08
地下街の際奥。
夕方前の4時30分に、派手な看板を掲げた入口に、美奈子の姿があった。
ディープマゼンタの地色に「灯」の白抜き文字、その中に「Cabaret AKARI」と筆記体でルビが振ってある。
一応プロの業者が作った看板だが、あちこち塗装が剥がれており、作ってからそうとう長い年月が経っていることが窺われる。
少なくとも、20年は経っているだろうか。
ドアを開けるとカランカランとドアベルが鳴る、キャバレーと言うより昭和的な個人経営のスナックのような作りだ。
怖々と美奈子は奥へ進むと、「こんにちは〜」と囁くように声を絞り出した。
すると厨房から「あ〜ミニ子ちゃん、来てくれた〜」と、豪快な声が響く。
元々プロの歌手を目指していたという小鳥遊朱里は、戦争でその夢も絶たれ、それでも自分の歌を聴いてもらいたいという願いを叶えるため、全ての資産をつぎ込み、この店を開いたのだ。
ライブステージが店の中心に用意され、朱里は今でも毎日10曲ほど客のために歌っている。
男性向けに露出の多い衣装を着ているが、実は客の大半が女性だ。
なので、性的なサービスを伴わない、実に健全で本質的な意味でのキャバレーである。
ただ、例外的に朱里が20代だった頃からのファンはほとんどが男性で、そういった客の一部には店の趣旨を勘違いしている輩も居る。
ただ、今日の目当ての客、西浩一はとてもジェントルで、朱里の歌が好きで通ってくれている昔からの上客だ。
若かりし頃には勘違いしている客を諫めたこともあったため、朱里は西のことは悪しからず思っているのだが、かつて店に勤めていた若い娘に入れ上げて、トラブルになった事もあった。
実はその娘に美奈子はよく似ているのだ。
ただ、その娘は相手の好みに応じて演じる癖があるため、本性がバレたとき、大抵トラブルに発展することが多かった。
美奈子にそんな芸当は不可能なことは誰もが知る所だし、ある意味、素で気に入ってもらえたら、むしろ良いこともあるだろうと思うほどだ。
何しろ今どき無改造のディーゼルエンジンを動かせるだけ燃料を持っているのは、とんでもない金持ちか、石油会社の元締めぐらいのものである。
どちらにしても、美奈子にとってメリットになると朱里は考えたのだった。
不安としては、美奈子の女子力が未知数なところだ。
一度だけ、町内会のイベントで、模擬店を一緒に手伝ったことがあるが、かなりドタバタとしていたので、家事に慣れてないことが窺えた。
ただのドジっ子程度で済めばいいが、ケンカなどになったら店の評判にも影響するので、そこは見極めながら徐々に慣れさせようと思っていた。
普段は外見に全く気を使わない美奈子だが、実は磨けば光ると朱里は感じていた。
少々背が低く、胸が小さいことを除けば、顔立ちは整っているのだ。
幼く見えることも、男性客には受ける要素でもあるし、上手く店に引き込めばロリ好きの客層にもアピールできると密かに画策していた。
世界がこれほど荒れ果てた状態でもセレブと呼ばれる客は居て、大抵はアメリカとパイプを持っている軍事関係者か外交官だった者たちだ。
今、この世界の食糧の70%はアメリカが供給している。
核の攻撃を凌ぎ、地下に食料生産施設を作っていたため、かつてのアメリカ政府の要職に在った者などが、地下に新たにアメリカ政府を作り上げ、世界のどこよりも早く戦後の復興を果たした。
それにより、いち早く市場を形成することが出来、武器や食料の供給を通じて世界市場を支配することに成功していた。
人類が生き残った地域では、アメリカからの支援により人間的な生活を取り戻すことが出来たが、それは即ちアメリカに依存し続けることを意味する。
日本も同様で、主要な生活圏に向け、毎月支援物資がアメリカから特殊な輸送船によって運ばれてくる。
小麦粉などの穀物に加え、人造タンパク質と呼ばれる合成食料と、そのタンパク質を原料とした衣類なども供給されている。
日本全国で約10万人が暮らしていると言われ、戸籍が無いため、正確なところは不明だが、京都に設置された日本国暫定政府が、供給された資源を分配する業務を取り仕切っている。
所得税というものは無いが、物品税として、あらゆる買い物に10%の税金が掛かり、それが国家としての収入になっている。
