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Act24-1.「眠りネズミとサンガツウサギ」

 もしもあの時、こうしていたら。

 そんなことを考えている時点で、もう手遅れなんだ。



 ――黄櫨の意識が、張り詰めた静寂に浮上する。ヘイヤとミツキは、一体どうなってしまったのだろう。気を失う直前まで感じていた殺伐とした空気、物々しい音もすっかり消え失せている。黄櫨は頭の内からガンガン響く頭痛と戦いながら、何とか冷たい床から顔を剥がし、前を見た。そこには二つの折り重なる影。


(……ヘイヤ、ミツキ?)

 黄櫨は、また悪夢でも見ているのだろうと思った。目の前の光景がとても信じられなかった。部屋の中央ではヘイヤがミツキに覆い被さるように、彼女の肩に頭を凭れている。……その背中からは、一本の鋭い槍が突き出していた。


 ミツキの手にした槍が、ヘイヤを貫いている。


 目に、心に突き刺さる、赤い現実。込み上げるものが悲鳴になってくれれば楽になったかもしれない。だが出てくるのは、乾いた呼吸だけ。喉がつっかえて声が出ない。おまけに体中が痺れ、立ち上がることも出来なかった。

 黄櫨は気付く。これは白火病の症状ではない。きっとヘイヤが、何かしらの魔術を自分に掛けたのだ。彼は自分の動きと声を封じて……邪魔させないようにしたのだ。


「サンガツちゃんの、勝ちだ」

 掠れたヘイヤの声。彼はまだ息がある。急いで助けを呼んで処置すれば間に合うかもしれない。黄櫨は声の出せないもどかしさに、狂ってしまいそうだった。ミツキはずっとこんな苦しみを抱えて生きて来たのだろうか。


「俺に勝ったご褒美に、一つ、いいことを教えてあげる」

 そう言った後、すぐに咳き込むヘイヤ。胸元で槍の柄を握ったままのミツキの顔は、心が抜け落ちたように空っぽだった。致命的な怪我を負っているヘイヤと違い、見る限り彼女に大きな怪我はない。いくら彼女が予測不能な異世界人で、秘めたる力を持っていたとしても、あのヘイヤがこんなに簡単に負けるだろうか?


「しっかり聞いて。アリスネームは、」

(なに? この状況でヘイヤは何の話を……)


「アリスネームは、適性がなくても、相手を殺すことで奪えるんだ」


 それは、思いもよらない発言だった。ヘイヤが何の話をしているのか、何故それを今言うのかが分からない。(“アリスネームを奪う”って、なに?)


 アリスネーム……ロールネームは、不思議の国における存在意義を現す名前。役割。それは生まれ落ちた時から、本人の意思に関係なく割り振られている。好き勝手に変えられるものではない。トランプ王国の王のように、より相応しい者が現れれば“自然と移る”ことはあるが……殆ど例がなく、詳しい事は不明確で、実のところ疑わしいくらいである。だがヘイヤが言ったことは、それ以上に突拍子が無かった。相手を殺すことで奪えるなど、聞いたことがない。


「異世界人がこの世界で生きていくには、ロールネームが必要。世界に認められなくちゃいけない。……俺の集めていた文献を、隠れて読んでいたサンガツちゃんなら、理解できるはず」

 ミツキの消失現象が始まってから、ヘイヤはミツキを不安にさせないよう、異世界人の薄暗い情報を彼女から隠していた。しかしそれは無意味どころか逆効果だったのかもしれない。ミツキは物静かに見えて、好奇心旺盛で知識を得ることに貪欲である。隠されれば隠される程、気になってしまったに違いない。そういうところだけは、少しヘイヤに似ている。ミツキはとっくに、自分が消えかかっている理由も、病の原因が自分であることも、気付いていたのだろう。


「ロールネームは適性に応じて、振り分けられる。そこに意志が介入する余地はない。いくら欲しがっても、入手不可能。でも、ロールネームの中でも特殊なアリスネームは、違う。唯一無二のこの特等席は、奪い合える」

