厄介な性格だ。一人落ち込んでいると、ヴェルスはなにか悩むように唸って、それから苦笑交じりに言った。
「なぜだろう。私はこの漫画、二人だけの秘密にしておきたいんだ。すごく大事なものがこの漫画にはあるような気がするから」
予想もしていなかったその言葉に、私の体は震えた。泣きたくて、泣き叫んでしまいたくて仕方がない。でも王子の手前そんなみっともないことは死んでもできない。だから扇子で慌てて顔を隠して、涙目になっていく情けない顔を見られないようにした。
王子は、心のどこかでは気づいてくれているのだ。自覚していないだけで、その悪役令嬢が私であると感じてくれている。そしてそれを二人だけの秘密にしたいと言ってくれたのだ。こんな幸せがあろうか。
「ふっ……仕方がありませんわね。では美味しい紅茶とお菓子を用意してくださいまし、それで手を打ちましょう」
「ああ、ありがとう! 君、レーゾンの紅茶と茶菓子を持って来てくれ」
「かしこまりました」
少し遠くで控えていた侍女を呼んで王子は私の所望通り、美味しい紅茶と茶菓子を用意してくれた。私はそれを堪能しているふりをしながら、ちらちらと漫画を楽しそうに読む王子を見る。
この幸せが長く続きますように――そう願ってやまなかった。
ヴェルスと幸せなひとときを過ごし、悪役令嬢の話で盛り上がった後、彼と別れた私はアルフレーゼ殿下の書斎を訪れていた。彼は読書家なのか、多くの小説の貴重な原本や写本をいくつも所蔵しているようだった。
部屋の扉をノックすれば、中からヴェルスに似ている――でも明らかに違う調子のいい声が響く。
「失礼します。お約束していたものが出来上がりましたので持ってきました」
「ありがとうリディア嬢。ちょっと歩きにくいかもしれないが奥まで来てくれないか?」
書斎の中は結構ごちゃついていて、床にも本の山ができている。それをひょいひょい避けながら奥のソファーでくつろいで本を読んでいたアルフレーゼ殿下の元に辿り着く。
「君の物語りが素晴らしすぎてこの書籍達が皆泣いてしまっているよ」
「まあ、それはありがとうございます。でも殿下はそれでもこの本達がお好きなのですわね。埋もれて幸せにしてらっしゃいますわ」
「……リディア嬢は嫌味もお上手だ」
開いていた本を閉じて、本棚に戻すと彼は楽しげに笑顔を浮かべた。
「どんなものを描いてくれたのかな?」
私は抱えていた少年漫画『ヒックスの冒険』読み切りをアルフレーゼ殿下に渡した。
「お気に召されるか分かりませんが、少年が主人公の冒険ものを描いてまいりました」
「そうか、じゃあさっそく読ませてもらうよ」
「それじゃあ、私はこれで」
と、もう用はないと去ろうとしたが待ったがかかった。彼はキラキラとした眼差しを向けて、すでに成人を軽く超えている青年であるにも関わらずまるで少年みたいな目をする。
「これを読んだらまっさきに君と物語を語り合いたいんだ。ちょっと待っていてくれ!」
ああ、もうこの人達……本当にそっくりな兄弟だわ。
そう呆れながらも、仕方がありませんわね。と小説を読みながら待っていることにした。
紙がページをめくるごとに掠れた音を出す以外の音がない静かな空間で一時間ほど経った後、アルフレーゼ殿下は満足げに漫画を机の上に置いた。
それを見て、私は読んでいた小説を閉じて本棚に戻す。
彼の評価はいかほどか、編集者に見せる時みたいにすごく緊張する。彼の第一声を今か今かと待っていると、それに気づいたのかアルフレーゼ殿下はにやにやと笑った。
「待てが出来ない出来の悪い犬みたいだぞ、リディア嬢」
「し、失礼ですわね! 誰だって自分の作品の出来の評価は気になるものですわ!」
そういう意地悪なところが殿下のダメなところですと怒るとアルフレーゼ殿下は悪い悪いと軽く手を振った。
「ものすごく面白かったよ。読み切りなのがもったいない! ヒックスとドラゴン、ペドラの熱い友情、胸躍る冒険譚、先がすごく気になって休憩をはさむ暇もない。夢中になって読んでしまった」
「あ、ありがとうございます……」
