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これは毛玉ですか?いいえ、猫です。

作者: 雲井咲穂

 ほどよくこんがりと焼かれたブレッドのような、毛玉。


 見れば足元に、飼い猫のエイトが甘えるようにすり寄ってきていた。


 やわらかい脂肪のついたぽってりとした体躯は、おいしそうな食べ物に見えなくもない。


 もちもちとした柔らかそうなほっぺたに全体的にまあるいフォルム。


 緑柱石色の瞳を煌めかせて、ピンピンに白い髭を広げているのを見ると、何かを催促しに来たようだった。


「それは、なに?」


「猫ですが?」


 ソレとアルフレッドが指さすのは、ごろん、ばたん、と床の上に突然転がり、うーんと両足を伸ばす格好で撫でられ待機をしている毛玉のことである。


 右に左に、体を湾曲させながらくねくねとあざといポーズをしている。


 ハリエットは屈みこんで、そのモフっとしたお腹を触ろうとして、諦め、腰のあたりをトントンと叩いてやる。


 残念ながらお腹を触ろうとすると華麗な猫パンチが飛んでくるため、ハリエットはいまだかつてエイトのもふもふのお腹を堪能したことがなかった。


 ただし、兄ジェイドはその限りではない。


 エイトはジェイドが大好きで、寝る時はいつも一緒。


 彼の部屋でへそを天井に向けて大の字で寝入っている猫の姿を、いつも扉からコッソリ歯がゆく見つめていた。


(全然世話をしないくせに、なんで兄に懐いているのか、全く理解できないわ)


 興奮するとぶわっと膨らむブラシのような尻尾も、つまむと蕩けてしまいそうな腹部の脂肪も、兄だけが堪能できるとは、神様は何て不公平なのだろう。


 いや、猫様は何を基準に人間を選別しているのか。


 ジェイド以外の家族が触ってもいい場所は、背中周りと顔、顎の胸のライン、そして腰である。


「どこから入ってきたの? いつもはお前、入って来れないのに」


 一応小さいながらも、マルグレーン骨董店はそれなりに価値のある調度品を取り扱っているため、基本的に猫のエイトは立ち入り禁止である。


 ハリエットは後ろの壁を振り返り、向かって左手の扉に目をやった。すると扉がやや開いているのがわかって目を見張る。


 というのも、その扉はいつも必ず施錠しているからだ。


 いったい誰が扉を閉め忘れたんだ、と記憶を呼び覚まそうとするが、全く心当たりがない。父と母は配送の手配で出かけているし、兄は午後から宝飾品の出張鑑定の為、店を留守にしていた。


 自分は間違いなく締めたという記憶があるので頭を悩ませていると、ふと、隣で動かないまま固まっている金髪碧眼の紳士の横顔が目に入った。


 食い入るようにエイトに視線を注いでいる。


(猫を見たのが初めてとか、そういうわけじゃないわよね…?)


 猫なんてどこにでもいる。


 路地の裏にも通りの端っこにも。洗濯物を干してある木にだって登って、降りれないと鳴いていたりする。


 エイトはそもそも、兄が路地裏から連れ帰った野良猫だった。


 母猫とはぐれたのか、二日ほど泣き続け、声が弱くなってきたので兄が慌てて回収し、家に迎え入れることになったのだった。


 母親は売り物が傷ついてはいけないからと最初は難色を示したが、兄がちゃんと面倒を見、骨董店には立ち入らないようにすると約束をして、家族になることが決まったのだった。


 今ではその母が一番エイトを愛でているし、エイトが膝の上に乗るのは母だけだ。


 ゴロゴロと機嫌よく喉を鳴らしてもっと撫でろ、とばかりにピンク色の肉球を披露してくれたエイトをしゃがみ込んだまま見つめていると、ふと視界が遮られる。。


 ゆるやかに何かが動いた気配がしたと思えば、アルフレッドの金髪が視界をかすめた。


「ネコちゃんっ!!」


「え」


 上ずった声で、大きい塊が猫に手を伸ばした。


「にゃっ」


 状況を理解できないままのハリエットの視界が猫を抱きしめる男性の姿でいっぱいになる。


 アルフレッドはエイトの両前足の下に手を差し入れると、そのふくよかで何ともあたたかく柔らかそうな腹部に一気に顔をうずめ、―――吸っていた。


 空気を大きく吸い込むような何とも言えない音が、すぐ横から聞こえる。


 エイトのお腹に顔面を突っ込み、もふもふを堪能していた。


 ―――お腹に。


「ちょっと、まって!私だって吸わせてもらったことないのに!」


 信じられない、とハリエットは立ち上がり、ショックを受けてよろりとふらつく。


 ギリギリ横腹は良くても、機嫌が悪ければ蹴られたり逃げられるのは当たり前だし、ふかふかでもふもふのお腹に触ろうと手を伸ばせば、到達する前にパチンとやられてしまうので、顔など埋めたことがない。


 いつも兄が心地よさそうに頬ずりしているのを、横眼で憎々しく見つめることしかできなかった。


 いつか、何かのきっかけで突然お腹をもふらせてくれるかもしれない、という淡い期待はあったが、エイトが我が家にきてからもう五年。


 エサ当番兼おトイレのお掃除係のハリエットは、未だにその栄誉にあずかったことはない。


 それなのに。


「わぁ。やわらかい。もふもふしている。触り心地がよくて、上質な枕みたい」


 顔を左右に振ってしっかりと頬ずりをしている様子のアルフレッドに、ハリエットは頭を抱え、心の中で絶叫した。


(ああああああああああああああ! 私もモフりたいいいいいいい!!)


 心が狭いとか、お前に問題があるとか、様々な意見はあるかもしれない。


 けれど、そんなことはどうでもいい。


 問題は家族であるハリエットがモフれないのに、赤の他人で且つ、初対面であるアルフレッドがエイトに気に入られて、もふもふを堪能していることである。


 敵認定、決定。


 敬語なんてもう使ってやるものか。


 ハリエットは固く決意し、眼前でしっかりとエイトの腹部を堪能し、噛まれることも引っ掻かれることもなく戯れているアルフレッドを仁王立ちで見下ろした。



番外編のSSです。本編に入れるつもりだったのですが、展開の都合上泣く泣くカットした部分です。

こちらで文章を成仏させてください。

猫ちゃんを吸うと、個人的に幸せな気分になります。


本編は「骨董品鑑定士ハリエットとガーネットの指環」になります。

シリアスメインですが、ちょこちょこコメディが入ります。お時間ありましたら覗いていただけたら嬉しいです。

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