そして、その税金の大半はアメリカへと渡っているのだ。
要するに日本暫定政府とは、アメリカ政府の単なる出先機関でしかなかった。
ただ、自分たちでは生産出来ない貴重なタンパク質を供給してもらっているため、世界的に農業が再建出来る見込みが無い以上、だれもそれを拒むことが出来ないのだった。
そんなアメリカとのパイプを持つ人間は、必然的にセレブと呼ばれる立場となる。
朱里はそういった、セレブの客に人気があった。
高い歌唱力はもとよりだがセクシーな出で立ちも、年齢の高い男性セレブたちに好評であった。
彼女自身はあっけらかんとした性格なので、露出の多い衣装でも、そこまで淫猥な印象は与えず、むしろ健康的でさえあった。
そのためか、女性にも人気が出て来て、朱里の得意なゴスペル系の歌とも相性が良かった。
だが、美奈子は朱里とは真逆の性格である。
美奈子の内向的な性格が、セクシーな店の衣装とミスマッチになることは分かっていたが、むしろそれが男性客には良いアピールになることを朱里は知っていた。
朱里は美奈子に、あえて一番スカート丈の短い服を着せ、大袈裟なほどの化粧を施してやった。
「あら〜、見違えるわね!やっぱり女の子はオシャレしないと」
「いやいや、見せる相手居ないし」
「そんなこと無い無い。今日も西さん以外にも3人ほど男性のお客さん見えるけど、きっと人気出るわよ〜」
「い〜や、その手には乗りません。今日はあくまで、西さんに話を聞きたいだけですから」
「もー、警戒しすぎよ。まだ若いんだし、いろんな経験積むチャンスよ」
「そもそも人付き合いが苦手な私に、ホステスとかムチャ振りが過ぎますよ」
「そうやって自分を決めつけない方が良いわよ。ミニ子ちゃんはまだまだいろんな可能性に満ちてると思うけど」
「私はとにかく、25式を何とかしたいってだけですから」
「あのねぇ、そりゃぁお父さんの形見みたいなものなのかも知れないけど、所詮は乗り物でしょ。代わりになる物はいくらでもあるんだから。それよりあなたの人生はあなたの物でそれも一度きりなんだからね」
「はいはい。25式が動いたら、そこで改めて考えます。今はとにかく25式が全て」
「まったく、そういう意固地なところはホント、お父さん似よね」
「仕方ありません。家族は父しか知らないんですから」
その後給仕の作法などをレクチャーしてもらい、アルバイトとして最低限の仕事はこなせるようにして、客の来訪を待つ。
かつての銀座のクラブなどでは、客あしらいの作法など、座る位置からボトルを注ぐ角度まで、事細かく決まっていたようだが、こんなスラム街でさすがにそこまで求める客は居ない。
ファミリーレストラン程度の作法が出来れば問題無い。
そして開店時間ちょうどに、待ち構えていたように3人組の男性客が入って来た。
この3人は、いつも連んでいる仲間のような連中で、全員元政府関係者だ。
それぞれ、部門は違うが、退官後もアメリカから入ってくる物資を分配する事業を取り仕切っている。
それぞれ68歳、71歳、74歳と、高齢者で、戦争前に外務省に入省していた役人と自衛官だ。
女性が人口の大半を占める世の中で、戦前の就職の男女比が今に及んでも残されているのは、日本だけだろう。
そのため、日本だけは女が女の価値観で物事を決めるディストピアにならずに済んでいるのかも知れない。
「お、朱里ちゃん。新しい子いるじゃん」
「おぉ、可愛いねぇ」
「お〜、若い若い!良いねぇ」
三人は美奈子を見つけると口々に褒め称える。
朱里はそれを見て、内心口惜しい気持ちもありながら、しめしめ計画通りとほくそ笑んでもいた。
だが、今は残念な事実を三人には告げねばならない。
「良いでしょう?美奈子ちゃんって言うの。でもね、残念ながら今日だけのバイト」
「え?今日だけなの?なんで?」
「それは残念だなぁ。せっかく可愛いのに」
「ならば、今日は余計に頑張っちゃおうかな」
「ありがとうございます。期待してるから」
期待というのは当然“おひねり”のことだが、今となってはそんな風習すら途絶えて久しい。
何しろ、このような形のサービス業が成立しない社会である。
ごく一部の特権階級に食い込むことが出来た朱里だからこそ可能なサービスなのだ。
