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雪の降る夜に  作者: 佐宮 綾
出逢い
2/11

1

 

 雪の舞う夜。


 当時、私は研修医で、病院近くのアパートにひとり暮らしをしていた。


 夜11時頃、隣の一軒家からぱりん、とガラスの割れる音がした。

 それが合図のように漏れ聞こえる怒鳴り声と破壊音。



 またか、と思う。

 2日に一度は隣の家から罵倒が聞こえてくる。


 斜めの家の旦那さんは酒を飲むと豹変するのよ、

 妻は愛想を尽かして出て行って娘とふたり暮らしで、

 とアパートの大家さんが言っていたことを思い出す。


 しかし、この日は様子が違っていた。


「お前なんか出ていけ!」


 男の叫び声と、少女の悲鳴。


 窓からこっそり様子を伺うと、雪が降りしきる中、少女が立っていた。

 よく見ると、彼女は裸足で震えている。今にも消えてしまいそうで、あまりに儚い光景だった。



 助けなければ、と義務感を覚えた。


 そばにあったダッフルコートを抱え、サンダルを引っ掛けて外に出て、走る。

 彼女との距離が少しずつ狭まる。


 ゆっくり振り向いた彼女の細く震える肩にダッフルコートを被せた。


 絶望の表情を浮かべる顔には無数の切り傷があった。


「風邪、引きますから」


 うまいことなど何も言えず、私がどうにか口にできた言葉はそれだけだった。


 返ってきた言葉は、ごめんなさい、だった。


 傷の手当てをしましょう、と言って、私は彼女を家に強引に連れ帰った。

 このままでは彼女は死んでしまう、と思ったからだ。


 家に入り、彼女を座らせ、救急箱を取り出す。


 これでも医者ですから、と言い訳をはさみつつ、私は彼女の顔の傷に脱脂綿を押し付けた。


 会話は、ない。


「他に怪我はないですか」


 そう訊ねたとき、彼女は左腕をかばった。


「帰ります、ありがとうございました」


 思わず、玄関に向けて歩き出す彼女の右腕を掴む。

 異様なほど、細い。


 私は強引に左腕のニットをめくりあげると、丸い火傷のあとが多数。

 ……恐らく、煙草を押し付けられてできたものだ。


 その他にも痣が複数。


「やめてください!」


 と叫んだのは彼女だ。


「……あの家に帰るんですか」


「わたしには、帰る家はそこしかないんです」


 彼女の顔に貼り付けられた、諦めの笑み。


「お父さんしか、もう家族はいないのです」


「あのひとを見捨てたら、わたしのお金で食べているあのひとは生きていけないんです……」



 そう零して、ほろりと涙を流した彼女に抱いた、「守りたい」という感情は、今思えば一目惚れだったのかもしれない。



 だから、私は思わずその言葉を口にしたのだと思う。


「ひとりになんてしません」


 現場に立って、病気のショックでふさぎ込む患者さんをたくさん見た。

 体を治すことができても、心は治すことができない自分が無力だと感じた。


 私は彼女の傷だらけの体を治すことだけでなく、心も救いたいと思った。


「ここに私がいます。話を聞くことや、隔離することはできます。

 私は医者です。あなたのお父さんの病気も治せるかもしれない」


 彼女の腕から手を離し、その手を彼女に差し出す。


「現状を諦める必要なんかないんです。

 あなたには自分のしたいことをする権利があるんです」


 透き通った瞳が、私を映した。

 お互いを見つめ合うその一瞬が永遠に感じられる。

 彼女は目を閉じる。その光景すら、本当にきれいで。


「……ほんとうに、裏切りませんか、見捨てませんか、わたしのこと」


 その声は震えていた。


 彼女の母親は、彼女を救わず見捨てていったと聞いた。彼女は、こんなにも傷だらけだったのか。


「約束します。わたしはあなたを裏切りません」


 私はそう言い切った。


「………たすけて、ください」


 彼女がそっと、私の手を握る。

 彼女を守ろうと思った。彼女の心を、ぬくもりを、守りたいと思った。


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