第11話「帰還、再会、大災難」
摺木統矢の視界から、あっという間に無人島が遠ざかった。
レイル・スルールの乗るセラフ級パラレイド、メタトロンは……撃ってはこなかった。
音速の何倍もの速度で翔ぶ【樹雷皇】にぶら下がったまま、統矢の97式【氷蓮】セカンド・リペアは運ばれてゆく。そこから、どうやって戻ったのかは覚えていない。ラスカ・ランシングと更紗れんふぁが、叱咤と慰労の言葉をかけてくれたみたいだ。だが、それも頭の中を素通りした。
ハワイの巨大な軍港に辿り着いた時、ようやく統矢は緊張から解放される。
眼下には作業員たちがトレーラーを寄せてきながら行き交い、見知った顔も見えた。
先程からヘッドギアのインカムでは、忙しく声が交錯する。
『れんふぁ、統矢を降ろすわよ! こっちも接続を解除するから』
『うん。お疲れ様、ラスカちゃん。あの、す、凄かったね。この子を、あんな簡単に振り回して』
『なにが? 普通よ、普通。統矢が甘っちょろいの』
『統矢さんも、頑張ってたけどぉ』
『知らないわよ。でも、このデカブツは気に入ったわ! ……これなら、パラレイドを全部ブッ潰せる! ……それより、れんふぁ。アンタ、大丈夫なの?』
『ほえ?』
『アタシは辰馬と交代で【樹雷皇】に改型を繋いでるけど、アンタずっと寝ずに乗りっぱなしじゃない! ちょっと統矢、聴いてる? 感謝しないさよ、れんふぁが必死で寝ずに探してくれてたんだから』
グラビティ・アンカーで鷲掴みにしていた統矢の【氷蓮】を、【樹雷皇】は静かに地面へと降ろした。
重力制御の影響で、ほとんど衝撃を感じない。
外からハッチが開かれ、軍人たちが覗き込んでくる。
力なく自分で這い出て、炎天下の空を統矢は見上げた。
すぐ近くには【樹雷皇】が浮いていて、そこからラスカの89式【幻雷】改型四号機が降りてくる。軽くしなやかな操作で、真っ赤な機体はこちらへ歩いてきた。
それをぼんやり見ていた瞬間……不意になにかが統矢にぶつかった。
もの凄い勢いで、だれかが抱きついてきたのだ。
長く黒い髪が舞う中で、統矢は寝かされた【氷蓮】の上に押し倒された。
思わずその名を呟けば、南国の暑さを忘れる。
「……千雪? 五百雀千雪」
「はい」
「ど、どうしたんだよ。お前、おいおい」
「おかえりなさい、統矢君」
もぞもぞと統矢の上で身を起こして、それでも馬乗りになったまま五百雀千雪が見下ろしていた。相変わらず端正な顔に表情は乏しく、怜悧な美貌は凍れるよう。だが、星屑を散りばめたような大きな瞳は、潤むままに揺れていた。
吸い込まれそうな千雪の眼差しに、思わず統矢は言葉を失う。
周囲では、アメリカ海軍の兵士たちが忙しそうに働き始めた。誰もが少年少女を振り返って笑うが、その笑みは侮蔑や冷やかしが感じられない。
奇跡の生還を果たした幼年兵は、戦友と再会したのだ。
統矢が呆気に取られていると、おずおずと千雪は僅かに頬を染める。
「あの、統矢君。はしたなくて申し訳ないんですが、その」
「じゅ、十分はしたないけどな、今も。降りろよ、重い」
「重い、ですか? ……重いんですか」
「あ、いや! そういう意味じゃない、けど!」
「では……抱き締めても、いいですか? 本当に、よく無事で」
「え? あ、おいっ!」
完全にマウントポジションのまま腹に跨がられて、あうあうと統矢は両手を振る。
だが、千雪は構わず統矢の頭を抱き住めてきた。
豊満な胸の膨らみに埋まりながら、統矢は周囲のほがらかな笑みを聴く。
気付けば、仲間の五百雀辰馬や御巫桔梗、渡良瀬沙菊といった|海軍PMR戦術実験小隊《かいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたい》の仲間が集っている。ラスカとれんふぁも合流して、これで通称フェンリル小隊の全メンバーが揃った。
ハワイには佐伯瑠璃も来ているらしく、チェックリストを片手に忙しそうだ。
また【氷蓮】を壊したから、怒られるな。
ぼんやりとそんなことを考えつつ、統矢は千雪の香りと体温に包まれていた。
自然と頬が火照る中で、不器用な歓迎を受けていた、その時だった。
不意に千雪の声が尖って凍りつく。
「……統矢君?」
「ん? なんだよ、もういいだろ? 離れろって、みんな見てるし」
「統矢君、なにがあったんですか? ……なにか、あったんですよね」
「へ? な、なんだよ、なにもないって! なにも言ってないし!」
「知らない人の匂いがします。……女の子の匂いが」
「おっ、お前は犬かっ!」
ゆっくり離れた千雪は、馬乗りのまま統矢を見下ろしてくる。
太陽の下で【氷蓮】の装甲が熱を帯び始めていたが……統矢は背筋が凍りつくような感覚に震えた。千雪はいつもの無機質な無表情を、完全にフラットにしてしまった。全てを切り裂くようなカミソリの視線が統矢に突き刺さった。
「統矢君……誰ですか? 昨晩、誰と一緒だったんでしょうか」
「違う、レイルとはそういうのじゃない! 俺たちは遭難してたんだ!」
