第6話 正義の味方と悪の女幹部、シシ鍋を食す
目の前にいるのは灰色の毛並みの巨躯。
簡単に言うなれば、サイほどの大きさがある猪だ。
……角が生えてるし牙が四つあるし目も四つあるけど、猪だよな、あれ。
アラバマに四五〇キロを超える猪がいたそうだが、これは絶対トンを超えている。
俺の住む世界には宇宙から飛来した怪獣も、地底で眠る古代怪獣も存在しなかった。
それでも俺は正義の味方として、数々の生物と戦ってきた。
町に下りてきた熊、牧場から逃げた牛、悪の組織が作り上げた怪人、怪獣。
だが今までにこんなやつを見たことがない。
テレビでも見たことがない。
明らかに地球の生物ではなかった。
「同じ灰色同士だけど、知り合い?」
「そんなわけあるかよ」
リリーの軽口に付き合う。
いきなりの珍客に彼女も息を呑んでいたが、案外彼女も余裕がありそうだ。
だが戦闘職でない彼女が近くにいるのは好ましくないな。
「おい、リリー。下がってろよ」
「当たり前じゃない」
いつの間にか彼女はダッシュで昇降口のところまで逃げていた。
流石は悪の組織の女幹部。逃げ足の速さは伊達じゃない。
さてと、こいつはどうやって料理してやろうか。
俺は目の前のメガ猪を観察しつつ、考える。
とりあえず様子見かな。
目の前のメガ猪から滅茶苦茶殺気を感じるが、強面なだけでなにもせずに帰るかもしれないし。
……なんて淡い期待を抱いたんだが、どうやらメガ猪は帰る気はないらしい。
鼻息荒く、前足で地面をガリガリと擦り、やけに殺る気に満ちている。
猪は時速四十五キロで走るという。
このメガ猪も同じ速度で走れるとしたら、車に轢かれるくらいの衝撃にはなるだろう。
しかもあの角と牙だ。
あれに直撃したら痛そうだな。
俺はメガ猪の動きに注意を払いつつ、腰にある武器に手をやった。
長さ二〇センチ程度の金属棒にしか見えないが、一振りすれば棒が伸びて長さ八〇センチの警棒になる。
実のところ、ただの特殊警棒だ。
主な素材は4135カーボンスチールであり、二トンまで耐えることが出来る特別仕様である。
俺はメガ猪の前に歩み出た。
リリーのほうに注意がいかないようにとの配慮からだったが、正解だったようだ。
メガ猪の双眸、いや四眸?が俺を睨みつけ、それから嘶いた。
その意味は威嚇か、雄叫びか。
俺に対する宣戦布告かもしれない。
メガ猪は軽く身を屈め、それから勢いよく足を踏み出した。
突進だ。
あっという間に間合いを詰められる。
時速六〇キロは出てるんじゃないか、これ?
とはいえそれは直線的なので、ぎりぎりまで引きつけてから真横へかわす。
そして俺はすれ違いざまに特殊警棒をその胴体に叩き込んだ。
だがメガ猪は少々体をふらつかせただけで、あまり効いている様子はない。
実際、叩いた俺自身、手応えがなかった。
まるで布団でも叩いてるような感触だった。
どうやら固い毛皮、分厚い皮下脂肪、強靭な筋肉に阻まれて警棒の打撃が効いていないようだ。
こいつは特殊警棒で相手するのは少々骨が折れそうだな。
振り出し式の特殊警棒は構造上、突きの攻撃には使えない。
電磁ナイフならば傷を負わせることも出来るだろうが、刃渡りが短いために致命傷になるとは思えない。
「ちょっと!効いてないわよ!」
遥か後ろの方でリリーが叫ぶ。
心なしか怖がっているようだった。
彼女にとってすればモンスターを相手にするのは初めての事なのだろう。
彼女はあくまで悪の組織の女幹部で、モンスターをけしかける側の存在なのだから。
だが俺にとっては日常茶飯事だ。
