二度目の青春は無口系ヒロインと共に
人生で後悔していることを1つ述べろと言われたら即答で高校時代と断言することが出来る。俺、山田雄星はいい歳こいたリーマンにも関わらず燻っていた。燻るというよりは怠惰という言葉が相応しいかもしれない。変わらない日常、変える意思のない日々、変わっていく体型。ほとんどが中年の悪い見本市のような荒くれた生活を送っているせいで心が荒んでいた。もしもあの時──なんて、絵空事は誰にでもきっとあるだろう。けれども、そんな願望が叶うはずもなく今日もまた顰めっ面の人々が集う電車に揺られていた。
結論から話そう。
翌日、俺はぽっちゃりお腹の中年として目覚めることはなかった。いや、死んだわけではないから安心してほしい。
「は?」
ワントーン高い声、やけに寝起きの良い身体、そして何より昨日眠る時には無かった大柄の姿見。姿見なんて、大人になってから見る機会なんてほとんどなかったからな。エチケットとしてトイレとか手洗いの鏡で自分を見るぐらいで。姿見には丁度高校生ぐらいの齢の自分が映し出されていた。
「夢か…?」
なんて、独り言を呟いていると「雄星」と聞き慣れた母親の呼び声に引き戻された。
「え?母さん」
驚く暇もなくトタトタと歩く音が響き渡る。そして一才の遠慮を知らない勢いで部屋の扉が開いた。
「起きろ。遅刻」
テーブルに並べられたトーストを貪りながら、俺は状況を整理していた。頬をつねっても痛みがあるから、多分これは現実なのだろう。いや、でも現実って…タイムスリップが現実?働きすぎで気でも狂ったんじゃないかと疑いかねない話だが、とりあえず受け入れないことには何も始まらない。それに、唯一の気掛かりだった高校時代に戻れたことが俺にとって何よりの救いでもあった。俺は余ったトーストを無理やりに口に詰め込むと「いってきます」の代わりに母さんの方に手を挙げた
「はいはい。いってらっしゃい」
高校時代、あれほど嫌だった乗り継ぎ電車での通学は久方ぶりの高校生活において彩りを取り戻していた。昨日まで通勤電車でもみくちゃにされて半ば死にかけの目を向けていたのに、今ではそれすら味だと思えるのは少しばかり心に余裕が出来たのだろうか。というのも正確には理由があって「シュー」という音と共に開いた電車のドアには小顔サイズの本を手に持った少女が一人映し出されている。何を隠そうこの少女こそが、俺が高校生をやりなおしたいと切に願った原因でもある。
蓮見詩織。クラスでも物静かでほとんどその声を聞く機会がない。けれども、とろけるようなウィスパーボイスを持っていて俺だけがこいつのこと好きなんだろうなランキングがあるなら多分優勝を狙えるんじゃないかという逸材だ。俺は端的に言うと蓮見のことが好きだった。けれども、前回の人生では蓮見に面白い男と思われたいと思ってしまったばっかりに空回りピエロを演じることになり結果的に対人恐怖を抱えることになったきっかけを生んでしまった。だからこそ俺は、2度と同じ過ちは繰り返さないと心に誓ったんだ。
蓮見は優先席前の吊り革の下を定位置に本を読んでいる。結局前回の人生では、彼女が何の本を読んでいるかすら知ることもなかったが今世では是非とも知りたいものだ。俺はというと隣の車両の同じ位置から彼女を遠巻きに視界に入れていた。万が一気づかれたら気持ち悪いだろうしね。
およそ1時間の通学の果てに殺風景な通学路をとぼとぼと歩き、蓮見の少し先に教室へと足を運んでいた。一応説明しておくと、俺と蓮見は隣の席の1番後ろである。しばらくしてガラガラっと教室を開けて席に座ろうとする蓮見に「おはよう」と声を掛けた。そんな俺に驚いたのかしばらく、といっても数秒動きを止めた蓮見が小さく「おはよう」と返してくれた。とてつもない達成感である。というか、前回の俺はどうしてこんなことすら出来なかったのだろうか。
走馬灯のようにあっという間に放課後まで駆け抜けた。結局その日はそれ以上学校で会話することもなく、だらだらと友人とつるんだだけで授業を終えた。といってもピエロをやらなかっただけで俺にとっては大きな進歩である。通学カバンを手に持つと一目散に校舎を抜けた。一応言っておくと俺は帰宅部なので、部活的なシチュエーションが発生することはない。しかしながら、帰宅部にもイベントらしいイベントは存在するのだ。というのも、俺たちの学校はど田舎にあるもんだから非常に交通の便が悪い。そうなると、終礼からの電車を乗りそびれると次は1時間待ちというとんでもない罰ゲームが待っているのだ。何たる地獄。かくいう今も小走りで駅を目指している。ずっと気になってたんだが、同じ帰宅部の蓮見も同じ電車に乗っていたのだろうか。俺はというと1番前の車両に毎回乗るもんだから一度も帰りの電車で蓮見を見かけたことはなかった。そうなると真ん中の車両辺りが良いかもしれない。普段なら1番前で友人たちと駄弁りながら帰宅するのだが、今日は気掛かりもあり真ん中の車両を定位置にすることにした。といっても、ドアが閉まるまでに蓮見が姿を見せることはなかった。
