第5話 正義の味方と悪の女幹部、休戦する
俺達は地下の施設へ戻り、戦いを繰り広げた階層の更に下にあった応接室に腰掛けていた。
安っぽいビニルのソファーだ。
正面に座るダークリリーはそこに座ってから何か考え込むように押し黙っていた。
どうやら彼女にも今起きていることがなんなのかわかっていないようだった。
手持ちぶさたな俺は部屋の中を見渡した。
どっかの雑居ビルにあるさびれた事務所って感じの部屋で、スチールの事務机やロッカーがあったりする。
なんで悪の組織の秘密基地にこんなところがあるんだろうか?
悪の組織に接客が必要なシチュエーションなど存在するのだろうか?
下らないことを考えていると、不意にダークリリーは顔を上げた。
「……そっちのドアの向こうにも地上に出る通路があったんだけど、途中で埋まってるみたい」
「埋まってる?」
ダークリリーが指す先に確かにドアがある。
そのドアの向こうが外へと繋がる通路だったのだろう。
さきほどダークリリーがあそこでごそごそとやっていたのは、調べていたからかと今更ながらに気がついた。
「埋まってるっていうのは正しくないかも。通路がぷっつりと途切れていて、その向こうは完全に土の中よ。まるで、この空間だけが切り取られて持ってこられたみたいにね」
ダークリリーの言葉を反芻し、俺は状況を理解した。
「……つまり、これは時空間転移ってやつか?」
「そうみたいね」
半ば想像していたとはいえ、口に出すとその非現実さが如実に現れる。
「あの爆弾のせいか?」
というか、それしか俺には心当たりがない。
だがダークリリーの答えは煮え切らないものだった。
「たぶん、そうだと思うけど……正直、わかんないわ」
「あんたがあの爆弾作ったんだろ?」
「いえ、あれは父が作ったものよ」
ダークリリーの父、つまりはネクタルの創始者にして頭領であった人物。
怪人製造の礎を築いた天才である彼の人物の名前を俺は思わず呟いた。
「ヘルメスか」
俺の呟きに、ダークリリーは微かに笑みを浮かべる。
「それはあなたたちが父につけた名前よ。……尤も最終的にその名前が定着して仲間内でも使っていたけどね」
「そうなのか?」
「伝説の錬金術師の名前を名乗るほど父は自惚れてないわよ」
だろうな。
中二病みたいな名前を自称するなんて痛すぎるだろ。
「じゃあ、あんたのダークリリーってのもか?」
「……いえ、これは仲間が案を集めて、あみだくじで決めたものよ」
「随分テキトーなんだな」
「放っておいて。第一、“アッシュ”なんて安直な名前の貴方に言われたくないわ」
安直っていうか、組織の意向で一般戦闘員は番号で、“色つき”は色の名前で呼ぶことになっているだけなのだが。
それはそうと話が脱線したな。
「兎に角、あんたの父さんが作った爆弾だから、なんでこうなったかはあんたに見当がつかないわけか」
「ええ、捕まるくらいなら自爆しろって父に言われてたから使ったけど」
なんちゅう過激な父さんだ。
とはいえあの爆弾でこの現象が起きたかどうかはあまり問題ではない。
「この際、どうやって時空間転移が起きたかは置いておく。……で、ここはどこだ?」
俺の問いにダークリリーは肩をすくめて見せた。
「この施設の設備で調べてみたけれど貴方と同じで何の成果は得られなかったわ」
「ここがどこかわからないのか」
「そうね、同じ地球かもしれないし、そうでないかもしれない。同じ地球でも何千年も後かもしれないし、何千年も前かもしれない。GPSが測位出来ないことを考えたら、少なくとも私達が居た時代の地球ではないことは確かね」
「もうすでに良い結果の出る目がないじゃねーか」
俺の茶化すような言葉を受け、ダークリリーは笑みも浮かべうに俺を見据えて頷いた。
「最悪、地球じゃないかもしれない」
つまりは異世界。
頭のどこかでそんな気はしていた。
だがそれをそれを認めたくはなかったのだ。
「こいつは思った以上に厄介だな」
しばしの間、俺たちは黙り込んだ。
ダークリリーは再び何か考え込むように眉間にしわを寄せている。
俺自身も今後どうすればいいのかと頭を悩ました。
ここが地球かどうかでさえ定かでない場所だ。
もちろん前に居た場所へと帰還できるかどうかさえわからない。
兎に角、今この場所で生き残ることが先決だろう。