でかい猪程度の奴ならば幾度となく相手にしてきた。
だからあいつが突然空でも飛ばない限り、俺にとって恐れるに足る存在ではない。
それでも特殊警棒と電磁ナイフで相手にするには面倒な奴だ。
「あー、面倒臭ぇ」
特殊警棒を左手に持ち替え、そして右足に装着している格納スペースに手をやった。
『ロックを解除しますか?』
電子音声が俺に確認を求める。
「YES」
俺の声紋を認識して格納スペースのロックが解除され、俺はそこから新たな武器を取り出す。
ぱっと見は拳銃に見えるが、実のところこれはただの拳銃ではない。
むしろそれよりも遥かに恐ろしい武器である。
正式名称、小型携行用電磁加速銃。通称“EM拳銃”――端的に言えば、小型のレールガンである。
あまりの危険性故に厳重にロックされている“正義の味方”の特殊武装。
持てるのは“色つき”だけで、しかも使用許可がなかなか降りない厄介もの。
だがこの異世界でこれの使用をとがめる奴はいないし、こんな深い森の中ならぶっ放しても問題あるまい。
俺はEM拳銃を構え、安全装置を解除。
三〇メートルほど離れたところで俺を睨むメガ猪の頭に狙いを定める。
あとは小さなスイッチをカチリと引けば、電磁的な力を発生させ、弾体を加速させる。
加速された弾体は音速を超える速さで銃身から射出され、発射音が聞こえる前に目標物へと吸い込まれていった。
刹那の後、弾体が直撃したメガ猪の頭は爆発した。
一瞬でミンチである。
周囲が血で染まり、突如頭を失った胴体は力なく倒れ、地面が揺れた。
「あー、やべ、出力調整ミスったわ」
この小型レールガンは俺の強化外骨格から供給された電力によって作動する。
そのため電力をぶち込めばぶち込むほど威力が増すのだが、その威力がとち狂っているのだ。
この前定期点検したときにチェックして以来のはずだから、今回撃った威力は五〇パーセント。
それでもよく見ればメガ猪の頭を消失させたあと、背後の木を何本かなぎ倒すほどの威力が残っている。
これを人のいる場所で使っていたらと考えたら冷や汗ものである。
EM拳銃の威力を目の当たりにして唖然としていたリリーであったが、数秒後には我に返って喚き立てた。
「ちょっと、今の何よ!?あんな武器、私たち相手には使った事ないじゃない!」
「ああ?こんな物騒なもん市街地での使用許可が下りるわけないだろ。第一、人間相手にこんな殺傷武器をほいほい使えるかよ。ただでさえ一回使うごとに始末書を書かされるんだぞ?面倒ですぐに使うのやめたわ」
しかも出力調整を怠れば、一瞬で対象は血煙と化し、先ほどの威力ならば人間ならば余裕で十人は貫通できる。
そんな物騒な代物、普段の戦闘で使えるわけがない。
「……ありえない威力ね」
「本来はもっと厳密に出力調整されているんだがな、俺が整備をサボったから馬鹿みたいな威力になってた」
こんな威力でも出力五〇パーセントだけど、そのことはあえてリリーには言わないでおく。
「ま、まあ、結果オーライじゃない?」
リリーはおっかなびっくりという感じで、メガ猪に近づく。
メガ猪は頭を失って血を垂れ流し、横たわる体はときどき脊髄反射でびくびくと動いている。
とんでもないスプラッタ現場になっちまった。
「やっぱり……ここは地球じゃないわよね?」
「少なくとも俺は地球で一トンもある猪の存在を聞いた事はないな」
どっかの悪の組織が造った怪獣という線もなくもない。
だがそんなものを悪の組織が造ったとして、なぜこんな人もいない場所においておく必要がある?
