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第20話 正義の味方と悪の女幹部、家を買う

「よし、家を買いましょう」


 冒険者ギルドを出てすぐ、リリーが勢い込んでそう言った。


「もうかよ!気が早ぇよ」


 さきほど報奨金を受け取ったばかりだっていうのに性急過ぎるだろ。


「早いに越したことはないわ。善は急げ、思い立ったが吉日とも言うわ」

「それにしてもだ。こっちの世界で家がどれだけするのか分からないが、そうほいほいと買うようなもんじゃないだろ。それともなにか?そんなに早く家が欲しい理由でもあるのか?」


 俺の言葉に若干リリーは気まずそうにした。


「正直言って、私全然役に立ってないのよ。だから私が活躍できる環境が欲しいのよ。盗賊の殲滅も、伯爵との交渉も、斑狼とやらの退治も、私はなんにもできてないのよ?今回のお金だってほとんど貴方が稼いだようなものだし。……それだとなんか私がヒモみたいじゃない」

「ヒモみたいというか、ヒモそのものだな」


 家を買う金にしてもほとんど俺が稼いだようなもんだからな。


「くっ、その汚名を返上するためにも早急に研究をできる環境が欲しいのよ。私が研究を始めればあなたは私の存在を崇め讃え、軽んじることはできなくなるはずよ」

「いや、俺は別にお前を軽んじちゃいないんだが。戦闘じゃ役立たずってだけで」

「それが軽んじてるっていうのよ」


 リリーが俺を睨みつける。

 おっとこいつは失敗だ。

 とはいえ、俺は悪の組織の女幹部ながらリリーの事を認めている。

 こいつの頭脳は”正義の味方”にもいないほど優秀だし、実戦闘では役に立たなくても支援では今後必ず役に立ってくれるだろう。


「気にすんなって言っても、性格的に無理なんだろうが……それを言ったらこの一週間ほど俺は今のお前と同じようなもんだったぞ」


 こちらの世界に来てから俺はメガ猪を倒して地上の整備をした以外やることが全然なかった。

 オートマタが一部受け持っていたところもあるが、地下研究所の雑務のほとんどをリリーがしていたのが現状だ。

 

 だから今はベンチを暖めている状態でも、今後否が応でも働かなければならないときが来るだろう。


「要は適材適所ってことか。俺は肉体労働、お前は頭脳。俺が前衛で、お前が後衛」

「その後衛である私が活躍するには、拠点が必要なわけ」


 リリーは鼻息荒く俺を説得しにかかってくる。


「別に俺だって拠点を設けることに反対なわけじゃない。ただ、情報を集めてからでもいいだろって話だ」


 どのみちこの街に拠点を設ける必要があるだろうし、早いに越したことはないであろうことは俺も理解している。

 金は流れ物、溜め込むよりは使った方がいい。


 ただリリーがこうもすぐに行動に移るとは思わなかっただけだ。


「わかった、兎に角商業ギルドに行って話を聞いてみよう」

「じゃあ早速商業ギルドに行きましょう!」


 リリーは喜び勇んで早速歩き出したが、すぐにその足を止めた。


「……で、商業ギルドはどこなの?」


 ……こいつって頭は良くても賢くはないんだよな。




 * * *





「言っておくが今日家を買ってもすぐには住めないからな?手続きをしたり、家を掃除したり、調度品をそろえたり、住める環境を整えなきゃいけないんだからな」


 商業ギルドに向かいつつ、リリーに釘を刺しておく。

 こいつはどこか一般常識が抜けているところがあるので注意が必要だ。

 こちらの不動産の扱いがどうかはわからないが、家を買うことに伴う雑務自体は地球と大差ないはずだ。


「そ、それぐらいわかってるわよ」


 うん、分かっていたかどうか怪しいな。

 というか引越しとかしたことあるのか?


