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Act8.「世界確立論」

「君はこの世界が何で出来ているか、分かるか?」

 常盤の一言目は、想像していたものと違った。彼は一体、どこから何を話す気なのだろう。しかしその真面目な顔が冗談を言っているようにも見えず、夢子も真面目な顔で返す。


「鉄、酸素、ケイ素、とかですか?」

「なるほど、賢い回答だな。それも正しいが、今は君の目に見える世界について話そう」

 目に見える世界……確かに、いくら集中してもケイ素なんて見えやしない。日常の中で意識したこともない。元素なんてただの幻で、自分の世界と程遠い場所にあるものなのかもしれないな、と夢子は思った。


「この世界を作っているのは“観測”と“認識”だ。この二つで世界は確立している」

 常盤は分からないことがあれば話を折っても構わないと言っていたが、夢子は早速首を傾げることになってしまった。常盤もそれは予想していたのだろう。「例えば」と言いながら、夢子に見せるようにゆっくりと、自分の前のカップにソーサーを被せた。湯気が途切れる。……手品でも始めるのだろうか?


「今、このカップの中には何が入っている?」

「え? ……紅茶ですよね」

「本当にそうか? 何故そう思った?」

「さっき見たので」

 彼の質問の意図が分からない。何故も何もないだろう。自分と黄櫨は甘いココアを飲んでいたが、常盤のカップに入っていたのは、確かにルビー色の紅茶だったのだ。


「君が見たというのは、ソーサーで蓋をされていない状態のカップの中身だ。今のこのカップの中身を見たわけじゃないだろう」


(……ああ、そういうことか)

 夢子は、彼の言わんとしていることに気付き始める。


「私が君に質問したのは“今のカップの中身が何か”だ。今に至るまでの過程が無ければ、このカップの中を知る術はないだろう? つまり、」

 ……確かにソーサーで隠されている中身は、透視能力でもない限り知ることは出来ない。ならば、つまり、そう。夢子は彼の言葉に続くだろう答えを口にした。


「今このカップに入っているものは、コーヒーかもしれないし、空っぽかもしれないって事ですね」

 夢子の確信めいた顔に常盤は少し驚いた様子で「正解だ」と言うと、ソーサーを在るべき場所へと戻す。カップの中身が紅茶に戻った。


「認識されていない存在は、無限の可能性を秘めている。今はこうして私たちの前に姿を現した紅茶だが、先程まではコーヒーにもココアにも、鼠にだって成り得たかもしれない」

 観測者に認識されて、初めてその物は存在を確立される。どこかで聞いたことのある話だと夢子は思った。そう、猫を箱に入れるあの有名な話だ。


「量子力学のお話ですか? シュレディンガーの猫とかの」

「君は博識だな。理解が早くて助かる」

(賢いとか博識とか、めっちゃ褒めてくれるな……)

 夢子はいい気になりそうな自分を悟られないよう、顔を引き締めた。


 シュレディンガーの猫とは――蓋のある箱に猫を入れて、箱の中に毒物を発生させる装置を入れておく。その装置が作動する確立は50%。毒物が発生すれば猫は死に、発生しなければ生きている。猫の生死は誰かが蓋を開けるまでは分からない。よって蓋が閉じられている時は不確定な状態である。……という、残酷な思考実験である。

 この“観測するまで物事の状態は確定しない”という量子力学の話を、何故ここに持ち出すのだろう? というより、これは異世界でも共通の知識なのだろうか? 夢子は不思議に思う。


「世界を作っている粒子は、様々な状態で重なり合っている。それは何ものでもあり、何ものでもない状態、無であり全てだ。それを観測することで、意識のエネルギーにより現象化する」

「な、なるほど……?」


 粒子、観測、現象。いつか見たテレビで偉そうな顔の人が『この世界で起きることは全て“意識の投影”だ』と言っていた。カッコいいセリフだから覚えていた。……ただ、意識の外に何があるか意識できない以上、実感のない話である。


「現象は、観測者の認識が明確で強いほど、確かなものになる。だからこの世界では“認識”が最も重要で、大きな力を持っているんだ。認識が世界を成り立たせ動かしている」

(もしかして……)

 彼が言っているのは単なる理論上の話ではなく、目の前にある現実の話なのではないか。裏を読まずにそのまま言葉を受け止めてみよう。意識のエネルギーという力が存在して、それが世界を形作っている、と。