怪獣の製造には金と時間、労力が掛かる。
悪の組織だって無駄なことにそれらを費やせはしない。
悪の組織が怪獣を欲する目的はいつだって破壊活動なのだから、こんな人気のないところに折角造った怪獣を置いておく道理はないのだ。
だからメガ猪が悪の組織が造った怪獣という線は薄い。
それに未発見の新種という線もないだろう。
あんな図体の生き物が未発見なんて無理がありすぎる。
だからここは俺たちの知る世界ではないと言える。
「それで、ここが俺たちが知っている世界ではないって確定したわけだが……どうする?」
「どうするって言われても予定通りよ。とりあえずここでの住環境を整え生き残る。そして――」
「――もとの世界に帰還する方法を探す、か」
俺の呟きにリリーは可笑しそうに笑った。
「もとの世界、ね。ここは“異世界”って言うべきなのかしら」
「さあな、……で、リリーさん?君は何をしてるわけ?」
先ほどからメガ猪の死体を前にリリーは何か作業している。
その様子を俺は後ろから覗き込んだ。
「え?食べれるかなぁーと思って」
「食べるのか?それ?」
「一応、施設に食糧の備蓄はあるけど、長期間この世界にいるのならで食料を現地調達しないといけないのよ?だったら食べれるものを調べておくに越したことはないじゃない」
「確かにそうだが、トップバッターがこれか?」
「猪みたいじゃない?だったら食べれそうじゃない?」
確かに角があったり、異様にでかかったりしたが面構えは猪そっくりだった。
でもメガ猪を食べることと、彼女が持つ試験管やシャーレの数々はどういう関係があるのか。
俺の視線に気付いたように、リリーはどこからか取り出したシャーレとメスを振りかざした。
「いい?ここは私達が住んでた地球じゃないわ。この世界はこの世界独自の発展を遂げてきたのよ。微生物を含めてね。この世界には地球に存在しない未知の細菌、微生物、植物が存在するかもしれず、そしてそれに対する免疫が私たちには存在しないのよ。検査もせずに食べるのはリスクが高すぎるわよ」
そういやその可能性があったな。
人間は飲んでいる水が変わるだけでも腹を下す。
地球でも海外旅行で訪れた場所で生水を飲むのはご法度だ。
でも俺には関係ないんだよな。
「いやー、俺は改造人間で毒とか利かないから気にしてなかったわ」
「え?そうなの?」
リリーは驚いたように俺を見た。
「強化外骨格にエネルギーを供給するために内臓系を改造してるからな。そのときに毒素を分解する機能も追加されてる」
尤も毒を摂取しても全くダメージがないわけではない。
毒素を分解するまでは痛かったり苦しかったりするけど、一度抗体ができれば問題ない。
でも好き好んで毒は食いたくはないけどな。
できるならば美味い飯が食いたい。
ああ、結構前に食べたシシ鍋、旨かったなぁ。
猪肉は臭みがあると勘違いされがちだが、臭いのは発情期のオスの肉と、きちんと血抜きされていない肉だ。
狩猟で狩られるときちんと血抜きできないことが多いために臭くなりがちで、きちんと血抜きされた肉は猟師が食べてしまうため、結果として出回る猪肉は臭いものとなってしまうのだ。
だからきちんと血抜きをしないといけない。
でもこんなでかいのどうやって血抜きできんだ?
血抜きといえばぶら下げて首を切るってのが常套手段だが、こんな図体のものをぶら下げられる場所がない。
周囲を見渡せば木があるが、重みに耐えられるかどうか……。
あ、丁度いいところがあるじゃないか。
「このシャフトって排水路はあるのか?」
俺は眼下に空いているシャフトを見下ろしながらリリーに尋ねた。
このシャフトならばメガ猪をぶら下げるだけの高さがあるしから大丈夫だろう。
「もちろんあるわよ。なかったら水が入ってきたとき水没しちゃうじゃない」
「ここにこいつをぶら下げて血抜きしてもいいか?」
「……ちゃんと掃除してよ」
どことなく嫌そうにリリーはしていたが、大量の肉が手に入るかもしれないという誘惑には勝てなかったようだった。
* * *
「上手いものね」
血抜きを終えたメガ猪の内臓を抜いていると横からリリーが覗き込んできた。
「昔とった杵柄ってやつでね、実のところ解体の経験あるんだよ」
「解体の?」
「昔やった“正義の味方”の仕事で猟友会の害獣駆除の手伝いをやったことがあってさ、駆除した獣を解体してみんなと一緒に食ったんだよ。それでバラす手伝いなんかもしたから憶えたわけ」
