第17話 正義の味方と悪の女幹部、宿屋で語らう
食事の後、ラウラと合流した俺たちは、オジェクの街を散策を再開する。
と言っても観光というよりかは、大雑把に街の概要を教えてもらったに近い。
この街のある周辺の地理、この街が属する国のあらましなど必要最低限の情報は知っておく必要があるだろう。
ラウラの案内についていきながらオートマッピング機能で地図を作成していく。
今後もこの街を利用する上で、使うであろう施設の位置を把握することも重要だ。
こちらの世界に碌な地図などないし、区画整備もきちんとされているわけではないから、迷ってしまえば一大事だ。
というかすでに約一名、迷子になりそうな奴がいるんだがな。
「おい、リリー。勝手にちょろちょろ歩き回るな。迷子になったらどうすんだ」
「こ、子ども扱いしないでよね。迷子になんてならないわよ」
リリーは憤然として答えるが、街のあらゆるものに興味を示して意識が散漫としているので迷子になるのは時間の問題だ。
俺も異世界の町並みに心惹かれないわけではないが、この街にはしばらく滞在することになる。
観光なら生活が落ち着いてからすればいい。
それに生憎なことに店を物色しても俺たちには金があまりない。
盗賊のアジトから回収した貴金属類の売却やクリスカたちを救出したことに対する報奨金がまだだが、盗賊のアジトから回収した金があるので、手持ちがないわけではない。
だがリリーの興味を引くものを買っていては資金が持たない。
それに必要なものが特にあるわけではないので、何を売る店がどこにあり、どの程度の値段かを把握するだけに留めておくべきだ、というのが俺たちの当初の判断だった。
だが街を散策している間にリリーは購買意欲が刺激されてしまったらしい。
やっぱ俺が金を管理して正解だったな。
リリーに金を任せたら早々に破産しちまう。
俺の財布の紐が固いと分かっているからかリリーが俺に金を要求することはない。
それでもリリーがチラチラとこちらを見てくるので、なんとも言えない罪悪感を抱いてしまう。
分かったから捨てられた子犬のような目でこっちを見るな。
「……仕方ない、大銀貨一枚自由にしていいから好きなものを買えよ」
大銀貨は大体五千円くらいの価値があり、大銀貨二枚が一般的労働者の一日分の賃金らしい。
俺から大銀貨を受け取ると、リリーは貰った五百円の使い道を悩む子供のように何を買おうか散々悩んだあげく、魔法関連の本を買っていた。
どこまでも研究肌な奴だ。
「なんだか大変ですね」
ラウラは俺たちのやり取りを見て、どこか微笑ましげにしていた。
彼女の目には俺たちがどんな関係に見えているのだろうか。
ちょっと訊きたい気もするが、なんだか訊くのが怖くもある。
ちなみに俺もこちらの質素な服と細々とした日用品を買ってみた。
身一つでこちらの世界に来た俺の所持品といえば、強化外骨格くらいしかないからな。
* * *
ラウラに案内されながら街を散策していくうち、気になる存在について耳にした。
「転移門?」
「はい、そうです。一瞬で遠く離れた土地に行くことができるものです」
ラウラの話から想像するにワープホール、ワームホールに似た転移装置なのだろう。
そんな面白そうなもの、リリーの興味を引かないわけがない。
「ご覧になりますか?」
「もちろん!」
勢いづくリリーに促されるままにラウラはその転移門のある場所へ案内してくれた。
転移門を利用するには金が掛かるそうだが、観光目的に近くにいって見ることは可能らしい。
なんでもラウラの弁によれば、転移門があることは都市としてのステータスになるそうだから、その都市の力の顕示となるんだろう。
転移門はパンテオン神殿に似た建物の内部に設置されていた。
転移門は直径が三メートルくらいの円形で、材質は石のような感じである。
アメリカのドラマに惑星間を移動できるゲートを題材にしたものがあったが、それに似ている。
「あれでどこに行けるの?」
