《君の香》後編
何の問題も無く、時間通りライブは開演した。
ワンマンライブではないので、ライブ開催と同時に私たちがステージに立つわけじゃない。3バンド合同のライブで、猪瀬先輩のバンド《ベルカ・ライカ》は二番手だ。
自身の出演が間近に迫る中、私はというとステージ袖から観客席を覗いていた。
狭い会場は3バンドのファンで満員。会場内は興奮と熱気で全員が全員激しい曲に合わせて体を揺らし飛び跳ね、全身で音を感じている。
そんな中、慣れていないであろう友人の姿を探すが、あの少し天然な優姫の姿はどこにも見当たらない。この熱気にやられてダウンしたのか、それとも空気が肌に合わず帰ったのだろうか。もし後者なら正直その方がいいと思ってしまう。
それに友達をライブに招待したのなんてこれが初めてだ。そのせいか、何だか今日はいつもより緊張している。
「ん~珍しいね、歩が客の入り気にしてるなんて。もしかして緊張してる?」
呼ばれてふりかえるとギターを手に先輩が立っていた。
もう見慣れたピンクの髪を逆立てたいつものスタイル。いったい誰がこの姿と学校での姿を結び付けられるだろうか。
「友達呼んでるんで…」
「ますます珍しいじゃん。歩ってそういうの絶対しないストイックなキャラだと思ってた。何?もしかして男?」
「違いますよ。学校の友達です」
「んじゃ、今日はいつもより頑張らなくちゃ。ね?」
言って、先輩は私の肩を叩く。頑張れと力づけてくれるように。
どんなにスタイルが奇抜でも、やっぱり先輩は美人でその上、優しい人っていう軸はぶれないんだなと思ってしまう。惚れた弱みだろうか。
私は拳を握りなおす。そうやって緊張も一緒に握り潰す。
「お!終わったみたいだね。そろそろ出るよ」
名前が呼ばれ、ステージに光がともる。歓声が空間の中に有るすべての物も心も揺るがす。
テンポを取るというより、走るように脚を踏み鳴らす。
マイクに大きく息を吸い込むノイズが走る直後、先輩の声がライブハウスの全てを支配した。場の空気だろうが人の心だろうが鷲掴みにする。
声は鍵盤を叩くように大気を叩き、奏でるリリックはエンジンにガソリンを注入するようにこの熱気に熱気を加え爆発させる。
もう歌い出し数秒もせずに私の中からさっきまであった緊張なんて影も形も吹き飛んだ。大好きな人の横でその声を全身に浴びて、弦の上に指を走らせること以外に幸せが無いと神の啓示を受けたように、体が震える。
視線の先には、バカみたいな顔でステージの上の私たちを仰ぎ見るオーディエンス。
「!」
ライブハウスのずっと奥、出入り口の横にその姿があった。
荒れ狂う音の渦から避難するように身を小さくし、それでも目をそらさずステージの上を見つめる優姫の姿を私は見つけた。今まで一度も見たことないほど目を大きく開けて口までポカーンとあけている。そりゃそうだろう。
自分の知っている大好きな人が今、自分のまったく知らない格好で歌い狂っているのだから。汗を飛ばし腰を振る先輩の今の姿は誰が見たって蠱惑的で扇情的でセンセーショナルだ。耐性の無い優姫の間抜けな表情も無理はない。
先輩が私に肩を預け歌う。寄り添うようにして声と音を重ねる。まるで裸体そのものを重ね混ぜ合わせるような野性的で大胆なセッション。その経験はまだないけど、まるで先輩といたしているような興奮で頭が沸騰しそうだった。
曲の爆発はライブハウスの全てを乱暴なビートで粉砕するまで続いた。
「おつかれ~」
四弦をスタンドにおいて、私はペットボトルから水を喉に流し込む。
もう体中は頭からつま先まで汗だくでベトベト。気持ち悪いったらありゃしない。
「いや~、よかった~。マジいい感じだわ~」
先輩も先輩でステージ上で精も根も使い果たし、今日のライブに対する感想も小学生以下の言葉しか出てこないようだ。
「歩ちゃん、今日凄いノリノリだったんじゃない?」
バンドメンバーで先輩の相方と言われる楠木朝子さんが私にタオルを手渡し労いの言葉をくれる。先輩の一つ年上で、現役音大生で我が校出身者。私の先輩にもあたる人。高校時代に二人で組んだバンドがこのバンドの出発点らしい。