「え?“正義の味方”ってそんな仕事までしてるわけ?」
呆れたようにリリーが俺を見る。
「“色つき”でも下っ端はそんな仕事までやらされるんだ」
でもまあ美味しい猪鍋にもありつけたし、猟友会のおっちゃんたちは気がいいひとばっかりだったし、ああいう仕事なら大歓迎なんだがな。
血抜きしている間にリリーの検査が終わり、病原菌も毒素も検出されなかったとのことで、俺は気兼ねなく解体できることになった。
まず腹を割き、内臓を抜いて土に埋めておく。
獣を呼び寄せても面倒だからな。
食べられる部分はあると思うが、内臓は色々と厄介だし肉だけでこの量だから捨てて構わないだろう。
次に皮を剥ぐ。
脂肪にまみれてすぐにナイフが切れなくなるので、お湯を沸かして刃物の脂を取りつつちまちまと剥いでいく。
あまりのでかさに俺が四苦八苦していると、途中からリリーが手伝い始めた。
リリーは改造手術なども手がけるからか、俺よりもこういうのは得意みたいだ。
二人がかりで皮を剥ぎ終えると、あとは適当にメガ猪を解体していく。
普通なら頭部を切り落とすが、EM拳銃で撃ったためにほとんど頭はないので省略だ。
縦に半分にして三枚に下ろし、それを肩、アバラ、後ろ足に分割。
大きい部位は適当な大きさに切り分け、袋詰めにして地下施設の貯蔵室にいれ、入りきらなかった分は後ほど燻製にするために冷暗所に保管しておく。
地下施設自体が氷室みたいなものだから、雑菌に注意すれば数週間は大丈夫だろうし、熟成されて美味しくなるに違いない。
さて、本題だ。
肉を保管場所に移し、書いた作業をした場所の掃除を終えた俺は、取り分けておいた肩の部分の肉のブロックを手に、地下施設にある調理室に足を踏み入れた。
悪の組織の秘密基地の厨房は、案外普通の厨房だ。
秘密基地ならハイテクな調理ロボットみたいなのがあるイメージしてたんだがな。
結構広い厨房で、設備が揃っていてちょっとテンションが上がる。
微妙に使っているようなので、リリーも自炊するらしい。
まずは猪肉を薄切りにし、沸騰したお湯に一度湯通しする。
昆布でだしを取り、味付けは味噌と醤油、適当に野菜を切って入れ、湯通しした猪肉を鍋に入れて煮込む。
うん、やばい。いい匂いだ。
自画自賛になるが、うまそうだ。
その匂いに誘われたのか、リリーが厨房に顔を出した。
「何してるかと思えば……あなたの格好、シュールすぎるわよ」
リリーに指摘されて自分の格好を改めて見る。
強化外骨格にエプロン……裸エプロンよりある意味やばいかもしれない。
強化外骨格を常に着ているため、着ている事を忘れてしまうこともしばしばだ。職業病だなこれは。
「脱ぐのが面倒なんだ。我慢してくれ。――よし出来た」
俺は出来上がった鍋を持って厨房の横の食堂へ移る。
食堂は二〇人ほどが一度に食事ができるほど広いが、今使っているのは二人だけなので広い空間が寒々しい。
俺とリリーはひとつのテーブルを囲み席に着く。
改めて考えたら、正義の味方の俺と悪の組織の女幹部のリリーが同じ鍋を囲んでいるというのは、実に変な光景だ。
おっと、変な感慨を抱いてないで鍋が温かいうちに頂くとしよう。
とりあえず肉を一切れ取り、口に運ぶ。
臭みはなく、味は濃いめで悪くない。脂はくどくなくさっぱりしている。
記憶にある猪肉にも近い気がする。
「少しばかり味が不安だったけど、大丈夫そうだな」
俺が食べるのを見ていたリリーだったが、やがて箸を持って肉を一切れ口に運んだ。
「……うん、おいしい」
やはり検査したとはいえ未知の動物の肉を食べることに若干の不安があるのか、それとも敵対する組織に所属する俺が作った食べ物を食べることに不安があったのかもしれない。
万が一にも、正義の味方である俺が毒を盛ることなんてあるはずないのにな。
まあ、食べてくれてなによりだ。
美味い飯は一人で食べるより、大勢で食べた方がいい。
徐々に遠慮なく鍋を突き始めたリリーが俺を見た。
「そんななりなのに料理ができるのね」
「一人暮らしが長いからな」
リリーは意地の悪い笑みを浮かべた。
「ボッチヒーロー」
「うるせー」
「冗談は抜きにしても、あなた料理上手いじゃない」
「結構ガサツな男料理だけどな」
それでも料理が上手いと言われて嬉しくないわけがない。
例えそれを言ったのが、悪の女幹部であったとしてもだ。
「じゃあ、あなた食事当番ね」
「おい」