Ep.1 感情を見る目
初投稿です。よろしくお願いします。
その日は〈学園〉の入学式だった。八重桜の花びらが散る一本道を歩いていく僕、秋瀬京流の目に映るのは、血気盛んな彼らの感情だけだった。
僕らの日常に突如として顕現した能力は瞬く間に僕らの日常に溶け込んだ。そしてその能力者たちを育成するために設立された〈学園〉は今や、国では誰もが羨む高等学校だった。それもそのはず、〈学園〉を首席で卒業した者に与えられる〈特権〉は誰もが羨むものなのだから。
果てしなく長い距離を進むうちに徐々にその容貌を呈する〈学園〉の校舎に、僕は呆気に取られていた。
「何だこの大きさ……」
その全貌を視界に収めきることのできないことが若干不快に思えるほどに異質なまでの広大さを持ち合わせていた。周囲を見渡すと、彼らも同じ感想を抱いたのだろう。顔を見て分かった。
やがて校舎の中へと入り、用意された地図をもとに講堂へと向かう。指定された席について入学式の開催を待っていると、周囲の喧騒は余計にうるさくて煩わしく感じられた。
そのうち入学式は始まって、怠惰な教師たちによる司会進行によって特別なことなどあまりなく淡々と進められた。
いくつかの手順を踏んで、とうとう学園長の祝辞という所まで来た時、今までの退屈が全て吹き飛ぶような意表を突く出来事があった。司会の言葉に従い、登壇する学園長の姿は、まさに異形だったのだ。とは言ったものの、実際に化け物のような容姿をしているわけではない。異形の姿を呈しているのはその内面……〈感情〉だった。
◇◇◇
僕は昔から、人の感情が好きだった。喜怒哀楽なんて言葉じゃ表しきれないソレを、僕は色として、この左目で見通すことができた。他の人には絶対に理解することのできないこの色は僕だけの芸術だった。
もちろん他の能力者のことを羨んだことはある。空を飛んでみたり、手から火を出してみたりと、人の身ではできない力に憧れたこともあった。だがそう思うたびに、よりこの色が美しく見えていった。
成長するにつれ、周囲の人たちの色に見慣れた頃、そろそろ新しい刺激が欲しいと思った時のこと。友達から思いもよらぬ話を聞いた。
曰く、国が最強の能力者を育成するための施設だと。そして、そこを首席で卒業した者に与えられる〈特権〉の存在。僕にとって渡に船だったその話に乗らない手はなかった。
今まで進学先のことになんて興味がなかった僕も、〈学園〉での宿願を叶えるためならばと、入学のためにあらゆる分野で奮闘した。
勉強なんて学年の真ん中ぐらいでいいやと思っていたが、万が一のことを考えて完璧に仕上げた。能力者が何をしてくるか分からないからと、護身術を極めた。幸いにも僕は要領が良かったようで、努力の甲斐あってか無事に〈学園〉に合格し、今に至る。勿論、僕に〈学園〉のことを教えてくれた彼も余裕で合格していた。
◇◇◇
改めて、異形の〈感情〉を呈していた学園長を見る。全身から湧き上がる負のエネルギーが、これだけ離れていても飲み込まれてしまいそうなほどに強く、光の一切を通さないその色は、黒よりも黒く深い。まさに闇と、そういうべき色だった。まるで深淵から見透かされているように鋭いその殺気が、僕の体をズタズタに切り裂くような感触に陥り、思わず恍惚とした表情を浮かべてしまう。僕はこれをみたくてここに来たんだと、本能がそう耳元で囁き続けていた。
僕の周りにはいなかった、異常性の塊のような色にすっかり魅入っているうちに、あっという間に入学式は終わり、配属されたクラスへの移動を余儀なくされたのだった。
クラス分けの方法は完全なる実力主義だと思っていたが、意外にもそういうことはなく、連日テレビに出演するような実力者から、お世辞にも強いとは考えられないような木端まで様々な人がいた。その中に、唯一の見知った存在。僕をこんなに素晴らしい所へと導いてくれたまさに救世主的存在。そして小学校以来の親友の彼女、万波稀穂の姿もあった。
