第15話 冒険者ギルドの受付嬢、いろいろと疲れる
「ふぁ~」
閑散とした冒険者ギルドオジェク支部の受付カウンターに間の抜けた欠伸が響いた。
発生源は何を隠そう、私だ。
私が欠伸をしながら伸びをして、椅子に座ったままの姿勢をほぐしていると、後頭部を叩かれた。
「痛っ」
思わず声が出てしまったが、実のところあまり痛くはない。
それでも叩いた張本人―同僚のユディット―を思わず恨みがましく見返した。
「ちょっと、ミラ。大きな口あけて欠伸しないの」
つい出てしまった欠伸をユディットに見咎められてしまったらしい。
「いいじゃん、どうせ誰も居ないし」
なにせ今は朝の忙しいピークの時間帯は過ぎており、それ故に欠伸が出たのだから。
私、冒険者ギルドの受付嬢の仕事の一番忙しい時間帯はギルドが開いた直後だ。
一日効率よく仕事をするならば、朝一番に依頼を受けるのが最もよいからだ。
冒険者がこぞって依頼を受けにやってくるので、受付に並ぶ冒険者の列が途切れることはない。
だがそれも朝だけの話で、この街にいる冒険者たちが依頼をこなしに出払ってしまえば受付嬢の仕事はぱたりとなくなってしまう。
とはいえ冒険者が依頼をこなして戻ってくるのを受付嬢はただじっと待っているわけではない。
冒険者たちが戻ってくる夕方ごろまでは、朝の混雑時に出遅れた冒険者がちらほらやってきたりするのを応対したり、依頼者が仕事依頼を出しにきたのを受け付けしたり、各地から送られてくる冒険者や魔物の情報をまとめたりといった雑事をこなすわけだ。
とはいえ優秀な受付嬢である私はそういった仕事はさっさと終わらせてしまうので昼前の小一時間ほど暇になってしまうわけだ。
いつもならば常連の冒険者と会話したりして時間を潰すのだけれども、生憎と今日は会話を楽しめそうな常連の姿はない。
なので今は絶賛退屈中だったりする。
そんな私に、同じく暇なユディットが話題を振ってきた。
「そういえばミラ、聞いた?」
「なにを?」
「エモンさん達のパーティー、護衛依頼中に盗賊に襲われて全員亡くなったそうよ」
「えー本当?エモンさん達って素行悪いけど腕は良かったよね?」
確か四級冒険者で、依頼の成功率もそこそこ、パーティーで斑熊の討伐実績がある中堅の冒険者だったはず。
粗暴で他の冒険者と諍いが絶えなかったり、暗い商売をする連中と関わりがあるといった良くない噂を耳にする人たちだけれど、冒険者自体がならず者の集まりなので、誰しもが往々にしてそういった噂はついて回るもの。珍しくもない。
とはいえ件の冒険者たちはギルドでも態度が悪かったのでギルド職員からの評判が悪かった。
そんな彼らでも依頼の達成率が高かったために、ギルドとしても強く指導できなかったのだ。
かく言う私も何度か絡まれたことがったので彼らは好きではなかった。
だから彼らが亡くなったと聞いても格段何の感慨も沸かない。
……私って薄情かな?
