第19話 正義の味方と悪の女幹部、小金持ちになる
後書きに登場人物の簡単な紹介を加えました。
斑狼を倒した俺たちは、すでにカアライ草の採取も終えていたのでオジェクの街へと戻ることにした。
斑狼はどの部位が売れるのかわからないので、血抜きして全部持っていくことにする。
体長が二メートルを超えているので、ちょっと持ちづらいが持っていけないことはない。
斑狼を担いで森を抜け、オジェクの街の入り口になる門に着くと門番の衛兵が唖然として俺たちを見ていた。
「さっき出てったばっかりじゃねぇか。ずいぶん早い帰りだな」
言われてみれば今は昼ちょっとすぎだ。
十時ごろに出て行ったので実質二時間も街を出てないことになる。
「こいつに襲われてね。依頼も済んだんで早々に切り上げてきたんだよ」
そう言って俺は担ぐ斑狼を指し示し、それを見て門番は少しばかり驚いたようだった。
「……それでこいつを担いで帰ってきたってか?」
門番のどこか変なものを見るような視線に若干の違和感を覚える。
あれ?普通、冒険者ってそういうもんじゃないのか?
「狩った獲物は持ち帰るもんじゃないのか?」
「小さい獲物や、全身を高く売れる物はそうだが、こんなデカい獲物は高く売れる素材だけ取ってくるもんだがな」
「でももったいなくないか?」
「無駄に荷物を増やすよっか賢明だよ。どうしても全部持ち帰りたいって奴は大きな魔法袋を買って持っていくし、人数のいる冒険者パーティーは荷車を持っていってまるごと持ち帰ることもするが……お前さんみたいに、ひとりで担いでくる奴なんかいねぇよ」
門番は呆れたように俺を見た。
異世界に来てから俺は呆れられることが多い気がする。
「昨日登録したばっかりなもんでね。常識がないんだ」
「斑狼は単体でも四級の魔物だぞ?冒険者に成り立てが狩れるもんじゃねぇよ。それに単体でもパーティーで挑むのが定石だ。間違っても二人で挑むもんじゃねぇぞ」
実のところ俺一人で倒したって言ったらこのおっさんはどんな顔をするのだろうか。
「もしかして領主様んとこのお嬢ちゃんを助けた二人組ってあんたらか?」
「そうだが?」
俺たちがあのとき街に入るのに使った門は別のところだが、こちらの門にも情報が回ってきているらしい。
知らぬ間に有名人だ。
「そうかあんたらだったのか。だったらその強さも納得だな。……荷車を貸してやるか?返却はギルドの連中に言えばいい」
「そうか、助かるよ」
重くはないんだが、斑狼がでかいので持ちづらいんだ。
* * *
「早かったですね……それで、なんですかそれは?」
冒険者ギルドにつくと受付嬢の猫耳娘のミラ、ではなく真面目そうな方の受付嬢が待ち構えていた。
名前は確かユディットとかいう名前だった。
理知的な眼鏡の似合う女性で、できる女を体現したような人物だ。
彼女は荷車に載せられた斑狼を見て、俺たちに呆れたような視線を向けてきた。
「襲われたから狩ってきた」
「アッシュさん方は退屈しませんね。……カアライ草の採取はお済みですか?それではそちらから精算しますので、斑狼のほうは職員に任せて中にどうぞ」
他のギルド職員が荷車に乗せられた斑狼を建物の裏手へ持っていくのを見送った後、俺たちはギルドの建物へと入る。
受付カウンターではなく、買い取りカウンターにいるユディットに採集したカアライ草を袋ごと渡した。
ユディットは受け取った袋からカアライ草の束を取り出すと、一枚づつその状態を確かめていく。
意外なほど丁寧にすべてのカアライ草を確認したのちミラは書類になにやら書き込んでいた。
「きちんと処理されてますね。冒険者の中には適当に集めてきたせいで質が悪く、買取できないこともありますから」
「採取法の手本どおりにしただけだけどな」