クラスを見回していると、彼女も僕に気がついたようで「京くーん!」と言いながら手を振ってアピールしていた。
唯一の知り合いだし、他にすることもないので、担任の登場まで話して時間を潰すことにした。
「中学校ではあんなに進学先に興味がなさそうだったのに、私が〈学園〉に行く話をした途端に勉強頑張り始めちゃうなんて……私とそんなに離れたくなかったのかな?」
「まさか。〈特権〉に少し興味があっただけだよ。別に他に志望もなかったし」
嘘だ。〈特権〉への興味以上に稀穂と離れたくない思いはあった。なんでかって?彼女以上に美しい色をした感情を、僕は今まで見たことがないからだ。決して彼女に対する恋愛感情なんかじゃない。決して。
「それにしてもよく頑張ったよねぇ。あんな試験、〈感情眼〉の能力じゃ相当苦労したでしょ?」
「まあ、それは他の分野でカバーしたよ」
「やっぱり、私は君のその才能が怖くてたまらないよ」
「そういえば、稀穂はなんのために〈学園〉に来たの?やっぱり〈特権〉目的?」
「それもあるけど……やっぱり一番は私に勝てる人に会ってみたかったからだね」
そう。稀穂はこの世界でも最強格の能力者なのだ。能力の詳細はそのうち説明するが、僕は彼女よりも強い能力者の話をいまだかつて聞いたことがない。
そんな会話を繰り返しているうちに担任の草薙という人がやってきて、簡潔な自己紹介とガイダンスなんかを済ませた後、体操服に着替えて第一体育館に集合するように言ってきた。
〈学園〉には膨大な数の生徒が集うので体育館が複数ある。それぞれ役割があるらしいが、今回言われた第一体育館は最もスタンダードな汎用性の高い体育館らしい。そんなことはどうでもいいが。
指示された通りに第一体育館に集合し、草薙の説明を聞く。どうやら入学直後の実力測定なるものを行うそうだ。
シャトルランでもやらされるのだろうか、だとしたら面倒だな……と、そんなことを考えていたが、実際はそんなに甘くないみたいだ。なんと、ここにいるクラスメイトで一対一の試合をさせるということだと。稀穂なら喜ぶだろうが、僕はこんなことやりたくない平和主義者なのに。
そんなこと言っても仕方がないので、くじ引きで決められた結果に従って大人しく戦ってやる。どうせやるなら勝ちたいので手加減はなしだ。第一そんなこと言って手加減されるのは僕の方だろうが。
幸い僕の苗字である秋瀬は出席番号でみても大分早いほうなので早めにくじを引くことができた。相手が万波稀穂でないことだけを祈って結果を見る。
どうやら運命は、つくづく僕の味方になりたくないらしい。開いた紙の中心に大きく描かれた彼女の名前は、僕にその日一番の憂鬱を与えるのに十分だった。結果を草薙に伝え、試合のための闘技場へと上がる。
〈学園〉の生徒数はとにかく多いので、複数の試合が同時進行で行われている。正直外野が少ないだけで大分やりやすい。もちろんただの気持ち的な問題だが。
◇◇◇
稀穂と対峙する。眼前の彼女はいつもと変わらない感情で僕と相対しているみたいだ。まあ、僕が勝てないことを彼女も分かっているからだろう。それでも手を抜いて行うつもりはないが。
余談だが彼女の容姿は他と比べても良いほうだと思う。僕が感情にしか興味のない異常性癖者でなければきっと彼女に惚れていたことだろう。もし彼女に告白したら、彼女は何て返事をするんだろうか。十中八九軽くあしらわれて終わりだろうな。
「いや、まさか京が相手になるとはね。まあ、それでも手加減するつもりはないから」
「僕だって、一筋縄で負けるつもりはないよ」
気を引き締める。長い間彼女の隣で見てきたその能力、その全てを引き出された瞬間僕は死ぬだろう。だからそこら辺は彼女も手加減してくれるはずだ。そこに漬け込む。彼女は手加減なんてしないと言ったが、人間無意識のうちにストッパーがかかるものだ。それこそ日常的に人殺しでもしていない限り、絶対にそれがないなんてことはあり得ない。
