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2016年/短編まとめ

僕らは今を生きることしか出来ない

作者: 文崎 美生

何かを選び取りながら、何かを捨て置きながら、前へ前へと進んでいくことしか出来ないことに気付いたのは、一体いつのことだったか。

ここ最近のような気もするし、もっとずっと前だったような気もする。


途中のコンビニで買ったココアはまだ冷たくて、側面に水滴は浮かんでこない。

缶じゃなくてペットボトルにすれば良かったかな、ココアじゃなくてミルクティーにすれば良かったかな。

ぐずぐずと終わったことばかり気にする脳みそが、嫌で嫌でたまらなくなる私は、持っていたココアの缶を上下に振った。


「……両方買えば良かったろ」


「そうじゃないです」


そうだけどそうじゃない、緩く首を振る私に、前を歩く上司は溜息を吐き出す。

気だるげに背中を丸めながら歩く上司の手は、ポケットに突っ込まれており、コンビニの袋なんて持っていない。

何でコンビニに行くだけで付いて来たんだろう。


振り終えたココアの缶を、両手できつく握り締める。

開けるか、開けないか、ただそれだけのことですら、どうしようと思ってしまう。

考え過ぎだと言われればそれまでだけれど、その選ぶという行為が酷くもどかしく、虚しいのだ。


「右?左?」


足を止めた上司の背中を見て、私も足を止める。

分かれ道を見て判断を委ねる上司が、本当に少し、ほんの少しだけ憎らしい。

唇を動かして、声を滑らせ「左」と答えれば、何も言わずに左へ足を向ける上司。


何で聞くんだろう、何で選ばせるんだろう。

迷った挙句にプルタブを押し上げた私は、軽く息を吐き出してココアを煽る。

喉を滑る甘さが心地良かった。


「何で、付いて来たんですか」


コンビニに行ってきます、と席を立ったのは私だけれど、それまでパソコンに向き合っていた人だ。

声を掛けるまで一度も私の方を見なかったのに、コンビニに行くと言った瞬間に立ち上がり、私よりも先に出ようとした。

目を丸めた私を見て、早くしろよ、なんて言うものだから、驚いたのは言うまでもない。


行くんですか、本当に行くですか、付いて来るんですか、本当に付いて来るんですか、何か買ってくるものがあるなら買って来ますよ、私行きますよ、なんて何度も問い掛けたが、上司は行くの一点張り。

終いには「行くのか行かねぇのか早くしろ!」と怒鳴った、怒鳴られた。


私の方を振り返った上司は、何も言わずに足を止めて、ポケットからその手を取り出す。

ひらり、かざされた手から出されたキャンディー。

右手に一つと左手に一つ。

いつもどこから出すのか分からないそれに、私は瞬きを二回する。


「どっち」


突き出されるキャンディーは、月明かりで包装用の紙を光らせる。

何味ですか、なんて聞いても、返ってくるのは、知らない、って言葉。

何かとキャンディーをくれる癖に、本人はそのキャンディーを口にすることはない。

この人がキャンディー食べてるところなんて、想像出来ないけど、と伸ばす指先。


右へ左へと数秒揺れ動いた後、目を瞑って右のキャンディーを掴む。

受け取ったそれの包装紙には、カタカナで『スパーリングスィートレモン』と書かれていた。

そんな味聞いたことがない。


「ありがとうございます」


「ん」


頷いた上司は左手のキャンディーを傾けながら歩き出す。

私もそれに続き、キャンディーとココアの缶を握り締めて踏み出した。

上司のくれるキャンディーはいつも不思議な味がする。

良く分からないカタカナのアメリカンな味。


「左の」


「あ?」


「左のは何味ですか」


くるくるとキャンディーを回しながら問い掛ければ、こちらを振り返って訝しげな顔をする上司。

自分の左手に持っているそれを見て、知るかよ、なんて言葉の悪い答え。

仕方なくキャンディーの包装を破き、貰ったそれを口の中に放り込めば、風が吹いて持っていた包装紙が攫われる。


口の中は良く分からない味が広がってアメリカン。

これはアメリカンな味がします、なんて言えば、眉を寄せた上司が私の顔を見下ろす。

何言ってんだコイツみたいな顔をされても慣れっこなので、その目を真っ直ぐに見返した。


「カタカナなら何でもアメリカンだろ、お前は」


溜息混じりに吐かれる言葉に、それもたしかにそうかもしれないな、と思う。

思い当たる節としては、英語が苦手なところからなのだが、日本人ならば日本語で勝負すべきだ、と一度上司に言ったことがあった。

その後目の前に書類を山積みにされたので、もう二度と言わないと心に決めたものだ。


懐かしいやら何やら、遠い目をしてみても、振り返って過去へ戻ることは出来ない。

選び取った道を進み、捨て置いた道には何があるのかも分からないのだ。

人生というものは常に選択して進むものだ。


目の前で上司が初めてキャンディーを口に入れる姿も、今までの選択の結果なのだろう。

包装紙が風に攫われて、夜の闇に消える。

「マズッ」と聞こえた声に笑いが込み上げるけれど、相手は上司、肩を震わせるだけに止めた。


そんなキャンディーを持ち歩いているのは御本人だし、そんなキャンディーをいつもくれるのだ。

一体どこで買っているのか、聞こうかな、聞かない方がいいかな、またしても生み出される選択肢。

でもそれを選ぶよりも先に上司が口を開き「よくこんなの食えるな」と言った。


何度も言うけれど、それを常に持ち歩いているのはアンタだ。

そしてそれを私にくれるのもアンタだ。

本人に向かってそんな口調で言えないけれど、不思議な味の唾液と共に飲み込んで抑える。


「でも、好きです」


「悪趣味かつ悪食だな」


べロリと出された赤い舌に苦笑を返す。

味のことを言っているわけではないが、悪趣味なのは間違いなくて、そんな嫌なら食べなきゃいいだけの話なのだ。


「選ばなかったその先を知ることは、絶対にねぇよ」


歯とキャンディーのぶつかる音を立てながら言った上司は、振り返ることなく歩き出す。

それでもスピードはだいぶ遅い。

合わせてくれてる、なんて考えが甘いのだろうか。

一歩踏み出してその背中を追い掛ける。


振り返って選べなかった未来を見ることは出来ないけれど、仕方ないから今日も選んだ道を進んで、その先の未来を見るのだ。

前を歩く上司が、少しでもその先を明るくしてくれればいいな、なんて甘えながら。

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