「オジェクにあるものは王都と繋がっていますね。基本的に転移門は二つで一組になってまして、同じ門で別の場所へ行くことは出来ないんです」
「じゃあ転移門があっても好きなところにいけるわけじゃないのね」
某青いネコ型ロボットの秘密道具のようにどこにでもいけるわけではないらしい。
出口と入り口が決まっているワームホールの方が近いのだろう。
「王都には王国内の各地に繋がる転移門がありまして、それを使えば王国の端から端まで一瞬で移動できるんです」
なるほど。一度王都を接続地点にして中継すればいいわけか。
どうりで冒険者ギルドの情報の統合が容易なはずだ。
王都で情報を集約して再分配すればいいだけだ。
自由に使えるのは領主と各ギルドの支部長、あとは領主の承認を得た人間だけだ。
転移門の起動に膨大な魔力が必要らしく使用制限が掛かっていて、一日に限られた人数しか通れないそうだ。
しかも転移門の利用料金はべらぼうに高く、また運搬する荷物も量によって別途輸送費が必要らしい。
まるで飛行機に乗る際の荷物の重量制限だな。
そのため対費用効果が釣り合わないらしく物資の大量移送はできないらしい。
転移門をくぐれるサイズしか送れないし、制限は意外と多いな。
「ってことは物流の基本は街道での輸送なわけか」
「そうですね。転移門を使う商人はいないかと思います。なにせ採算が合いませんから」
物資は馬車を使って地道に運ぶしかないようだ。
それでも魔法が存在しているお陰で生鮮食品の鮮度を保ちながら輸送できるし、魔法袋があるから物資も大量に運ぶことができている。
そのあたりがこちらの世界と地球の中世の食糧事情の違いをもたらしているのだろう。
「転移門って大きな街にはあるものなの?」
「王都と繋がっているのは王国の八つの主要都市だけですね」
「ふーん、意外と不便ね」
地球の輸送技術を知っているリリーはそう評価するが、実のところ転移門はとんでもない可能性を秘めていると言えるだろう。
転移門は経済活動のみならず、軍事面にも利用可能だ。
数に制限があるとはいえ、王国各地にある軍事力を必要な場所に瞬時に移動させることができる。
それに加え、軍事に正確で迅速な情報伝達手段は必須だ。
転移門を使えば、早馬など目ではないほどの速度で情報を集約できるだろう。
また、正確且つ迅速な情報伝達システムを構築できるということは、俺たちにとって厄介な事にもなりえるということだ。
まかり間違って俺たちがお尋ね者になるようなことがあれば、瞬く間にその情報は王国内部に広がってしまうだろう。
お尋ね者にならないまでにしても、俺たちはなにかと目立ちやすい。
為政者に目をつけられてしまえば、その監視の目はずっと俺たちを追うことになるかもしれないのだ。
転移門の存在を知った今、今まで以上に気をつける必要があるだろう。
俺の思いを知って知らずか、リリーは興味深げに転移門を見て周っている。
現在転移門は稼動しておらず、見たところただの石でできた丸い輪でしかない。
なにが面白いのだろうかと思って彼女を観察していると、ふいにこちらに駆け寄ってきた。
「ねえ、強化外骨格で写真って撮影できるの?」
「ああ、できるが?」
強化外骨格にはカメラが装備されているし、ドライブレコーダーのように何かのときのために記録を録ることもできる。
ただ戦うだけが能ではない。
「転移門、地球に帰る手がかりになるかもしれないわ」
リリーに言われて、ようやく気付く。
言われてみれば確かに三次元間と多次元間の差はあれど転移には違いない。
何かしらの手がかりになる可能性は高いだろう。
「適当にでいいから記録しておいてくれる?」
「わかった」
転移門を警備する番兵に胡散臭そうに見られたが、ふらふらと周囲を眺めながら記録をとった。
俺にこれの利用法は分からないが、強化外骨格で集めることのできる情報をできるだけ保存しておく。
リリーならばそこからなにかしらの意義を見いだすことが出来るだろう。
***
リリーのテンションが上がっていた。
「この宿の隣に銭湯みたいな施設があるんですって!」