「ふふ、今日は友達来てたんだよね。そりゃ張り切るって」
「そうなの?へ~、歩ちゃんにしては珍しいじゃん」
またしても同じことう言われてしまった。よほど、私が友達を呼ぶのが珍しいのだ。
それにしてもそんなに力が入っていたのだろうか?自分としてはそんな気は無いんだけど。とはいえ、先輩たちの感想はおおむね好意的で、結果オーライということにしておこう。
「あれだね、歩ちゃんが立つ時はその友達に常に来てもらうってのはどう?」
「え~、朝子マジ酷いし。それじゃ隆さん出演できないじゃん。あはは」
聞きたくない名前が部屋に響いて、私は汗を拭いていた手を止めた。
だけど私以外の誰もそんなことに動揺はしない。だってその人は本来ならこのバンドのメインメンバーなのだし、先輩の彼氏なのだから…。私よりその人がいる《ベルカ・ライカ》方が正しい姿なのだ。
「そうですよ、楠木先輩」
苦笑いで私もそれに乗っかる。
――ああ、私ってすっごく醜くて嫌な女だ。
さっきまで先輩と一緒にステージに立っていたことが愛おしくて、その名前が出ないことを心底願っていて、今その名前が出たことを恨んでいる。なのに、何食わぬ顔で話に合わせている。
――イライラする。
「すいませ~ん」
と、楽屋の扉を開けスタッフが顔を出した。出演の順番は終わったけど、時々その場のノリでアンコールや最後に出演者全員でステージに立つ時が有るので、私も先輩たちも始めそういう要件だと思った。
「あの~?春日井さんの友人って人が来てるんですけど?通していいっスか?」
今日ライブに来てる友人なんて一人しかいない。
私は「えっと…」と答えに臆した。あくまで私は助っ人でメインじゃない。そんな自分が先輩たちもいる楽屋に優姫を読んでいいのか判断に困ったからだ。
だけど、先輩はスタッフのその言葉にパッと笑顔を見せた。今ちょうど話していた張本人がすぐそこにいるのだ。
「いいじゃん。歩の友達って見てみたい。いいよいいよ、通して」
先輩は興味津々で身を乗り出し快諾した。
スタッフが顔を引っ込め、代わりに扉の陰から小奇麗な爪先が現れる。
「失礼します…」
「優姫」
演奏している時も思ったけど、ロックバンドのライブには場違いな格好だ。
ふわふわのロングスカートにアーガイル柄のニットって、どう考えてもヘドバンやらダイブやらが当然のライブに着てくる服装ではない。かわいいけど。
「うわ!何、チョー女の子じゃん。歩ちゃんの友達なのに可愛いじゃん。えー」
朝子さん何気に酷いです。
「あ、えっと…。無理言って入らせてもろうてすいません…」
私の知っている優姫は決して押しの強い女の子ではない。消極的というわけではないけど、自分から前に出てくるタイプでもない。それでも関係者以外立ち入り禁止の楽屋へ足を運んだのは彼女なりの勇気なのだろう。
畏まって何か言いたげに、私をそして先輩を見てはまた足もとに視線を泳がせる。
「あ!あ!私覚えてる!前ノート持ってあげた子じゃん!」
驚くことに先輩は数秒黙っていたかと思うと顔を上げ、優姫との思い出を見事に言い当てた。学校で偶然ノートを運ぶ手伝いをした程度の記憶なんて、私だったら覚えている自信は無い。
「え!覚えててくれはったんですか!」
そりゃそんな些細な出来事を覚えていたなら感激もすれば惚れもするだろう。
本当に先輩は優しすぎる。それも無自覚に、だ。
「へー、君が歩の友達だったんだ。世間狭いね。そうだ、この後の打ち上げ来ない?歩は不参加だって言ってるんだけど、どう?えっと…、優姫ちゃん?」
「ちょっと、先輩。さすがに」
私が止める間もなく、優姫は目を輝かせる。
「い、行ってもええんですか?」
身を乗り出す優姫。
「いいよいいよ、参加人数とか無理言える所だし。ね、朝子良いよね?」
「私は構わないけど、家とか大丈夫なの?私達みたいなタイプには見えないけど」
「だ、大丈夫です!」
いつの間にか話はとんとん進んで、私が止める間もなく優姫の打ち上げ参加が決定していた。
さすがにほぼ初対面の、それも優姫の慣れ親しんだ世界とは全く違う類の人間ばかりの打ち上げに、友人を行かせるのは気が咎める。