 ……やはりここは、自分の世界とは色々違うのだろう。


「この世界も一人の観測者の認識から始まった。認識される前のことは誰も知らない。最初の観測者が、この世界を不思議の国と認識したから、そうなった」

「最初の観測者……もしかして、それがアリスですか?」

 ああ、と常盤が頷く。夢子はこの世界のはじまりを想像して、腑に落ちない顔をした。


「でもそれだと、アリスは無から有を生んだということですか? 認識することで生まれたなら、認識する前は生まれる前で、認識出来るものなんてないですよね?」

「いや、観測者に認識される前にもこの世界は存在していた。ただ成り立ってはいなかった。それをアリスが見つけ、認識し、確立させた」

 分かりそうで、全く分からない。夢子はこめかみを指でほぐしながら「うーん」と唸る。アリスという観測者が居て、未確定の世界を見つけ、それを不思議の国だと認識した。……もう、そのまま分かった気になることにしよう。


「なんとなく、分かったような気はします」

「それでいい。曖昧に理解した方がいいこともある。君が学者になりたいなら別だが」

 確かに、と夢子は納得した。物事はあまり深く考えない方が理解しやすいのかもしれない。深く考えると理解しきれないことが増えて、考えるのが嫌になってしまう。そこで考えるのが嫌にならない人が学者になるのだろう。


「アリスの認識によって天地が形成され、人々が誕生すると、その人々の認識によって更にこの世界は確かなものになっていった。人が増えると下らない勢力争いも増えたが……争いの中で生まれた強い自意識が、国を発展させる力にもなった」


 これは世界史だろうか? 神話だろうか? 思っていたよりも数倍、数百倍規模の大きな話だ。アリスという一人の少女の話かと思えば、天地を創造した神の話だったのだ。


「アリスって、一人の人間のことですか? それとも何かの概念でしょうか」

「……実在する、一人の人間のことだ」

「でも世界誕生の大昔から生きているなんて、一体何歳なんですか?」

「さあな。アリスは人前に姿を現さないから、誰も詳しくは知らないんだ。ただ、この世界が生まれたのは大昔のことであって、そうではない。この世界の時間と“君の世界”の時間は違うと思ってもらえればいい」


 夢子は、常盤の言葉に静止した。彼は今“君の世界の”と言ったが――やはり気付かれていたらしい。目で見て異世界人だと分かるものなのだろうか? そして、この国の人達はどこまで夢子の世界について知っているのだろう。


「ここの人たちは、わたしの世界の事を知っているんですか?」

 トランプ兵は異世界人を不吉な存在だと言い、排除しようとしていた。しかし常盤にそのつもりはないようだ。この世界で、異世界や異世界人がどういう存在なのかが気になった。常盤は夢子の問いに少しの間だけ黙っていたが、それは違和感を抱くほどの時間でもなかった。


「……君の世界の事というよりは、こことは別の世界が無数に存在している、という事は知られている」


 常盤が言うには、夢子の世界とこの世界以外にも、世界は星の数ほど存在しているとのことだ。異なる世界同士は通常は触れ合うところにないが、時折何らかの歪で繋がってしまうのだという。歪を介し迷い込んで来るのが彼らの言うところの異世界人だ。

 恐らくその現象は、自分の世界では神隠しと呼んでいたものだろう……と夢子は思った。


 異世界人の発生でこことは違う世界があるらしいと判明したものの、自由に行き来することは出来ず、常に外から内への一方通行だという。そのため異世界の存在自体が胡乱なものらしい。疑われているわけではないが、信じられているわけでもない。宇宙のどこかに知的生命体が住む星がある可能性……よりは、宇宙人だけ先に出てきてしまった分信憑性があるというレベルだろうか。


 “自由に行き来できない”――ならピーターはどうやって? と夢子は問うが、常盤は分からないと言う。逆に問われてしまった。


「君はどうやってここに来たんだ?」

「えっと。ピーターさんと、わたしの世界で会って。深い穴をずっと落ちて、出た先が森でした」

「ピーターと会う前、元の世界で何かおかしな事はなかったか?」

「え?」

 夢子は常盤の言葉の意味が分からず聞き返す。夢子の反応を見て、常盤は「いや、なんでもない」と取り下げた。夢子は少し気になったものの、それよりもっと気になることを優先させる。


「えっと……この世界にはわたしの他にも異世界人が居るってことですよね?」

 夢子は期待を込めて尋ねた。同胞、または同胞ではないにしても近い立場の者が居れば、助けになってくれるかもしれないと思ったのだ。だが常盤は首を横に振る。


「迷い人は稀なんだ」

「他の人は帰ってしまったということですか?」

「……ああ」

 彼がそう答えるまでには、重々しい間があった。夢子は嫌な予感がした。もし無事に帰っておらず、今は居ないのであれば、それが何を指すのか。常盤はこの件について追及されたくないようで、さっと話を戻す。