残念な気持ちと徒労に終わった気苦労を抱えながら乗り換えの駅に着くと、散々待っても居なかった蓮見が見つかった。「普通に居たー」心の声を抑えながら縦距離を維持しつつ近づくと、何やら外国人らしき人物に絡まれている様子だった。今では移民なんてものは当たり前でコンビニの店員のほとんどが外国人なんてことは過去の俺が知ったら驚くだろうか。驚くだろうな多分。俺の住んでる地域はその走りといっても良かったのかもしれない。一部の労働外国人の受け入れ先がやたらと多く、こうして今みたいに外国人に絡まれる日本人が後を絶たなかったのを今でも覚えている。
放っておくのも違うと思ったから俺はその外国人に話しかけていた。一応学校にコースというものが存在しており、奇しくも俺は英語を専門にしていた。さすがにネイティブは厄介だけど、向こうも伝えようと必死なので何とかこちらも返答することが出来た。
「あの…山田くん、ありがとう」
思わぬありがとうに声が上ずりそうになるのを堪えながら「困った時はお互い様だから」と返した。母さんの受け売りが役に立つ日が来るとは。
「ここんとこ外国人多いもんね。結構話しかけられるから、俺も内心ドキドキしながら話してる」
「テストだとそうでもないんだけど、リスニングは試験とは違うね」
本当にそう。それでも思ってるより外国の人たちは優しいし、日本人と会話する時には加減した英語を使ってくれる。何なら聞き取りさえ出来るのなら、言葉は最低限でジェスチャーで何とかなってしまうのも外国行った人あるあるとして付け加えたい。
「蓮見って普段この時間見かけたことなかったから違う電車乗ってるのかと思ってた」
「私はいつもギリギリで乗ってるから1番後ろの方の車両に乗ってる」
だからか。そりゃあ一度も見かけることないわな。というか勝手に無口系だと思い込んでだけど、結構レスポンス返してくれるんだな蓮見。
「実は蓮見と一度喋ってみたいなって思っててさ、良かったら途中まで一緒に帰らない?」
「山田くんって私の駅の先だよね?」
「よく知ってるね」
まず、蓮見が俺のことを認知してくれていたことに激しく驚いた。
「山田くんってさ、何かすごく山田くんって感じなんだよね。だからさ、少し遠くに居ても山田くんだって気づくこと多いんだよ」
「もしかして褒めてくれてる?」
「悪口だったりして」
二人してくすりと笑うと、そのまま乗り換えの電車に乗った。
「山田くんって何でたまに授業中変なことしてるの」
思い当たる節がありすぎて胃が痛い。
「いや、えっと…あの」
「あぁ、変な意味じゃなくてね。いつも堪えるのに必死なんだから」
蓮見は少しだけ頬を膨らました後にくすりと笑った。
「ちなみに印象深かった奇行ある?」
「ジェンガをハンカチに乗せて思いっきり引くやつ。何あれ」
肩を振るわせながら蓮見が俺に目を向ける。その目は優しさに溢れていて、非難するような女子の目とは真逆だった。
「ほら、ワイングラスをシーツに乗せて引き抜くやつあるじゃん?あれの真似」
「バレて生徒指導室連れて行かれたの今でも思い出すもん」
「あの時の小林先生ガチで怖かったわ。人を見る目じゃなかった」
てっきり俺は前回の高校生活で好きな人に見向きもされず挙げ句の果てに笑われたくない奴らに小馬鹿にされるちんけな存在なのかと思っていたけど、存外願いは通じていて蓮見に気にさせることには成功していたのか。フラグが立たなかっただけで。
「面白いけど程々にね。あんまり生徒指導室行きすぎるとそのうちペナルティ課されちゃうかもよ」
「それもそうだな。気をつけるよ」
というかこうして好きだった蓮見と話すことに成功してるからな。もはやお役御免というか。
「あのさ、蓮見。実は俺前から蓮見のこと気になってて」
「だから、隣で変なことしてたの?」
「うん」
「思考回路が小6」
「ぐうの音も出ない」
「それで、山田くんは私が気になって話しかけたら何をしたかったの?」
「俺は…」
突如走馬灯のようにこれまでの人生がぐるりと回った。学生時代に意図せぬところで笑われていたことをきっかけに対人恐怖になって、新しい恋愛はおろか異性に踏み出すことさえ出来なかった。体重は日々太ってくし、変わり映えのない日常にうんざりしていたはずだった。けど、アニメが楽しかった。たまに友達とやる音楽が好きだった。年末に集まる幼馴染の集会が好きだった。ご飯が美味しかった。家族が好きだった。存外俺は、
「俺は蓮見が好きだった」
「うん」
「けど、くだらない日々にも満足してたんだ」
「うん」
「俺は、高校生活を後悔していたけれど、それでもきっと俺の人生は間違いではなかったんだと思う。だから、蓮見…俺は」
「山田くん、頑張ってね」
目が覚めたらタイムスリップするなんて、都合のいい話が存在するわけがない。相変わらず俺は変わり映えない日常を送っているし、夢オチとして処理された非現実的仮タイムスリップも、僅かばかりの涙を残して終了した。あれから特に大きな変化はない。強いて言えばダイエットを始めたのと、少しだけ女性と話すことに抵抗がなくなったことぐらいだ。俺にとって蓮見は青春時代の象徴であり、交わらなかったからこそ青春として今も刻まれているのだろう。俺はクソみたいな通勤電車に揺られながら小さくため息をつくと少しばかり彩り始めた世界に目を向けた。




