僕らは今を生きることしか出来ない
何かを選び取りながら、何かを捨て置きながら、前へ前へと進んでいくことしか出来ないことに気付いたのは、一体いつのことだったか。
ここ最近のような気もするし、もっとずっと前だったような気もする。
途中のコンビニで買ったココアはまだ冷たくて、側面に水滴は浮かんでこない。
缶じゃなくてペットボトルにすれば良かったかな、ココアじゃなくてミルクティーにすれば良かったかな。
ぐずぐずと終わったことばかり気にする脳みそが、嫌で嫌でたまらなくなる私は、持っていたココアの缶を上下に振った。
「……両方買えば良かったろ」
「そうじゃないです」
そうだけどそうじゃない、緩く首を振る私に、前を歩く上司は溜息を吐き出す。
気だるげに背中を丸めながら歩く上司の手は、ポケットに突っ込まれており、コンビニの袋なんて持っていない。
何でコンビニに行くだけで付いて来たんだろう。
振り終えたココアの缶を、両手できつく握り締める。
開けるか、開けないか、ただそれだけのことですら、どうしようと思ってしまう。
考え過ぎだと言われればそれまでだけれど、その選ぶという行為が酷くもどかしく、虚しいのだ。
「右?左?」
足を止めた上司の背中を見て、私も足を止める。
分かれ道を見て判断を委ねる上司が、本当に少し、ほんの少しだけ憎らしい。
唇を動かして、声を滑らせ「左」と答えれば、何も言わずに左へ足を向ける上司。
何で聞くんだろう、何で選ばせるんだろう。
迷った挙句にプルタブを押し上げた私は、軽く息を吐き出してココアを煽る。
喉を滑る甘さが心地良かった。
「何で、付いて来たんですか」
コンビニに行ってきます、と席を立ったのは私だけれど、それまでパソコンに向き合っていた人だ。
声を掛けるまで一度も私の方を見なかったのに、コンビニに行くと言った瞬間に立ち上がり、私よりも先に出ようとした。
目を丸めた私を見て、早くしろよ、なんて言うものだから、驚いたのは言うまでもない。
行くんですか、本当に行くですか、付いて来るんですか、本当に付いて来るんですか、何か買ってくるものがあるなら買って来ますよ、私行きますよ、なんて何度も問い掛けたが、上司は行くの一点張り。
終いには「行くのか行かねぇのか早くしろ!」と怒鳴った、怒鳴られた。
私の方を振り返った上司は、何も言わずに足を止めて、ポケットからその手を取り出す。
ひらり、かざされた手から出されたキャンディー。
右手に一つと左手に一つ。
いつもどこから出すのか分からないそれに、私は瞬きを二回する。
「どっち」
突き出されるキャンディーは、月明かりで包装用の紙を光らせる。
何味ですか、なんて聞いても、返ってくるのは、知らない、って言葉。
何かとキャンディーをくれる癖に、本人はそのキャンディーを口にすることはない。
この人がキャンディー食べてるところなんて、想像出来ないけど、と伸ばす指先。
右へ左へと数秒揺れ動いた後、目を瞑って右のキャンディーを掴む。
受け取ったそれの包装紙には、カタカナで『スパーリングスィートレモン』と書かれていた。
そんな味聞いたことがない。
「ありがとうございます」
「ん」
頷いた上司は左手のキャンディーを傾けながら歩き出す。
私もそれに続き、キャンディーとココアの缶を握り締めて踏み出した。
上司のくれるキャンディーはいつも不思議な味がする。
良く分からないカタカナのアメリカンな味。
「左の」
「あ?」
「左のは何味ですか」
くるくるとキャンディーを回しながら問い掛ければ、こちらを振り返って訝しげな顔をする上司。
自分の左手に持っているそれを見て、知るかよ、なんて言葉の悪い答え。
仕方なくキャンディーの包装を破き、貰ったそれを口の中に放り込めば、風が吹いて持っていた包装紙が攫われる。
口の中は良く分からない味が広がってアメリカン。
これはアメリカンな味がします、なんて言えば、眉を寄せた上司が私の顔を見下ろす。
何言ってんだコイツみたいな顔をされても慣れっこなので、その目を真っ直ぐに見返した。
「カタカナなら何でもアメリカンだろ、お前は」
溜息混じりに吐かれる言葉に、それもたしかにそうかもしれないな、と思う。
思い当たる節としては、英語が苦手なところからなのだが、日本人ならば日本語で勝負すべきだ、と一度上司に言ったことがあった。
その後目の前に書類を山積みにされたので、もう二度と言わないと心に決めたものだ。
懐かしいやら何やら、遠い目をしてみても、振り返って過去へ戻ることは出来ない。
選び取った道を進み、捨て置いた道には何があるのかも分からないのだ。
人生というものは常に選択して進むものだ。
目の前で上司が初めてキャンディーを口に入れる姿も、今までの選択の結果なのだろう。
包装紙が風に攫われて、夜の闇に消える。
「マズッ」と聞こえた声に笑いが込み上げるけれど、相手は上司、肩を震わせるだけに止めた。
そんなキャンディーを持ち歩いているのは御本人だし、そんなキャンディーをいつもくれるのだ。
一体どこで買っているのか、聞こうかな、聞かない方がいいかな、またしても生み出される選択肢。
でもそれを選ぶよりも先に上司が口を開き「よくこんなの食えるな」と言った。
何度も言うけれど、それを常に持ち歩いているのはアンタだ。
そしてそれを私にくれるのもアンタだ。
本人に向かってそんな口調で言えないけれど、不思議な味の唾液と共に飲み込んで抑える。
「でも、好きです」
「悪趣味かつ悪食だな」
べロリと出された赤い舌に苦笑を返す。
味のことを言っているわけではないが、悪趣味なのは間違いなくて、そんな嫌なら食べなきゃいいだけの話なのだ。
「選ばなかったその先を知ることは、絶対にねぇよ」
歯とキャンディーのぶつかる音を立てながら言った上司は、振り返ることなく歩き出す。
それでもスピードはだいぶ遅い。
合わせてくれてる、なんて考えが甘いのだろうか。
一歩踏み出してその背中を追い掛ける。
振り返って選べなかった未来を見ることは出来ないけれど、仕方ないから今日も選んだ道を進んで、その先の未来を見るのだ。
前を歩く上司が、少しでもその先を明るくしてくれればいいな、なんて甘えながら。