「ちょっと、優姫マジでいいの?止めときなって。私行かないんだよ?」
「大丈夫やって。家にはちゃんと電話しとくし。それに猪瀬先輩がせっかく誘ってくれてるんやし」
優姫は心底楽しそうな笑顔だった。
そりゃ思い人から誘われたらそういう顔もするだろうさ。でも私としてはせっかく心配してあげたのにそんな笑顔なのに腹が立つ。先輩の秘密を教えてあげたのがバカみたいに思えた。
――それならもう好きにすればいい。
「先輩、私帰りますね」
私はそれだけ言うと、誰の返答も待たず荷物を纏めて部屋を出た。
汗で濡れたTシャツをまだ着替えてなかったが、そんなのトイレですませればいい。それよりあの空間に居続けるのが嫌だった。先輩たちと優姫が楽しげに笑う部屋の中に私の居場所は無かった。優姫に合わせ自分もやっぱり行くと言えばよかったのだろうか?でもなんだかそう言い出す気分にはなれなかった。
それなら、勝手に先輩と楽しくすればいい。そんな意地悪な言葉が浮かんで消える。栓を閉め忘れた蛇口のように優姫への苛立たしさは私の中に溢れ続けた。
エンジンを拭かせ、我が愛車真っ黄色のズーマーは鴨川沿いを北へ走る。
ああ、ヤバい。いくら頭を切り替えようとしてもイライラが止まらない。部屋に入ってきた時の優姫の笑顔と、部屋を出る時に見た彼女の横顔がずっと私の頭を離れない。
気づけばもう出町柳の駅の目の前。四つ角手前でバイクを路肩に止めた。
「分かってるよ…、イライラしてる理由ぐらい…」
何にイライラしているかなんて分かってる。自分自身にだ。先輩に思いを明かさず傍にいられれば良いと思っていながら、他の誰かが近づくのをよく思っていない惨めな私。そんなモヤモヤのせいで大切な友人を強く止めることもできないでいる私に私は苛立ってる。
信号が変わる。ハンドルを強く握る。
「それでは皆さん、本日もお疲れちゃーん!」
楠木が掲げたグラスに合わせ全員が乾杯を叫ぶ。
もちろん祝いの席の隅で優姫もウーロン茶でそれに加わる。
「いやいや、お疲れお疲れ~。優姫ちゃんも全然遠慮しなくていいからね」
「は、はい」
喜び勇んで着いて来たのはいいが、歩が危惧した通り優姫の存在は完全に打ち上げ会場の中で浮いていた。ただ猪瀬が隣に座ってくれたおかげで気持ちには余裕があった。
場所はライブハウスから少し歩いた居酒屋。店内は調理の煙で充満し、照明は落としていてだいぶ暗く、店内には客と従業員の声が常に響いていた。今まで優姫が家族で出かけたどんな飲食店にも該当しない。正に新鮮で少しおっかない初体験。
優姫はウーロン茶を口に運ぶ。場に慣れないせいか、食事には手を付けられないでいた。
「ねぇ、同級生から見て歩ってどんな感じ?」
唐突に猪瀬が顔を覗き込んできた。ピンクの髪のいつもとは全然違う先輩の顔がすぐそばにあった。
「不良っぽく見えるけど優しくて、マンガの趣味がすごく会うんです。それにクラスちゃうんですけど、体育のバレーボールで打ち方のコツ教えてくれたり、こけた時一緒に保健室行ってくれたり…」
「へ~、一緒に保健室行って、歩そのままベッドで寝てなかった?」
「はい。自分も怪我したことにして…」
「あははは、やっぱそうなんだ。歩らしいや」
語る友人の話に先輩が笑ってくれるのが優姫にはとても嬉しかった。
ライブハウスに来た時、ライブが始まった時、そして今ですらまだ学校とは全く違う先輩の姿に驚くばかりだが、それでも後輩の話を耳にして浮かべる優しげな笑顔は優姫の好きになった先輩その人だった。
だからどうしても聞きたかった。
「あの…。変なこと聞いてすいません…。先輩って彼氏いはるんですか?」
既に歩から聞いていたけど、どうしても自分の耳で確かめたかった。
「うん、いるよ。歩に聞いた?今日来てないけどうちらのバンドのベース担当。社会人だから参加できない時が有るんだけど、そういう時は今日みたいに歩に助っ人頼んでるの」
「…そうなんですか」
ああ、恋が終わったと、優姫は確信した。なのに別段それほど落胆していないし悲しいわけでもないのが不思議だった。先に歩に聞いてたからだろうか?それとも実は自分は先輩の事が本気ではなかったのか?