草薙の「開始」の合図と共に僕は一直線に駆け出す。一方で稀穂は微動だにせず、受け身の姿勢なようだ。
攻撃が届くギリギリの範囲で僕は回し蹴りを打つ。足先は彼女に直撃し、刹那。接触部分から白色の煙が湧き出てきた。慌てて足を戻し後ろに引く。危なかった。まさか白を出してくるなんて……
「ちょっと殺意が高くないですかねえ?」
「そんなこと言って、私がそんな気ないってあなたが一番分かっているはずだけど」
僕が彼女の能力についてよく分かっているように、彼女も僕の能力について熟知しているみたいだ。いつも思うが、僕は今後一回でも彼女に勝つことができるのだろうか。そう思わせてくる威圧感のようなものが僕に浴びせられて仕方がなかった。
稀穂の能力〈幽玄夢幻〉は、白と黒の二色の〈霧〉を出す能力だ。それぞれに特性があるが、白は『触れた物体に変化を及ぼす』特性を持っている。言葉で説明しても意味がわからないと思うので例を挙げると、先ほど僕が足を離さなかった場合、〈霧〉が足を取り込んで灰にでも変えていたかもしれない。結果としてそうなっていなかったのでわからないが、無事では済まなかったことは確かだろう。
もう一度彼女に接近し、両手を地面につけたまま、ブレイキングダンスの容量で回し蹴りを放つ。一撃だけでなく、何度も。要は霧に当たらなければいいわけだ。〈霧〉を撒ける速度で蹴り続ければ微弱でもダメージを蓄積できるだろう。
「ッチィ……厄介ね」
「言葉遣いが荒くなってるよ。嫁入り前の身であんまりそんなことは言わない方がいいと思うな」
「その減らず口は相変わらずね」
「それはまあ、お互い様じゃないか」
一瞬稀穂の感情に歪みが生じたのを、僕は見逃さなかった。その歪みは僕が何度も見てきた彼女の合図。確かな意思を持って攻撃してくる時の感情だった。
「ああ……美しい……」
その闘志に思わず見惚れてしまう。やっぱり僕はこの〈感情〉を手放したくない。ずっとそばで見続けたいと、強く思うのだった。
「その趣味だけはいつまで経っても分からないだろーなあ、ねえ?教えてよ。私は今どんな色なの?」
よそ見をしている暇はないし、するつもりもない。一瞬でも目を離したら僕は負けるだろう。
「僕もこの芸術を君と共有したくてたまらないよ。ああ、果たして僕は今どんな〈感情〉なんだろうか」
ゆっくりと、稀穂が歩み寄ってくる。全身から〈霧〉を放出して、今にも殺されてしまいそうだ。だが絶対に死ぬことはないことは、僕が一番わかっている。
稀穂が右手で大振りをしてくる。〈霧〉を纏わせたその拳は掠るだけで致命傷になり得る凶器だ。
バク宙で回避する。着地した時の勢いで体勢を低くし、〈霧〉がない足元を狙って蹴りを入れる。鈍い金属音が鳴り、直撃したのに微塵も体勢を崩さない稀穂に少しの畏怖を覚えながら足を引く。
「硬っっ……!!」
彼女の一撃は全て致命傷になるのに、僕のを攻撃は入っても大したダメージにはならない。そんな不条理のため、僕は自然と組み技なんかを選択から外して、リーチの長い蹴りを主体としてしまっていた。それもある意味間違いではなうのだろう。だが少しの可能性を頭に留めておかなかった、それが僕の敗因だったのかもしれない。
彼女の大雑把な振りかぶりと、僕の大したダメージにはならない蹴りの一進一退の攻防が続いていた時、転機は訪れる。僕の放った回し蹴りが空を切った。
空中にある右足を素手で掴み、その超人的な身体能力で僕の身体を地面に叩きつけた。
「がはっ……!」
全身の骨が何本折れたか数えている間に僕の意識は途絶え、敗北が確定したのだった。
〈登場人物〉
─秋瀬京流─
黒髪でやや細身の少年。能力により〈色彩異色症〉であり、左目で人の感情を見ることが出来る。
─万波稀穂─
艶やかな青い髪を持つ少女。秋瀬曰く、顔はかなり整っているらしい。