実際、俺たちは特別なことはしていない。
資料室にあった本に書かれていたカアライ草の採取法のお手本どおりに行っただけだ。
「新米冒険者はその当たり前さえできないことが多いんですよ。功を焦って基本を無視したり、そもそもその基本すら知らず、調べようともしないこともしなかったりしますから」
「そんなもんかね」
俺はそんな無茶なことはしたくないな。
なにぶん、石橋を叩いて渡るタイプなんだ。
「さて、査定結果が出ました。カアライ草の採集依頼の依頼達成報酬は一二〇ガル、追加報酬はカアライ草一枚一ガルで四十二枚なので四十二ガルですね。あわせて一六二ガルとなります。ご確認下さい」
大銀貨四枚と小銅貨二枚がカウンターの上に置かれた。
ガルとはこちらの世界の通貨の最小単位で、一ガルで一食分のパン一個買える程度の値がある。
物価の違いがあれど日本円とのレートを考えた場合、一〇〇円以上一五〇円以下と言ったところか。
便宜上、一二五円として考えるとして、一六二ガルは日本円にして約二〇二五〇円となる。
二人がかりで半日の仕事と考えたら、あまり割りのいい仕事ではないかもしれない。
それでも食べていくことはできる稼ぎだろう。
「次は斑狼ですね……解体はこちらでするとなると別途料金がかかりますが宜しいですか?」
「そちらで頼む。あと、後学の為に解体を見学しても?」
「ええ、構いませんよ。解体後の素材はすべてギルドで買い取りますか?」
「あれから取れる素材と言うのは?」
「そうですね、斑狼の場合は毛皮、肉、牙、骨、魔石でしょうか。肉と骨は大した値はつきませんが、毛皮と牙、魔石は個体によっては高値がつきますね」
魔石という単語にリリーが反応した。
今の今まで全然存在感がなかったのに、興味を引くものが出てきた途端に自己主張を始めやがった。
……分かったからキラキラした目で俺を見るな。
「魔石は貰えますか?それ以外は売却で」
「わかりました。細かい査定は解体後ですね。では処理室へどうぞ」
指示されるままにギルドの奥へと向かう。
広い空間があり、複数の獣の毛皮が広げて乾燥させてあったり、いろんな素材が乱雑に仕舞われた棚がある。
そして部屋の中央には解体用のテーブルが幾つか鎮座しており、その前に鎖帷子のエプロンを纏う中年男がいた。
「”肉屋”さん、お仕事ですよ」
「おう、ユディットの嬢ちゃんか……で後ろのは誰だ?」
”肉屋”と呼ばれた中年男は解体台の清掃を行う手を止めて俺たちのほうを窺った。
「今回魔物を獲ってきた方で、解体を見学したいそうですよ」
「解体は見世物じゃねーぞ」
「できれば自分でやりたいですからね。勉強させてください」
俺の言葉に肉屋は打って変わって上機嫌になる。
てっきり自分の仕事を見られるのが嫌なのかと思ったのだが、違うようだった。
「そうかそうかいい心がけだ。最近の若いのは自分で解体しないでギルドに任せる奴が多すぎる。いいか。解体をするってことは、その魔物の体の作りに精通するってことだ。これが何を意味するか分かるか?」
「つまりは弱点を知ることになる、ってことですね」
「お、姉ちゃんわかってるな」
リリーの答えに彼はどこか嬉しそうだ。
「魔物の体のつくりに精通することは、効率よく倒す手管を知ることにも繋がる。解体はそれを知る良い機会だってことを最近の若い奴らは分かってない。全くもってけしからんな」
「”肉屋”っていうのは?」
「俺の通り名みたいなもんだ。解体の仕事ばっかりしてるからな。俺はファレル。俺も昔は冒険者だったんだが魔物にやられて脚を失ってな、引退してギルドに雇ってもらってるわけさ」
そう言ってファレルは自分の右足を叩くと、硬質の音が響いた。
どうやら右足は義足らしい。
