・ピラー夫妻の白磁の壺 1/2
6月、俺はとある有力者のお屋敷を訪ねた。その屋敷はうちの屋敷から100メートルばかしの比較的近所で、そのたった100メートルぽっちを俺はゴルドーさんの馬車で運ばれた。
「歩いて行けるって言ったのに……」
「悪ぃですけどね、これが俺の仕事ですんで、諦めて下せぇ」
正門を抜けた屋敷の前で降りて、厩舎からゴルドーさんが戻るのを待った。
「おお、よくきたね、アルヴェイグ王子」
ゴルドーさんより屋敷の主の出迎えの方が早かった。
「お邪魔しております、ピラー商会長。以前お話ししていた件で、お時間をいただきたいのですが」
「そこの東屋へどうぞ。こんなに若いお客様が訪ねてきてくれるとはね、私も嬉しいよ」
5月に体験した社交界漬けの生活は決してムダではなかった。皇太子殿下のご紹介により、俺はたくさんの有力者とお知り合いになれた。
2年で会社が倒産して、それからずっと修理屋生活をしていた俺にはわからなかったことだけど、コネクション、人脈というものはどうもバカにならなかった。
「君のためにハニーパイを作らせたんだ。さ、おあがりなさい」
「ありがとうございます、ピラー商会長」
「ご近所さんじゃないか、ピラーおじさんとでも呼んでくれたまえ」
「そ、それはさすがに、崩し過ぎかと……」
「いやね、私も君とゆっくり話したいと思っていたのだよ。さ、ハニーパイをお食べ」
「はい、いただきます」
甘いハニーパイを口に運ぶと、ピラーおじさんが孫を見るような目で笑った。
彼がこういった態度を取ってくれるのも、社交界で信用を獲得したからだ。
帝国貴族たちが祭事に忙しいのは、コネクションの持つ力をよく知っているからだった。
「大きくなったら皇太子様の味方になっておくれ。彼は帝国の希望の星だ」
「はい、俺もそう思います。地位に甘えず精力的に働く姿に、小国ながら王子として深い感銘を覚えました」
「うん、そこに注目してくれるとは私も嬉しい。人はああいった、エネルギーを持った人間に惹かれるものだ。……おっと、それでご用件は?」
ハニーパイを半分いただくと、皿のハニーパイが増えた。子供は甘いお菓子をくれる人が好きだ。俺はピラーおじさんがますます好きになった。
「ピラー商会長、俺は骨董の修復を得意としています。壊れたり、捨てられてしまった古い品を、美しく磨き上げて、新品以上の品にするのが幼少よりの趣味でして」
「ほう、骨董の修復かね。若いのに渋いご趣味をお持ちだ。ハニーパイをどうぞ」
「い、いえ、そんなに一気に食べられませんよ……っ」
ハニーパイおじさんは俺のお皿に3つ目のハニーパイを運んだ。
「つまりアレかね。うちの商会の下取り品を買いたいということかね?」
「あ、はい、そうなんです! 俺は持ち主が泣く泣く手放すことになった貴重な品を、廃品として再利用するのではなく、元通りに修復して人の手に戻したいのです」
このお願いは賭けだった。修理屋なんて下層民のする仕事だと、そう一蹴される可能性もあった。修理された中古品など、貧乏人が買うものだと。
「ご近所さんだ、噂は聞いているよ。アリラテからきた王子様は、恐ろしく手先が器用で、人の道具を直して回っているとね」
「お恥ずかしい限りです。ボロボロになっている道具を見ると、ピカピカに磨かずにはいられない性分でして……」
「いや、うちのカミさんがね……先月、壷を割ってしまって落ち込んでいるのだよ。大理石のように美しい、純白の白磁の壷だ」
「あ、よろしければ直しましょうか!?」
そう名乗りを上げると、ピラーおじさんの顔が満面の笑みとなった。
「ハニーパイをお食べ、全部お食べ、包んで持って帰りなさい、割れた壷と一緒に」
「え、はい、ありがとうございます!」
「いやぁ、助かるよ! あれから家の空気が重くてねぇ、カミさんがね、他の白磁じゃダメだと言うのだよ」
「もしかして、何か思い入れのある特別な品なのでは?」
そう問いかけると初老のおじさんが何かを思い出そうとするように腕を組んだ。しばらくするとその目が大きく見開かれる。
「あ、ああっ、そういえばあれは……っ! 私が5年目の結婚記念日にプレゼントした物だった!! その年に息子が生まれたんだよ!」
「すごく大事な物ではないですか。わかりました、俺にお任せ下さい、完璧に修復してみせます」
「ありがとう、アレが落ち込むわけだよ、はっはっはっ!!」
この後、白磁の破片を持って帰宅した俺は、特製の接着剤を手に最高に楽しいパズルを楽しんだ。
ちょっとの距離だけど、ゴルドーさんと馬車でいってよかった。