・宗主国アザゼリアでの人質生活
「君が血染めのオラフの子か」
日通しの馬車で5日間の旅を終えると、帝都の宮殿に到着した。
それから休む間もなく、皇太子殿下に拝謁をたまわることになった。
「はい。父には血染めのマントをくれると言われましたが、断りました」
「ふむ、オラフ王よりは常識があるようだ」
「アルヴェイグともうします。栄えあるアザゼリアで学べる機会をいただき、光栄にございます」
「ふむ、なるほど、そういった性質か」
ベルナディオ皇太子殿下はこの国の内務大臣でもあるそうだ。
彼は30代後半ほどの髪の黒いヒゲ男で、少し神経質そうだが渋くて低い良い声をしていた。
「では説明に入ろう。君には春期と秋期、年間90日間を帝国学院で過ごしてもらう」
「え、90日、だけですか?」
「望めば日数を倍まで増やそう。だが、君の仕事は未来の諸侯としての勉学だけではない」
「ええと、それはどういうことですか?」
「君は祖国の外交官だ。我々が招待した行事には必ず参加するように」
意外と自由で、意外と面倒だった。
これから俺は行事に呼び出されては、愛想笑いを浮かべることになるのだろうか。
「従属関係とはいえこちらは王家。諸侯、とのお言葉は訂正いただけますか?」
そこに姉さんが口をはさんだ。
「おっと、これは失礼、ご令嬢」
「オラフ王が娘、シトリン・イポスともうします」
「ふむ……君も奥方似のようだ。別段他意なかったのだが、非礼をわびよう」
宗主国の皇太子が俺たちの母親を知っていることが少し意外だった。
彼は姉さんをやけに長々と見つめると、難しい顔をして俺の方を見た。
「帰国されるお姉さんはよしとして、君のその格好はいただけない」
「え、ダメですか、この服……?」
俺たちの国は貧乏だ。土地が貧しく、この宗主国に朝貢しているので国民の大半が貧民だ。
そして父上は仁君。搾取を好まない。
「オラフにはつくづく困ったものだ……。国の代表に、自分のお古を着せるバカがどこにいる……」
「先ほどからずいぶんと父に詳しいご様子ですが、どのようなご関係ですの?」
「うむ、オラフは私の元先輩だ。武勇と人柄は完璧だったが、社会性には期待のできない男だった……」
「まあ……。昔から変わりませんのね、お父様……」
俺の父オラフは血染めの服とマントで外国の使者をもてなすような男だ。俺も姉上も皇太子殿下の言葉には納得しかなかった。
「仕立て師を呼ばせよう、その服はオラフに返せ」
「いえ、結構です。俺は父が受け継いだこれが、とても気に入っていますので」
ただし脱ぐとは言っていない。
俺は父上が人質時代に着ていたこの服で、帝都での新しい人生を送りたい。
「やはりオラフの息子だな……。そんなボロ着で歩き回られたら、我が国の属国経営を疑われる。最高級の一着を用意させよう」
それは皇太子殿下からすれば、善意の言葉だったのかもしれない。オラフ先輩に対する何かだったのかもしれない。けれど――
「古いからなんなのですか?」
「なんだと……?」
「ボロいからってなんでダメなんですか!? いいではないですか、この古臭さが! この味わいが、皇太子殿下にはおわかりいただけませんか!?」
皇太子殿下は若者の突然の自己主張に目を丸くしていた。
「む、うむ……それは、まあ……。わからないでもないが、しかし……」
俺はこういう物が好きだ。
新しければそれだけで良い、なんて価値観は間違っている。
それに古い方が意外と作りがしっかりしていたりする。
上等な品だからこそ、長い月日を生きてこれたと言える。
「すみません、この子はこういう子なんですの。アンティークが好きで、家ではガラクタばかり集めていましたのよ」
「アレはガラクタじゃないよ、姉さんっ!」
「アルにとってそうでも、世間様はそうは思わないのですよ。……弟が申し訳ございません」
「でもおかしいじゃないですか! この【騎士王の剣】は50年経っても大切にされてるのに、服はなんでダメなんですか!」
そう主張すると、姉さんは『剣と服は別だからよ!』と、論理的とは言い難い回答をくれた。
その一方に皇太子殿下は笑った。どこか遠い目で姉さんを見て、黒いヒゲを撫でた。
「よかろう、だが公式の場ではこちらが仕立てさせた服を着てもらう。それでよいな、オラフの息子よ?」
「あ、ありがとうございます、皇太子様!」
皇太子殿下は苦笑いを浮かべて、何か気がかりでもあるのか自分の側頭部に触れた。
「君の屋敷と護衛を用意させた。その護衛に屋敷へと案内させよう。……ただしくれぐれも、血染めの服で学内を歩くような狂行はひかえてくれよ」
ひかえていた護衛の男がやってくると、皇太子殿下の政務室を出た。
最後の『血染めの服で学内を歩くような狂行』というのは、まさか若かりし日の父上のことだろうか……?
「ぅ……っ?!」
ところが政務室を出ると、右の手のひらに突然の熱い痛みが走った。
「あら、どうしたの、アル?」
「い、いや、別になんでも…………えっ?」
神経痛にしては鋭い痛みに、手のひらを開いて確かめるとそこには、得体の知れない物体が深々と刺さっていた。
それは一見、長辺3センチほどの黒いカードに見えた。
「あ、あれ……っ?」
触れるとその黒いカードは消滅した。
さらに異常なのはあれだけ深く刺さっていたのに、傷がどこにもないことだった。
「何を驚いているの?」
「姉さん……俺、思っているより疲れているみたいだ……」
痛みの消えた拳を握り締めて、俺は姉さんに背中を抱かれて護衛の人の後を追った。
この【騎士王の剣】と【オラフの古着】を継いだあの日から、俺は幻覚を見るようになっていた。