・邪悪なる者たち
30分で計画をまとまめると、燭台を手に歩数を数えながらトンネルの奥に進んだ。
計算上のロメイン邸までの距離は195歩。181歩目で父上の背中に追いついた。
「父上、俺がいる場所から14歩ほどで目的地です。そこがロメイン邸の正門の真下となります」
「そうですか」
「はい、もう少しですね、父上」
「ふぅっ、楽しかった……! 魔物や人を斬るのも嫌いではありませんが、こういった無心にできる作業も悪くありません」
「とてもよくわかります。……それで、この後の計画なのですが」
「聞こう。ははは、君とこんなことをしたと知れたら、母さんにこっぴどく叱られてしまいますね……」
父上が地べたであぐらをかくので、俺も同じようにした。とても王と王子の姿とは思えなくて俺も笑ってしまった。
「僕は王にはなりたくなかった。ずっとこの華やかな帝都で、無責任な遊び人をやっていたかったんです……」
「アリラテの状況は?」
「まあ悪いです。僕たちは帝国に朝貢しなければなりませんし、そのためには重税をかけるしかありません。いつ反乱が起きてもおかしくありませんよ」
宗主国と民の板挟み。それがアリラテ王の宿命だった。
「では、ベルナディオ皇太子殿下の案を飲むのですか? 俺は王位なんていりませんけど」
「当然でしょう。僕は昔から、王になんてなりたくなかったのですから……」
いつだってやさしく笑う父上が苦笑いを浮かべていた。ある面において父上は、帝国軍を率いて祖国の反乱を鎮圧した圧制者でもあった。
「ヴェイグ、心して聞きなさい。ベルナディオが皇帝にならなければ、いずれ僕たちは破滅します」
「破滅、ですか……?」
「再びアリラテで反乱が起こるでしょう。僕は反乱軍の首謀者として祭り立てられることになるでしょう。そして君は――僕と同じ間違いを犯すことになります」
あるいは鎮圧者とならず、人質としての刑死を選ぶことになる。父上はその結末を望まないだろう。
「そんな未来と比べたら、小国の王位などちっぽけなものです。僕は喜んで王冠を捨てましょう。……ああ、話がそれていますね、それで、新しい計画は?」
父上の問いかけに俺はニッと笑い返した。
この地で自信を手に入れた息子の姿が父上は嬉しそうだった。
「近衛兵長および、その精鋭を夜会に招きます」
「ははは、近衛兵と夜会ですか、それはそれはひょうきんです」
「その会場にたまたま、ある急報が届くことになるのです。ロメイン邸の地下で、誘拐された皇后様を見つけた、とね」
そうなれば近衛兵たちも命令書なしで動ける。偶然そこにいたので、職務を遂行しただけと言い張れる。
「プアン皇后。あの恐いオバさんさえ確保すれば、現行犯で誘拐犯たちを制圧できるというわけですか」
「それだけではありません。先ほど、ロメイン子爵が言っていました。大切な友人をもてなしている、と」
そう口にすると父上のやさしい目が鋭いものに変わった。
「誘拐計画の首謀者、フリントゥス皇子ですか」
「はい。今ならば現行犯で、皇太子殿下の政敵を母親誘拐の罪で逮捕できます。俺たちの手で、信じた男の背中を玉座へと押し出せるのです」
父上は笑いも怒りも疑いもしなかった。静かに息子を見つめていた。息子が自分と同じ男に厚い信頼を寄せているのが不思議なのかもしれない。
「王位を捨てるのが惜しくなりました」
「……え、急になんでですか?」
「君は僕よりずっといい王様になれる。君はアリラテに黄金期をもたらすために生まれた子のようです」
「あまり欲張ると全てを失いますよ」
「それもそうなのですがね。……では、そのプランでいきましょう。あのオバさんはいわゆる女傑、喜んでこの計画に乗ることでしょう」
父上が膝を立てると、俺もそれに続いて立ち上がった。
「女官の服は?」
「当然ずぶ濡れですけど……?」
「それを着てきなさい。ヴェイグ、潜入は貴方に任せます。近衛兵長の説得、夜会への招待はこの僕に任せて下さい」
「ええええっ!? また、あれを着るんですか……」
「かわいいですよ、とても」
「それは息子にかける言葉ではないでしょうっ!!」
「では任せましたよ」
父上から緑色に輝くスコップを受け取った。代わりに父上は俺の燭台を取り、カンテラを残してトンネルを出て行った。
「あの格好で、皇后様に会うの……? ああああ……憂鬱……」
195歩のところまで掘り、そこから北へと慎重に掘り進めた。
するとレンガで組まれた壁を見つけた。その壁の底へと向かってスロープ路を作って、地下室の床下に潜り込んだ。
そこもレンガで組まれていた。脱獄を防ぐためかレンガは4層もの厚みを持っていたが、どうもそれも『地盤』の一部らしく、スコップを差し込むと綺麗に向こう側までくり貫けた。