美奈子としては目当ての西以外の客にサービスをする気など無かったのだが、バイトとして給料をもらう以上、それなりに仕事をしなければならない。
あからさまに嫌そうな顔のまま、客の隣に座る。
お互いに軽く自己紹介などをして、美奈子がスクラップ屋を生業にしていることを話すと、3人の表情が少し曇ったように感じられたが、その時はそのままたわいもない話に流れていった。
30分ぐらい話をしていると、ドアベルが鳴って新たな客が来店したことを知らせる。
朱里が「ハ〜イ、いらっしゃいませ〜」と言ってドアまで駆けつけ、来店した客を招き入れる。
杖をついた、だいぶ歳のいった白髪の老人が入って来た。
真っ直ぐ歩くこともなかなか大変そうなその老人は、ステージの最前列の席に座り、朱里とハグをしながら楽しそうに話をしている。
美奈子はすぐに気付いて、席を辞し、挨拶に向かった相手こそ、元自衛官にして富士教導団主任教官だった西浩一である。
核攻撃の時、たまたま他の基地へ移動中で、そのおかげで戦死は免れたが、移動先の基地も攻撃を受け消滅し、行く宛もなく宙ぶらりんのまま世界は終わってしまったのだ。
退任時の階級は一等陸佐で、その気になれば幹部として政府に入り込むことも出来たはずだが、軍人としての矜持からか、日本を救えなかった負い目からか、政治とは一切係わらないとして、自衛隊解散と共に全ての公職から離れた。
その時で48歳だったので、退職金で掛川の機械工場を買い取り、周辺の住民のため装甲車などを整備する仕事を請け負っていた。
75歳の時、会社を部下に売却し、今は悠々自適な余生を送っているが、会長として工場には時々顔を出している。
本人の思いは別として、こんな時代にあって、恵まれた環境にあると言えるだろう。
美奈子は先ほどの客とはうって変わって、自ら饒舌に話しだすと、早速25式の話を持ち出した。
その瞬間、西の表情が驚きに変わった。
弱っているはずの足腰で突如立ち上がり、今すぐにでもそれを見たいと言いだしたのだ。
朱里が一杯目の飲み物を出す暇もなく、西は美奈子を連れて店を出ようとする。
さすがに今日はもう暗いし、明日にしたらと朱里は止めたが、西は「本当に25式なら今すぐにこの目で見たい」と譲らない。
察するにおそらくあの戦車とは何か曰わくがあるのだろう、さすがに美奈子をそのままの格好で帰すわけにかないので着替えてもらったが、これでは全く営業に繋がらない。
3人の客も不満そうだったが、彼らは別な理由で残念に思っただけであろう。
当初の思惑とは外れてしまったが、何か歯車を一つ回せたのならそれも良かろうと朱里は思うのだった。
美奈子の整備場に入った西は、25式を見つけると、しばらく呆けたような顔していたが、突如として驚くほど矍鑠とした動きで戦車に近寄ると、転輪に足を掛けスルスルッと登って運転席に収まった。
完全に訓練された動きで、迷い無くレバーなどの位置を指さしで確認していた。
「美奈子さんと言ったか?これはいつからここにある?」
「詳しくは分からないけど、私が生まれる前からあったから、少なくとも25年はこのままここにあったわ」
「つまり核戦争後からずっとあったのか?」
「おそらく」
「だったら間違いなくあの25式だ」
「乗ってたことあるの?」
「常時ではない、テストとして数日間乗っただけだが、その時から普通ではないと感じていた」
「え?普通ではないって?どういうふうに?」
「おそらく新たに導入されたAIによる自律支援システムのせいだと思うが、我々の指示を無視することが度々起こったのだ」
「AI?そんなもんが載ってたの」
「この戦車は通常2名を乗員として運用することになっていたが、非常時は1名でも運用出来るよう自律型AIが搭載されて、自動化された機器類を制御出来る仕組みになっていた」
「えぇ〜!?勝手に敵を撃ってくれたりするの?」
「そこまでは出来ないが、操縦手が主砲を操作せずとも攻撃目標に対し打撃指示を出すことで攻撃を自動で行うことは出来る」
「あ〜例えばE-1という目標を撃てと指示すれば勝手に狙って撃ってくれるわけ?」
「そんな感じだ」
「なるほど〜。コイツが変なのはそれが悪さしてる可能性があるわけね」
「やはり不調なのかね?」