テンションの理由はお風呂だ。
俺たちはオジェクの街の散策を終え、日が暮れかけてきたのでラウラの勧める本日の宿へと来ていた。
六畳ほどの室内の調度品はベッドと収納チェスト、あとは簡素なテーブルと椅子だけだ。
ベッドは木枠の中に藁を束ねたものを詰め、その上に布や毛皮を敷いたものだ。
板張りよりもクッション性があるのでそこそこ寝心地は良い。
この世界では一般的なものだが、伯爵のところにあったベッドの方が若干グレードが高かった。
正直なところ、この世界の宿屋のレベルは残念だ。
それでもリリーはお風呂があると聞いただけでテンションが上がっていた。
まあ、彼女の気持ちが分からなくもない。
地下研究所を出発して今日で四日目。
伯爵の屋敷で簡単に湯浴みできたとはいえ、乙女心としてはいい加減風呂に入りたいんだろう。
それにしても、と俺は部屋を見渡して独り言つ。
「すっかり相部屋に抵抗がなくなったな」
六畳ほどの部屋にはベッドが二つ、もちろん俺とリリーの分だ。
「今更じゃない。それに一応話し合って決めたでしょ。セキュリティーの関係上、相部屋の方がいいって」
確かにリリーの言うとおりだが、リリーにはセンチネル君弐号があるし、俺は特に何もなくても対処が可能なので、別に相部屋でなくてもいいのではという気もする。
とはいえ何かが起きたときに相部屋の方が即座に対応できるし、リリーと相談事をするために互いの部屋を行き来するのも面倒ではある。
そしてなにより、この宿屋の個室が空いていなかったという物理的な問題もあったため、今回も相部屋と相成ったわけだった。
「それにしても手狭よね」
リリーは部屋を見渡しながらそうぼやく。
六畳ほどの面積があるとはいえ、ベッドをふたつ、簡素なテーブルと椅子を置いたら、他に余分なスペースはほとんどない。
この手の宿屋は寝起きできればいい人間が利用するのだろうからこれでいいのだろうが、リリーとしては不満らしい。
「これじゃあ機材を広げるスペースがないわね」
「おい、ここでなにをするつもりだ」
「もちろん研究よ。私のライフワークよ」
「また脳みそじゃないだろうな」
「……あなたが私をどう見てるかよく分かったわ」
憤然とした様子で彼女は俺を睨んだ。
冗談は抜きにしても、リリーが世間から白い目で見られるような事をするつもりなら、断固としてそれを阻止する所存だ。
こいつは一般良識というものが欠如しているから、本当に油断ならないからな。
「あー、研究もしたいけど、いちいち基地に戻るのも面倒よね」
車があれば一、二時間程度で行ける距離なのだが、馬車で街道を進み徒歩で森を抜けるとなると十時間以上掛かってしまう。
直線距離ならば街道を行くより幾分近いのだが、結構険しい山が間を挟んでいるのでショートカットすることもできない。
リリーが二時間歩いただけでバテてしまうことを思い出し、地下研究所に戻るのを考えると今から気が重くなる。
なんらかの移動手段を考えておいた方がいいかもしれない。
リリーはというと、俺とは違うことを考えていたようだった。
「いっその事、この街の中に拠点が欲しいわね」
「つまりそれって家を買うってことか?」
「買えるかしら?」
「さあ、どうだろうな。盗賊のアジトにあった金品がどれだけの金になるかわからないし、不動産を買うのに市民権みたいなものが必要かもしれないしな」
そもそも不動産の相場がわからない。
こちらでの不動産売買のシステムがどうなっているのかもわからない。
「でもいつまでも宿屋住まいっていうのは不経済じゃない?」
「そうでもないみたいだぞ?冒険者っていうのは危険な仕事だからいつ死んでもおかしくない。だから家みたいなものを買ってそれに金をかけるよりは、自分の命を守る武器や装備に金をかけるそうだ。だからそういう冒険者相手にした宿屋、所謂ところの下宿のような施設が結構あるらしい」
「でも私達は冒険者として生活するつもりじゃないでしょ?それにあなたなんて簡単に死なないでしょうが」
確かにリリーの指摘も尤もだ。