(そんな話、聞いたことない。でももしヘイヤの言うことが本当なら……ヘイヤは、)


「これからはサンガツちゃんが、俺の替わりに、三月ウサギとして生きていくんだ」


 ヘイヤの声は達成感に満ちていた。ミツキが驚きで目を見開き、小さくしゃくり上げる。

 彼の言うことは、とても事実だとは認め難かった。ただの思い付きの妄言に聞こえる。もし本当だったとしても、何故ヘイヤがそんなことを知っているのか。その疑問は、黄櫨の中の何かに引っかかった。そうだ。ヘイヤは……ヘイヤと常盤は、何かを隠していたのだ。その秘密がもしかすると――


「信じられない? 本当だよ。前例は俺だから」


(ヘイヤが、誰かからアリスネームを奪っていた? まさか、そんな)

 黄櫨が出会った時、ヘイヤは既に三月ウサギのアリスネームを持つキャラクターだった。それはキャラクター同士の共鳴が教える、紛れもない事実。言語化できない、この世界の仕組み。だが彼は最初から三月ウサギでは無かったというのだろうか。自分と会うよりも前に、元の三月ウサギを手にかけ、奪っていたというのだろうか。そして今、ミツキがヘイヤからそれを奪い……


(いや、違う。ヘイヤが奪うように仕向けたんだ)

 ヘイヤはミツキに疑心を抱かせ、彼女の友人である自分を人質に取ることで、彼女の敵意を引き出した。引き出したそれを、鏡の持つ“感情を拡大・縮小する”という特性で増幅させた。彼女を狂わせた。

 二人の戦いを見てはいなかったが、殆ど無傷のミツキが、ヘイヤの思惑を物語っている。


(なんで、なんでヘイヤが、そんなこと!)

 黄櫨には理解できない。ミツキにアリスネームを与えることが目的であるなら、何も自分が犠牲になる必要は無いのだ。他国からキャラクターを連れてきて、彼女に捧げれば良かった。ミツキはそれを良しとしないだろうが、それこそ騙すでも何でもすればいい。何故ヘイヤ自身が贄となる必要がある? 彼がミツキを救いたいのは、彼女と生きていたいからではなかったのか?


 ミツキもまた、黄櫨と同じ疑問を抱いているらしかった。ヘイヤはミツキの肩から頭を上げ、彼女の目を横に見る。


「それは、なんで俺が、って顔かな」

 薄紫色の瞳が、力なく細められる。笑っている、のだろうか。


「サンガツちゃんに、俺以外を殺させたくなかった。お前が罪悪感で、誰かを思い出し続けるなんて、許せないから」

 彼らしくない優しい声で、彼らしい自分勝手な言葉が語られる。ヘイヤの想いを受け、ミツキの虚ろな目が濡れて光る。揺れる瞳、震える唇。ヘイヤは今にも壊れそうな彼女の頭を抱き寄せた。


「さっき、一つだけ教えてあげるって言ったけど。もう一つ、あった」

 彼の唇が、ミツキの耳元に寄せられる。


「サンガツちゃん……ミツキ」

 名を呼ばれたミツキは、ハッと息を呑んだ。その後、ヘイヤが彼女に囁いた言葉は黄櫨には聞こえなかった。もしかしたら声になっていなかったのかもしれない。ただきっと、ミツキには届いていたのだろう。悲しく優しい言葉が届いていたのだろう。ミツキの目から大粒の涙が零れ落ちる。――それきり、ヘイヤは何も言わなくなった。


 ミツキは自分に圧し掛かってくる彼の体を、呆然と見つめている。その口は何度か彼の名前を形作っていたが、やはり声にならない。ミツキが彼の名前を呼ぶことは最後までなかった。叶わなかった。

 

