第15話「ラスカ・ランシング」
長い長い会議が終わった。
刑部志郎を中心に、すぐに作戦が立案され、決行されるべく各部署が動き出す。最初は責任の所在をなすりつけ合うだけだった各国の軍人たちは、あっという間に団結して活き活きと働き出す。
摺木統矢は、改めてこの時代の人間たちの強さを見た気がした。
大人たちは皆、自分の損得や責任だけを考えているのではない。
既に滅び始めたこの世界で、懸命にギリギリの戦いをしているのかもしれない。例え子供を幼年兵として使い捨て、終わりの見えない永久戦争を続けていても……皆、己のできるベストを尽くして、未来へ抗っているのだ。愚行と知って、悔やんで心を殺しながら戦っている人もいるのだった。
会議室を出た|日本皇国海軍PMR戦術実験小隊《にほんこうこくかいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたい》を、夕日が出迎えてくれた。
「んーっ! しっかし……すげえ作戦を思いつくな。なあ、千雪」
「はい。退役した半世紀前の原子力空母バラク・オバマで、単艦突撃……特攻攻撃。島を強襲しPMR部隊を上陸させ、メタトロンを殲滅する。……可能でしょうか?」
「さあ? ただ、俺たちは俺たちの仕事をするだけさ。それに」
「それに?」
「見ろよ、提督を。ありゃ、悪巧みしてる顔だ。なんか秘策があんだろ」
統矢が指差す先を、五百雀千雪も仲間たちも見やる。
多くの海軍関係者に囲まれ、細かな指示を出しながら志郎は働いていた。その姿は、あのぼんやりとした頼りない男とは思えない。少し離れて見守る御堂刹那など、何故か頬を赤らめ潤んだ瞳で志郎を見詰めていた。
その志郎だが、統矢の視線に気付いて静かに微笑む。
彼は周囲の全員が敬礼する中、敬礼を返してこちらに歩み寄ってきた。
「やあ、統矢君。それと、そっちはあの五百雀家の千雪ちゃんと辰馬君だね。御巫家のお嬢さんも……確か、桔梗ちゃんだったねえ。整備の子も後輩ちゃんも、資料を読ませてもらったよ。それと――」
不意に志郎は、酷く優しい目になった。
それは、男の悲哀が入り交じる中での、悟った賢者のような笑みだった。
志郎の眼差しを吸い込む先には、渡良瀬沙菊をいじるラスカ・ランシングの姿があった。
ラスカは視線に気付いたのか、ラスカは「ん?」とこちらを向いて目を瞬かせる。
志郎は笑顔でラスカの前に立つと、小さな矮躯の金髪をポンと撫でた。
そういうことをすると噛みつかれるぞと統矢は思ったが、ラスカは不思議とおとなしい。普段からキャンキャン吠える小型犬のように元気がいいラスカだったが、気圧されたようにおとなしくなっている。
「な、なによ……」
「君がラスカちゃんだね?」
「そうだけど? 加えて言うなら、フェンリル小隊のエースよ!」
「うんうん、元気で大変よろしい」
「……気持ち悪いんだけど? ちょっと、いつまで触ってるのよ」
それは不思議なふれあいだった。
志郎からは、これから決死の突入作戦を指揮する男の気負いも、気概も気迫も感じられない。まるで孫を見るような目で、それを見上げるラスカも少し照れて目を逸した。
そして、統矢は知る。
志郎はラスカへの特別な想いを、その場でゆっくりと解き放った。
「リチャード・ランシング提督の娘さんが、日本に来てるのは知っていたけど……やっぱり幼年兵として戦っていたんだねえ。せっかくイギリスから生きて逃げ出せたのに、なにも便宜を図れなくて申し訳ないヨ」
「……パパを、知ってるの?」
ラスカの青い瞳が見開かれた。
志郎は頷き、ようやくラスカを撫でていた手を降ろした。
「ブリテンが消滅したあの日、脱出船団を一隻でも多く逃がすための遅滞戦闘……アルビオン作戦。総旗艦ユリシーズ三世で艦隊指揮を執っていたのは、リチャード・ランシング元帥。僕の友人だった……あの日、僕もあの海にいてね」
「……そう。パパの」
「リチャードは勇敢で強く優しい、誰もが憧れる海の男だった。女王陛下の騎士に叙せられた、イギリス海軍を体現する提督だった。……僕の、大事な友人だったのよね」
「はい……」
「ラスカちゃん、彼のためにも絶対に死んではいけないよ? 君たちのような幼年兵を、大人たちは戦場に駆り立てる……それは大人として、人間として恥ずべきことだとも思う。だから……一人でも多く僕は生還させる、そういう作戦でいくつもりだからね。誰もが皆、望まぬまま戦いに誰かを送り出しているからサ」
その時、統矢は見た。
呆然としていたラスカは、沙菊が顔を覗き込む中……前を、上を向いた。
真っ直ぐ志郎を見て、身を正すや敬礼する。
それは、とても美しい所作で、幼い童顔のラスカを大人びて見せた。
「刑部提督、ありがとうございます。パパも……父も今のお言葉、喜びます」
「うんうん。今度、御屋敷の方に寄らせてもらうからね。お土産を持って」
「お待ちしてます、提督。期待に応えてみせますので、ご安心を! アタシが……自分が、自分たちフェンリル小隊が、パラレイドを排撃、撃滅して御覧に入れます!」
「無理しないでね、ラスカちゃん。じゃあ、また」
「はい!」
志郎も敬礼を返すと、その場の一同にも挨拶をして行ってしまった。
その背をずっと見詰めて、ラスカは敬礼したまま固まっていた。
その凛々しい横顔に、光が走るのを統矢は見た。