あの大王岩猪とかいうメガ猪がこの世界で脅威度の高い生物だというのであれば、俺が対処できない生物は少ないだろう。
それに俺は改造手術を受けているため、かなり死ににくい。
だから俺が冒険者をやるリスクはかなり低いだろう。
「でもなあぁ、いつまでも地下研究所のほうを放ったらかしにしておくわけにはいかないだろ」
「大丈夫よ。ここからでも地下研究所をモニターできるし、管理はオートマタに任せれば良いから。だから数週間程度離れていても問題はないわ」
地下研究所には戦闘用、警備用のほかにも保守管理用のオートマタが幾つか存在していた。
研究所内部の清掃のほとんどはオートマタがしていたくらいだ。
もし仮に侵入者がいても対処できるだろうし、研究所自体も人手を必要としていない。
リリーの言うとおり数週間、いや数ヶ月研究所を離れていても問題ないかもしれない。
「私の本分は研究者よ?なのに宿屋住まいじゃ研究するスペースがないじゃない。それは看過できないわ」
「研究所に戻ってからやれよ」
「研究対象はこの街に溢れているのよ?手間じゃない」
全くもって彼女はぶれない。
仮に地下研究所に戻ってから研究させるにしても、研究対象とやらを大量に持ち帰ろうとするだろう。
それはそれで面倒だな。
別に俺はこの街に拠点を築くのに反対じゃない。
かく言う俺も宿屋住まいには幾つか不満はある。
「宿屋だと強化外骨格を保管するにもセキュリティー面で不安が残るよな。あとトイレ、宿屋のトイレは大勢が使うからか汚いし臭い」
「ああ、あれは勘弁願いたいわね」
リリーは思い出したようにうんざりした顔をした。
この宿屋のトイレは中庭にある汲み取り式、所謂ぼっとん便所である。
床に穴が空いているだけであり、やや斜めになったトンネルの先に便槽がある簡単なつくりになっている。
そのため物を落としたら最後だし、臭いももろに来る。
製紙技術が発達しているからか、チリ紙があったのだけは救いだ。
「それに食事だ。不味くないが、いつもあれじゃすぐに飽きるな。食事は自分で作りたい」
先ほど宿屋で夕食を食べたが、不味くはなかった。
だがあまり食事のバリエーションは豊富ではないように見受けられたし、調味料も数は多くない。
味付けはどれも大差ないだろうと想像出来た。
「街を散策してコショウと塩が比較的簡単に手に入ることはわかった。香草の類もあった。だが案の定、米、味噌、醤油の日本食に欠かせない食材はなかったけれどな」
「基地にある在庫を大事に使うしかないわね」
「だが基地の食材にも消費期限があるだろうし、限りがある。どうにかして代替食材を探すか、作るかしないとな」
「昔取った杵柄で、味噌とか醤油を作れないの?」
からかうようにリリーが俺を見る。
「作れるが米や大豆が必要だぞ」
「……作れることは作れるのね」
彼女は呆れたように俺を見る。
いい加減慣れてきたな。
「何気にあなたも不満たらたらじゃない」
「言うな。現代日本人の文化レベルを求めれば自然とこうなるだろ」
口に出して上げていったら意外と不満点があるもんだな。
……ああ、あとアレもあったな。
「風呂も気兼ねなく入りたいな」
「そうよ、お風呂。お風呂に行って来るわ!」
リリーは思い出したかのように風呂道具を持って部屋を出て行った。
鼻歌交じりにご機嫌なのは珍しい。
心なしか、リリーの足取りはスキップ気味だ。
だが数十分後、リリーは出て行ったときとは反対になぜか気落ちした様子で戻ってきた。
髪は湿り、頬が上気しているから風呂には入ったのだろう。
しかし彼女のその顔は晴れない。
「……どうした?」
俺の問いに、リリーは悲しそうな目をした。
「お風呂……サウナだった」
言われて俺は気付く。
確か中世の西洋では湯船につかる習慣は薄く、一般大衆のお風呂と言えばサウナだということを。
「ああ、そいつは残念だったな」
「くっ、この街で拠点を手に入れるわよ!そして絶対お風呂を作るんだから!」
決意を新たにリリーが吼えた。
……いや、研究所に戻って風呂に入れよ。