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はじめからはじまり
今日でちょうど三カ月になる。立ちっぱなしでむくんだ足をさすりつつ葉子は気づいた。どおりで「先生」なんて呼ばれても最近はあまり面喰わなくて済むんだ。
電車が揺れて、正面で居眠りしていた中年男が驚いたように顔をあげた。その顔を直視しないように慎重に視線を外すと、窓の外に墨汁を注いだみたいに真っ黒い森が見えた。新宿の街はこの時間にだって屋外で本が読めるくらい明るかったのに。葉子は数か月前、女子大生だった自分のことがもうよく思い出せない。楽しかったのか、つらかったのか、いろいろあったはずなのに就職活動しかしてこなかった気がする。
いま葉子は地元の出来の悪い私立高校で常勤講師をしている。常勤講師とは、正規雇用ではないにもかかわらず学年業務や、部活動や、ヘタをすると担任まで持たせられる教員のことだ。最低限の給料で、ボーナスもなければもちろん残業にも休日出勤にも手当てはつかない。毎日朝の七時半に学校につき毎日九時近くまで家に帰れない。でも葉子にはほかに行けるところがなかったし、大学に残って就活をすることは親が許さなかった。