膝に矢が当たった程度ではなかったようだ。
言われてみればファレルはなかなかに引き締まった筋肉をしており、数多の戦場を潜り抜けたかのような古傷も目立つ。
昔は中堅以上の力量の冒険者だったのは想像に難くない。
「冒険者稼業もいいが、ギルドでの仕事もいいもんだぞ。給料は安いが安定しているし、定時で帰れる、それに危険もない。だから嫁さんの機嫌を損ねる心配もないし、子供のために時間を割ける」
見た目とは裏腹に随分家族サービスに勤しんでいるようだ。
そうこうしている間に荷車に載せられた斑狼が運ばれてきた。
どうやらギルドには裏口があり、そこから運びいれたらしい。
「しかし斑狼まるごとなんて久しぶりだな。久々に腕が鳴る」
そう言ってファレルは鋭利な刃物を持って、解体台に移された斑狼に対峙する。
「まず内臓を出しちまう。魔物によっちゃ臓物を食べれるものもあるが、斑狼は食わんから捨てちまう」
ファレルは喋りながらてきぱきと腹を切り裂いていく。
「お、血抜きをきちんとしてあるな。若い奴は怠りがちだが、殺してすぐに血抜きをすれば肉が臭くならないから買値が高くなるからな」
「ってことは、こいつの肉は食べれるのか?」
「食べれるぞ。固くて味はさほど良くはないが、安い肉として一定の需要はあるからな」
地球でも某国では盛んに犬を食べると言うし、日本においても江戸時代ごろまで犬食文化はあったらしいから別に問題はないのかもしれないが、犬系統の肉の味の想像が全くつかないな。
今度見つけたら食べてみてもいいかもしれない。
俺が思考に耽る間も斑狼の腑分けは続いていた。
「こいつが胃、食い物が通っていくところだな。そんでこの細長いところを通っていくわけだ」
ファレルがリリーに色々とレクチャーしていたが、釈迦に説法だろう。
「魔石ってのは大概心臓のすぐ傍にある。魔石を傷つけると買い取り価格が下がるから、魔物を狩るときも注意しろよ」
丸いのかと思えば、結構歪な形をしていた。
大きさはピンポン玉くらいだろうか。
リリーは嬉々とした表情で魔石を受け取り、水の入った器で洗っている。
リリーが魔石に興味を移している間に、ファレルは内臓を出して樽に入れていき、斑狼の動体は空になった。
「それにしても刀傷が全然ないな。しかもあちこち骨が折れて、内臓も損傷してる。……鈍器で殴ったのか?」
「殴り飛ばしたあとに止めを剣でやりましたね」
「止めは首筋のやつか。……斑狼を殴り飛ばすなんて、とんでもねぇなお前」
呆れたように俺を見るファレル。
そういう視線にはもう慣れた。
次にファレルは湯につけておいた小さいナイフに持ち替えて皮を剥いでいく。
血膏にまみれて切れなくなったナイフを次々に交換しててきぱきと作業を進めていく、皮を剥ぐのに十分と掛からずに終えてしまった。
しかも肉を多く削ることもなく、皮に穴を空けてしまうということもなく丁寧な仕事である。
均一の厚さに剥がれた皮は実に上等であった。
剥いだ皮を広げて丁寧に吟味し終えたファレルは満足げに頷いた。
「傷が少なくて毛皮の状態もいい、爪や牙に欠けもない。きわめていい状態だ。そうだな、こいつなら魔石抜きの査定で九六〇ガルだな」
約十二万円か。
あの危険度なら妥当な金額か。
ファレルの査定を聞いてユディットは書類に数字を書き込み、処理室をあとにした。
おそらく買取金を用意するのだろう。
盗賊のところから回収したお金は大体二十万円ほどで、色々使って十六万ほどに目減りしていた。
今回の仕事で十四万ほど稼いだから、残金は日本円にしておよそ三十万円ほどだ。
当座の生活費は稼げただろう。
もちろん無駄遣いはできないが。
報奨金と売却金がどれくらいになるかわからないが、リリー念願の家は買えるのだろうか?
