第22話「独りじゃない、ひとつだから」
倒したかに思われたセラフ級パラレイド、メタトロン……再臨。
以前よりマッシブで一回り大きく、両肩や両足が大きく肥大化している。全身から兵器として禍々しさを発散し、長大なライフルを水平に浮かべている。
まさしく最強の名に恥じぬ威容……メタトロン・スプリーム。
だが、応急処置を施した機体の中で、少女の声は凛冽たる気迫に満ちていた。
五百雀千雪は絶望的な状況でも、全く普段と変わらぬ声音で言葉を紡ぐ。
『統矢君、私が前でメタトロンを抑えます。統矢君はヘリを守ってください』
あまりに平然と、なにもかも普通に千雪は話す。
教室にいる時、部活で一緒の時、戦場で背中を預け合う時……二人きりの時。
いつでも千雪は、怜悧な涼しい声で空気を震わせる。
泰然として揺るがぬ無責任な頼もしさに、気付けば摺木統矢は笑みを浮かべていた。
「千雪っ、無理はするな! このヘリをどかして、すぐ戻るっ!」
『いえ、統矢君。ヘリを……そのヘリをしっかり確保していてください』
「なにを……俺もまだ戦える!」
統矢の97式【氷蓮】セカンドリペアは、酷い損傷だった。真っ向からメタトロンのビームに飛び込み、押し切るようにして叩き割ったから。その代償として、装甲の各所を補強するスキンタービンは燃え落ち、ラジカルシリンダーも何割かが破裂していた。
軋んで不協和音を奏でる【氷蓮】は、間違いなく大破一歩手前だった。
だが、それは千雪の89式【幻雷】改型参号機も同じだ。
以前の戦いで大破した改型参号機は、急遽稼動状態へと修復したため歪な姿をさらしている。補修用のスキンテープで各部をぐるぐる巻きにした姿は、まるで朽ちたる魂を乗せた不死者のよう。そして、どこか以前の統矢の愛機に似ていた。
満足に動かぬ機体をズシャリと構えさせて、千雪は静かに告げてくる。
『統矢君はとにかく、絶対にヘリを守ってください。……れんふぁさん、聴こえていますか? 以前お話した通り、刑部提督の用意したプランに従って行動してくださ――』
千雪の玲瓏なる声を、絶叫が遮った。
同時に、目の前のメタトロン・スプリームがツインアイに暴虐的な光を灯す。愚かな人間を断罪する熾天使から、少女の悲痛な叫びが響いた。
『お前はぁ! なんで邪魔をするんだ! ……そうか、お前が五百雀千雪だな! 知ってる、知ってるよ……統矢様をいつも! いつもいつもっ、蝕み苛む、悪い女っ!』
メタトロン・スプリームは微動だにせず浮いている。まるで、手負いの人間達を前に勝利が揺るがないかのうように、不動。しかし、その頭部から赤いユニットが分離して宙を舞った。ディスク状のそれはケーブルで制御されながら、鋭角的な機動で周囲にビームをばらまき始める。
多方向からの攻撃を前に、千雪の改型参号機は動かない。
否……いよいよ炎に沈み始めた原子力空母バラク・オバマの上で、必要最小限の動きしか見せない。揺れるように小さく動いて、致命打だけを避ける。
ビームの驟雨が飛行甲板を蜂の巣にして、火の海へと変える。足元が崩れ始める中で、統矢は【氷蓮】を下がらせた。離陸できずにいたヘリに駆け寄り、中のパイロットへと通信を送る。
一度だけ背後を見やれば、改型参号機は一寸の見切りで全ての殺意をギリギリかわしていた。
『クッ、千雪が。おいっ、ヘリのパイロット! ローターを切れ、【氷蓮】で持ち上げて運ぶ! なにか策があるらしい、あの刑部提督の考えてくれた策が!』
応答してくれたパイロット達の声は震えていた。
そして、その奥からいつになく取り乱した声が走る。それは、決して動揺を見せない人間が見せた、動揺を超えた狼狽の叫びだった。
『摺木統矢っ! 私だ、御堂刹那特務三佐だ! ブリッジを! 刑部志郎提督がまだブリッジにいるのだ! お救いしろ、命を賭して助けるんだ!』
「御堂……先生?」
『あの人を死なせるな、馬鹿者! これからの日本皇国に……この時代の地球に必要な方なのだ! 頼む、摺木統矢! あらゆる命令に優先する、頼む――!?』
その時だった。
周囲を包囲した無数のセラフ級からの攻撃が襲った。
大きく傾くバラク・オバマの上で、なにかが弾けて爆ぜた。
艦橋部分が消し飛んだのを、統矢は確かに見た。
そしてそれは……おそらくヘリのコクピットからも見えただろう。
言葉にならない刹那の絶叫が、統矢の耳朶へと突き刺さる。
