びしょ濡れの先に
1話目のサブタイトル変更しましたが内容は変わっておりません。
目を開けると、そこは洞窟の中だった。
状況がよく分からなくて、寝ころんだまま頭だけを動かして辺りを見渡す。
アテラが寝転がっていたのは洞窟の最奥であろう空間に敷き詰められている藁の上だった。藁のくせに不思議とチクチクせず寝心地がいい。この藁の寝床以外は洞窟の中には何もないようだ。外に繋がっていそうな通路は一つだけあるが、そこから光は一切入ってきていない。通路も折れ曲がっているため先は見えない。
今いる空間は壁や地面に生えている光る苔のおかげでほんのり明るく、空気も悪くない。通路から新鮮な空気が流れているようだ。ということはそれほど深い洞窟ではないらしい。
しかしどうしてここにいるのだろうか。
考えられることは二つ。
一つ目は知らないうちに自力でここまで歩いてきたという説。世の中には夢遊病というものがあるらしい。アテラは今まで経験したことはないが、寝ている間無意識に安全な寝床を求めて彷徨ったのかもしれない。
二つ目は、可能性はかなり低いのだがベルンハルドがアテラを運んでくれたという説。
(これはない、か)
道をふさいでいたという理由で野盗たちを殺した彼が、わざわざ人間の小娘を寝床に運んでくれるなどあり得るだろうか。あんなところで突然気を失ったのだ。放置する可能性の方が断然高い。
とりあえずここにいないベルンハルドを探さなければ。折角お供することを許可されたのにはぐれてしまったら意味がない。
彼がこの洞窟の中にいる気配はない。外にいるのだろうか。
――探しに行かなきゃ。
そう思って起き上がろうとしたが、だるくて体に力が入らない。呼吸も苦しく全身が燃えているような気がする。もしかして熱があるのだろうか。
アテラは滅多に体調を崩さない。熱なんて両親が生きているとき以来だ。
何もこんな時に出なくてもいいのに……。これではベルンハルドを探せない。
なんとかして起き上がろうと動かない体に力を入れてうんうん言っていたら足音が聞こえてきた。出入り口に繋がっているのだろう穴から銀色の光が差す。
ベルンハルドだ。
「ベ、ベルンハルド様!」
さっきまで全く動かなかった体がベルンハルドを目に入れた瞬間軽くなりすっと起き上がった。
相変わらずの無表情でアテラを見下ろすベルンハルドは腕に抱えていたものをアテラの傍に転がした。涙滴型をした薄黄色の果実――セツリの実が三個。
セツリの実は一般には流通していない珍しい果実だ。その九割が水分でできており、食欲のない者も一口齧れば忽ち食欲がわき、一個食べればある程度の栄養が摂れるという。話に聞いたことはあれど、アテラも見るのは初めてだ。
「食べろ」
アテラがじっとセツリの実を見ているとベルンハルドが言った。
アテラのためにこれを持ってきてくれたのだろうか。
その答えを求めてベルンハルドを見ても彼は既にアテラを見てはおらず、少し離れたところに腰を下ろしている。
「……ありがとうございます」
喉が渇いていたのもあり、アテラは考えるのを止めセツリの実を一つ手に取り齧りついた。途端、汁があふれ出し口に含みきれなかったものが顎を伝って胸元に落ちていく。元々薄汚れていた粗末な服が新たな汚れを吸収する。
そういえばアテラは川を渡ってびしょ濡れだったはずだ。なのに今は服も髪も濡れていない。冷え切っていた体も熱くて汗をかいているくらいだ。
……ん、汗?
そういえば若干暑くて息苦しい。意識しだしたら息が荒くなってきた。
頭がくらくらして座っているのも辛くなってきた。
もしかして熱があるのだろうか。冷たい川を渡ってそのままだったのだ、風邪をひくのは当たり前だろう。
しかし、せっかくベルンハルドが持ってきてくれた実だ。残すことはできない。意地で一個完食した直後にアテラは藁の上にばたりと倒れこんだ。
熱いけど寒い。震える体をどうにかしたいと、体の下にある藁をかき集めてその中に自分の身体を埋める。
「……」
アテラが倒れた途端、それまでどこを見ているか分からなかったベルンハルドが彼女を見、近づいてきた。
顔を赤らめて汗を流し息を荒げているアテラを無表情で見下ろす。
藁にもぞもぞと埋もれていくアテラに。
「暑いのか寒いのか、どっちなんだ」
独り言を真顔で呟きながらアテラの汗が滲む額にその冷ややかな手をあてる。
「気持ちいい……」
少女はその冷たさに頬を緩ませて、意識を闇に沈めていった。
アテラが再び目を覚ました時、目を閉じた時と変わらず傍にベルンハルドがいた。その手は額に乗ったまま。
それほど眠っていたわけではないのかとも思ったが、眠りについた時より断然体が楽になっている。少なくとも半日は経っているとは思うのだが、その間ずっと彼はアテラの額に手を当てていてくれたのだろうか。
その問いをかける暇もなく、ベルンハルドはアテラの傍からさっさと離れ洞窟から出て行ってしまった。
――アテラを置いてどこかに行ってしまうかもしれない。
そう思ったら寝てはいられず、久々に起き上がってふらふらする体をなんとか動かしてベルンハルドの後を追いかけた。
洞窟はやはりそこまで深くはなく、曲がりくねった一本道を少し歩くと外の明かりが見えてくる。薄暗いところから明るいところに出る時の眩暈に備え目を細めて出口まで歩いた。
一歩外に出るとそこはただの森の中だった。太陽が真上にあるのか木々に生い茂る葉の隙間から温かい日光が辺りを照らし、その日光も柔らかく吹く風に揺れている。
そんななんの変哲もない景色の中に、ベルンハルドを見つける。こちらを黙って見つめているベルンハルドを――。
それだけでアテラには、その目に見える景色が特別なものになった気がした。
ベルンハルドは数分アテラをじっと見た後、何も言わずに森の中に入って行ってしまった。
それをアテラは慌てて追うが、姿を見失うこともなくすぐにベルンハルドに手が届く距離まで近づくことができた。ベルンハルドがゆっくり歩いているからだ。本来の彼の歩幅はもっと大きいはずなのに……。
「――!」
そこまで考えてはっと気づく。
――アテラが追いかけてくることを受け入れているから。
アテラがついて行くことを許しているから……。
「ベルンハルド様! ありがとうございます!」
あまりに嬉しくて満面の笑みでベルンハルドに言ったが、彼はアテラを見ることも返事をすることもなく歩き続けた。ずっと同じ、アテラが息を切らすことなくベルンハルドについていける速さで。
『魔族は老若男女関係なく人間とあらばすぐに殺す、心の無い存在』
それは誰から聞いた言葉だっただろうか。
実際魔王支配の元、魔族と魔獣は人間を殺し、建物を壊し、作物を踏みにじり、世界を荒らした。
……でも、
目の前にいる人はこんなにも優しい――
アテラは鼻唄を歌いたいくらい上機嫌で彼の後ろを歩く。ついさっきまで熱を出して寝込んでいたとは思えないほど元気になっていた。
――ふと気になって振り返った先には、今までいたはずの洞窟の入り口などなかった。