第35話 正義の味方と悪の女幹部、過去を偲ぶ
6/4 この話の前に割り込み投稿してあります。
ちょっとした設定のようなもので、本編ではないので読まなくても差し支えありません。
酒の席でのちょっとした思い出話だったはずだ。
それがどうしてこうなった。
異世界に一緒に飛ばされた悪の組織の女幹部が、まさか小学校の頃の同級生だったなんて。
「……もしかして、小酒井百合子、なのか?」
俺の問いに、彼女は頷いた。
マジかよ、おい。
「新橋宗嗣君、よね?」
躊躇いがちにリリーが尋ね、俺はそれに頷いて答えた。
間違いなくそれは俺の本名だった。
その名前で呼ばれるのも久しぶりだ。
”正義の味方”として活動するようになってからは、本名を使う機会なんてほとんどなかった。
「……うそでしょう」
リリー、否、小酒井は頭を抱えた。
俺だって戸惑いを隠せない。
決別したと思っていた過去の残滓とこんなところで遭遇するなんて思ってもみなかった。
改めて目の前の彼女を見る。
この一か月間、同じ屋根の下で過ごした仲だが、幼いころの記憶を思い返して見れば確かに小酒井百合子の面影が残っている。
そういえばあの記憶を思い出したのは、あの地下研究所で初めてリリーに会った時だ。
今にして思えば、リリーを見てどこかに残る面影から連想して思い出していたのだろう。
あー、ちょっと待て?
もしかして俺は本人を目の前にしてくそ恥ずかしい告白したのかよ。
死にたくなる。
リリーとの間に気まずい空気が五分ほど流れただろうか。
体感でなので、実際はもっと短いかもしれない。
周囲の喧噪が遠くに感じる。
「あー、一気に酔いがさめたわ」
不意にリリーが言葉を漏らし、ジョッキに残るエールを煽った。
俺もエールを飲むが、全然酔えないこの体が恨めしい。
酔えるのならば、酒を浴びるほど飲んで記憶を消してしまいたい。
「確認しておくけど、一年生のときの担任は?」
リリーの問いに俺は古い記憶を呼び起こす。
「ええと、確か野村先生だ。眼鏡をかけたおばあさん先生。二年に上がるときに定年退職した」
「同じクラスの田口くんのことで覚えてることある?」
田口、田口……ああ、そうだ。クラスのお調子者、ムードメーカー的な存在だった奴だ。
「プール授業のときに間違って女子更衣室に乱入した。ふざけてボールを投げて百葉箱をぶっ壊した。教室でゲロ吐いて地獄絵図になった」
「教室でゲロは知らないわね。もしかして私、学校を休んでたのかしら」
「だったらラッキーだったな。あれは……悲惨だった」
俺は遠くを見た。
多くは語りたくないが、二次被害やらなにやらでバイオハザードだった。
あれを経験していないのは幸運という他ない。
「……間違いないわね。本当に新橋くんだとか……どんな巡り合わせよ。同級生が今は”正義の味方”をやってるとか、一緒に異世界に来てるとか」
「それは俺も全くもって同意見だ」
地元に残れば中学時代の同級生にコンビニで出会うこともあるし、近所のスーパーで働く同級生がいたりすることもある。
だが”正義の味方”と”悪の組織”という対極の組織に所属して相対し、しかも一緒に異世界に飛ばされる確率など高額宝くじに当選する確率より格段に低いのは間違いない。
「世界は意外と狭いものね」
「異世界だけどな」
しみじみと呟き、俺たちは再びエールを口にした。
人生ってのは何が起こるかわからない。
一か月前の俺は異世界で悪の組織の一員と思い出話をすることになるなんて思ってもみなかった。
「ねえ、これからは新橋くんって呼んだ方がいい?」
リリーの言葉で思わず酒を吹き出しそうになる。
「いや、これからもアッシュで頼む。そっちのほうが呼ばれ慣れてるし、何より急に呼び方変えたら周りから変に見られるだろ」
「まあ、そうよね。私もリリーの方が良いわ。この恰好で百合子とかミスマッチもいいとこだし」
ただでさえ本人を目の前にして恥ずかしい告白をして死にたいくらいなのに、本名で呼び合うなんて勘弁してくれ。
俺のライフはもうゼロよ。