なんだか失恋したという感傷より、友達に無理を言った罪悪感が胸を占める。
「優姫ちゃんは彼氏いるの?」
「え?い、いないです!」
そういえば今まで恋らしい恋なんてしてこなかった。マンガの中の王子様や斜に構えた不良少年にかっこいいなという感想を抱いたことはあったが、胸がときめくなんて言うのはあの日先輩に出会い横に立って歩いた時が初めてだった。
「あ、じゃ、もしかして彼女がいるとか?」
最近とかく学校含め世間で話題になっているニュースが二人の脳裏をかすめる。
「そ、それもいません…」
「へ~、歩と仲良いからてっきりそういうのかと思ったんだけど。んじゃ、どっちもいないんだ」
予想外にその名は飛び出してきた。
保健室で顔を合わせてマンガを貸し借りする優姫の数少ない友人。不愛想で周囲からは不良と思われている少しツリ目の友人。でもマンガの感想を言い合うときは決まって笑顔を見せてくれる放課後の友人。
「ならさ~、年上男子とかどう?」
と、それは唐突で優姫の予想のはるか上空を飛び越えた提案だった。おかげで何か反応を返すことも忘れていた。
「今、向こうのバンドのキーボードがフリーで、彼女欲しい欲しいってうるさいんだよね。優姫ちゃんどうかな?」
「え、えっと…」
「良いから良いから。別に付き合うとかマジで考えなくていいから。ちょっと話すだけでもしてみてよ」
先輩の言葉は強引だったが優姫を陥れようとする様子は無く、この打ち上げに部外者の自分を招待してくれた手前無下に断ることもできずに優姫はすっかり拒むタイミングを逃してしまった。
男性と話したことが無いなんて言う深窓の令嬢ではないけど、だからと言っていきなりロックバンドのメンバーなんていう未知の世界の男性と話すというのは優姫にとって高すぎるハードルだ。
「初めまして~。俺、ケイタって言いま~す。イノちゃんの後輩?チョーかわいいね」
「え?あ?イノちゃん?え?え?」
先輩に立ち代り件のキーボードことケイタが、どっかと優姫の横に座る。それだけで緊張で身が縮こまる。
下品に間延びした男の声に、優姫は突然天国から地獄へ突き落されたような気分だった。
「あ、あの…せ、先輩は…」
「何?緊張してる?んじゃもっと飲まないと。あ、でも、学生ちゃんだよね~」
消え入りそうな声は騒がしい店内では羽虫の飛ぶ音以下。
優姫は必死に先輩を探すが、見つけた視線の先にいたのは数人の知人と笑いあう姿。なんだか見捨てられたような気分で悲しくなる。
「やめときな。私行かないよ」
今更ながら歩の言葉を聞いておけばよかったと後悔が喉を締め付ける。
「春日井さん…」
「え?何か言った?君、かわいいけどあんまこういう所慣れてないっしょ~。俺の事もしかして怖い?でもマジ俺大丈夫だし。人畜無害で有名だし~。そんな警戒とかマジしなくていいから~」
「え、う…」
「あのさ、君マジで俺の好みっていうか、こんなかわいい子と出会えるとか今日マジヤバくない?ね、運命感じてんだけど、俺キモイ?いや、マジ真剣だし~」
「あ、え…」
「ねぇねぇ~、もしこの後よかったらさ~、二人でどっか落ち着けるとことかどう?ここマジ煩いから、あんま落ち着けないでしょ?俺全然いいとこ知ってるし」
男の手が優姫の肩に伸びる。生温くてただ恐怖と嫌悪だけを煽る吐息が肌に触れる。
もう優姫には限界だった。何で何でと自分の考えの足りなさに心の中で後悔するが、何をどうしても状況が変わるわけではない。唯一の味方である先輩に助けを求めようにも、喉が引きつってうまく声が出ない。涙が目じりに光る。
「優姫!」
部屋を区切るふすまが爆発するように開いて歩が息せき切って駆け込んできた。
