最終話 5年後、自室にて
「マンガは、同じダンボールにつめちゃっていいんだよね」
引っ越しの荷づくりを手伝ってくれている莉央が、ダンボールをひらきながら訊く。
「ありがと、おねがい」
私はこたえながら、タンスにはいった自分の服を乱雑にダンボールにつめこんでいく。
「あーあー、それじゃシワになっちゃうじゃん」
莉央が、人間だったなら複雑骨折をしているであろう折れかたをしている服を、救出してたたみなおしてくれた。どうも私がマンガを担当したほうがよさそうだ。
大学の卒業もほぼ決まり、就職先の内定も無事に出た(落ちまくったがなんとか)こともあり、私は卒業と同時にひとり暮らしをすることにした。
実家からでもじゅうぶん会社には通えるのだけど、最近ようやくできた恋人(女性)をみだりに実家には呼べないし、いかがわしいことはなおさらなかなかしにくい。
本当に、ようやく、ようやく、ようやくだ。
莉央も大学で、ふたりほど彼氏をつくっては別れた。
当時まだ想いの振り切れていなかった私は、親指を噛んで血を流すようないきおいでくやしがったが、これ以上、莉央の人生に立ち入って不快感をあたえることはできないとこぶしをにぎって立ちつくした。
莉央とも連絡を絶とうとしたこともあったが、結局たえきれずに連絡してしまった。
友だちとしてでいいからと、泣いてすがった自分を思い出すと、赤面してしまう。
莉央のひとりめの彼氏は、やたらと束縛してくる男だった。
返信がおそいと怒り、飲み会はメンバー全員を報告させ、男が来る会には参加させず、会うたびにスマホの検閲がはいった。
「そんな男やめなよ。私にしとけばいいじゃん」
この時点ではまだ莉央をあきらめきれていなかった私は、そうアピールもかねて進言した。
実際、私じゃないにしても、そんな束縛くそやろうじゃなくてもっと莉央にふさわしい男はいるはずだと思った。
そんな私の説得が功を奏したのかはわからないが、莉央もやがてそんな彼氏に疲弊したすえ別れることとなった。
その1年と少しあとにできたふたりめの彼氏は、最初はやさしかった。
が、だんだんささいなことでケンカが増え――ある日彼氏は莉央に手をあげた。
切れたくちびるから血を流し、腕につかまれた赤い痕をのこし、ムリヤリにされたあと泣きながら私のところへ来た莉央を見た瞬間私の記憶はとんでいた。
弟の部屋からバットをつかむと、彼氏の部屋へ行ってバット片手に鬼のような形相で怒鳴り散らしていたらしい。
「莉央といま、この場で別れろ。さもなくばおまえを撲り殺して私も死ぬ」
ということを、彼氏の部屋のテレビを破壊したあとバイトで稼いだ5万円(弁償代のつもりなのか不明である)を床にまき散らしながら言ったとのことだったが、ともかく莉央と彼氏は無事に別れることになった。
私はそのあとで心配のあまり泣いてしまい、
「おねがいだから、自分を大事にして。そして、ちゃんと、莉央を大事にしてくれる人をえらんで」
と莉央を抱きしめながら、「そう、私みたいな人を」とまだこの時点でも莉央をあきらめきれていなかったのでアピールをつけ足した。
「しつこいな」
と莉央は泣きながらちょっと笑った。
それから莉央は1年ほど彼氏のいない生活を送っていたが、ある日ふたりで遊んでいるとき(私がときどき声をかけて遊びに行っていた。高校時代よりはだいぶ自制した)、
「夕陽って、あの……自分からこんなこと言うのもあれなんだけど、まだ、私のこと、好きなの」
とおずおずと訊いてきた。
「好き」
私はこの時点でもまだ莉央をあきらめきれていなかったので、間髪入れずにこたえた。
莉央は、
「私、女の子同士でつきあうって、なにをどうしたらいいのかぜんぜん想像できてないんだけど」
という前置きをおいて、恥ずかしそうに、ずっといろいろ考えていたこと、こんなふうに受けるのはもしかしたら失礼になっちゃうのかもしれないんだけど、そんで今後どうなるかはほんとになにもわからないんだけど、夕陽さえ自分のことをゆるしてくれるなら、つきあってみたいということ、をあっちこっち行ったり来たりしながら、長い時間をかけて、5年越しに私の告白を受けいれてくれた。
ゆるすもゆるさないも、私にはなかった。
私はうれしさのあまり、泣いてしまった。
「ちょっと、自分の荷物なんだからちゃんと荷づくりしてよ!」
私が莉央をながめながら感慨にふけっていると、手がとまってしまい莉央から怒られた。
「ごめんごめん。一回休憩しよ。あと、その服さえなんとかなれば、あとは自分でできるからさ」
タンスが、あと一段をのこしてきれいになっているのを見て、「ほんとありがとね」と声をかける。
リビングから麦茶をもってきて、莉央に出した。
「もうこの部屋ともお別れなんだねー」
莉央がなつかしさをにじませて、部屋を見まわす。
「中学のときから、何度もきてくれたもんね。自分でも、まだ出ていく実感わかないけど」
言いながら私は麦茶をぐいと飲み干し、よしとひざをたたいて立ちあがる。
ゴホンとのどを調整しながら、莉央のもとへあるく。
莉央のかれんなあごを、クイッとあげた。
「……子猫ちゃんは、ぼくが引っ越したらたくさん来てくれるんだよね」
「ゆ、ゆ、夕陽しゃまぁぁぁもちろんでしゅぅぅぅぅ」
一瞬で理性をうしなってしまう莉央の反応に思わず笑いながら、ぎゅっと莉央を抱きしめた。
耳もとで、ささやく。
「好きだよ……莉央」
「夕陽しゃまのおうちにかよいましゅぅぅぅぅ」
笑いながら、いまここに莉央のいることがうれしくて、うれしくて、うれしくて、目に涙がにじむのを感じた。
ぎゅっと、つよく、莉央のからだを抱きしめる。
この熱が、あますところなくこの子に伝わりますようにと、情念をこめて。