そして……急斜面となった甲板上で統矢はどうにか機体を制御し、エンジンを停止させたヘリを抱え込む。大型ヘリをまるまる一機というのは、パンツァー・モータロイドが持ち上げられるものではない。だが、炎から庇うようにして、必死に統矢は逃げ場を探した。
右舷側に傾く甲板では今……千雪が一人でメタトロン・スプリームと戦っていた。
メタトロン・スプリームは、全く動かず浮遊砲台を飛ばしてくる。
全方向から殺到する攻撃を、千雪は最小限の被弾で避けつつ距離を縮めていた。
統矢の中でなにかが囁く。
今までにない不安が、冷たい闇となって胸中に満ちてゆく。
二人の少女は今、統矢という過去と未来を繋ぐ糸の上で綱渡りに踊っていた。
『このっ、このこのっ! 統矢様は、お前のせいで今でも夢にうなされてるんだ!』
『申し訳ないですが、私の与り知らぬところです。私の統矢君は貴女の統矢様ではないので』
『……私の? 統矢、君? さっきからぁ、馴れ馴れしいんだよ! 統矢はお前みたいなただの人間じゃないっ! ボク達の試練で目覚めてくれた、真の力を覚醒させた人間なんだ!』
『左腕部ラジカルシリンダー、1番から8番まで停止。動力カット。……アレを使う時ですね。全エネルギーを集束、チャージ開始。刀身加熱』
『無視するなぁ! 統矢はボクと二人だけっ、この世界線の時間軸で二人きりのDUSTER能力者、同志なんだ! いや、同族……同じなんだよ!』
『……貴女は、統矢君と二人きりなんですか?』
『そうだ、この島で出会って、それも運命だったって言える! 統矢様が無数の可能性から選んだこの世界線で、ボクは統矢と巡り逢ったんだ!』
『そうですか。では、私とは違いますね』
統矢は危険な領域へと加速してゆく二人の声を追った。
追いついて手を伸べ、止めたかった。
だが、ヘリにしがみついたままで【氷蓮】の動きは鈍い。それでも、千雪が言ったからにはヘリを確保しておかなければいけない。信用し信頼を預けたからこそ、そうするが……今、取り返しのつかない瞬間へと向かっている気がして、危うい焦りが込み上げる。
目の前で改型参号機は、左腕をもぎ取られて大きくよろけ、そのまま直撃を浴びた。
統矢は、初めて目撃しようとしていた。
フェンリルの拳姫と謳われ、全国から【閃風】と恐れられた者の敗北を。
それでも、千雪の声は焦りも怯えも、涙すらも感じさせない。
『貴女は統矢君と二人だけ、二人きりかもしれません。でも――』
『でも!? なんだ、お前はっ! この世界線でも邪魔をする気かっ!』
『勿論です。貴女は今、統矢君の敵ですから。そして私は……統矢君とひとつですから』
『ひとつだって!?』
『心が、気持ちが……見詰める先、進む道がひとつだから。ただの二人でしかない貴女には、絶対に負けません』
メタトロン・スプリームの攻撃が停止した。
だが、周囲では友軍機が次々と窮地に追い込まれてゆく。元々が一騎当千のセラフ級は、今まで必ず単騎で出現してきた。それでも人類は、多大なる犠牲を払わなければ撃破できなかったのである。そのセラフ級が今、無数に周囲を満たしていた。
地獄があるとすれば、ここだ。
無数の悲鳴と怒号が渦巻く中で、鉄屑と化したPMRが血の中に沈んでゆく。
それでも、千雪は……改型参号機は、前だけを見ていた。
千雪は辛うじて立つ愛機の中で、不意に声を和らげ優しく語りかけた。
『れんふぁさん……しっかりしてください、更紗れんふぁさん! ……聴こえていますね?』
『千雪さぁん……わたし、それは……』
『皆さんにもお伝えします。刑部提督はバラク・オバマにGx反応弾を搭載して出港しました。島ごと全てを吹き飛ばす新兵器です。各機は、れんふぁさんの【樹雷皇】に登録されたマーカーに従い、グラビティ・ケイジに乗って空へ!』
上空で必死に抵抗する【樹雷皇】は、傷付き煙をあげながらも浮いていた。
重装甲がウリの空飛ぶ火薬庫は、|海軍PMR戦術実験小隊《かいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたい》の仲間達と戦っている。その巨体を守るグラビティ・ケイジは、広げることで範囲内の友軍機を自在に飛行させることができた。
千雪の狙いは、これだ。
メタトロン・スプリームを含む全ての敵を、ギリギリまでバラク・オバマに釘付けにする。そして、広域破壊戦略兵器によって殲滅、同時に【樹雷皇】のグラビティ・ケイジで全機撤退。統矢にもようやく、千雪の真意が掴めた。