その姿はまるで姫のピンチにさっそうと現れる物語の王子様のよう。
今の今まで盛り上がっていた場は一瞬で音を失い、全員が全員ぽかんとこの乱入者を見ていた。だけど歩にはそんな皆の驚きや、場の空気を砕いて塵に変えたことなどどうでもよかった。ただ一つ、彼女が今一番大切にしているのは、自分の大切で少しおっちょこちょいな友人。二三瞬きをする内に、その姿を部屋の端に確かめた。
ずかずかと部屋に踏み入り、他の人間同様目を丸くしている優姫の腕を掴み取る。
「帰るよ」
「あっ…」
答えを求める問いではなく、有無を言わさぬ命令で優姫の軽い体を引き寄せた。呆けた優姫に抵抗は無い。
「ちょ!おい!お前!」
むしろ優姫より慌てたのは、今まさに優姫を口説き落そうとしていた男の方だった。後少しで釣り上げられそうだった魚を、横からかっさらわれてはたまったものではない。
だけど、それでそう簡単に優姫を返す気など歩にはない。引き寄せた華奢な体を壊れるくらい抱きしめ、そっとその顔に自分の顔を重ねる。
「!!」
歩は強引に優姫の唇に自分のそれを重ねた。
二度目の衝撃は部屋全体を動揺の声で揺るがした。今さらキスの一つや二つでたじろぐメンツではないが、同性の、それも片方は良く知っている人間の以外過ぎる行為にはさすがに息を飲むしかない。
「すいません。これ私のなんで」
重ねた唇を離した歩は、それだけ言うと未だ状況が分からず目を丸くしている優姫を抱えるようにしてその場を後にした。時間にして三分も無い珍事件だった。
「………」
「………」
ま、うん、そりゃ、さー、そうなるよね。居酒屋から優姫を連れ出してから、完全に沈黙状態である。お互い一切言葉を交わすことなく、鴨川の土手を歩いている。何でかなんて考えるまでもないわけで…。
状況を考えると、強引な手段で連れ出すのは別に悪い手ではなかったと思うけど、私の優姫救出プランにはあんな事するなんて予定は無かった。ただ、部屋に入った時、男に言い寄られていた姿が無性に腹が立って、引き寄せたノリと勢いであんな事をしてしまったわけであります。ミッションコンプリートでありますが、少々やりすぎであったのではと自分でも後悔しているところであります。落ちつけ私。
何とはなしに私は前を歩く優姫の背中を見る。
そういえば、優姫の私服姿って始めて見る。思えば今まで休日に遊んだことも無い二人にとって、今日が初めて私服で顔を合わせたということになる。何だか色んな事があり過ぎて、そんな些細なこと思いつきもしなかった。いつも制服で見る優姫とは全然違う雰囲気。やっぱりライブハウスには場違いだったけど、可愛いのは間違いない。
「優姫の、そのスカート可愛いね…」
夜の変な空気に煽られて、我知らず言葉がこぼれる。
言って何言ってんだ私は、と焦る。まるでこれじゃ口説いてるみたいだ。
「そう?ありがとぉ~」
振り返り優姫がほほ笑む。
変な事口走った自分には恥ずかしい限りだけど、ようやく言葉を交わすきっかけができたので結果オーライ。
「上のニットと凄くマッチしてて女の子っぽい。私はダメだな、そういう女の子らしい恰好って似合わないんだよな」
「春日井さんはやっぱりパンツスタイルやね。予想通り」
優姫はくすくす笑う。でも嫌味じゃない。
「でもきっと可愛い服着れないわけやないと思うよ?自分で似合わへんって思っちゃうと、そのジャンルに手が伸びへんくて、試行錯誤しいひんなるもん」
「そういうもの…?」
確かに、自分に似合わないと思って、可愛い系の服はあんまり手を出してないのは確かだから、優姫の言う通り自分に似合うのを発見できていないだけなのだろうか。