少年漫画は描いたことがあるというだけで専門ではなかったので酷評がきても受け止めようと思ったのだが思いのほかアルフレーゼ殿下には高評価をいただけで安堵する。
「これ、城の者に読ませてもいいだろうか?」
「え?」
「君の書を多くの者に読んで知ってもらいたいと思うんだ。こんな素晴らしい作品が数人の者しか知らないなんてもったいなくて俺は夜も眠れない! これはあの弟の書と違って万人向けに描かれたものなんだろう? ダメかな」
可愛くお願いのポーズをとるアルフレーゼ殿下が、ヴェルスに似ているからどこかほだされたような感覚になる。そういえば、前世では編集者やコンクールに認められた作品が世に出ていた。読書好きの彼に認められたのならこれは世に出てもいい作品なのかもしれない。
ちょっと今世のリディア・カールスとしては恥ずかしいのだけれども。
「アルフレーゼ殿下がよろしいのでしたら、私は構いませんわ」
「そうか! ありがとう、さっそくこれが印刷可能か魔導士に聞いてみよう!」
漫画を持って立ち上がった、アルフレーゼ殿下に私は慌てて付け足した。
「その絵の書、漫画と名付けましたの。これからは書ではなく漫画と呼んでください!」
「分かった、漫画だな! よーし、リディア嬢待っていてくれすぐに君は城中、いや街中の人気漫画作家だ!」
笑顔で書斎を出て行ったアルフレーゼ殿下の背中を熱が冷めやらない顔で、私はへたっとソファに座り込んでしまった。まさかこの世界でもまた漫画を世に出すことができるなんて思ってもみなかった。
ヴェルスへの愛の告白から始まった私の漫画は、いままさに新たなステージへ移ろうとしていた。
一週間後、『悪役令嬢は一途に愛する』の続きを無理しないように気をつけながら描いていると、再びアルフレーゼ殿下から呼び出しがかかった。
あの漫画について、なにかあったのだろうかと急いで登城すると、今日は執務室に通された。失礼しますとノックして中に入ると、広い室内には殿下の他に、二人の魔導士が控えていた。片方は背の高い中年の髭を蓄えた男性、もう片方は私よりも歳が下であろう黒髪の少年だった。
「喜んでくれリディア嬢! 『ヒックスの冒険』の書籍化が実現できそうだ!」
作者の私よりも嬉しそうにしている殿下に苦笑しながら私も喜びを胸に抱く。本当に漫画がこの世に出るんだと実感が湧いてきた。
「ごほん、発言を失礼いたします。私は王宮魔導士総長のアルベールと申します。僭越ながらリディア様の漫画を拝見させていただきました。今まで見たことのない絵に驚きましたが、読んでみればいやはやとても面白い! ぜひともお力になりたいと名乗りを上げたしだいであります」
「はじめましてアルベール様、私の漫画をそこまで評価していただいてありがたく存じますわ」
私が丁寧にお辞儀するとアルベールは目元に皺を寄せて嬉しそうに微笑む。穏やかなおじさんといった風だ。
「実は漫画を書籍化するにあたって、一つ問題がありましてな」
「なんでしょうか?」
「漫画は小説の文字と違って、形がとても複雑なのです。転写は魔法を使って行われますから小説とはまた違った術式の開発が必要不可欠となるのですよ。これが非常に難しい」
「では、やはり書籍化は無理なのでは……?」
心配そうにそう言えば、アルフレーゼ殿下はにこっと笑ってぽんっと隣にいた少年の背を押した。
「それを可能にするのがこの少年だ。さ、リディア嬢にあいさつを」
「……どうも、王宮魔導士のエルクです。よろしくお願いします」
静かな声音で、少しとっつきにくそうな無愛想な少年だ。アルフレーゼは笑いながら彼の頭を軽く叩く。
「態度は悪いが、能力は別格だ。彼の力で漫画の転写が可能になるらしい。後は量産化にこぎつけるかが鍵だな」
「必ずや量産化してみせますとも、なあエルク」
「……はい」
「よろしくお願いいたしますわ、アルベール様、エルク様」