しばらく待つとユディットがひとつの革袋を手に戻ってきた。
「こちらが斑狼の買取金になります。ご確認下さい」
俺は革袋を受け取り、中に小金貨二枚と大銀貨四枚があるのを確認する。
これだけでカアライ草の採取の六倍の収入になる。
半日で十二万円とか、おいしすぎるだろう。
もう、魔物討伐だけでいいんじゃないかな。
硬貨の入った革袋を強化外骨格にある『大事な物入れ』に収納する。
『大事な物入れ』は強化外骨格の一部であり、以前は俺の私物を入れるのに使っていた。
鍵を掛けることができ、どんな衝撃でも壊れないし開かないので、家の鍵や財布など失くしては困るものを入れるのに重宝していた。
『おこづかい頂戴』
リリーが秘匿通信を使っておねだりしてくる。
リリーの金銭感覚が怪しいので、俺が一元管理することになっているからだ。
『あとでな』
宿に戻ってから二人の共同資産分と、個人のお小遣い分を分配するとしよう。
欲しいもののベクトルがちょっと変だが、世間一般の女性同様にリリーも買い物好きだ。
生活が破綻しない程度にならお小遣いくらいあげてやってもいいだろう。
『収入もあったし、どこかでお昼を食べていきましょ』
『ああ、そうするか……って日常会話まで秘匿通信ですんなよ』
今でさえ交渉役の俺はまだしもリリーは人前で滅多に言葉を発しない無口キャラになっているし、無言で意思の疎通をとる変な二人組に見られるだろう。
とりあえず斑狼の解体と買い取りも終わったのでギルドを出ることにする。
「じゃあ、ファレルさん、俺たちはこれで失礼します」
「おう、この処理室の時間貸しもしてるから、解体をするときはここを使うといいぞ」
ファレルに挨拶をしてから処理室を出ようとしたところ、なぜかユディットに呼び止められた。
「あのお二人に面会の方が来られてまして……」
「面会?」
俺たちの顔見知りなんて数が知れている。
そして誰が来たかと推察するまでもなく、当の本人が目の前にやってきた。
メイド服を着た見覚えのない女性であり、有象無象がいる冒険者ギルドでも明らかに浮いている。
だが彼女が着ているメイド服には見覚えがあった。
ラウラが着ていたものとデザインが一緒だったのだ。
彼女は俺たちの目の前に来ると深々と一礼した。
「アッシュ様、リリー様。お二人にお支払いする報奨金と、盗賊から押収した物品の売却金が用意できましたのでお呼びしに来ました」
「そうか、えっとそれは領主様の屋敷で?」
「いえ、ギルドの一室をお借りしています。どうぞこちらへ」
言われるがままに彼女についていき、ギルドの建物の奥にある会議室らしき部屋に通される。
すると中には意外な人物がいた。
明らかに身なりの良い身分の高い妙齢の女性、オルマ・クラウトス伯爵夫人だ。
彼女の後ろには先ほどのメイドと女兵士が控えている。
「アッシュさん、リリーさん。今日は斑狼を一匹丸ごと抱えてきたらしいわね。やっぱり貴方達は面白いわね」
貴族らしからぬ砕けた口調は俺としても楽なんだが、彼女の後ろの女騎士の威圧感が半端ないので俺は相当の礼儀を持って接することにする。
「……えっと、今日はオルマ様自らお出でになったのですか?」
「他の人間に任せてもいいんだけど、街に出る用事があったから私が来たのよ。金額も金額だったしね」
そう言ってオルマは後ろに控えているメイドに指示を与えてひとつの革袋をテーブルの上に置かせた。
「まずは伯爵家からの報奨金ね。大金貨十五枚、二四〇〇〇ガル」
オルマは丁寧に革袋の中から大金貨を十五枚、テーブルの上に広げて見せた。
大金貨は一六〇〇ガルの価値がある。
つまり大金貨一枚は日本円にして二〇万円となり、大金貨十五枚、二四〇〇〇ガルは三〇〇万円になる。