「あれ?でも確かエモンさんたちって領主様のお嬢様の護衛依頼を受けてたんじゃなかったっけ?」
「そうよ」
「それって一大事じゃない!?」
領主様のお嬢様の護衛が冒険者だけということはないだろうけど、それでも護衛する兵士の数が足りないから冒険者に依頼したはず。
その護衛していた冒険者が全滅ってことは、護衛対象も無事とは思えない。
「声が大きいって、ミラ」
ユディットに窘められて私は声を今更ながらにひそめた。
「それで……大丈夫なの?」
「護衛は全滅、お嬢様は盗賊たちに拉致されたそうよ」
「ど、どうするの?騎士団とか、高位の冒険者を派遣するの!?ってかなんでユディットはそんなに平然としてるわけ!?」
領主様のお嬢様が盗賊に拉致されたのなら、お嬢様に仕える私の友人も一緒のはずだ。
彼女は非戦闘員に見えるから殺されずにお嬢様と一緒に拉致されたはず。
とはいえそれが幸運とは言えない。
なぜなら盗賊に捕まった女の辿る道はひとつだからだ。
慌てふためく私に対し、ユディットは落ち着き払っていた。
「ミラ、落ち着きなさいよ。この情報が届いているってことは誰かしら生存して帰還した人間が居るって事よ?護衛が全滅しているのに、誰が情報を持ち帰るのかしら?」
ユディットに言われて、はたと気付く。
そういえばそうだ。
護衛が全滅し、お嬢様が拉致されたという情報をユディットが持っているということは、誰かが情報を持ち帰ったということ。
全滅した護衛にそれは無理だ。
ということはおのずと答えは見えてくる。
「それにお嬢様が拉致されたという情報を一介のギルド職員にすぎない私が持っているほど時間が経過しているにも拘らず大した騒ぎになっていない時点で、急を要する段階をとうに過ぎていることなど想像つくでしょうに」
「ってことはお嬢様やラウラは無事なの?」
「それは……本人に訊いたらいいんじゃない?」
ユディットはギルドの入り口の方をちょいちょいと指差した。
私がそちらを窺うと、そこには普段どおりメイド服に身を包む友人の姿があった。
「ラウラ!?」
思わず席を立ち上がり、声をあげてしまう。
ラウラはそんな私を見て苦笑した。
見たところ彼女が負傷した様子は見られなかったけれども、何もされていないとは限らない。
私は彼女に駆け寄りたかったけれども、生憎私と彼女の間にはカウンターがありそれは叶わなかった。
気が気でない私の思いとは裏腹にラウラは普段通りの速さで歩き、私をやきもきさせる。
私のカウンターの前に立つと、私が声をかける前にそれを制した。
「ミラ、悪いけど今日はお仕事で来たの。だから話はあとでね」
そう言ってラウラは自分の後ろに立つ人物を伺い、その段階になってようやくわたしも彼女の背後に立つ人物の存在に気づいた。
ラウラの存在に気をとられて、その背後に居る人物に気付いていなかった。
威圧感たっぷりの全身鎧の人物と黒いローブで頭から足下まで全身を覆う怪しげな女性だった。
二人とも大柄ではないけれど、まとっている近寄りがたい空気のせいもあってとんでもない存在感がある。
なぜこんな人物を今になるまで気づかなかったのか不思議なくらいだ。
騎士然とした人物が身に纏うのは灰色の全身鎧。
貴族が使うような豪奢なものではないけれど、一分の隙のない作りは素人目に見ても高価なものに違いなかった。
背中には身の丈ほどもありそうな大剣を背負い、鎧と同じく灰色の毛皮の外套を羽織っている。
灰色の毛皮……?
まさかと思うけど、もしかして大王岩猪の毛皮?
討伐が難しくて少なからぬ被害をもたらすゆえに二級魔物登録されている、あの大王岩猪?