「レイルさん、という方なんですね? ……それで?」
「いや、なにもない。してない! 大変だったんだ、サバイバルだぞ! 必死だった!」
「そ・れ・で……?」
「……ハ、ハイ……その、洞窟で……二人で、一夜を」
千雪は無言で拳を手に包み、バキボキと鳴らし出す。
彼女は空手に柔道、そして柔術の有段者だ。才色兼備の文武両道な優等生だが、特に武術で鍛えた身体能力は普通ではない。そして、洗練された人間凶器の如きしなやかな暴力美は、統矢を冷たく見下ろしながら殺気を泡立てている。
生還した側から、統矢は死を覚悟した。
だが、そんな千雪を止めてくれる声。
「千雪さんっ、駄目ですよぉ。統矢さん、そういう人じゃないですからっ!」
「れんふぁ、さん? いえ、私は別に……で、でも」
「他の人の匂いって、わかるんですかあ?」
「私と統矢君の仲ですから」
おいおいどんな仲だよと思ったが、改めて考えてみると耳たぶが熱い。
次の瞬間、れんふぁまで統矢の上で屈んで頬を寄せてくる。ドキリとしたが、れんふぁは子犬みたいに鼻を鳴らしたあと……頬を朱に染め千雪を振り向いた。
「千雪さん! なんか、知らない人の匂いがします!」
「と、いう訳です。統矢君、覚悟してください」
「わーっ、待て! 二人共、おかしいぞ! おかしいだろ!」
だが、れんふぁははわわと真っ赤になって俯いてしまった。
逆に千雪は、暗い目元で視線を凍らせている。
死ぬ、間違いなく殴り殺される。
そう思ったが、れんふぁは拙い言葉で統矢を庇ってくれた。
「でっ、でも千雪さん。統矢さんも大変だったのかも。それと、ほら、ええと、あの! 統矢さんはそういう人じゃないんです」
いいぞ、れんふぁ。ありがとう、れんふぁ!
だが、何故か涙目になってるれんふぁを見て、千雪はポンと彼女の頭を撫でた。
しかし、マウントポジションを解こうとはしない。
そして、制服姿のまま自分に跨る千雪の、布越しの体温が浸透してくる。
「千雪さんっ! 統矢さんは、統矢さんは……そういう度胸なんかない人です!」
「おいっ、れんふぁ!」
「……確かに、そうですね」
「お前も納得するな、千雪!」
「ち、違った……ええと、そ、そう! そうです、統矢さんには甲斐性なんかないんです!」
「れんふぁ……いっそ殺してくれ」
「それは知ってます、れんふぁさん」
「千雪、お前……」
「と、とにかく、統矢さんはやらしいけど、やましいことはない筈なんです! なにか情事があったんです! ……間違った、事情があったんです。多分、きっと、恐らく」
れんふぁは盛大に墓穴を掘った上で、統矢の弁護をするつもりで殺してきた。社会的に抹殺しようとしていた。もはや打つ手なしで、統矢は自分でも鼻を利かせてみる。
一晩一緒だったレイルの匂いなんて、自分の着衣には感じられない。
だが、壊れそうなほどに細いレイルの輪郭を覚えているような気がした。
そうしていると、ようやく千雪が立ち上がる。彼女は統矢を解放すると、抱きつくれんふぁの頭を撫でつつ……静かに統矢へと手を伸べてくる。
「とりあえず、詳しくは後ほどということで」
「お、おう……なにもないからな、言っとくけど」
千雪の手を取り、統矢は立ち上がった。
それは、機体の下で凛とした声が強張るのと同時だった。
「戻ったか、摺木統矢! フン、悪運の強い男だ……そうでなくてはな。貴様は貴重な戦力だ、つまらんことで死んだら殺すぞ? まあいい、このあとすぐに人類同盟軍の対策会議がある。だが……その前に、更紗れんふぁ!」
見下ろせば、そこには御堂刹那特務三佐の矮躯があった。日本皇国海軍の白い軍服に、周囲の軍人たちは敬礼で身を固くする。敬礼を返して、刹那は鋭い目つきでれんふぁを見た。
そして、れんふぁはギュムと千雪の手を握る。
身を寄せてくるれんふぁを支えて励ますように、千雪も肩を抱き寄せていた。
れんふぁは躊躇いを見せつつも、はっきりと決意を言葉にする。
「統矢さん、千雪さん。そして、皆さんも……お話しなければいけないことがあります。わたし、少しですが……記憶が戻りました。だから、正直に真実を話さなきゃって」
刹那はフンと鼻を鳴らした。フェンリル小隊のメンバーを集めて、部屋が用意してあると言い放つ。ついてこいと言わんばかりに歩き出す彼女を追って、統矢は【氷蓮】から飛び降りた。
すぐに作業員たちが、瑠璃と一緒に【氷蓮】をトレーラーに乗せ始めた。
統矢が振り向けば、千雪とれんふぁが手に手を取って降りてくる。
れんふぁはいつも、千雪にべったりだ。
千雪が一番親身で親切で、そして彼女の初めての友達、親友だからだ。
だが、れんふぁの口から語られる真実が教えてくれることになる。
彼女が言う、この時代での初めての友人……そして、それ以上の縁で千雪と結ばれた絆を。そして、皆が知ることになる。パラレイドの謎、次元転移の本当の意味……全ての戦いの元凶と、その中心にいる男の名……自分と同じ摺木統矢という男のことを。




