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七月十三日

 





 

 七月十二日。相変わらず1Cの授業が酷い。なにがそんなに面白いのか大声で喚き散らし、雄たけびをあげ、体を机の向く方向に対して不自然に捻じ曲げる。黒板のある方を向かないというのがかっこいい高校生のポーズということになっているのだろうか。ボトムのホックを外しずり落ちそうなものをベルトで腰に留めるって、なに?トイレから慌てて出てきたの?変だよ?髪を立たせるのはいいがその大きい顔をそれ以上大きく見せていったいどうしたいんだろう。彼らは頭と顔が大きいほどイケメンだという、私とは違う文化圏に住んでいるのかもしれない。やたら胸元を空けたがるのもよく分からない。女子も女子で、出していい脚と悪い脚の区別もつかないらしいし。とりあえず顔が大きい子はそのへんなポニーテールはやめたほうが無難だと思う。

 久しぶりにまた過食嘔吐してしまった。カップめんとMOWと値引きされていたブランデーケーキを一気に食べて、家に帰ってチョコアイスを追加して吐いた。なんとなくすっきりしなくて水を流しでがぶがぶ飲んでから吐くと胃液とともにほとんど消化されていない面がどさっと出てきた。ケーキのほうが後に食べたのに。ということはまだまだ胃の中に残っているのかもしれない。週末プールに行く予定が入ってしまったのでもう少し吐こうかと思ったが面倒くさくてやめた。そのあと文字どおりの意味で何食わぬ顔をして階下へ降り、家族と食卓を囲んだ。夕食後物足りなくてナッツをつまんでいたらスイッチが入り、取っておくつもりだったパイナップル味の氷結に手を出して2ラウンド目を始めてしまった。お金をどぶに流しているみたいだと情けなさに泣いたのがついこないだなのに私は全然懲りてない。

 七月十三日。三年の授業で、手首の十字について生徒に追及された。葉子はその場ででてきた適当なことをべらべら言い訳しながら、顔から火が出そうな気分を味わっていた。なんだってあの頃の私はリストカットの傷に墨汁を流してみようなんてことを考えたんだろう。自分自身のことなのに全く理解できない。

「刺青かなっておもったんすけど、そんなヘタな刺青わざわざいれないっすよね」

 生徒の言葉に教室が沸いた。葉子も力なく笑いながら、いつもかわいらしく見えるその生徒を絞め殺してやりたいと思った。余計なことばかり気にしてるんじゃねえよ。くそがき。本当にどうかしていた。でおあの頃の自分は自分自身に一生後悔するような傷を負わせてやりたいと考えていたし、実際それはいまだ効力を発揮している。私の望みは叶ったのだ。

 やっと授業が終わったと思ったら学校紹介のパンフレットを袋詰めする作業が待っていた。弁当を慌ててしまって(食べてからおいでと言われたが、出遅れるのは嫌だったし、なによりそんな状態で物を食べるくらいなら食べないほうがましだ。葉子が世の中で一番嫌いなことの一つに「せかされること」がある)

 食堂の奥にスペースがあり、その部屋には紙が山のように積まれていた。五種類の紙たちをそれぞれ決まった順番で重ね、ビニールの手提げ袋に詰める。第二学年でのノルマは1400部だ。学年の人数分で割ったらまあそれなりの時間で終わるだろう。しかし実際はそうではない。

「すいません、指導行ってきていいっすかね」全然すまないなんて思っていない口調で藤本がほんの申訳ばかりに詰めたいくつかと残りの紙束をどすっと残していった。

「すいません、塾訪問行かなくちゃいけなくて・・・」塾訪問はテスト期間中に済ませておくべきものなのだが。上村は自分なら許されるだろうと全く疑わない表情で阿部に告げた。

「なんで私に言うのよ」阿部も緩んだ笑いをしながら答える。

「いや、やはり班長に、と思いまして」

 どっと笑いが起こる。葉子はずっとうつむいて早くも痛み出した手首を気にしないように努めながら作業を続けた。

「まぁ班長だよね。阿部先生だけ最初からずーっとここいて働いてるし」

 最初から一度も席を立たずに作業をしているのは葉子も同じなのだが。葉子は昔からこうだ。成績だって運動だって、いくら葉子のほうが出来が良くてもみんなの前でほめられるのはいつも自分以外だった。人から好かれない。特に好かれたほうが得になるような人には絶対に好かれない。勘弁してよ、臭い、きもい、近くに寄らないで、と思うような人間が仲間を見つけて嬉しいとでも言いたげに葉子にすり寄ってくる。汚いものに近寄られると自分がますますみじめで汚いものになる。

「そろそろ僕も塾訪問に行かなきゃなぁ、早くいかないとなあ」隣で五十木が誰に言うでもなく、しかし周りに聞こえるように呟いている。塾訪問で逃げられるのなら何十件でも回ってやるよ。果てしない単純作業に葉子はひたすらいらいらしてくる。

「樋口先生、だんだん雑になってる」資料をだんだん角を揃えずに組むようになったのをいさめられる。

「すみません」

 短い会話はそれだけで終わる。葉子がこんなにいらいらしているのいは葉子以外の教員たちが仲睦まじくおしゃべりをしていることにもある。なぜだろう。あの輪に入りたいという気持ちはみじんもないのに、近くで見ているといらいらする。これも昔からだ。輪の中に入りたいという気持ちはないのに(事実入っても少しも楽しくなかった)人の輪を見ていると気が焦って妙な感じがしてくる。

 いつの間にか作業の仕方に決まりができていたらしく、それに気がつかなかった葉子はきまりの悪い思いをする羽目になった。

「このほうがわかりやすいから」

 じゃあせめて一緒のテーブルで作業している私に説明してくれてもいいんじゃないか。なにがしたいのか教えてくれないと何をしたらいいのかわからない。わからせてくれない癖にこちらがとりあえず自分なりに考えて動いた結果を余計なことしやがってみたいに見るのは勘弁してほしい。なにより、どうして自分の思いついたやり方が最高で至上だと思っているんだろう。いや、私の優先順位とか考え方のほうがおかしいのかもしれない。いつもいつも属する集団において「天然」だとか「KW」だとか思われてきたんだから。葉子にはほんの小さな子供にだってわかることが分からない。目の前にあるものが視界に入らない。誰もが気がつく大きな音が聞こえない。どんなばかにもできる簡単なことができない。できそこない。失敗作。障害者になりかけ。白痴。油虫以下。死ねばいいのにこんな汚物。

 まだ水曜日。土日も部活だし、最近葉子はほんとうに、生きるために働いている牛馬のよ持ちがしょっちゅうする。牛や馬のほうが自身の不幸を顧みるあたまがないだけまだしもましかもしれないと思う。こんなに頭が悪いのにあたまがあるのが私の不幸だ。そう、葉子は思う。いっそ気が違ってしまったほうがよっぽど楽かもしれない。


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