となればサバイバルである。
俺にはこの強化外骨格があるし、それなりに生き残るための知識があるので問題ない。
だがそうなってくると問題になってくるのが、目の前に居る女である。
一応敵対関係にある人間だ。
……今はなぜか呑気に向かい合って座っているが。
というか現状、俺たちしかいない状況下で正義だ悪だというのも馬鹿らしい気がしてきた。
「今更だけど、俺達って敵同士だよな?」
「そういうことにはなっているわね」
だが現状の雰囲気はそんな感じではない。
そもそもこいつ、目が覚めてから全然敵対的な行動をとらない。
「なんであんたは俺に敵対行動をとらないんだ?」
彼女はどこかつまらなそうに俺を見た。
「だって私も持つ一番の戦力が効果なかったのよ?私単体じゃ貴方に勝てるわけないし、抵抗するだけ無駄じゃない。それに目が覚めたら訳の分からないところにいたのよ?そんな余裕ないわよ」
ダークリリーの答えは至極尤もだ。
確かにこんな変な状況なんだ。俺たちに敵対している余裕はないだろう。
「じゃあ話は早い。とりあえずは休戦して協力しないか?」
彼女は俺を睨んだ。
「……なんであなたはそんなに気安いの?私は悪の組織の幹部なのよ?その私と手を組むの?」
「この状況だ。正義の味方だ悪の組織だ、なんて言っている場合じゃないだろ。それにあんたも一人じゃ心細いだろ?少なくとも俺は一人より二人の方が良い」
「それで、私はあなたという戦力を、あなたはわたしの技術とこの施設の恩恵に預かるってわけね」
「まあ、そうなるな」
俺の物言いにダークリリーは苦笑いを浮かべた。
「ただのお人好しなのか、底抜けの馬鹿なのか……確かに二人っきりのこの状況で正義の味方もなにもないわね。いいわ。背に腹は変えられないわね。休戦としましょう」
「よし、あんたはなんて呼べばいい?正直、ドクター・ダークリリーって長くて呼びづらいんだが」
「そうね、リリーって呼んで頂戴。幾ら一時的に手を組んだといっても私達は本名で呼び合うほど気安い間柄じゃないでしょ」
「まあな。じゃあ俺はアッシュとでも呼んでくれ。戻るまでの間だけでも宜しく頼むわ」
俺は手を差し出し、リリーは若干悩みつつも俺の手をとった。
「……いつ戻れるかわからないけどね」
「それを言うな」
「休戦ついでに言うけど、いい加減そのヘルメットくらい脱いだら?」
リリーの指摘を受けて俺は今更ながらヘルメットを被ったままであることに気が付いた。
「……ああ、そういやまだ着たままだったな。脱ぐか、これ」
コンソールを操作し、ヘルメットを解除する。
すると幾つかのパーツにヘルメットがわかれ、襟元へと収納された。
顔がひんやりとした外気に触れ、新鮮な空気を吸い込んで俺は人心地つく。
そんな俺の素顔を見て、彼女はぽつりと漏らした。
「素顔は意外と普通ね」
「うるせー、あんたもいい加減顔を見せろよ」
「……わかったわよ」
そう言ってリリーはドミノマスクを外す。
日本人離れした目鼻立ちは、どことなくハーフっぽい顔つきである。
ドミノマスクから顔の半分が見えていたから大体想像はついていたが、正直言って、美人の部類だ。
十人中十人が振り返る絶世の美女というわけではないが、読者モデルぐらいはできそうなレベルである。
「こき下ろすにこき下ろせない、コメントに困るパターンだな」
「何か言った?」
「いや、なんでもない」
「そう?じゃあ私はとりあえず、時空間転移によるこの施設の損傷を調べるわ」
「分かった。俺は外を見てくる」
「そう、一時間ぐらいでチェックは終わるから、それぐらいで戻って頂戴」
「ああ、分かった」
俺はリリーと別れ、外へと向かった。
* * *
俺はとりあえず地磁気を調べて北へ向かうことにした。
オートマッピングと、偵察機を使って地形図を作製しつつ、周囲を観察する。
植物に詳しくないため、それが地球に自生する植物なのか、そうでないのかもわからない。
もしかしたら地下施設にデータベースがあるかもしれないので、カメラで目立った植物を撮影しておくが。
念のため無線やGPSもチェックしているが、以前反応はない。
期待するだけ無駄だろう。
何かあると期待していたわけではなかったが、周囲にあるのは木ばかりで一時間散策した結果収穫はゼロだった。