「あるわよ、それくらい。父が”ネクタル”を始めた頃に身を隠すために拠点をあちこち変えたしね。でもそのころは小さかったし、ほとんど回りの人がやってくれたからあまり憶えてないけど」


 悪の組織の引越しに引越し業者とかを使えないだろうし、変に部外者を使って情報が漏れる可能性があるものな。

 ほとんど身内や配下の人間がやったんだろうし、子供だったリリーは引越しの役には立たないだろうから蚊帳の外だっただろう。


 それにしても家具を運ぶ怪人……かなりシュールな光景だろう。


「私が大きくなってからは今の拠点に移って、それから移動してないからそういった手続きとかしたことないのよ」

「まあ、そうだろうな。あ、商業ギルドはここだ」


 商業ギルドは冒険者ギルドの程近く、数百メートルほど離れた場所にあった。

 あまりに近くて行き過ぎるところだった。


 内部は冒険者ギルドに似ており、各種受付カウンターと掲示板が立ち並んでいる。

 冒険者ギルドと違って中にいる人間のほとんどが普通の格好をしており、荒事を生業にしてそうな人間はあまり見受けられなかった。 

 ギルドの内部も整然としており、役所のような雰囲気を漂わせている。


「なんというかギルドってファンタジーらしくないわよね」

「確かに役所とか銀行の雰囲気だな」

「えっと不動産関係はカウンターに行けばいいのかしら?」

「あれ見ろ、掲示板に住宅情報があるみたいだぞ」


 掲示板には各種依頼票や情報が記された紙が張り出されており、そのなかに不動産情報が集められたところがあった。


「ええと、賃貸、中古、新築……すごい普通のラインナップね」

「しかも集合住宅と戸建もあるみたいだな。ファンタジーらしくないな」


 流石に間取り図は描かれてないが、扱われている不動産の種類は地球のものとさほど変わらない。

 ファンタジーだからもう少し曖昧な部分があるかと思ったが、大きな都市の中だからか意外なほどしっかりしているようだった。


「うーん、賃貸か、それとも買っちゃったほうがいいかしら?」

「こっちの世界の現状回復義務がどうなっているか知らないが、買ったほうが面倒が少ないんじゃないか?」

「それもそうかしら」

「だってお前の事だから、建物を改造するんだろ?」

「……否定できないわね」

「まあ、手持ちの金で家を買える金額ならの話だけどな」

「売り家は……そうね、八千ガルぐらいからあるみたいね」


 八千ガル、つまり百万円ぐらいってことだ。


「安いな」

「安いには安いなりの理由があるみたいだけど……実物を見てみないとなんとも言えないわね」

「適当に良さそうな物件を選んで見に行ってみるか?」 


 掲示板の情報だけでは間取りも分からないし、立地条件も分からない。

 現場に行って見るしかないだろう。 


「そうね……でも住所が分からないわ」


 リリーに言われ、はたと気付く。


 日本では区画そのものに名前がつけられ、徐々にエリアを絞っていく形で表記されるが、日本以外の多くの国では通りに名前がつき、住所は通りを基準にした座標として表記される。