一筋の涙が零れて、それを手で拭ったラスカは突然走り出す。あっという間にその姿は、廊下の向こうへと消えた。
「お、おいっ! ラスカ! ……よかったじゃねえか。って、な、なんだよ千雪」
「統矢君、ラスカさんを追いかけてください」
「そうですよ、摺木君。ラスカさん、摺木君に懐いてますから」
「走るッス、統矢殿! ラスカ殿を追いかけて慰めるッス! ガンホー! ガンホーガンホー! 走るッスよぉぉぉぉ!」
「若いってええねえ。青春やわあ。ふふ、辰馬はウチがああなったら、追いかけてくれるん? ……ちょ、桔梗? 冗談や、なに怖い笑顔になってんねん」
「まあ……俺らが行くより、統矢だな。ほれ、走れ! 隊長命令だ!」
訳も分からず、仲間たちの満場一致で統矢は背を押された。
言われてそのまま、統矢はラスカを追って走り出す。
いつも強気で勝気で、自分に絶対の自信を持っていたラスカ。そして、それが虚栄でも慢心でもないと、彼女はいつも腕で示してくれていた。孤高のエース、いつも気を張ってピリピリしているが……食いしん坊で甘えん坊な、手のかかる妹みたいな少女。
その背を追い掛ければ、自然と統矢は施設の外へと飛び出していた。
遠く海の方のフェンスに、小さな背中が震えている。
「おーい、ラスカ……どした? お前……」
「うっさい! こっち来ないで!」
「……泣いてんのか?」
「来るなって言ってるでしょう!」
統矢は構わず、ラスカに並んでフェンスの向こうの海へ目を細める。
真っ赤な太陽が沈みかけた水平線は、茜色に輝いていた。
基地のフェンスの向こう側には、世界規模の戦争が嘘のような光景が広がっている。あっち側では、サンセットビーチを楽しむ者たちの笑顔と歓声が満ちていた。
だが、こっち側では今もPMRが基地内を移動し、慌ただしく車両が行き交う。
平和と戦争の境界線で、金網を両手で握り締めてラスカは泣いていた。
それを見ないようにしつつ、統矢はただ黙って横に立ち続ける。
「……パパは、あの日……アタシがまだ小さかった頃、ブリテンで」
「ああ、そうだってな」
「ママは、あの日以来……パパが死んでから、死んだパパがいた時間で止まっちゃって」
「……辛いよな、それって」
「アタシのこと、見てくれなくて……メイドくらいにしか。ああもうっ!」
不意にラスカは、隣から統矢を見上げてきた。
その目は真っ赤で、今も涙を溢れさせている。
彼女はしゃくりあげつつ、キッと統矢を睨んだ。
「ちょっと、アンタ! あっち向きなさいよ!」
「お、おう。どした? いや、恥ずかしいことじゃねえぞ。誰かのために泣くって、大事な人がいる人間にしかできないことだからさ」
「うっさい、黙って! ほら、あっち向く!」
やれやれと統矢がラスカに背を向けた、その時だった。
不意にラスカは、統矢の背中に抱き付いてきた。
熱い体温と一緒に、ささやかな胸の膨らみが押し当てられる。統矢の背中に顔を埋めて、ラスカは泣きながら叫んだ。
「パパは死んで、ママは止まっちゃって! ……アルレインも、もういないの」
「アルレインって、改型四号機の」
「アルレインは、アタシが可愛がってた犬の名前よ」
「じゃ、改型四号機は二代目か」
背中で頷く気配が、顔を押し当て泣いている。
普段はツンケンとしていて、人を人とも思わない高飛車な態度さえ見せるラスカ。彼女は誰にも弱みを見せず、弱気を自分に許さない少女だ。
だが、統矢の背中にすがるように抱きつくラスカは、15歳の女の子だった。
「アタシは! 独りだった! 日本に来て、ずっと……独りだと思ってた!」
「ラスカ、お前……」
「みんな、アタシを知ってる人はみんな! 死んじゃった! パパを知ってる人も……勲章なんか、パパの代わりにならない。パパがいないからママだって! ……でも」
泣きじゃくるラスカが、腰に回した腕に力を込める。
統矢は不思議と、そんなラスカが以前にも増して大切に思えた。愛おしい、とは少し違うような……でも、妹がいたらやっぱりこんな感じだと思う。こういう時、女の子には絶対に優しくしなさいよね、と言ってくれた少女がいた。その人は今も、統矢の胸の中で生きている。
統矢はラスカの手に手を重ねて、黙って慟哭の叫びを受け止めた。
「でも、アタシは……独りじゃなかった。パパを失ったのは、アタシ独りじゃなかったんだ……アタシが気付いてないだけで、パパはちゃんと……誰かの中で生きていた。アタシ独りの中でだけ永遠になったんじゃ、なかった」
「だな。お前の親父さん、さ……凄ぇよ」
「……当然よ。当たり前だっての! バカッ!」
「はは、そうだな」
「そうよ」
ラスカは少し落ち着いたが、まだ鼻をグズグズ言わせている。そして、まるで幼子のように統矢を抱き締め夕日を浴びていた。
「……千雪にブン殴られるわね」
「あいつは女の子に手をあげたりしねえよ」
「アンタがよ」
「なっ、なんで!?」
「……アタシが助けてあげてもいいけど? どうなのよ、統矢」
「えっと、じゃあ、お願い、します?」
「しょうがないわね! ……じゃあ、代わりに……振り向いて、抱き締めて。アタシ、独りじゃないから……アンタたちと、仲間と明日からも戦うから。だから」
統矢は黙ってラスカの腕の中で振り返り、おひさまの匂いがする金髪を抱き締めた。そして、優しく背を叩きながら……二人で日が沈む中に佇み続けたのだった。




