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・演説、妹が妹なら兄も兄

 殺戮の夜が明けたその日の昼過ぎ、ベルナディオ皇太子殿下が赤竜宮に帰ってきた。

 昨晩から宮殿は酷い混乱状態で、その離宮にあたる赤竜宮は半ば籠城するように外部との連絡を絶っていた。


 恐ろしいことに血が流れたのはこの場所だけではなかった。宮殿――正式名称【黒帝宮】でも53名もの命が失われていた。

 皇帝の快癒を祈るミサで、宮殿の衛兵たちが突如として剣を抜いて暗殺者と化し、乱戦の果てに7名の有力者が刃に倒れた。


 倒れた有力者は全て、ベルナディオ皇太子側の中堅貴族や商人たちだった。

 誰も裏切るかもわからない恐怖の夜を、ミサの主催者である皇后様と彼らは乗り切った。


 そしてそこに皇太子殿下が外遊先から帰還した。宮廷の混乱は一人の男の帰還にただちに収拾された。


「顔を出すのが遅くなってすまない。アルヴェイグ、君にここの守りを任せて正解だった」


「まあお兄様、妹の心配よりもアル様への賞賛が先でございますか。それはそれは……」


「世話になった者に感謝するのは当然のこと。家族の情はその後だ」


 暖かな日差し降り注ぐ離宮の空中庭園にて、ソーミャ皇女が兄に両手を広げる。するとあの孤高の皇太子様が涙ぐんで、大切な妹の無事を抱擁で確かめた。


 怖いとか、冷たいとか、そう評価されがちな方だけど、その姿は十分すぎるほどに人間らしかった。


「わたくしのアル様のご武勇を、お兄様にお見せしたかったですわ」


「大げさですよ、ソーミャ皇女」


「いや、そんなことはない。君は素晴らしい大手柄を上げてくれた」


 尊敬している人に褒められて、内心は天にも昇るほどに嬉しかった。


「貴方は祖国を圧政から救って下さる方です。俺は貴方の力になりたい、ただそれだけです」


「私も君の力が欲しい。王族の君にこう言うのも失礼もはなはだしい話だが、私は君を部下にして隣に置きたいよ」


「俺ももっと貴方のお力になりたいです」


 歳の離れた友情の握手を交わすと、ソーミャ皇女が俺たちをニヤニヤと笑った。

 失礼なことを考えているのかもしれないけれど、俺たちにとってその笑顔が小さな救いだった。


 宮殿と赤竜宮で起きた血の残劇を、ソーミャ皇女の笑顔が忘れさせてくれた。


「夕方前に宮廷のバルコニーで演説を行う。2人には今から準備をしてもらいたい」


「まあ、それは面白そう。今回はどのような悪巧みでございましょうか、お兄様」


「国民に向けてこの事態を告知する。無論、お前の言う彼ピヨピヨ(・・・・・)の功績を称える形でな」


「彼ピッピにございます、お兄様」


「そうか、若者の言葉はどうもわからん」


 まだ交際していません、彼氏ではありません。後でそう断っておかないと話がこじれそうだった。


「皇族暗殺の下手人を、現行犯で、生かして捕らえてくれたことに心より感謝する」


「あの暗殺者は何か吐きましたか?」


「いや、まだ何も。だが別の使い道がある」


 暗殺に失敗した暗殺者の別の使い道。考えてもこれといったものは思い付かない。


「どうするのですか?」


「君とソーミャは不快だろうが、ヤツを演説に同席させる」


「まあっ、不快だなんてとんでもない……! それは大変エキサイティングな催しかと……!」


 妹の危機すら政治利用する兄にソーミャ皇女は拍手喝采を送った。


「お前の変わりようにはいまだ慣れぬ……。虫も殺せなかったお前が、なぜこれほどたくましく……」


「あるべき自分の姿を見つけたのですわ。ですが、ご心配なく。わたくし被害者として、完璧な嘘泣きと悲劇の皇女を演じてご覧に入れます」


「お前たちが心配で、朝方から早馬を飛ばしてきたというのに、お前というやつは……」


「ソーミャ様のたくましさに感謝しましょう。恐怖で心神喪失になるより、ずっといいんですから」


 昨晩、ソーミャが歯を鳴らして震えていたことは言わないでおいた。一緒に寝ている間も、恐怖がフラッシュバックして歯を鳴らしたことも。

 今は怖くとも人前に出て戦わなければならない時だった。


 俺たちは血が染みとなった廊下を進み、皇帝陛下の書斎にこもって、そこで演説の台本作りをした。


「この男……っ、この男がわたくしの寝室の鍵を斧で壊して入り込んできました! わたくしの首に、大金貨750枚がかかっていると、そう言って……っっ。わたくし、怖かった……!!」