 こちらの世界でも通りを基準にした住所表記なようで、日本人である俺たちにはわかりづらい。


 その上、先日街を散策したときにマッピングしたと言っても、この街のごく一部だけだ。

 一応この街の主要な道はマッピングしてあるが、通りの名前までは把握していない。

 この街の住宅地図なんかがないと自力で行けそうになかった。


「こいつは……分からないな」

「そもそもこれの販売はギルドがやっているのかしら?それとも情報を掲示しているだけで、販売は別の業者が?」

「あー、ギルドの職員に訊いてみるか?」


 掲示板の前で俺たちが悩んでいると、後ろから誰かがやってくるのに気付いた。


「住居をお探しですか?」


 振り返ると、そこには身なりのいい青年が立っていた。

 髪の色は艶のいい茶色、年齢は俺より若干上っぽい。

 細身で筋肉隆々というわけではない。手もほっそりとしていて傷などもなく綺麗だ。

 おそらく頭脳労働者だな。 


「あなたは?」

「失礼しました。ギムレイ商会のマーカス・ギムレイです」

「ギムレイ商会では不動産を扱っているんですか?」


 リリーの問いかけにマーカスは笑みを深める。


「オジェクにおける不動産取り扱い件数ナンバーワンを自負しております」

「こちらとしては渡りに船だが、人の話を盗み聞きするのは悪趣味だな」

「お気づきでしたか」


 俺が指摘するとマーカスはばつが悪そうにした。

 彼は自然に声を掛けてきたように振舞っていたが、実のところ彼がずっとこちらを窺っていることは分かっていた。

 だが実害はなさそうだったので放っておいたのだ。


「客になりそうな人をここで待ち、声を順番に掛けるというのが商業ギルドの慣例みたいなものなのですよ。ギルドとしてもいちいち接客するのに人手を割く必要がなくなりますし、我々も客を得られますからね」


 言われてみれば、他にも客待ちらしき商人の姿がギルドのホールにちらほら見受けられる。

 まるで某大手電気店の店員のようだ。


「お二人が宜しければ僕がご相談に乗りますが、宜しいですか?」


 丁度困っていたところだし、どこの商会だろうと俺たちに特に拘りもないのだから彼を頼ることにする。


「では我が商会に場所を移しましょうか」


 マーカスが先導して商業ギルドを出て、通りを歩く。

 そのギムレイ商会に向かう道すがらマーカスが話しかけてきた。


「それにしても僕は幸運のようです。お二人はアッシュ様とリリー様ですよね?」

「……なんで知ってるんだ?」


 警戒するような視線を向けると、彼は笑みを浮かべた。


「お二人のお噂を耳に挟んだんです。商人は情報が命ですからね。有望そうなお方の事なら尚の事注意を払っておりますよ」


 俺たちは見た目からして目立つし、そのうえ言動も目立つ。

 耳聡い商人なら情報を持っていても仕方ないかもしれない。


「それにしても面白い方たちですね。お金が手に入ったら普通の冒険者は装備を整えたり、遊びに興じたりするのが常ですのに、家を買おうとするだなんて」

「冒険者は家を買わないのか?」

「家族持ちなら買う事もありますが、冒険者は基本あちこち渡り歩きますからね。あまり一箇所に居つかないので家を買っても持て余す方が多いんですよ。それにいつ死んでもおかしくない仕事です。宵越しの金は持たずに使ってしまう、っていう豪気な性格の方も多いですね」

「そんなもんか」

「ええ……丁度着きましたね。どうぞお入り下さい」


 ギムレイ商会は商業ギルドからほど近くにあった。

 百メートルも離れていないだろう。

 商業ギルドに近い方が便利だろうから、それも当然かもしれなかった。


 俺たちが商会の建物に入ってすぐにあるのはカウンターで、複数に区切られて商談スペースのようになっている。

 おそらくここで応対されるのだろう。


 なんだか携帯ショップか、不動産チェーン店みたいな感じだ。


 そしてその奥には机の並ぶ事務室のようになっていて、そこで従業員らしき人たちが忙しそうにしている。 


「どうぞこちらへ」


 マーカスが商談スペースのひとつへ案内するので、それに従って俺たちは席についた。

 すぐに女性従業員がカップに入ったお茶を持ってくる。


 ……本当にここはファンタジーか?