まさかねぇ……。
そして騎士然とした人物の横に立つのは、黒い外套で頭から体全体を覆う人物。
体の細さから女性だと思うけど、フードを目深に被っているから顔はよく見えない。
それでも少し見えるすっとしたアゴとか、形のいい唇から察するに美人なんだろうとは思う。
こちらの黒い女性の装備も良いものみたい。
素材が分からない外套もそうだし、外套のすそからちらり見えるブーツも仕立てがいい。
まるで御伽噺から抜け出てきたかのような二人の存在に私はおろか、ギルドに居た全員の視線が釘付けとなっていた。
「えっと、ラウラ?この人たちは・・・?」
その圧倒的威圧感は一級冒険者といわれても納得できるものだった。
「その様子だと知っているようだけれど、私とお嬢様は盗賊に捕らえられていたのだけれど、危ないところをこのお二方に助けて頂いたのよ」
つまりラウラとお嬢様の命の恩人ってわけだ。
いろいろと訊きたい事はあるけれど、今は一応勤務中だから仕事を優先する。
「今日は一体何の用で?」
「こちらのお二方の冒険者登録をお願いしたいの。お願いできるかしら」
そう言って彼女は一枚の書状を差し出してきた。
書状は丸められて蝋で封印されている。
そしてその封蝋に押された印章を見れば、それの重要度はおのずと知れた。
蝋に押された印章は、伯爵様の紋章を模っている。
つまりそれは伯爵様の推薦状だった。
「クリスカお嬢様を救い出された礼として伯爵様がこの推薦状を下さったわけ。お二人で盗賊二十名以上を討伐されるほどだから力量も確かよ」
ラウラはクリスカ様の侍女という仕事をしてはいるが、ああ見えて実は腕が立つ。
そのラウラが認めるのだから、この二人の腕は信用できるだろう。
それに護衛を全滅させた盗賊をたった2人で討伐したそうだから、それだけでも実力が相当なものだろうと想像つく。
それにしても黒いフードの人物から発せられる威圧が半端ない。
フードを目深に被っているから視線は分からないけれど、なんか私、滅茶苦茶見られてるっぽい。
なんか気に触ることしたかなーと内心焦りつつ、これ以上気を損ねないように気をつけなければならないのは確かだ。
私は二人を待たせないようにラウラから受け取った推薦状を持ってギルド長の執務室へ走った。
* * *
受付の女性がそそくさとカウンターから離れていくのを見送った後、俺はリリーに小声でたしなめた。
「おい、リリー。見すぎだ。怖がられてたぞ」
「いいじゃない、見るぐらい。だって、獣耳よ?獣人よ?あの耳ってどうなってるのかしら?人間の耳もあるのかしら?人間と骨格や内臓系は違うのかしら?ヒト種と交配できるのかしら?DNAって人とやっぱり違うのかしらね?」
やっばい、リリーのテンションがまた上がってる。
まあ、彼女の反応も分からなくもない。
受付のミラという女性は、頭に魅惑的な三角形を乗せていた。――所謂ところの猫耳だったのだ。
創作の中の存在でしかなかった獣耳の獣人を目にして、俺も少しばかりテンションが上がった。
とはいえリリーのようになりふり構わずにテンションを上げたりはしないが。
「……お二人は獣人を見たことがないのですか?」
そんな俺たちを見てラウラが若干訝しげにしていた。
「ああ、俺たちの住んでいたところじゃ獣人は珍しかったからな」
嘘です。珍しいどころか存在してなかったよ。
「島国だったから」
リリーの説明はかなり強引なものだったが、ラウラは納得したようだった。
だがあまり俺たちの出自について突っ込まれても困るので、さりげなく話題を逸らすことにする。
「意外と人がいないもんだな」
「この時間にはみな出払っていますから。ここが冒険者で混雑するのは朝と夕方ですね」
「なるほど」
そう言いつつ俺は周囲を観察する。
ギルドの中で目に付くのは受付カウンターと、掲示板だ。
掲示板には依頼書、というか木札が張り出されており、それを受付カウンターに持って行って依頼の受注をするようだった。
そしてその掲示板はいくつかに分かれており、どうやら依頼の難易度で区別されているようだ。
「冒険者に等級ってあるのか?」
半ば独り言だったが、俺の疑問にラウラが答えてくれた。
「初級、六級、五級、四級、三級、二級、一級、特級の八段階になっています。初級は最初の一ヵ月間の研修期間の後自動的に六級に上がり、それ以外は依頼の達成率から判断して昇級可能かギルドが判断し、昇級試験を受ける形になりますね」
「へえ、詳しいんだな」
「一応私も冒険者の資格を持っていますので」
彼女が只者ではない気はしたが、それでひとつ得心がいった。
「なるほど、それで武器を隠し持っているのか」
ラウラは驚いたように俺を見た。
「……いつからお気づきに?」
「んー、わりと初めからかな」
俺の強化外骨格の性能を持ってすれば、隠し持つ武器の一つや二つは見ただけで簡単に発見できる。
ラウラは大腿部にベルトでナイフらしきものを幾つか隠し持ち、さらに腕の袖口にも隠してあるし、メイド服のエプロン部分も怪しい。
「やはりお二方は只者ではありませんね」
ラウラの中の俺たちの株がウナギ登りのようだ。
尤も色々とやっているのは俺のほうで、リリーは先日から大したことはしていないんだがな。
……もしかして立場的にリリー>俺という風に見られているのか?
