Ep.2 血塗れた触手
目を覚ますと四方全てが真っ白な空間にいた。身を起こすと果てしない広さを持っていることが分かり、直感的に現実でないことが理解できた。
僕が狼狽えていると、どこからともなく全身を白い布で包んだ人がやってきて僕に何かを言った。
それが何なのかは覚えていないが、気がつくと僕は病室らしき場所にいて、側に万波稀穂の姿が見えた。
「夢か……。ここは?」
稀穂に尋ねる。
「〈学園〉の保健室だよ。3時間くらい眠ってたんだ……ごめんね」
あからさまに落ち込んでいる〈感情〉だ。青々しくてこう言うのもいい。
「いや、元々勝てないってわかっていたし、手加減しないなんて言いながら優しくしてくれてたじゃん。それに文句を言うのは違うよ」
「そう、ならいいけど」
「それにこれからもっと危険な相手に出会うかも知れないし、甘えたことは言ってられないからね。」一拍置いて続ける「もし負い目に感じてるなら、後で稽古をつけてくれない?それでチャラにしよう」
「そんなことでいいなら、いいよ。ビシビシしごいてあげるから」
彼女の〈感情〉が戻った。機嫌が戻って喜ばしい気持ち半分、あれが見れなくなって名残惜しい気持ち半分って感じだ。
体を起こすと打ち付けられた部分がまだ若干痛んだが、流石は国一番の技術力を持つ〈学園〉の医療だ。骨折した部分は完全に元通りだった。だがもうこの得体の知れない医療にはあまり頼りたくはない。まあ、そうならないように普段から気をつけるようにしよう。
保健室の先生に一言礼を伝えて寮へ向かうことにした、稀穂と一緒に。言い忘れていたが、どういうわけか〈学園〉は地図にも載らないほどの絶海の孤島にある。なので基本的に卒業までは家に帰ることはないが、島には様々な施設が設備されているので十分に生活を営むことができる。
◇◇◇
寮に入り、稀穂と別れて自室へと向かう。もちろん事前に寮長に言って鍵はもらってきた。
「ここか……」
僕は部屋を見つけておもむろに中へと入る。室内はまるでビジネスホテルの一室のようでよく手入れが行き届いていることが見てとれた。
事前に送られていた僕の荷物の箱の山を見て、今からこれを開封するのかと憂鬱な気持ちになりながらベットに腰掛ける。ふかふかしていて初日の疲れを今にでも癒したくなるが、強靭な精神で我慢した。
とりあえずと着替え、早速ダンボールの開封に取り掛かる。一旦全てをダンボールから取り出し、種類ごとに分けて並べる。そしてそれらを棚に仕分けながら入れていく。ちなみに衣服以外の基本的な生活用品はこちらでも買えるからと持ってきていない。なのでこれでも少ない荷物で済んだ方だったのだが、それでもやっぱり骨が折れた。
ひと段落したところで、夕食をとりがてらに繁華街へ出ることにした。もちろん繁華街というのも〈学園〉の施設の一つだ。
◇◇◇
繁華街は僕と同じ新入生たちで溢れかえっていた。こんなことなら僕も稀穂を連れてくればよかったとも思ったが、僕にばかり構っていてもらうのでは悪いだろうと、遠慮しておいたのだ。
「あーでも、昼間のことを持ち出して夕食奢らせれば良かったかな」
いけない、いけない。気を抜くとすぐこういう考えに走ってしまうのは僕の悪い癖だ。
そんな邪念を抱きながら繁華街を闊歩し、〈学園〉での記念すべき一度目の食事をどこにするか品定めをしていた。誰もが慣れ親しんだチェーン店から〈学園〉にしかないような珍しい店もあって本当に決め難い。
「あ、そういえば」
僕は〈学園〉に別途で送った荷物があるのを思い出した。寮に直送されないために忘れていたのだったが、受け取り場所が繁華街のちょうどこの辺りであったことからたまたま思い出し、せっかくなら夕食の前に受け取りに向かうことにした。
受け取り場所は意外と近かったが、周りの雰囲気にそぐわない少し廃れたような場所だったので少しだけ目を疑ってしまった。
気を取り直して入店する。薄暗く木造の店内で異世界にでも来たのかと錯覚させるような内装だが、なぜか外観とあっているような気がしてならなかった。
「すみませーん」
少し声を張り上げて言うと、奥からスキンヘッドの店主らしき人が出てきて何用かを尋ねられたので、僕は荷物を受け取りに来たことと、自分の名前を告げた。すると店主はまた店の裏に消えていって、しばらくするとアタッシュケースを片手に戻ってきた。
「お待たせ、例の荷物だ。お題はもういただいてるから、そのまま持っていっていいよ」
「ありがとうございます」
「それはいいけどよ、兄ちゃん、そんなものに頼ってちゃ、いざという時、どうにもなんねえぞ?俺はそう言うやつを何度も見てきた」
あからさまに心配している〈感情〉だ。
「ご忠告ありがとうございます。でも、大丈夫です」
「ならいいがよ……」
そうして店を出て、当初の目的である夕食を取るためのレストラン探しを再開したのだった。
いくらか歩いたところで唐突に吐き気がしてきた。
「少し人が多すぎるな……」
僕のような街を闊歩する新入生がさらに増えたことで、視界から得る〈感情〉情報量が極端に多くなってしまいそれに僕の体が耐えられなくなってしまったみたいだ。
「早くどっかに入らないと……」
できれば人のいないところ、と言いたいがそんなところあまりないだろう。仕方ない、と代替案を取ることにした。