 こちらの世界の接客サービスの充実さに若干戸惑ってしまう。


 そんな俺の戸惑いなど露知らず、マーカスは営業スマイルを浮かべつつ俺たちの向かいの席に座った。


「早速ですが、ご予算はどれほどですか?」


 現在の所持金は十万ガル弱、千二百万円ちょいある。

 だが全部を使うわけにはいかない。


『予算は千万円くらい、大金貨五十枚(八万ガル)くらいを上限にしといていいか?』

『そうね、それくらいが妥当じゃないかしら』


 秘匿通信でリリーと素早く相談し、上限を決める。

 千万円あれば家を買えるだろうし、残りのお金でその他の必要物を揃える事ができるだろう。


「そうだな、大金貨三十枚ってところかな。もし良い物件があればもう少し出すのも吝かじゃないが」

「大金貨三十枚ですか……承知しました」


 マーカスが予算を聞いてしばし思案しだした。

 俺たちのやり取りを見ていたリリーから秘匿通信が入った。 


『ねえ、大金貨三十枚って四八〇〇〇ガル、つまり六百万円くらいよね?なんで少な目に言ったの?』

『あくまで八万ガルは予算の上限だからさ。商人相手に使える金をばらす必要はないだろ?』


 マーカスは俺たちが領主から報奨金を貰っていることを知っているようだが、その額までは知らないはずだ。

 俺たちが金を持っていると知れば、足元を見てくる可能性がある。

 なにせこちらは値段があってないような世界だ。

 ふっかけようと思えば幾らでもふっかけることができるし、値切ろうと思えば幾らでも値切れる。


 隠し玉はないよりあったほうが良いに決まっている。


 それにマーカスだって額面どおりに俺たちが大金貨三十枚しか払えないとは露ほども思ってないだろう。

 俺たちがそれよりも払えると踏んでいるはずだ。

 そこらへんは腹の探りあいになるだろう。


「では、どのような家をご要望ですか?」

「住むのは二人だけだからさほど大きくない家で、最低限の設備が揃っていて、実験とかをするからそのための部屋があって、できれば周囲に家が隣接してない方がいいわね」


 間髪いれずにリリーが応え、マーカスは興味深げな視線を向けた。


「おや、リリーさんは錬金術師か魔道具士ですか?」

「そんなところよ」


 誤解をあえて訂正する必要はないと考えたのか、リリーは曖昧に頷く。

 仮にマッドサイエンティストと答えを正しても、彼には理解できないだろう。


「それでしたら店舗が一緒になっている物件もございますが」

「趣味的なもので売る気はないから店舗は必要ないわね。あと他に必要なのは……お風呂」

「お風呂、ですか?」


 リリーの言葉にマーカスは若干困惑した様子を見せた。


「浴室があるのは貴族の屋敷くらいなものですよ。一般庶民は公衆浴場を使いますので」

「お風呂のある物件はないの?」

「ええ、私どもの扱っている物件にはございませんね」


 リリーはあからさまに残念そうにした。

 どんだけ風呂に入りたいんだ。


 そんなリリーの様子を見て、マーカスは申し訳なさそうにした。


「もしお風呂をご要望でしたら、建物の一部を改装して風呂場を設けられたらいかがでしょうか。もちろん別料金ですが」

「そうね、どのみち色々と手を加えないといけないだろうし……その案を採用するわ」


 リリーはすっかりこの商会で家を買う気のようだ。

 他に伝手もないし、別に構わないのだが。

 

「そうですね……お二人の注文に適う物件は四件ほどございますね」


 そう言ってマーカスは何枚か書類を取り出した。


「一件目は第一城郭の内側で、元々錬金術師の店舗兼住宅として用いられていた建物です。建物自体の状態も良く、ご要望のスペースも十分にあると思います。ただお値段が少々張りまして、大金貨五〇枚となっております」

「高いな」


 マーカスとしてはこれを買わせたいのだろうが、彼に告げた予算をはるかにオーバーしている。

 ある意味俺たちの予算にどんぴしゃなので買えなくもないが、これは様子見だろう。

 安いに越したことはないのだ。


 それにしても俺たちの本当の予算をぴたりと狙ってくるあたり、マーカスの商才は侮れないな。


「では……二件目ですが第三城郭の内側で貧民街に位置し、とある商会の店舗兼倉庫だった建物です。住居目的には作られていませんが広さは十分かと思いますので、住まわれる際に少々手直しされれば問題ないかと思います。ただ貧民街に位置することもあって治安があまりよろしくなく、価格は金貨十五枚となっています」


