・素行不良のアルヴェイグ
姉さんがこの国にきたのは、帝国への朝貢のためだった。
姉さんはアザゼリアの皇帝に謁見して、アリラテ王の使者として忠誠と朝貢の品を捧げた。
忠誠を疑われることは弟アルヴェイクの死を招く。姉さんは王の代理として、立派にその役目を果たしてくれた。
それからその翌日、姉さんは寂しそうに俺を見つめて、別れの言葉を残して故郷へと帰っていった。
「アル、忘れないで。私はあなたの姉。あなたは私の弟。年に1度の朝貢の時に、また会いにくるわ……」
姉と別れると、その翌日に帝国学院に入学した。
そこで士官としての訓練。領主としての勉学。宗主国の思想教育を受けるためだった。
完璧に管理された広い庭。若いメイドに囲まれた心浮つく生活。朝昼晩の贅沢な食事。全てが人質王子を堕落させるために仕組まれた豪邸からの、30日間の通学生活が始まった。
「素行以外は優秀なようだな、アルヴェイグくん」
「素行ですか? 先生、何か俺に問題でも?」
担任はチェスター先生。彼は50過ぎの初老の男性で、成績の悪い生徒には容赦なく教鞭を振る。比喩としてではなく、本当に。
入学8日目、俺は恐怖のチェスター先生に放課後の教室に残るように言い渡された。
「その格好だよ。いくらなんでも古めかしすぎる……。墓に入った爺さんが出てきたかと思ったぞ」
「あ、ありがとうございます、嬉しいです!」
「褒めてなどいないっ!! ぬっ!?」
その教鞭を手首ごと止めて体罰を阻止してみせると、チェスター先生は怒りに顔を真っ赤にして生意気な小僧を睨んだ。
「ぬっ、こっ、このっ、何をするかっ!!」
「それはこちらのセリフです。そんなので殴られたら、痛いではないですか」
「痛くさせるためにやっているっっ、この不良生徒がっっ!!」
夕日差し込む放課後の教室で、俺はチェスター先生とシュールな組み手を交わした。
なんでかわからないけど不思議なことに、チェスター先生が次にどう動くか見えてしまった。父上に体術を教わった時は、こうも上手くいかなかったのだけど、相手が貧弱なおじさんだからだろうか。
「ぜぇっぜぇっ……私の愛の鞭を拒むとは生意気な……っ! ああとにかくっ、その時代錯誤な格好、どうにかならんのかねっっ!?」
「これは20年前、父がここで着ていた物です。この格好を否定するということは、20年前の帝国学院を否定するということになりますが、よろしいですか?」
先生は生徒を教鞭で殴り付けるのを諦めた。
こちらが持ち出した屁理屈に、苦虫を噛み潰しような顔をした。
「不良の子は不良のようだな!! オラフ・イポスッ、ヤツは開校以来の我が校最悪の不良だっっ!!」
「父上が、不良……? それはちょっと想像が付かないです」
「問題を起こす前に私は言っておくぞ! 目を付けたからな、アルヴェイグ・イポス!!」
残るように言ってきたくせに1人で怒り散らして、チェスター先生は教室を出ていった。
大方、厄介そうな生徒の頭を今のうちに押さえ付けておこうとか、そんな下らない腹だったのだろう。
「やるじゃねぇですか、王子殿下」
「あ、ゴルドーさん」
「遅ぇんで迎えにきやしたぜ。さあ、めんこいメイドさんのところに帰りやしょう。いやぁ、羨ましいねぇ……」
「だったら代わってよ、人質王子」
俺もゴルドーさんも浮いていた。王侯貴族ばかりが集う学び屋で、時代錯誤な古着の少年と鎧騎士が石造りの廊下を闊歩した。
「難しく考えるこたぇねぇ! ありのままに受け入れちまえばいいんでさ!」
ゴルドーさんは自分が浮いていることなんて気もしていなかった。
女子生徒に奇異の目を向けられると、ニカッと笑って悲鳴を上げさせていた。
「その服だってそうだ、そんなもんクローゼットの奥にしまっちまって、皇太子殿下からいただいた絹の最高級品に袖を通しゃいい!」
「そして父上の服をクローゼットの肥やしにしろと?」
「ええ、忘れた方が楽ですぜ……。ああそうそう、手配したメイドが好みじゃねぇなら、チェンジさせやしょう。どんな子が好みですかい?」
「もう勘弁して下さいよ……。ゴルドーさんは、チェスター先生より厄介だ……」
「すんませんねぇ、これが仕事ですんで。あ、ご自分より若い子がいいですかい? 9歳くらいまでなら、手配できやすが?」
「は、はぁ……っ!? こ、この人、非常識過ぎる……」
ゴルドーさんの表の業務は護衛。裏の業務は、従属国の王子を堕落させることだった。
俺はゴルドーさんを無視して黒塗りの馬車に乗り込んだ。