「春日井さん、アリガトな」
立ち止まり優姫は真剣な目で私を見た。そこにいつもの朗らかなにこにこ笑顔は無い。
「いや、お礼とかいいって。むしろごめん、あんな事しちゃって」
「…初めてやってん」
「え!ますますごめん!ごめんなさい!マジ私キモイよね!」
「ええって、春日井さんの忠告聞かんかった私が悪いんやし」
そこで言葉が止まり、優姫が私に近づく。私は何の抵抗も反応もできなかった。
両肩に優姫の細い手が乗った次の瞬間、私の唇が感じたのは重なった優姫の唇の味。
「それに、嬉しかった」
それは触れただけの一瞬のキス。
でも、それだけの衝撃で私の中の全てが一瞬で書き換えられてしまった。
四時限目終了のチャイムを聞き終えると、私の足はある場所へ向かった。
廊下どん詰まりの非常扉を開き、私は立ち入り禁止の非常階段を上へ昇る。
「あ、来た来た」
指定された三階の踊り場にいたのは、授業中私にメールを送ってここに呼び出した張本人猪瀬先輩その人。昨日のピンクの髪やパンクな衣装が夢幻だったかのように、黒髪で折り目正しい制服姿の先輩がそこにいた。やっぱり詐欺だと思う。
「昨日は無理矢理友達ちゃん連れてってごめんね。あ、友達じゃなくて恋人ちゃん?」
「からかわないでください」
「あはは~、からかってはいないんだけどね。でもさ、優姫ちゃんがあんなに男免疫無いとは思わなかった。一度ちゃんと謝っておきたいんだけど、会っても良い?っていうか、良いですか?」
「なんで自分に了承取るんですか。ご自由にどうぞ」
私はあくまで優姫の友人であってそれ以上それ以下でもない、のだ。あんな事したのは、アレだ、不可抗力というやつであって事故なのだ。
「だってさ、優姫ちゃんって私の事好きだったでしょ?」
「ブッ!」
思わず吹いた。
「え、ちょ、なんでそれ?あいつ告白したんですか?」
「あ、やっぱり?かまかけ成功?成功!チャッチャラ~ン!」
「なっ!」
――先輩!あんたって人は!あんたって人は!
「そりゃ、ま、かまかけたのは悪いけど、何となく気づくよ。……二度目だもん。私のこと大好きになってくれる女の子が現れるの」
「へ、へ~」
やっぱり先輩はモテるもんだ。
「そいつは、全然気づかれてないって思ってるみたいだけど、さすがにいっしょにいる時間長いからさ、態度とかでバレバレなのよ」
「は、はぁ?」
誰かしらんが恥ずかしい奴だ。
「歩、あんたの事だからね」
そう先輩が告げた瞬間、私の世界が停止した。
「え、い?ど?り?」
多分、いつから?どうして?理由は?と自分では聞こうとしたけど、動揺で舌が回らず意味不明に呟くのが精一杯。聞き間違いであってくれればと思ったが、そうでないことも理解している。
私の思いに完璧に気づかれていたという事実は理解できた。同時に今までの思い出が頭の中に蘇る。思い起こすあれやこれやの瞬間に先輩は私の気持ちに感づいていたのだと思うと、恥ずかしくて死にそうになる。体の毛穴全部から変な汗が出てきそう。
「どどど、どうして。気づいてたなら…」
「気づいてたなら?女々しいこと言わない。あのね歩、好きとか嫌いの世界じゃ、気づいたからそれに答えてあげなきゃいけないルールなんて無いの。ちゃんと言葉にしない限り、思ってるだけじゃ心は届かないの」
何も言い返せない。たぶん先輩の彼氏は先輩にちゃんと気持ちを伝えたんだろう。どっちが告白したかとかじゃない、ちゃんと向き合って意思を示したから、二人は結ばれたんだ。私とその人の違いはただ一つ、それだけ。
先輩の言う通り、私は女々しい奴だ。あー、ホント、もー、恥ずかしすぎて死にそー!