伯爵令嬢の命を助けた礼金として妥当といえるだろう。
リリーも暗算してどれくらいの金額になったのか確認したのか、納得したように頷いていた。
続いてメイドがもうひとつ革袋をテーブルの上に置く。
だがそれは先ほどのものより明らかに大きかった。
「盗賊からの押収物の売却金が……大金貨が四十三枚、小金貨が三枚、大銀貨が七枚、小銀貨が一枚、小銅貨が四枚。しめて七〇三〇〇ガル」
今度の革袋をオルマは開けることしない。
大方、面倒くさいのだろう。
えっと、七〇三〇〇ガル×一二五円だから……八七八万七五〇〇円也。
報奨金と合わせれば一二〇〇万円弱。
赤貧状態から一気に小金持ちだ。
『盗賊共、随分貯め込んでたんだな』
『家、買えるかしら?』
リリーが秘匿通信で尋ねてくる。
こだわるのはそこか。
こっちの不動産がどれくらいか分からないからなんとも言えないが、買える気がしてきた。
一二〇〇万円あれば、安いマンションの一室ぐらいなら買えるだろうし、田舎なら庭付き一戸建ても買えるだろう。
小市民根性が染み付いている俺からしたら、こんな大金を目の前にしたら気後れしてしまう。
「結構な金額ですね」
「思いのほか盗賊の押収物が高値で売れたのよ。もとより貴方たちのものだから遠慮しないでね」
「……謹んで頂戴します」
そう言って俺は革袋を『大事な物入れ』に収納する。
「あら、数えないの?」
意外そうにオルマは俺を見た。
ここで数えなければ、たとえ金額を誤魔化されていても文句は言えない。
堅実な商人ならば取引相手の目の前で代金を数えるだろう。
数えないやつは愚かか、取引相手を信用しているかのどちらかだ。
「伯爵家を疑うことはしませんよ」
まあ、あとできっちり数えるつもりだが、それでもこの俺のポーズは伯爵家を信用しているということの表明になる。
断じて数えるのが面倒なわけではない。
「まあ、嬉しいわ」
用は済んだかと思ったが、オルマはにこにこと俺たちの様子を窺っていた。
どうやらなにかまだあるらしい。
「この他にもなにか?」
「そうそう、あなたたちとはもうひとつ話したい事があったのよ。……ラウラがあなたたちにクリスカの護衛を頼んだそうね?」
オルマの笑顔はさきほどと変わらないように見えたが、どこか俺たちを探るようなところがあった。
「ええ、きちんとした返事はまだですが」
「別に咎めるつもりはないわよ。確かに私たちに断りなしに貴方達に話を持ちかけたのは問題だけれど、ラウラはクリスカを第一に思って行動したわけだから。それに私個人としてもクリスカのためにもあなた達を雇いたいところなんだけど……」
そう言ってオルマは背後に立つ女兵士をちらと見た。
目は口ほどにものを言う。
「領軍の面子ですか?」
俺の言葉にオルマは溜息をついた。
「理解が早くて助かるわ。そう、まだ問題が表面化していない現状であなた達を雇うと彼らの面子を潰すことになるから無理なのよ」
正規の護衛がいるにも関わらず、それを差し置いて出しゃばるなら煙たがられるだろう。
しかもどこの馬の骨かも分からない、素性の知れない人間だ。
まともな判断なら護衛には適さない。
もしこれが領軍に裏切り者がいることが明白であればまた違っただろう。
またこのオジェクの街の外であるならば、臨時の戦力として雇うこともできただろう。
だがここの街は領軍の縄張りであり、それを侵害することは沽券に関わるのだ。
俺たちも当然それを把握していたし、それについての考察も進めていた。
「そうですか。ならラウラの頼みは断ることにしましょう」
俺の言葉にオルマは安堵したような残念そうな複雑な顔をした。
だが続けるように今まで沈黙を保っていたリリーが口を開いた。