 慣れ親しんだヘイヤの気配が、世界中のどこからも失われる。彼の纏っていた三月ウサギの存在だけが、透明な残骸として漂っている。目には見えない、けれど確かな存在であるそれは、少女の中に溶け込んでいった。

 瞬間、黄櫨は本能でミツキが“三月ウサギになった”ことを認識する。初めて自己を認識した時、自分が何者であるか当たり前に知っていたように。疑うことも出来ない自然の摂理が、何故か酷く悍ましく感じられた。……不条理なこの世界。現実は残酷などという話ではない。これはそんな、まともな仕組みではない。


 これこそが、常盤の言っていた“世界の意思”なのだ。

 黄櫨は世界がこの劇的な展開を喜び、ミツキが三月ウサギとなることを物語の流れとして認めたのだと感じた。子供のごっこ遊びのように、気分次第で采配を振るっている。異世界人を弄ぶような呪いも、趣味の悪い遊びの一環なのかもしれない。


 ……世界の意思。それがアリスという創造主の意思であるのか、もっと深い所に根付くものなのかは、分からない。分からないが、確かに――どこか遠い所で、誰かの目が、楽しそうにこちらを見ていることに、勘付いてしまった。


「ミツキ、」

 無意識に発した彼女の名前で、黄櫨は声が出せるようになっていた事を知る。自身を縛り付けていたヘイヤの魔術が、術者を失ったことで解けたのだろう。ミツキは見るも痛々しいボロボロの顔で黄櫨を見る。まるで途方に暮れた迷子だ。黄櫨も涙に溺れてしまいたかったが、ミツキを放っておけない気持ちがそれを許さなかった。


 黄櫨は重い体を起こす。熱や苦しさは大分引いていた。ミツキが三月ウサギになったことで異世界人の呪いも消えたのだろうか? それでもまだ体中が痺れ、すぐには立ち上がることが出来ない。歩いていけない。もどかしそうにする黄櫨を、ミツキは助けを求める目で待っている。


 ――その目が、誰かに呼ばれたかのように、スッと背後の鏡を見た。


 ミツキは鏡を見つめ、鏡もまたミツキを見つめ、彼女は小さく頷く。

 黄櫨は彼女の気が狂い、鏡の中にヘイヤの幻覚でも見ているのかと思った。鏡は見る者の意識エネルギーを反映する触媒である。そこに映るものは、それが語り掛けて来るものは、ミツキ自身の中にあるものでしかない。鏡には、時間のように人格は無いのだから。その中に“語り掛けて来る誰か”なんて居ないのだから。


「ミツキ、鏡から離れて!」

 黄櫨の呼び掛けに、振り返る彼女。その赤い瞳の中には、不思議な青が混ざっている。濁った濃色は、淡い紫へ。細い絹糸の白髪は、太く硬い白銀へと変容する。華奢な少女の体が、一回り以上も大きな男のものに変わる。……それは、実体を伴う幻覚。ミツキの魔力が彼女の姿を、ヘイヤに変えていた。

 姿を変える術は、魔術に精通したヘイヤでも実現できなかった。自己認識と他者認識で存在が確立するこの世界において、認識を歪めることは生きることと相反している。本能がそれを妨げるのだ。


 しかし今、ミツキは……


「ミツキ、何してるの……どういう……つもり?」

「……サンガツちゃんは、もう居ない。俺が殺した」

 黄櫨が初めて聞いたミツキの声は、聞き慣れたヘイヤの声だった。声だけでなく表情も気配も全てが、本物のヘイヤそのものだ。“その男”は自分に凭れかかる、瓜二つの亡骸を冷たく見下ろす。


「俺は二人、要らないね」

 ヘイヤの手から炎が上がった。それは床に散乱している紙に燃え移り、見る見る間に赤黒い海となっていく。ヘイヤは同じ姿をした男の体をそっと炎の中に横たえると、まだ立てずにいる黄櫨を肩に担ぎ上げる。燃える男の体に叫ぶ黄櫨を無視して、ヘイヤは研究室を後にした。

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