 改築リフォームに無駄な時間とお金を掛けるのは得策じゃないだろう。

 それに治安が悪いというのも減点だ。


 オジェクの街には城郭が幾重にも重なっており、第三城郭が一番外側になり、第一城郭が中心になる。

 中心に行けば行くほど地価は高くなり、住む人間も身分が高くなり、治安も良くなっている。

 第三城郭の一番立地の悪いところではスラムのようなものが形成され、犯罪も多いという

 正直、そういうところは勘弁願いたい。


「パスだな。できればすぐに住めるような物件はないか?」

「三件目は第二城郭の内側、大通りに面した二階建ての住宅です。ただ少々手狭で、居間と作業部屋と物置のほかには、寝室がひとつですね。周辺は家が密集しておりますので、臭いや音が出る作業は苦情がでるかもしれません。こちらの価格が大金貨二十枚となっております」


 せめて俺とリリーの個室が欲しい。

 狭い上に作業もできないんじゃ話にならない。


「それもパスね」


 リリーの言葉を受け、マーカスは最後の一枚を手に取った。


「四件目は第二城郭の内側の端に位置します、工房兼住居だった建物です。住み込みの弟子なども住んでいたので、結構広めの物件になりますが、価格は大金貨三十五枚となっております」

「広いわね。そのわりに安い理由は?」

「第二城郭の内側とはいえ第二城郭に隣接していること、建物が少々古いこと。町外れであまり便が良くないことですね。ただお二人のご要望どおり家は隣接しておりませんし、小さいながらも庭があります」

「もう少し詳しく聞いても?」


 リリーが身を乗り出してマーカスに尋ねる。

 どうやら彼女のお眼鏡に適ったようだ。


「一階に居間と台所、トイレ、作業場、使用人部屋、物置があり、二階に寝室が四つあります。また地下に物置があります。周辺の立地は街外れなため人通りは少ない場所です。職人の工房が多いため昼間は騒々しいですが、夜は静かですよ。治安

の方ですが、職人気質の人間が多く住むため喧嘩は多いですが、窃盗といった犯罪は少ないですね」

「ふうん、良さそうね」


 そう言ってリリーは俺に同意を促してくる。

 確かに話を聞く分には俺たちの要望に適っていると言える。

 だが実際に目にしてみないとなんとも言えないだろう。


「その物件を見ることはできるのか?」

「ええ、ではこれからこちらの物件にご案内いたしますが如何ですか?」


 マーカスの誘いに俺たちは当然の如く首を縦に振った。




 ***




 オジェクの街は、砦だった領主の建物を中心に外側へ向かって拡張された歴史を持っている。

 そのため第一城郭の内側が一番歴史が古く、外側に向かって新しくなっている。


 第一城郭の中の裕福な人間の住む建物は石造りが多く、イギリスのコッツウォルズの街並みに近い。

 オジェクの街の中で最も古くから存在する街の中核でもあるため、砦の一部として堅牢で長持ちする石材が使われたのだろう。

 第二城郭の中はハーフティンバー様式とでもいうのだろうか。露出した木の枠組みと壁が独特のデザインの建築法で、壁には土壁に漆喰が塗られた家が多く、一部に石壁の建物も混在している。


