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「お母さん、お父さん、今までありがとう」
12月の終わり。
娘の深冬が私の部屋を訪れ、冒頭の台詞を言ってのけた。
深冬は、明日、私たちの元から巣立っていく。
目の前に立つ娘を見つめる。
美しく整えられた長い黒髪。身につけた白衣と細身のパンツスーツ。
彼女は立派な医師になった。
彼女はもうすぐ28になる。
親の庇護下から離れる年齢も社会的地位も得たのだ。
時が過ぎるのは、早い。
妻の雪絵とふたりで生まれたばかりの小さな娘を抱いたあの日は、もう28年も前のことになるのだから。
少しばかりの間を置いて、「何を言うんだ」と私は言った。
窓の外で、雪が舞うのが見えた。
妻と出会った日も、娘を初めて抱いた日も、雪が降っていたことを思い出した。
「これからも深冬は私の娘だろう」
やっと、肩の荷が下りた気分だった。
「そうよ。主婦業をサボらない範囲でいつでも顔を見せに来なさい」
雪絵も、そう言って微笑む。
「ふたりならそう言うと思ったよ」
深冬は、髪をかきあげながら苦笑いを零した。
口調も仕草も、大人のそれである。
「お母さんとお父さんに会いに来たのは、けじめを付けたかったのもあるけど、」
「お父さんとお母さんの、馴れ初めが聞きたかったの」
お母さん、話してくれなかったでしょ、と言いながら、深冬は私たちのことを見つめ続ける。
「……そうね、話さなかったわ」
無理はない。
雪絵にとって、馴れ初めは傷を孕んでいる。それは、私にとっても同じで。
「私は、母さんに出会えてよかったと思うけれど、私たちには馴れ初めは思い出したくない記憶だ」
「……でも、深冬が結婚する今が、話すには良い機会なのかもしれないわね」
隣で、雪絵がぼそりと呟く。
「…深冬、どうしても、知りたい?」
わたしとお父さんの馴れ初めの話、と付け加える。
深冬は、頷いた。
「でも、思い出したくない、って……」
「母さんほどではない。
長くなる、そこに座りなさい」
私は深冬にソファーに座るように促す。
雪絵は今でも、後悔している。
そして、繰り返してはならないと願い続けている。
意を決して、私は口を開いた。
それは今でも、私の脳裏から逃げてはくれない、忌まわしい記憶だ。
「父さんと母さんが出会ったのは、35年前──」