「つまり、この世界はアリスの観測から生まれたものだということだ。アリスの認識が不思議の国を作っている。そして今アリスの意思によって――この世界は消されようとしている」

 常盤の表情が翳る。夢子は黄櫨の反応も気になって隣を見るが、黙ったままの彼は本の虫になっていて、感情は読み取れなかった。こちらの話を聞いていないのかもしれない。


「どうしてそんなことに?」

「それは本人に直接訊くしかないだろうな」

「そもそも世界を消すなんて、そんなことが可能なんですか?」

「アリスには可能だ。認識することで生まれたものを消し去る方法は一つ。観測者が意味や価値を“否定”することで、それは無かったことになる」


 夢子は理解できた気も、まったく分からない気もした。やっぱり彼の言うことは、哲学の領域、思想レベルの話にしか思えない。実際には目の前の物体は見ていなくともあるし、嫌だと言ってもあり続けるだろう。……恐らくは。

 しっくり来ていない様子の夢子に、常盤は微かに苦笑する。


「君の世界とは大分違うのかもしれないな。別物として考えてもらえればいい。そもそものこの世界の仕組みから、説明すべきだった」


 そう言って常盤が話し始めたこの世界の仕組みは、これまでの話より一層入り組んで難しかったが、夢子が自分なりに理解してまとめると、こうだ――


 この世界には物質が存在する表世界と、表世界を形成するための裏世界“バックグラウンド”がある。


 バックグラウンドとは物質以前の空間であり、ありとあらゆるものを設計・構築しているプログラムであり、世界の細胞であり、0と1であり、色であり、香りであり、風であり、命である。

 その空間で何かを消去したり、書き換えたりすることができるなら、それは表世界を自由自在にできるということに他ならないが、バックグラウンドにアクセスするためには特殊なキーが必要であり、またアクセスできても編集権限がなければ手を加えることはできない。


 キーや編集権限は世界に選ばれた者(権力者やなんらかの天才なのではないかと、夢子は理解することにした)が持つことがあるというが、権限の最上位者は創造主であるアリスで、彼女の変更を書き換えることは不可能。


 そして今、アリスがバッググラウンドで世界の消去を進めていて、それが表世界では“虚無化”という――空間やそこに居る人々が、存在ごと消えてしまう現象になっているとのことだった。消えてしまったものは、記録からも記憶からも抹消される。


 夢子は聞けば聞くほど、自分の範疇を超えている話だと感じた。この世界ではアリスはまさしく神である。アリスを捕まえるとは一人の少女を捕まえることではなく、神を捕えることなのだ。そのようなことが、間違いなくただの一人の少女である自分に出来るはずもない。


「アリスを捕まえる手立てはあるのでしょうか?」

「何とも言えないな。アリスがどこにいるかは誰も知らない。ただ、アリスがバックグラウンドで何か行動を起こす時は、表の世界にも歪が現れる。局地的な異常気象であったり、所謂ポルターガイスト現象であったり、その形は様々だが……異変の起きている場所ではバックグラウンドへの出入口が目撃されたこともある。異変を追えば、アリスに繋がるヒントを見つけることはできるかもしれない」


 ポルターガイスト現象を追うだなんて、ゴーストハンターみたいだ。夢子はなるほど、と頷きかけて「あれ?」と止まる。


「そもそもアリスを捕まえて、どうするんですか?」

 説得できれば一番だが、話が通じない場合は二度とバックグラウンドにアクセスできないよう、永遠にどこかに幽閉でもしておくのだろうか。だとすればそれに加担するのは目覚めが悪い気がする。しかし現実は、もっと気分が悪くなるものだった。


「認識の最上位者であるアリスは、一存で世界を脅かす可能性がある。この国の王はその存在を疎み、アリスの支配からの脱却を狙っているんだ。人々の認識だけで世界を維持するべきだと、アリスは不要だと考えている」

「それは……どういう?」

「……アリスは捕らえられ次第、極刑だそうだ」

 常盤は僅かに躊躇いを見せた後、それを口にした。夢子はインパクトのある言葉に気が遠くなる。


 極刑とはつまり、死刑のことだろう。

 わたしが不思議の国に来た理由は、アリスを死刑にするためなのか。


 幼い頃に自分を重ね合わせた、夢見る楽しさの象徴ともいえるアリス。その名前を冠する者を、大人になりかけている今、殺さねばならないなんて。


 ――これをわたしの成長物語だとするなら、ちょっと、とんでも無さ過ぎる。

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