いや、そんなことはないと思いたい。
俺が現実逃避しつつ掲示板を眺めていると、どこか真摯な顔つきでラウラが近寄ってきた。
何事かと訝しく思っていると、おもむろにラウラは口を開いた。
「……あの、ひとつお二人にお尋ねしてもよろしいですか?」
「なんだ?」
「お二人は私たちを助け出す前に冒険者の死体を見ましたか?」
「いや、俺たちは見てないな」
俺たちがこの世界で人間を見たのは、あの盗賊たちの根城が最初だ。
それ以外で生きているのも死んでいるのも見ていない。
しかもそれはじかに見たものに限らず、UAVで見たのも含めてだ。
「……そうですか」
ラウラの質問の意図が理解できないが、今の質問は彼女のにとって重要な意味を持つのだろう。
少なくとも俺たちと接触できるうちに尋ねておきたい優先度の高いものであり、あまり先延ばしにできない類のものらしい。
「なにか気になることでもあるのか?」
なにか考え込むようにラウラは押黙り、それから顔を上げて俺たちのほうを見た。
「お二人ですからお話しますが、他言はしないで下さい」
リリーと顔を見合わせた後、俺は首を縦に振って了承した。
それを見届けたラウラは、ゆっくりと整理するように口を開いた。
「先日の襲撃の事です。お嬢様の馬車の護衛にはふたつのパーティーが選ばれました。本来であれば領軍の人員が護衛に使われるのですが、生憎なことに領内の騒乱に駆り出されて人員に余裕がなかったために冒険者から護衛を募ることになりました。もちろんお嬢様の護衛ですから、集めることの出来る中でも高位の冒険者を集めました。護衛の実績がある腕の立つ冒険者を集めたつもりです。……ですが意図も容易く盗賊にやられました」
「それが腑に落ちないと?」
俺の問いかけにラウラは頷いて見せた。
「確かに数に押されたという面もありますし、奇襲を受けて本来の能力を発揮できなかった可能性もあります。ですが呆気なさすぎなんです」
幾ら数の上で不利だったとはいえ、護衛を引き受けた冒険者がろくな警戒もしてなかったとは考えにくい。
それにあの街道は脇に森があるとはいえ比較的開けていたし高低差もなかったから、まともな警戒をしていれば容易く奇襲は受けないはずだ。
しかもラウラの疑念を深める要素はそれだけではないらしい。
「それに私が盗賊に殺されるのを見たのは、護衛を依頼したうちひとつ、馬車のすぐ傍を護衛していたパーティーだけなんです」
「つまりもうひとつのパーティーが殺されるのを目撃していないし、死体も見ていないってことか」
「はい」
「そしてあなたは、その生死不明の冒険者パーティーが裏切ってあなたたちを嵌めたと推察しているわけね」
「そうなってくると、あんたらが盗賊に襲われたのも偶然ではなくて必然ということになる。つまりあのお嬢様狙いの犯行だ。しかもそのことから推察するに、お嬢様を人質にして領主を脅迫するつもりだったんだろう。誰の思惑かなんてわからないが、少なくとも盗賊と冒険者を使えるほどのコネと力を持つ厄介な存在だな」