 ギムレイ商会からマーカスが用意した馬車で揺られること二十分ほど、周囲の町並みが変化してきていることに気付いた。


「建物が密集しなくなってきたな」


 商業ギルドやギムレイ商会のあった大通り沿いでは背の高い建物がびっちりと建ち並んでいたのに対し、ここでは一戸建ての家が少しの間隔をあけて点在している。 


「この近辺は職人の工房を兼ねた建物が多いですからね。火事の延焼を防ぐ意味もありますし、音や匂いを配慮して建物の間隔は広めにとってあるんですよ」

「なるほど」


 作業場と住居が併設されるのがもっぱらな上に、住み込みの弟子も寝泊りするからか大きな建物も多い。

 確かに工房が集まっているだけあって騒々しくもあるが、重機や機械があるわけでもないので騒音と言うほどでもなく人の営みの賑やかさを感じられて俺としては心地よかった。


 それからしばらく行ったところにある一軒の建物の前でマーカスは馬車を停めた。


「こちらの物件になりますね」


 周辺の家と同様、木の枠組みに土壁というハーフティンバー様式の二階建ての家だった。

 三角屋根のまさにヨーロッパ風という印象だ。


「確かに古そうだけど、住めないほどじゃないわね」

「ああ、思っていたよりずっと状態がいい」


 土壁にヒビが入っているところも多々見受けられるが、十分修復が可能なレベルだ。


「つい最近まで人が住んでましたからね、古いながらも手入れはされてましたよ」


 窓にはガラスがはめ込まれているが、溶かした錫を使った板ガラスの製造法が確立されていないのか、板ガラスは小さく濁っている。

 大方、円筒に膨らましたガラスを切り開いて板状に伸ばす円筒法が使われているのだろう。


 いずれにせよ窓にガラスがないよりは良い。


 建物の左側に二メートルほどの幅の開口があり、そこから入って通路を奥へ進むと建物の中央に位置する中庭に到達する。

 中庭には井戸があり、北側に馬小屋、家畜小屋、トイレ、地下への階段、南側が使用人部屋、台所、居間、東に作業部屋となっており、全ての部屋に中庭を通って行くことができる。

 中庭は吹き抜けになっていて青空を拝むことができ、二階部分の回廊も見ることができる。


「その井戸は使えるのか?」

「ええ、先月まで人が住んでましたので、問題ありませんよ」


 井戸には木の板で蓋がしてあり、中を覗くと澄んだ水が底に見えた。

 ただ手押しポンプもなければ、滑車もないので水を汲むのは一苦労だろう。

 ここも要改造だな。


 中庭は踏み固められた土で、建物の中央に位置してどこにいくにしても通る必要があるため靴を履いての生活が基本のようだ。

 ほとんど強化外骨格を着ている俺からすればありがたいが、リリーはどうなんだ?ずっとブーツを履いていて、蒸れたり、むくんだりしないんだろうか。


「こちらが居間になりますね」


 居間は大体八畳ほどの広さで、暖炉があるほかは特に何もあるわけではない。


 居間の隣を覗くと、そこには台所がある。

 こちらも竈があるくらいで、それ以外に台所らしいものがない。

 水道もないので井戸から水を運んで水瓶に溜めておく必要があるだろうし、竈を使うにも大量の薪が必要になる。

 こちらの世界での家事は重労働だろう。


 居間の北側には六畳ほどの作業部屋があった。

 広々とした部屋でこれといった特徴もなく、何に使うにしても問題なさそうだ。


「ここは木の床なのね」


 リリーの呟きを受けて俺も遅れて気付く。

 確かに作業部屋だけ床が木の板張りで、居間と台所は石が敷き詰められていた。


「それはこの下が地下室になっているからですね」

「なるほど、床はそのまま地下の天井になるわけか」

「作業室の床も木で出来ていますので、鍛冶などの火を扱う作業や、大量に水を扱う作業には不向きですね。以前ここを使用していた職人は木工を営んでいたようです」


 ここで水を大量にこぼせば、床に水がしみこんで地下を濡らしてしまうだろう。

 火も床が木のため注意して扱わないといけない。

 高温になる鍛冶などはもってのほかだろう。


「錬金術や魔道具製作を行う分には問題ありませんよ」


 そう言ってマーカスはリリーに笑いかける。

 リリーも作業部屋を見渡して満足そうに頷いた。


「作業スペースは十分ありそうね」


 特に設備もないのですぐに作業部屋は見終わり、中庭へと戻り他の部屋を覗いた。

 そこは一畳ほどのスペースで、石の床にぽつんと穴が空いている。


「ここは……トイレか。このトイレの糞便はどこに?」

「この建物の北側の地下に便槽があります。生ゴミや家畜の糞もそちらに集めることになりますね。集められた糞便は回収業者が月に一度回収しにきますよ。下肥しもごえは畑の肥料になりますからね」