「……最初に知己を深めるとか言っちゃったけど、深めるも何もないわね」
「すでに知ってたしな」
「ああ、でもあなたは小学校四年生のときに引っ越したから、その後は知らないわね」
「よく覚えてるな」
「あなたこそ、あの時の事をよく覚えてたわね」
「それだけお前が印象深かったんだ。色んな意味で」
体が弱かったとか、纏う雰囲気が変わっていたとか、まあ、色んな意味で。
リリーは俺の言葉を受けて、少し赤面しつつ顔を背けた。
俺のあの告白まがいの言葉を思い出したのかもしれない。
「……この話はやめておきましょう」
「……その方がお互いのためだな」
変な空気になりそうなので、俺は話を逸らした。
「……それにしてもあのお前が”悪の組織”の一員とはね」
「意外?」
「まあ、そうだな。あの頃は少し変わっていても、”悪の組織”なんて柄じゃなかっただろ?」
あの頃のリリー、いや小酒井百合子は病弱で儚げな雰囲気ではあるものの、普通の少女だった。
少なくとも二十年後に”悪の組織”の女幹部をやりそうな子ではなかったはずだ。
「なんでヘルメス――いや、親父さんと一緒に”悪の組織”の一員になろうと思ったんだ?」
リリーは俺の問いに儚げな笑みを浮かべ、手持ちぶさたにジョッキのふちを指でなぞった。
「そもそも父が”悪の組織”の稼業に手を出したのは私が原因だもの。放っておけるわけないじゃない」
「お前が原因?」
「父は私の病気を治すために、未認可の薬や非合法の技術を使って治療法を研究したのよ。そのうち同じ志を持つ研究者が集まってグループになった。非合法のアングラ組織よ」
言われてみれば今のリリーに子供の頃の病弱な感じはない。
おそらくヘルメスによって治療されたのだろう。
「そのグループはやがて所属する人間が多くなり、グループの中に破壊的な方法を用いて企業から技術を盗んだり、開発資金を得るために暴力的な方法でお金を盗む人間が出てきた。
最初は父も咎めていたけど、私たちにはお金が必要だったし、研究を続けるために技術を手に入れる必要もあった。やがて父も黙認するようになっていったわ。
そうしている間に”悪の組織”と呼ばれるようになったわ。
父はただ私を、いえ病気に苦しむ人を救うために研究を続けたいだけだったのに」
リリーは寂しげに呟いた。
リリーの病がなければ、もしかしたらヘルメスは”悪の組織”に参加していなかったかもしれない。
そうなればリリーも”悪の組織”に加わらずに、平凡な女性として平凡に生きれたかもしれない。
だが、そんな”かもしれない”なんて意味がない問いかけに過ぎない。
実際問題、リリーはこうして”悪の組織”の女幹部として俺の目の前に座っているのだから。
「やがて深みにはまっていった。
自分の中で決めた一線を守っているつもりでも、なにが悪でなにが善かなんて倫理観は、徐々に蝕まれるものよ。
最初は自分を正当化し、そして必要悪だと自分を納得させるのよ。でもどんなに気高い志を持っていても、一度罪の意識という柵を踏み越えることを覚えたら、どんどん踏み越える事になんの感情も抱かなくなる。
やがて”正義の味方”が現れ、仲間が倒されていくにつれて私たちは対抗するために自分を強化し、武装化していったわ。
目的を果たすための手段を選ばなくなっていった。そうしたらいつのまにか立派な”悪の組織”の出来上がりよ。
……時というものは残酷ね。今の私はあなたの知る小酒井百合子じゃないわ。
どうあがいても悪人の”ドクター・ダークリリー”なのよ」
リリーはジョッキを煽り、最後に残ったぬるいエールを飲み干した。
それ以上の言葉を続けないように。
つまらない感傷の思いを飲み込むように。
「私の話はおしまい。次はあなたの話を聞かせて」
努めてリリーは明るく言った。
「それで?あなたはなんで”正義の味方”なんかになったの?」
登場人物
アッシュ 新橋宗嗣、”正義の味方”
リリー 小酒井百合子、”悪の組織”ネクタルの女幹部、ドクター・ダークリリー
ヘルメス ”悪の組織”ネクタルの首領、リリーの父