近場の薬局には入り、僕はあるものを探した。
「あった……これで少しマシになるといいけど」
手に取ったものは眼帯。それを能力の発生源である左目に付ければ僕の能力はもう使えない。つまり〈感情〉が見えなくなるので吐き気も少しはマシになるだろうと言うことだ。
「全く〈感情〉が見えなくなるのもそれはそれで嫌なんだけどな……」
半透明の下敷き、もしくは単語帳についてくる赤シートで視界を覆ったあと、周りを見ると言うことをした経験がある人はいるだろうか。あれによって特定の色覚が極端に疲弊し、周りが普段とは変わった色合いで見えるということがある。要するに、普段から見慣れた景色も少しの色の変化でとてつもない違和感を生み出せると言うことだ。
眼帯を買って左目に取り付ける。途端に人々の感情が見えなくなり、頭が楽になったのを感じる。吐き気も治り、これでなんとかレストラン探しを再開できそうだ。
いくらか迷った末に、本島にもあった有名なイタリアンレストランのチェーン店に決めた。こう言うところで安定を取ってしまうのはきっと僕だけではないはずだ。
まだギリギリ席が空いていて滑り込みセーフだった。自分の幸運を讃えながら案内された席につき、早速メニュー表を開く。あわよくば〈学園〉限定のメニューがないかとも思ったが残念ながらそんなことは全然なく、いつも通りの慣れ親しんだ料理が食欲をそそる写真によって紹介されていた。
フォカッチャとコーンスープ、エビのサラダを馴染みの注文用紙に書いてベルを鳴らす。
そうして特段目立ったこともなく、出された料理を楽しんで僕の夕飯を済ませるのだった。
◇◇◇
店を出て帰路に着く。その際、ちゃんとアタッシュケースを忘れないようにしっかり確認してからレストランを出てきた。万が一にもこの中身を見られたら僕の〈学園〉生活は終わるだろう。そうならないように今後とも細心の注意を払わなくてはならない。
そうして普通に繁華街から出て寮へと帰りたかったのだが、そうは問屋が卸さないらしい。
「なっ……なんだよ……あれっ…………」
みれば眼前には異形の怪物がいた。清潔とは正反対に位置するような恰好で、ボロボロの布切れのような衣服と虱が沸いたような白髪をのそれは、痩せこけて全身の骨が浮き出ており、まともでないことを理解することは難しくない。目は薬物中毒者のように左右で異なる動きをしていて気味が悪い。そして何より、その背中から生えた赤黒い触手の様な7本の器官はその人型の何かが通る道に存在する障害物をものすごい速度で弾き飛ばしながら、肌と同じように骨がくっきりとみえる細い足が歩くのを補助していた。
「く……くるなぁ……!!」
「きゃああぁぁぁ!!!」
通行人の多くが悲鳴を上げて逃げる中、僕はただ一人呆然と立ち尽くしてその異形を注視していた。
――見たい……!あいつの〈感情〉を見たい!!
――でも、ダメだ……人が多すぎる……こんなんじゃ僕の身が持たないよ……
――もう少し待とう、そしたら人も少なくなる……
「ああ、気になるなあ……」
頬を紅潮させ、身体中から湧き上がる感情の高ぶりを収めるように甘い吐息を漏らす。通行人が皆パニックになっていなければ僕の存在も浮き立っていただろう。いや、通行人がパニックになっていなかったら僕もこんなことにはなっていなかったのか。
「はぁっ……////はぁっ……////!!!!」
周囲にほとんど人の姿がなくなったころ、ようやく触手の怪物は僕の存在に気が付いたようで「うう……ぁぁぁ……」などという気味の悪い声をあげながら僕に向かってよたよたと走ってきた。
高鳴る動悸に身を震わせながら眼帯を外す。
「えっ……」
左目で怪物を見据える。
――なんで……?おかしい…………〈感情〉が……ない!?
左目を擦ってみる。だがやっぱり怪物に〈感情〉はない。
「お前……本当に人間かよ……」
瞬間、怪物から触手の大振りな攻撃が僕の腹部に命中した。
「がっは……痛っ……」
衝撃によって後ろに大きく吹っ飛ぶ。勢いは途絶えることなく、僕の身体はコンクリートの建物に激突してしまった。
変わらずゆっくりと僕に向かってくる怪物を前に僕は困惑していた。
「右から来るか……?いや左……?分かんないなぁ」
僕がこの瓦礫から身を起こすのが先か。アイツが僕に近寄るのが先か。
動け、動け。そう心の中で叫び続けながら必死で体を動かそうとする。
――無理だ……動かないや……
――ここで終わりか……
とうとう視界すらもぼやけてきて、怪物に目を向けることすら叶わなくなってきた。
アタッシュケースの中身を取り出したらもしかしたら、命だけは助かるかもしれない。でも、僕との間にある三尺程度の距離すら動くことは叶わなかった。
じりじりと僕との距離を詰める。やがて僕を見下す形で歩みを止めて、触手を振りかぶった。
触手が僕の身体を貫こうとしたその刹那。
触手が切り落とされた。切断面から体液が溢れ吹き出す。そのいくらかが僕にもかかるが、そんなことを気にする余裕は僕にはなかった。
「はぁ……時間外労働か…………あとで残業代請求しておかないとな」
僕と怪物との間に、トレンチコート姿の男が立つ。その姿は僕も見たことのある…………担任の草薙という教師だった。