「でも前回と同じように、偶然通りすがりに助けるのは別に構わないですよね?」
「え?ええ、善意の第三者ということなら問題にはならないと思うけど」
リリーの言っていることが理解できないのか、オルマは若干困惑しつつ頷く。
オルマが了承したことを確認したリリーは懐からひとつのブローチを取り出した。
「ではこちらをお嬢様にお持たせ下さい」
「これは?」
訝しげにオルマはブローチを見る。
ブローチは品のいい銀細工ではあるものの、そんなに高そうな代物ではない。
実のところ、ブローチ自体は昨日露天商のところで買ったものだ。
伯爵家ならばもっと質の良いものを持っているだろう。
だがこのブローチはただのブローチではない。
「緊急時に私たちに知らせることができる魔道具です。居場所も探ることができますので、何か起きたときにはすぐに駆けつけましょう」
昨日の夜にリリーが作り上げた位置検索・緊急通報端末だ。
ありあわせのもので作っているため機能は制限的だが、十分用を成してくれるはずだ。
「いいの?こんな高価そうなもの」
伯爵という身分をもってしても見たことも聞いたこともない機能の魔道具はオルマの目に高価な代物に映っているようだ。
実際のところ樋口一葉一人分でおつりが来る程度の材料費しかかかっていないので壊れたところでなんら問題はない。
だが高価な魔道具を貸し与えたという印象を与えておけば、伯爵家に恩を着せることができるだろう。
「何も起きなければそれで良し。何か起きたときのために用意を怠るのは愚か者のすることです。お嬢様の大事には万全を期するべきです」
オルマはリリーの言葉に若干躊躇い、後ろに立つ女兵士を窺った。
この期に及んでも領軍の顔色を窺うらしい。
女兵士はオルマの視線を受け、初めて口を開いた。
「奥様、我々領軍とて万能ではありません。その魔道具を使われる状況に至っているということは、領軍が役に立たなかったということ。ならばその状況においてそちらの冒険者様にご助力を願うしか術はないでしょう。奥様は母親として、お嬢様の事を想って行動なさってください」
「そうね……じゃあお借りするわ」
オルマは微笑むとブローチを手に取った。
それからブローチの使い方を簡単に手ほどきし終え、オルマは席を立った。
「それじゃあ私はそろそろ失礼するわね。アッシュさん、リリーさん、何かあったら私を頼って頂戴ね」
オルマが部屋を出て行くと、メイドも一礼してそれに続き、女兵士もそれに続くかと思いきや、部屋を出て行こうとしたところで女兵士が俺たちに向き直った。
「冒険者様方、貴方方の出番はないと思ってください」
女兵士の眼差しに領軍の一兵士としての誇りと自信が感じられた。
彼女としては挑発だったのかもしれないが、俺たちとして異論はない。
「ああ、俺たちもそのほうがいい。面倒事はごめんだからな」
俺の仕草に女兵士は意外そうな顔をした。
「冒険者と言うのは名を上げたがるものだと聞いたが?」
「俺たちはのんびり生きたいからな」
「それはあなたでしょう。私は家に引きこもって研究したいの」
「それこそお前だけだ」
俺たちのやり取りに初めて女兵士は口元を緩めた。
「おかしな人たちだ。……いずれにせよ、何か起きたときは宜しく頼む」
「ああ、わかった」
俺は頷き、女兵士が部屋を出て行くのを見送った。
登場人物
アッシュ 地球人、”正義の味方”
リリー 地球人、”悪の女幹部”マッドサイエンティスト
ミラ 冒険者ギルド職員、受付嬢、猫耳娘
ユディット 冒険者ギルド職員、受付嬢
ファレル 冒険者ギルド職員、解体専門、通称”肉屋”
クリスカ 伯爵令嬢、少女
ラウラ クリスカ付きのメイド
オルマ 伯爵夫人