私は一つ深呼吸する。ここまで言われて誤魔化すなんて出来ないし、カッコ悪い上に結果は見えてるけど、私も自分の気持ちを決めないといけない。先輩が今ここで私に打ち明けた理由に気づかないほど鈍い女じゃない。これ以上先輩に愛想尽かされたくもない。
「先輩!春日井歩は、先輩の事が好きです!」
「うん、ありがと」
返って来た言葉はお礼だった。先輩らしい優しい言葉だったけど、その響きは先輩がマイクに乗せる歌声のように私の胸を貫いた。言葉の中に有る意味なんて問うまでもない。
だから私も笑って答える。
「ありがとうございます。吹っ切れた気がします」
「よかった…」
先輩はそう言って笑ってくれた。だから私も人生二度目の大失恋に笑うことができた。
あの胸の奥で疼いていた痛みはもうどこにもなかった。
私が扉を開けると放課後の保健室はいつものように優姫の色に染め上げられていた。
そろそろ日が落ちるのが早くなってきたなと、窓の向こうに見える山の頂を眺め私はそんなことを思う。今日はアンニュイな気分なのだ。
「いらっしゃ~い」
「ん、今日もやっぱ、一人だよな…」
答えは聞くまでもない。予想通りというか、もはやそれがデフェルメなのか保健室の先生は不在。若干今日はいてくれた方がいいな、とヘタレなことを思ったのは内緒だ。
「はい、言っとった18巻と19巻」
「あ、サンキュー」
今度は間違わずに持ってきてくれたようだ。受け取り私はそれをカバンに入れる。今日はこのまま帰るつもりだ。
正直に言えば、優姫と顔を合わせるのが色々ときつい。昨日こともあるし、ガッツリ昼に先輩に振られたのもあって、自分で言うのもなんだけど現在春日井歩の精神は穏やかではないのだ。自慢にもならん。
「なぁ、春日井さん…」
だけど、優姫は帰してくれないようだ。
「うちな、昨日あのあと考えたんや。助けてもらったんやから、なんかお返ししいひんとあかんと思うんや」
「いや、いいって。私が勝手にやったことだし、ライブに招待したのは私だしさ」
「でも、そんなん春日井さんに、うとばっか迷惑かけて…」
お互い友人が多い方ではないので、こういう時どうすればいいのか分からないのだ。素直にお返しを受け取るべきかどうか、判断つかないけど、ただ一つ思いつくものがあった。
「ならさ、名前で呼んでよ。私は優姫の事呼び捨てなのに、優姫が私を苗字でしかもさん付けして呼ぶのって友達なのに変じゃん?」
「それでええん?え~っと、歩さん」
「「さん」いらないって」
優姫は初めて出会った時からなぜだか律儀にさん付けをする。育ちが良いのか性格なのかはわからない。私もあまりそれに気にしていなかったけど、なんだか友達としては距離があるように思っていた。
「歩」
「うん」
私たちは顔を見合わせて笑った。
なんだかこれで正真正銘の友人になれたような気がする。
何がどうしてだというわけじゃない。ただ、もう少し保健室にいても良い気がしたから、いつも通り一緒に帰ろうと思ったからのことで、それ以外には何の考えも無い。私は帰ろうと担ぎ上げたカバンを下ろし、今日借りたばかりの漫画を取り出しベッドに座る。
優姫も真似して横に座った。ベッドが少し揺れた。
かまわず私はページをめくる。またあたるが浮気をしてラムちゃんの電撃にやられた。懲りない奴だ。
「なぁ、春日、やなくて歩?」
「ん?」
「ええこと教えてげよか?」
「ネタバレとかやめてよ?」
私はネタバレには否定派なのだ。
などと思っていると、急に優姫の手が私の肩を引いた。思いがけない行為に、私の座った体は優姫のなすがまま横、優姫の側に倒れる。そして驚く間も無く頭が暖かくて柔らかな何かにぶつかった。
「うちの膝枕な、めっちゃ柔らかいねんで」
私が頭を預けたそれは優姫の太ももだった。確かに自慢するだけあって柔らかい。
「うん、確かに…」
友人の強引な挙動に内心超緊張しているが、極力平常心を保って答える。
でも、嫌いじゃない。
暖かくて柔らかい、それでいて甘い香り。優姫の香りに満たされる。
今日、私と優姫は改めて友人になったけど、たぶんその関係はそう長くない。だって私の鼓動も、かすかに聞こえる優姫の鼓動もそれを予言している。
それがいつなのかは分からないけど、今はこの優しい君の香に包まれていたい。
―《君の香》完―
はい、どーも!
これにて歩&優姫編終了です。ここまで読んでいただきましてありがとうございます。楽しんでいただけたでしょうか?もし楽しんでいただけたなら、作者の胃及び内臓暴走連合もお腹を下したかいがあるもので、作者もトイレとPCの前を行ったり来たりしたかいがあったというものであります!(実話
この「これは青い花たちへの物語」は基本、GLをメインテーマにしたオムニバス形式の作品として続けていく予定でございますが、根本は「同性愛」なので作者の気分次第でBLも辞さない覚悟であります。ま、ネタが思い浮かんだらやけどね~。
では、また次回でお会いしましょう!次回あるのかって?オイラの腹がまた下ったら有るんじゃない?(おい!
駄文提供team TO