話しの後、私は三人に連れられて魔術塔で漫画の転写の実演を見せてもらった。複雑怪奇な魔法陣でどうやっているのか魔導士じゃない私にはさっぱり分からないが、これをできるのは今のところエルクしかいないらしい。一人で量産はまず無理なのでこの術式を多くの魔導士が習得しなければならないということになる。この世界で漫画を流通させるのはやはり難しいことなんだなと実感した。
だがエルクは頑張ってくれて、一週間一人で三百部くらいを刷り上げ城の人間に宣伝として配ったようだった。
そしてその漫画の評判はすぐに私のところにも届いた。
「リディアーーーー!!」
両親にたまには茶会に出なさいと言われ、誘ってきたのが親しい友人だったのもあって久しぶりに茶会に出席した私に、茶会の主役であり友人のエレーナが私の名を叫びながら突撃してきた。
「な、なに!?」
「サインを! この色紙にサインをちょうだい!」
真っ白な色紙とペンを差し出され、困惑していると近くにいた令嬢達がざわついた。それはそうよね、私のような今は変な噂が立っている令嬢にサインを求めるなんて……なにを考えているんだとエレーナを止めようとしたが。
「ず、ずるいですわエレーナさん! わたくしだってリディア様のサインが欲しいです!」
「私も! 私もです、ああでも色紙がないわ! リディア様がいらっしゃると知っていれば持ってきたのに! そうだわ、この手袋にでもかいてくださいませ!」
わらわらと令嬢達が熱い視線と叫びと共に集まってくる。
な、なにが起こったの!?
意味が分からず困惑状態の私に、エレーナが知らないの? と私に一冊の書籍を見せてきた。
「先日城と一部の貴族に配られた『漫画』ですわ。最初は読むのに戸惑いましたけど、読み慣れればとても素晴らしい作品だと分かりましたの。まさかこれを描いたのがリディアだなんて思いませんでしたけど」
「とても面白かったですわ! あれで終わりなんてもったいない、もっと続きが読みたいです」
「ヒックスがとっても素敵で、わたくし彼と冒険に出かけたくなってしまいましたわ!」
令嬢達が思いの丈をぶつけてくる。その熱が心地よくて、私はにやけそうな顔を扇子で隠した。
「し、仕方がありませんわね。皆さんサインならいくらでも書いて差し上げますから騒がず一列にお並び下さいな」
『はーい』
こうして異様な熱に呑み込まれたお茶会は私のサイン会に装いを変え、一日は過ぎていくのだった。
漫画を出版して、サインを求められるようになったことの他にもう一つ、私の元に驚くべき出来事が起こった。
アルフレーゼ殿下から、量産のめどが立ちそうだから『ヒックスの冒険』の連載版を書いてくれと言われ『悪役令嬢は一途に愛する』と同時進行で作業を進めていた私の所に一人の少女が転がり込んできたのだ。
「失礼しますわ、リディア様!」
深緑の髪に黄緑色のくりりと大きい瞳をした少女が、突然窓から現れて仰天した。頭にはたくさんの葉っぱをつけてどうやら彼女は木を伝ってここまで来たようだった。
「お嬢様ーー! 大変です侵入者ですっ」
「ああ! もうお嬢様の部屋にっ、くせものであえであえ!!」
いきり立つ使用人達を冷静に押しとどめると、まずは少女の正体について確かめようと質問した。
「まず、あなたはどこのどなた?」
「私はリズ・ベルート。ベルート男爵家の者にございます」
「どうして私のところに?」
そう聞くとリズは持っていた書籍を私に見せた。それはあの『ヒックスの冒険』だった。彼女も私のファンでサインを貰いに来た人だろうか? ならきちんと玄関からくればいいのに。と思っていると。
「どうかリディア様、私をあなたの弟子にしてください!!」
勢いよく頭を下げたリズに私は唖然としてしまった。弟子って、漫画家のってことよね? リズは漫画が描きたいということなの? 前世でもアシスタントさんを雇ったり、絵を教えたりはしていたけどまさかこの世界でも同じようなことをお願いしに来る人が出るなんて。しかもこんな早い段階で。
おそらく彼女は門でそう頼んで、門前払いをくらったんだろう。だからこうして窓から侵入したのだ。
「……なにか描きたい漫画があるのかしら?」
「はい! ずっと思い描いていたものがあります。それは小説よりも漫画の方が表現に適したものと判断しました。こんな方法があったのだと、嬉しくなったのです」