だが、何故か胸騒ぎが納まらない。
その答を叫ぶれんふぁの声は、涙に濡れていた。
『千雪さぁん、でも……それじゃ、千雪さんが』
『もとより承知の上です。【樹雷皇】のグラビティ・ケイジで一緒に飛べるのは……予め【樹雷皇】のコントロールシステムに登録された機体だけ。この改型参号機は損傷機扱いで搭載されていたため、その登録をされてません』
『駄目です、わたしできないっ! できないですよぉ……千雪さんだけを残して行くなんて……嫌ですっ! 絶対に、嫌っ!』
『れんふぁさん』
統矢は絶句した。
そして、千雪の言葉の意味がわかった。
【樹雷皇】のコントロールユニットである【氷蓮】は、勿論システムに登録されている。参加した72機のPMRもだ。基本的にPMRは陸戦兵器であるが、その運用概念を覆すのが決戦兵器【樹雷皇】の存在なのである。
そこで刑部志郎は、最悪の事態を想定しての策を講じていたのである。
「千雪っ、待てっ!」
『統矢君、ヘリをお願いします。落とさないようにしてくださいね。……れんふぁさん。私の一番大事な人をお願いします。れんふぁさんだから、託せます。兄様、御巫先輩、ラスカさんに沙菊さん。私が……私が血路を切り開きますっ! 行ってください!』
改型参号機の頭部が、ひび割れたバイザーの奥に危険な光を輝かせる。同時に、常温Gx炉が不気味な駆動音を高鳴らせた。一角獣のように額に伸びるブレードアンテナは今、赤熱化して真紅に発光し始めていた。
統矢が慌てて【氷蓮】で駆け寄ろうとする。
だが、ヘリにもたれかかるようにして愛機は動かない。
そして……周囲に仲間達が降りてきて、ヘリごと【氷蓮】を支えてくれた。グラビティ・ケイジの重力波は今、ゆっくりと全ての友軍機を持ち上げ集めてゆく。
千雪が、統矢の前から離れてゆく。
仲間達の声も今、頭の中を素通りした。
『千雪殿っ! あとは自分に任せるッス! 不肖、渡良瀬沙菊が留守をお預かりするスから……だから、だからっ! 千雪殿ォォォォォッ!』
『つまらねえこと考えやがって、千雪っ! おい放せ、桔梗! あいつ、一発ブン殴ってやる!』
『勝ち逃げする気? アタシ、アンタに負けたままでなんて終わりたくない! アンタにも勝ったまま終わって欲しくないのっ!』
『千雪さん、こんなの……お姉さん、許しませんからね。辰馬さんを泣かせたら……絶対に許しません』
徐々に大地が遠ざかる。
れんふぁは巧みな操作でグラビティ・ケイジを掌握し、その内側へと味方機を集めて浮かべた。同時に、敵からの攻撃を不可視の重力圏で弾き返す。
そして……小さくなってゆく千雪の改型参号機が身構えた。
嗚咽に鼻をすすりながらも、れんふぁは最後まで千雪に呼び掛ける。
『千雪さん……わたし、知ってました。この間……思い出したんです。この時代に、この世界線に来る時……わたしを送り出すため、千雪さんは』
『それは私ではなく、俗に言う統矢様の世界の私ですね』
『それでも……だからこそ! 千雪さんっ! 二度もわたしの前から……いなくならないで』
『……大丈夫ですよ、れんふぁさん。悲しかったら、統矢君と一緒にいてあげてください。私はいつも……統矢君と一緒、ひとつですから……』
全身に爆発の炎を咲かせながら、改型参号機は崩落する飛行甲板を蹴った。
同時にフルブーストで、スラスターから光が溢れ出る。
真っ直ぐ千雪は、初めてライフルを構えようとするメタトロン・スプリームへ吸い込まれた。その頭部では、臨界に達した熱量が己自身さえ溶かし始めている。
改型参号機の頭部の角は、飾りなどではなかったのだ。
超々高温度により自らをも燃やして焼き尽くす、灼獄の剣。
統矢は確かに、見た。
右腕が滑落し、両脚も砕けて捻じれ……それでも、真っ直ぐ敵へと吸い込まれてゆく千雪の改型参号機を。その燃え盛る切っ先は白く眩く光る。そして……メタトロン・スプリームのコアを僅かに外して避けられた。
瞬間、統矢の絶叫は空へと吸い込まれた。
「千雪っ、千雪ィィィィィィ!」
同時に、地響きを呼ぶ光の濁流が全てを飲み込んだ。涙で揺れる視界がホワイトアウトから回復した時、統矢達は音速で離脱した空にいた。巨大なきのこ雲と、遅れて到達する衝撃波。大昔の原子爆弾より何百倍も強力な爆発は、統矢から全てを持ち去り消し飛ばしていった。