「おお、我が妹よ、アザゼリアの黒き至宝よ!! お前の暗殺を仕向けた者に心当たりはあるか!?」


 そうしなければバルコニーの下の観衆に言葉が届かないとはいえ、いちいち大声にするところがまるでオペラだった。


「フリントゥス第三皇子!! それと、カーレッド公爵ら大貴族たちですわ!!」


「なんとっ、やはりやつらの差し金なのかっ!!」


「わたくし、フリントゥスお兄様の口から直接聞きました!! わたくしたちの首に、大金貨4000枚の懸賞金をかけたと、確かにこの耳で!!」


「諸君っ、聞いたか!? やつら貴族派は皇帝暗殺に続き、私の友人たちばかりか、大切な妹の命までも奪おうとした!!」


 観客のいない書斎で兄が熱演した。


「うっ、うう……っっ、わ、わたくし、震えが止まりませんでした……! 朝までずっと、怖くて、怖くて……!!」


 妹のソーミャも完璧だった。それが嘘泣きや演技でないことを俺だけが知っていた。


「諸君、私に力を貸してくれ!! 仮に私がここで倒れることになれば、それはアザゼリアの暗黒時代がもたらされることを意味する!! 私たちに起きた悲劇が君たちの身にも必ず起きる!! アザゼリアの民よ、どうか私に力を貸してくれ!!」


 空想上のバルコニーで、激情に顔を真っ赤にした皇太子殿下が拳を掲げると、熱すぎるデモンストレーションが終わった。


「フ……事情を知る者からすれば道化のようだが、致し方あるまい」


「叫んだら気持ちが楽になりました。告発、毎日でもたしなみたく存じます」


「さてアルヴェイグ、次は君の演説だ」


「え……っっ!?」


 こんな演技、俺にはできない、できるわけなかった。


「……ん、どうした?」


「お、俺……腹芸は苦手なのですが……」


「だからこそのデモンストレーションだ。台本通り、迫真を込めて叫ぶだけでいい。さあ、やるぞ!」


 即興の台本によると、アルヴェイグ王子は近衛兵の死体で血の海となった廊下で、ソーミャ皇女を守るために必死の時間稼ぎをした。そして悪戦苦闘の果てに駆けつけた近衛兵と協力して、ソーミャ皇女を守り切った。


 事実とは少し異なる。事実は14歳の子供がたったい1人でプロの暗殺者を撃退したという、真実味に欠けた与太話だ。


「こ、怖かった、です……。でも、敬愛する皇女殿下の任されたからには、この命にかけても退けませんでした……! ア、アリラテの王子として、オラフ王の代わりに、アザゼリアの秩序を守る義務が私にはあったのです……!」


 ソーミャには大根役者だと言われた。皇太子殿下は少し難しい顔をして、演技の下手な王子に腕を組んで考え込んでいた。

 そうこうしているうちに時が流れ、演説の時間がやってきた。俺とソーミャは宮殿のバルコニーに連れて行かれた。


 眼下に広がるのは、不安にざわめく帝都の民。暗殺騒動と、それによる多くの死傷は既に民へと広がっていた。


「私はベルナディオ。この国の皇太子だ。本日は私の口自ら、昨晩引き起こされた事態の説明と、ある愚か者どもの告発を行いたい。一部の人間は、私を愚かなポピュラリストと言うが、私は帝国を安定させることを生涯の役目と――」


 民は恐怖した。金に目がくらんだ兵士たちの裏切りと、流血と、名の知れた有力者たちの急死に。


 民は安堵した。ソーミャ皇女という帝国の宝が守られ、若き王子が彼女のために奮戦し、救援の到着まで守り抜いたという脚色付きの脚本に。


 そして民は怒った。皇帝暗殺未遂に続くソーミャ皇女の暗殺未遂。その背後にいる者は貴族派たちと第三皇子フリントゥスであるという、俺たちの告発に。


 どんな取引をしたのやら、昨晩俺が生け捕りにした暗殺者は口かせをはずされると、自供を始めた。

 依頼人はフリントゥス一派の大貴族。依頼により自分は確かに皇女暗殺を試みた、と。


「仮に私がここで倒れることになれば、それはアザゼリアの暗黒時代がもたらされることを意味する!! ――――アザゼリアの民よ、どうか私に力を貸してくれ!!」


 最後に皇太子殿下が台本通りに締めくくると、眼下から拍手喝采がわき起こった。

 人々は叫んだ。貴族派と第三皇子フリントゥスは見下げ果てた卑怯者であると。


 人々は承認した。皇太子ベルナディオこそが次代皇帝にふさわしいと。


 皇帝ベルナディオ万歳。

 絶えることのない叫びが、病床の皇帝陛下の耳にも届いているはずだった。

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