彼女の熱意に、私は最初に漫画を描いた時のことを思い出した。ヴェルスにこの思いを伝えたくて描いた漫画。その熱は確実に彼へと届き、今も繋がっている。彼女もまたなにかに思いを繋ごうとしているのだろう。
私はそっと彼女の枝で擦り切れた手を優しく包み込んだ。
「分かりました。私でお役にたてるのなら……あなたに漫画を教えましょう」
「あ、ありがとうございますっ!!」
後ろで箒や塵取りを持って臨戦態勢だった使用人達は、お嬢様いいんですかーっと不満そうだったが、人の夢を壊すんじゃありませんと窘めておいた。
それから彼女は毎日のようにやってきて、絵の勉強を始めた。最初は幼稚園児が描くような幼稚な絵だったのがどんどん上達していって、目見えるほど上手くなった。彼女なら素敵な漫画が描けるようになるだろう。
「嗚呼、ありがとうございますリディア様。私これで理想の漫画を描くことができます!」
「そうよかったわ、ねえリズできたらその漫画、私に見せてもらってもいいかしら?」
「もちろんです、リディア様に一番に見せますね!」
そう意気込んだ彼女が持ってきた完成漫画を読んだとき、それがこの世界初のBLだったことで私の意識はぶっとんだ。
リズ……あなた腐女子だったのね。
月日は流れ、私がヴェルスに告白漫画を描いてから一年が過ぎた。魔導士達のがんばりのおかげで漫画は量産されるようになり、本屋には私やリズ、そして他にも漫画家を志す人達が描いた漫画が並ぶようになる。漫画が、この王国の代表産物になる日も近いんじゃなかろうか。
そんな漫画家令嬢としての日々がなにげなく過ぎていたある日、私はとうとう『悪役令嬢は一途に愛する』の最終話をヴェルスに渡す時が来た。
最終回は、彼が望むようなものではないかもしれない。でもこの終わりこそが私に相応しいのではないかと思ったのだ。
処刑台に登るような面持ちでヴェルスの待つ、あのエーレルの桜の大木の下へ向かった。
彼は、いつものように私より先に来ていた。
降り注ぐ桃色の花弁を仰いで、まるで一枚の絵のように美しい。声をかけるのすら躊躇われるその姿に、もうすぐ傍にすら近寄れなくなってしまうようになる時が来るのを思い出した。
でも、もういいの。私の愛は、永遠のもの。誰にも消すことができないのなら、抱き続けるしよりほかないのだ。
「……ヴェルス王子」
やっとの思いで声をかけると彼は花が咲くように嬉しそうな顔で私の名を呼んだ。
「リディア」
何度だって呼んで欲しい。その優しい声で、温かな微笑みで。
その願いが、叶わないことを知りながら、いつだって祈ってる。愚かな私。
「なんだか逢うのはひさしぶりのような気がするな」
「そうですわね。私も漫画の出版などで忙しかったですから」
そう言うと、彼はちょっと拗ねたように口を尖らせた。
「最初は兄上となにをこそこそやってるんだろうと気が焦ったが、仕事の話で良かった」
え? と私は彼の言葉に耳を疑った。
アルフレーゼ殿下と一緒にいて、気が焦ったなんて……それじゃあまるで。
驚いた私は青の瞳を大きく見開かせて、王子を見詰めた。彼は照れくさそうに頬をかきながら苦笑した。
「私だって大切な女の子をとられたら嫉妬もするぞ?」
胸が、すごく熱い。
呼吸が、止まりそうで辛くてでもどこか心地よくて。
私、おかしくなってしまったの?
王子からありえない言葉を聞いて、耳が、目がきっと錯覚を起こしているんだ。
『大切な女の子』って誰?
そっと私の震える手がヴェルスの大きな手に包まれる。まだ少年でも男の人の手だ。
「君の悪役令嬢はきっと――――」
耳元で囁かれるのはどんな言葉か。
私が『最期』を託した告白の漫画が、地に落ちる。
これから先、どうなるかなんて分からない。
それでも、それでも私は――――。
4/12 沢山の閲覧、評価、ブックマークありがとうございます!
誤字脱字修正しました。
王子二人の一人称が間違っていたのを修正。読み辛くさせてしまい申し訳ありませんでした。