 マーカスの話を聞きながらトイレを観察する。

 少し前まで使っていたそうだが、今は臭いなども大してしない。


 こちらの世界のトイレは石の床に穴が空いているだけのぼっとん便所と形容するほかないものだ。

 こちらに来て数日が経過しているため、そういったトイレには大分慣れたがやはり落ち着かない。


 ぼっとん便所なんてど田舎に住んでた死んだじいちゃんの家の便所以来だ。


 和式便所の使い方を知らない今時の小学生じゃないが、俺は洋式便所に慣れた都会っ子なんだ。

 家を購入した暁には、トイレを改造することもやぶさかではない。

 

「次は地下室をご覧下さい」


 そう言うとマーカスはトイレの横にある地下室へ下りる階段へ俺たちを案内した。

 彼は準備よく用意していたカンテラに火を灯すと自らが先頭に立って階段を下りていく。


 彼に続いて階段を下ると二つに間仕切られた小さな部屋があった。

 二つ合わせて丁度上の作業部屋と同じ大きさだ。


 壁も床も石で組まれており、地下なので明り取りの窓もない。

 一階の床でもある天井の板の隙間から光が若干差す程度で、カンテラがなければ真っ暗だろう。


「地下は年中を通して気温が一定ですので、主に食料の貯蔵に用いられますね」


 確かにマーカスの言うとおり、気温が上よりも低くひんやりとしている。


 地球では過去に作られた防空壕やトンネルをワインセラーに利用していているところもあるそうだし、日本にも洞窟や地下を氷室として利用していたらしいからそういう利用も理に適っているのだろう。


 とはいえ明かりがないと使い勝手が悪いな。

 電気でもあれば楽なんだが、一々カンテラを使わなければならないのは面倒だ。


 俺が地下室を観察していると、マーカスは西側の石壁を叩いて笑みを浮かべた。


「こちらの壁の向こうに便槽があります。ああ、中身が漏れてくることはありませんので御安心を。周囲を石で組んで崩れないように固めておりますし、便槽自体は粘土を焼き固めておりますから、中身が漏れ出すことはありませんよ」


 地下室を出て、今度は二階へと階段で上がる。

 二課の廊下は回廊になっていて、一階の中庭を見下ろすかたちになっている。


 二階は十畳ほどの広さの部屋が三つあり、馬小屋と家畜小屋の上には干草などを置いておく物置となっていた。

 特筆する点はないが、小奇麗で南の日差しの入るいい部屋だった。


 それから俺たちは建物を出て、建物の周囲をぐるりと見て回る。

 小さいながらも庭があり、家庭菜園のようなものもできるようになっていた。


 特に言葉を交わすことなくしばし自由に建物を見ていたが、頃合を見計らって俺はリリーに近寄った。

 マーカスは俺たちが相談できるようにとの配慮からか、じゃっかん距離をあけたところに立っている。


 近寄る俺に気付いたリリーが顔を俺のほうに向けた。

 

「どうだ?」

「いいんじゃない?」


 リリーのお眼鏡に適ったみたいだ。

 なんというか、彼女はどこか浮ついた笑みを浮かべている。


「お前、結構買うのに乗り気だろ」

「私たちの要望どおりの物件、しかも値段も安めとなればこれは買いでしょ」


 確かに悪くない物件だ。


 だが高額の買い物をするのだから、一度案件を持ち帰り、冷静に精査した方が安全だと思うが……。


 だがまあ、のりのりのリリーに水を差すのも悪い。

 それに一晩考えたところで、この物件を買うことに変わりはなさそうだ。


「じゃあ、買うか」

「買いましょう」


 リリーは深く頷き、俺はマーカスを手招きした。


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