いや、周辺の地形図は出来たし、なにもないということが分かったから収穫がゼロではないのかもしれなかったが、少々気落ちせざるをえない。
俺が施設のある場所へ戻ってくると、外でリリーが作業しているところだった。
俺の姿を見止めるとリリーが声を掛けてきた。
「どうだった?」
「何もないな。ずっと森が続いている」
俺の言葉に若干リリーは残念そうな顔をする。
「……そう、こっちは順調よ。転移の規模が大体わかってきたわ」
「へえ、それで?」
「転移は爆心地点を中心に球形に広がったみたいね。その直径はおよそ五〇メートルほど。地下施設のほぼ全体を包むように転移しているわ」
ただ転移前は今よりも深い位置に地下施設があったため、地上部分の廃工場は転移しなかったようだ。
「損傷の規模は?」
「基本的にこの施設は外部に依存しない構造だったから、損傷は軽微ね」
「外部に依存しない?電気や水はどうしてるんだ?」
「水は地下水を汲み上げて浄水し、下水も浄化したあとに地下浸透で排出してるわ。電気は自家発電をしてる」
「そうなのか」
「調べたら発電施設と排水システムのほうは無事みたいだけど、地下を汲み上げる井戸も損傷してるみたいだから、もう一度掘りなおさないといけないわね」
リリーは簡単に言うが、一朝一夕でできるものでもないだろう。
「じゃあ水がないのか?」
「排水を浄化すれば飲料水には出来なくても生活用水には出来るし、一応貯蔵タンクがあるから一週間ぐらいはなんとかなると思うけど」
「確か見て回ったところに小川があったから、当分水はそこで確保できるだろ」
「そう、良かったわ」
リリーもその点不安だったようで、胸を撫で下ろしていた。
水さえ確保できれば人は生きていられるからな。
「発電設備は大丈夫なのか?」
「ええ、損傷もなし。数十年は稼動するわ」
「燃料は持つのか?」
「大丈夫、原子炉みたいなものだから」
全然大丈夫じゃねぇ。
悪の組織が核燃料を手に入れていたとか、とんでもない悪夢だな。
俺の内心を知ってか知らずか、リリーは気にも留めずに話を進める。
「あとは換気システムと地上との接続ね。換気システムの損傷は地上に出ていた換気口部分がなくなっているだけだから、さっき手持ちの部品で直しておいたわ。階段はさっきから私たちが出入りしているから分かっていると思うけど、出入り口がなくなっている以外問題ないわね。あとは搬出入用の貨物エレベータが一部破損してるわ」
「……んで、この大穴がそれか?」
先ほどから気になっていた眼前のものに目を落とす。
俺とリリーが立つ目の前の地面に大きな穴が空いていた。
一辺の長さが三メートルほどある正方形の穴で、深さは二〇メートル以上ある。
これが貨物用エレベーターのシャフトなのだろう。
「擬装用の開閉装置が転移のせいでなくなってるから、シャフトがむきだしになってるのよ」
時空間転移は廃工場の下にある地下施設のみを球形に切り取るかたちになった。
だから廃工場の一部に偽装してあった蓋が転移の際に向こうに取り残されたらしい。
「貨物エレベータ自体は下から油圧でリフトアップする構造だから機能的には問題ないけど、この大穴は問題よね」
「じゃあシャフトに蓋をする必要があるのか」
「そうね、とりあえずは適当に木を切ってこの上に並べれば大丈夫でしょ。あなたにお願いできるかしら」
「ああ、分かった」
電磁ナイフを使えば木を切り倒すのなんか簡単だし、木を運ぶのだって強化外骨格を着た俺にとってすれば朝飯前だ。
早速俺が作業に移ろうとすると、森の方から何か大きな音が近づいてくることに気が付いた。
ただ草木を分ける音ではない、木が引き倒される音だ。
「おい、リリー。なんか来るぞ」
「……早速面倒そうなのが来たみたいね」
リリーも音に気付いたらしく、若干逃げ腰になって俺の後ろに下がった。
その判断に間違いはない。
得体が知れない以上、戦闘職である俺が矢面に立つべきだろう。
固唾を呑んで近づいて来る音がするほうを見守っていると、やがて森の中から木を押し倒してそいつは現れた。
「なんだありゃ」
俺はつい間の抜けた声を漏らす。
大型のRV車ほどもある巨体。
頭には角が一本生え、牙が四本、鋭い相貌が俺とリリーを見ている。
そこには馬鹿でかい猪がいた。