『ふぉっふぉっふぉっ、この能力を選んで正解じゃったのぅ』
「うん、こんなに便利なポーチは貴方の他にいませんよ」
切り抜いた煉瓦はポーチの中に吸い込んだ。
床下から地下室に出てみると、幸先がよいことにそこは独房のうちの1つだった。空室の独房に鍵はかけられていなかった。
「この姿のまま行くのも失礼ですよね……」
『止めておいた方がよいかの。オラフに着られていた頃は共に震え上がったものよ。その点、お主は相当に気に入られておるぞい』
潜入路が確保できたので屋敷に引き返した。女官の服は季節外れの暖炉の前に吊され、生乾きになっていた。
「恥を承知で言います……。エマさん、着替えを手伝って……」
「ええ、喜んで♪ それは1時間おきにいただきたいご命令筆頭にございます♪」
ツッコミはあえて入れずに着替えを任せ、気持ちの悪い生乾きで俺は潜入作戦に挑んだ。
ソーミャのため、家族のため、信頼する男のため。俺は女官姿であの独房に戻り、身を隠しながら皇后様の姿を探した。
敵はここが特定されているとは想像すらしていない。そのため辺りに歩哨の姿はなかった。
暗闇に包まれた不気味な牢獄を歩み、血痕の残る拷問部屋を見つけた。拷問台や器具に埃の形跡はない。おぞましいことにその部屋は最近使用された跡が残されていた。
客人のフリントゥスが誰かに使ったのだろうか。まさか母親を拷問するなんてそんな悪趣味なことはないと思いたい。
恐怖を覚えながら地下牢をさらに探索した。拷問部屋とは反対方向に折り返し、皇后様の無事をただ願った。
結果、反対側の通路の奥で、俺は唖然と立ち尽くすことになった。
「だ、誰っ、そこに誰かいるのっ!? お願い、お願いここから出して……お願いよ……っ」
若いメイドが鉄格子に駆け寄ってきた。俺はそのメイドのことを知っていた。
弱々しい雰囲気の人で、年齢は俺と同じくらい。エマさんが忙しいときや体調が悪いときに臨時で何度か、うちを手伝ってもらったことがあった。
そのヘルプが入らなくなったのはもう2年近くも前だろうか。
彼女は監禁されていた。雑居牢の中で変わり果てた姿をさらしていた。痩せこけた顔や手足とは対象的に、お腹が大きく膨らんでいた。
それと彼女の奥にもう1人、赤子を抱いた女性がイスに腰掛けている。それも見覚えるのある顔だった。
「落ち着きなさい、ミアン」
「私……ずっと、ここで、アイツに……アイツと仲間たちに……っ、たす、けて……」
「ミアン、その女官はわらわたちの命綱、大きな声を出してはいけません」
「え、この女の人が、命綱……?」
「女の子ではありません、男の子です。……やはりお母さんに似ていますね、アルヴェイグ王子」
皇后様に正体を一瞬で見抜かれて、俺は苦笑いをミアンさんに送るしかなかった。
「お時間はよろしいですか、皇后様?」
「うむ、夕食が終わるまでやつらはここにこぬようだ」
「こんな状況ではございますが、ロメイン子爵および、逆賊フリントゥスに、この仕打ちの罰を下す計画が私にございます」
「ほぅ……わらわの救出作戦だけに止めぬ、とな?」
「はい、貴女を危険にさらすことになりますが、これが成功すれば、ここに集う悪党どもを一網打尽にできます」
「面白い、ちこうよれ」
「はっ!」
ミアンさんに心配ないよと小声で伝えて、牢屋の前に立った。皇后様は赤ちゃんをミアンさんに返して、俺の前に立った。
「この勇敢な行動、ソーミャを手に入れるためか?」
「そ……そういった腹もございますが、これは、祖国のためです。ベルナディオ皇太子殿下以外が皇帝となれば、祖国ではまた反乱が起きます……。父上、母上、姉上を討つなんて、俺は嫌です……」
「そうか」
「皇太子殿下は俺たちの希望なんです。俺は、あの厳しくもやさしい方を皇帝にしたい……」
家族の運命を考えたら涙が浮かんできた。そんな俺を見て皇后様が思いもしない行動を取ってくれた。鉄格子越しに蛮族の国の王子を抱きしめてくれた。
「よかろう……。そなたがソーミャに相応しい地位に上り詰めたその時は、わらわが後押ししよう……。ベルナディオの隣にそなたとオラフがおれば、わらわも安心じゃ……」
俺が抱擁を恥ずかしがると、皇后様が両手をほどいてくれた。
それから皇后様に詳しい計画を説明した。演技のできそうのないミアンさんには耳をふさいでもらい、逆賊を討つこの計画に血染めのオラフの援護があると伝えた。
「フ……オラフ、オラフか。わらわを救いにきてくれるのか、そなたは……」
一瞬、あの恐ろしい皇后様が乙女の顔になったのを俺は見なかったことにした。