「私もそう思います。ですからお二人にお話しました」
「というと?」
「相手は盗賊はおろか冒険者さえも手駒にしている存在です。伯爵様の配下の中にも手駒がいるかもしれません。その点、お二人はこの街となんら関わりがないのは明白です。ですから――」
ラウラの言葉をリリーが引き継いだ。
「――だから信用できるってわけね。しかもそれなりの戦力になるから、何か起きたときには頼りになる」
「はい。お嬢様の身にまた危険が迫るかもしれません。お二人にはお嬢様を守って頂きたいのです」
確かにラウラから見れば俺たちは願ってもない切り札になるだろう。
誰が味方で誰が敵か判別しにくい状況下で、俺たちはこの町の人間ではないのだから少なくとも敵の息がかかっていないのは明白だ。
その上一定以上の戦力になるのは分かっているのだから、味方に引き込むのが得策ってものだ。
あとの問題は俺たちが引き受けるか否かだ。
「これは伯爵からの依頼か?それともあんたの個人的なお願いか?」
「……私、個人からの依頼です」
そうだろうとは思ったが、想像通りで内心頭を抱えた。
伯爵からの依頼ならば金にもなるし、伯爵とのコネを持つことができるからメリットも大きい。
だがラウラからの個人的な依頼ならば、金銭的な問題以上に権限という問題が生じてくる。
ラウラがお嬢様の護衛にどれほど口を出せるかわからないが、伯爵が自由に動かせる領軍を有している以上、それを使うのが道理だ。
そこに俺たちがしゃしゃり出れば煙たがられるだろうし、俺たちの立場を危うくしかねない。
それにこちらの情勢もわかっていない状態で、誰が敵かも分からない戦いをするのはリスクが高すぎる。
判断に迷ってリリーを窺えば、彼女もどこか悩ましげにしていた。
「俺たちにも俺たちの活動予定がある。他の街に移動するかもしれない。だからあんたの要望に応えられるとは明言できない」
「……そうですか」
そう呟くラウラの表情は暗い。
内心では助けになってやりたいが、命に関わることだ。
だから俺は安請け合いなどしない。
「だからちょっと考えさせてくれ」
俺の答えにラウラは少しだけ表情に明るい色が戻り、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
* * *
私がカウンターに戻ってくると、ラウラが例の二人に頭を下げている場面だった。
……え?なにこの状況。なにが起きたわけ?
何が起きたのか訊きたい野次馬精神を押さえ込み、三人に歩み寄った。
「お待たせしましたー。伯爵様の推薦状を考慮した結果、お二人は六級からスタートすることになりました」
私の言葉に二人はさして感慨もなさそうに頷いた。
……初級飛ばしの六級スタートは結構凄いことですよ?
元騎士団に所属していた中堅以上の実力をもっている人が受けられる待遇ですよ?