「主電源を入れてからだけど、突然電気が付いたり消えたり、何もしてないのに消火器が作動したり、あと、モニターに変な文字が現れたりで、オカルト的な何かかと思ったの」
「文字だと?それは妙だな」
「もう気味が悪いってことで、下田にいるお坊さんを連れて来るために西さんに装甲車借りようって話になったの」
「なるほど、私に先に見せて正解だったな。おそらくAIの暴走かと思うが、私もコンピュータは詳しくない。私の工場に居るヤツに聞いてみるとしよう」
「助かります〜」
「それは構わぬのだが、この戦車を私に譲る気は無いか?」
「う〜ん……」
「もちろんそれなりの対価は支払う」
「父はねぇ、これの整備に一生かけたんですよ。私もそれなりに思い入れがあるし、気味が悪い状態さえ直れば手放したくは無いです」
「そうか、それは済まなかった。下らぬことを聞いたな」
「いいえ、お力になって頂いて、心強いです」
「ちょっと動かしてみて良いか?」
「あ、ええ、エンジンは付いてないので走れませんけど」
「いや、システムの状況だけ確認したい」
「どうぞ」
「では、ちょっと触らせてもらう」
そう言うと、西は抜けていたケーブルを挿し直して、主電源を入れた。
ブゥンと音がして、コンピュータが起動した。
初期画面は特に異常が無いように見えるが、プロパティを見るとシステムの最終更新が2026年のままだ。
このOSはもっと新しいバージョンが出ていたはずなので、それに書き換える必要があるだろう。
だが、その他補機類のコントローラは全てオンチップでデバイス直付けなので、これを更新することはもはや不可能である。
それでもOSを更新することで、機器類の接続を再確認出来るし、動作の精度を上げることも可能になる事もあるので、やらない手は無いだろう。
2026年はまだ、インターネットに繋がっていることが前提となっているため、OSが常にネット接続を確認してくる。
これもまた不具合の原因となり得るので、早急にスタンドアロンで完結できるOSに置き換えるべきだ。
それは彼の部下であったコンピュータの専門家、橘諒子に任せることにした。
西は、試しに火器管制装置を動かしてみたが、これは作動しなかった。
本来の主砲である120mm砲ではなく、代わりに最近流行のリニアガンと呼ばれるレールガンの一種が積まれているためだろう。
これも自分ではどうにも出来ない。
そもそもどういう兵装が使えるのかも良く分かっていないので、それらの接続一覧を表示させたところ、唯一使用可能な兵装はグレネードランチャーのみだった。
だが、そこで画面に妙な動きが現れ始めた。
カーソルが意図しない動きをし始めたのだ。
そしてカーソルがテキスト入力の領域をウロウロして、何かを要求しているかのようだ。
そこで西は、カーソルを入力ウインドウ上でクリックしてみたところ、突如として勝手に文字が入力され始めた。
最初は意味をなさない文字が表示されるだけだったが、次第に文章として読める内容になってきた。
そしてついに「俺は鉄男。」と、きちんとかな漢字交じりで句読点も打たれた正確な日本語を表示してきたのだ。
これはもはや偶然でも、AIの暴走でもない。
誰かが意図してこれを表示したのだ。
あるいはAIが人格を持ったとも考えられるが、この時代のしかも戦車に乗せてある程度のAIで、そんなことが起こるとは考えられない。
「いったい何が起きているのだ」
「えぇ?西さんでも分からない?」
「ああ、一つ言えるのは、何者か意思を持った存在が居ると言うことだ」
「やっぱ幽霊?」
「それは無いと思うが、とにかく明日専門家を連れて来る」
「ホントですかぁ。ありがとうございます」
「いや、こちらこそ懐かしいものを見せてくれてありがとう。久々に生きている実感が湧いたよ」
「いえいえ、こちらこそ」
「すまんが美奈子さん。戦車ってのは乗るより降りる方が大変でね。ちと手伝ってくれんか」
「あぁはいはい」
その後、戦車から西を引っ張り出すのに、たっぷり30分を要し、ヘトヘトになった西はすっかり老人に逆戻りしてしまった。
西を自宅に送り返すのに掛川まで片道1時間をかけ、美奈子が戻ったのは深夜2時を過ぎていた。
そのため、戦車の主電源を落とすのを忘れ、そのまま寝入ってしまった。