それなのにこの人たちはずいぶんあっさりと……。
「手続きをしますのでこちらに来てもらえますか」
二人がカウンターに来るのを待ち、冒険者登録に必要な必要書類を揃える。
「お名前はアッシュさんと、リリーさんで宜しかったですか?」
一応念のために確認しながら必要書類に二人の情報を書き込んでいく。
とはいえ書き込む情報はあまりないので、すぐに終わってしまう。
「次ですが……」
次の作業に移る前に私は少しだけ言いよどむ。
ギルドで保存する資料用に登録する冒険者の写し絵を作る決まりになっている。
だけど見事なまでに二人は顔を隠していた。
もしかして二人は訳ありで、顔を隠しておきたいのかもしれない。
そこに素顔を見せてくれるように要請すれば気分を害してしまうかもしれない。
言い辛いけれど、決まりは決まりなので写し絵を作る必要がある。
私は覚悟を決めた。
「あの、お手数ですがお二人の顔を見せてもらってもいいですか?登録に必要なので」
色々と考えた私だったが、それは杞憂だったようだった。
二人はいともあっさり了承すると、最初にリリーさんがフードを下ろして素顔を露にした。
なんというか、その顔を見て言葉を失いました。
一言で言えば、綺麗な黒です。
黒い艶やかな髪と深い黒の瞳が凄く印象的な端正な異国の顔立ちでした。
そして次に顔を露にしたのがアッシュさん。
っていうか、手に依らずに音を立てて格納される兜は一体どういう仕組みなのでしょう。
アッシュさんもリリーさんと同じ黒い髪の異国の顔立ちですが、彼は鋭い獣のような印象です。
正直、獣人の私としてはそそられるものがありますね。
しばしお二人を眺めていたいところでしたが、背後でユディットの咳払いが聴こえたので慌てて手続きを再開することにします。
「こちらの魔道具に顔を向けてください。お二人の写し絵を作りますので」
二人が魔道具のほうに顔を向けたのを確認して、私は魔道具を操作する。
それだけで作業は終わりだ。
詳しい原理はわからないけど、すごい魔道具なのです。
二人は全く驚かないですけどね。
出来た写し絵を書類に添付して私の作業は完了。
あとは認識票の製作を専門の職員に頼んで、出来上がるのを待つだけだ。
すぐに出来上がるのだけれど、それでも今回は二人分なので若干の間が空いてしまう。
少しだけ居心地が悪いので、カウンターの前にいるアッシュさんに話を振ってみた。
「あの……もしかしてその外套って、大王岩猪の毛皮ですか?」
話題が思いつかなかったというのもあるけど、ちょっとさっきから気になっていたのだ。
羽ウサギの冬毛にも似ているけど、それにしては毛足が長いし、毛皮に繋ぎ合わせたあとがないから羽ウサギではないと思う。
でも、まさか大王岩猪なんて……。
「さあ、デカイ灰色の猪だったが、そんな名前かどうかは知らないな」
はい、大王岩猪でした。
「……お、お二人が狩ったんですか?」
「いや、違う」
アッシュさんの答えに一瞬私は安堵した。
そうですよね。お二人ともお金持ちそうだし買ったという可能性もあるよね。
若しくは数で押して狩ったとか。
だけど、それに続く言葉は私の想像の斜め上をいった。
「こいつは見てるだけだったからな」
そう言ってアッシュさんはリリーさんを指差した。
あ、買ったんじゃなくて狩ったんですね。
しかもどうやらリリーさんは戦闘に参加しなかったらしい。――って、え?
「も、もしかしてアッシュさん一人で?」
「ああ、そうだが……それがどうかしたか?」
事も無げに彼は頷いたのを見て、私は少し目眩を感じた。
大王岩猪なんて大勢で囲んで罠へと誘き出して狩る魔物であって、一人で狩るような魔物ではない。
それをさも二人で挑むまでもない存在であるかのように軽く見なしている。
私の反応を見てアッシュさんは首をかしげて、自らが羽織る毛皮をまじまじと観察していた。
「これって結構凄いものだったりする?」
「はい、危険度もさることながら大王岩猪の素材は高く売れますので。……あの、他の素材は?」
「持ち運ぶのに邪魔だったから捨てたよ。なんだ、金になるんだったら持ってくれば良かったな」
そう彼はあっけらかんと言ってのける。
大王岩猪の成体の素材をまるごと売り払えば、数年は遊んで暮らせるお金が手に入るはずだ。
その素材を放置し、それを些事であるかのように言ってのけるとは……よほどの馬鹿か、大物だった。
「こ、今度は是非持って来て下さいね。……あ、認識票が出来たみたいです」
私は出来上がった認識票を手渡すので精一杯だった。